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お世話役さんからの投稿をシェアリングします

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つくば自助会は4名で行いました。  
近況報告で、私がホットな陰性感情エピソードをお話したこともあって、今回は私のエピソードを扱って頂けることになりました。 

エピソードは、 
娘の公園遊びに安全監視役として付き合ったとき。 
その時一緒にいた自分の友達とだけだと楽しく遊ぶことが難しくなったらしく、 
しつこく強い口調で(と私は感じた)大人を遊びに巻き込もうとする娘に陰性感情が出た。という話です。 

私はお友達ママとベンチでおしゃべりしていたのですが、サッカーやろう!と誘われて20分ほど4人でサッカーをしました。 
その後疲れたし、あとは子どもたちで遊んでほしくて休憩させて(と確か)言って、大人2人はベンチに戻りました。 
戻る時、娘が遠くから『じゃあ休憩10分ね!』と声を掛けたのは知っていますが答えていません。 
私とお友達ママは子育てのお喋りなどしていました。 
エピソードはそれから15~20分後の会話です。 

娘『いつまで休憩してんだー!』 
私『休憩って言ってもね~。。。まだかなぁ』 
娘『もう10分、とっくに過ぎてるよ!』 
私『でも今日は遠い公園だから一緒に来て、悪い人が来てないか心配だから来てるんであって、 
一緒に遊ぶために来てるんじゃないんだよね。』 
お友達ママ『もう疲れちゃってさ~、年だからもたないんだよ』 
娘『え~!やろうよ~!』 
私『○○ちゃんと遊ぼうよ』 
お友達ママ『そう、もう子どもたちだけで遊んで。娘ちゃんのお母さんとおしゃべりしたいんだよー』 
娘『・・・(怒り)いやぁ~だぁ~!』(顔はブーっとふてくされた感じで少し離れたところにいきました) 

私の願いは、『相手の意見や希望を取り入れることを学んでほしい』です。 
娘はとても元気・パワフルで、仕切り力や交渉力があり、自分の希望を相手に伝えて、相手の話を聴いて折り合いをつけることができています。 
しかし私はそれが『自分のやりたいこと』の範囲内での能力だということが嫌だったみたいです。 
そうではなくて、そこにいる他の人々の意見や希望を取り入れてその上でみんなが楽しく過ごすにはどうしたらいいのか考えられるようになってほしいと願っていました。 

ロールプレイをして、チェンジをしたら、娘になった私はとても不可解でした。 
そこには、明らかに疲労回復したお母さんがいて、 
それなのにまだ休憩が足りないというようなことを言い、 
さっきはあんなに楽しそうにサッカーしてたのに、だんだんやらない言い訳みたいなのをし始めて、 
なんで?お母さんの考えてることが全然わかんないよ、困惑、寂しさ・・・ 
そんなことを感じることができました。 

ですがこのあと、ものすごい抵抗がありました。 
なんだろう・・・ 
自分は自分の時間を使って娘が安心して公園で遊べるために付き合ってあげているのに(まぁ、私の心配という私の課題もあるんですが)、 
しかも、20分くらい一緒にサッカーをするという妥協案も受け入れて、出来る協力はいつだってしてるつもりなのに、 
なんでこんなこと思われなきゃいけないの? 
なんで怒られなきゃいけないの?娘が納得するためにこれ以上、まだ何かしなきゃいけないの? 
という声がごんごんと奥底から湧いてきて、じっと体を硬くしていました。 

その時みんなで開いていたページは22-lの『頼み方のコツ』でした。 
あれこれと意見を出していただくうち、進行役のMさんはじめメンバーのみなさんが、 
『それじゃあ、もうお母さんは一緒に遊ぶ人じゃなくて、子どもたちを見守る応援隊に徹するのはどうかな』 
『その上で、子どもたちでどんなふうに楽しく遊べるか考えてもらう。遊べなかったら、その日はもう帰るとか、選択肢を提示することができるわね』 
『やさしくきっぱり、だよね』 
『このエピソードのお母さんは、やさしく、の部分だけなのかも』 
と仰ってくださったことで、 

あー、そうか! 
自分は合理的なつもりだったし(出かけるときに今日は疲れているので一緒に遊ぶことはしないでベンチで本でも読んでるからね。と頼んであった)、 
頼まれたことはできるところまで協力して妥協点を探して実行したし(サッカー20分)、 
なのになんで娘にはまったく何言ってるのかわからないお母さんになってたのか、、、 
それは私が自分の持っている『もう、公園で遊ぶということに関しては娘にお返ししたい』という願いをわかりやすく伝えてなかったからだ! 

すると22-rの『いつでも選択肢があること』が目に入り、自動的に28-rの『選択できない可能性』が思い出されました。 

なるほどーーー・・・・。 
私は娘と協力する、という設計図を、なんとなく偏った技術で書いていたのかも。 
確かにきっぱり、が苦手です。きっぱり、は相手を突き放すような気がしていました。 
でも違うんだ。。。 

代替案は、 
娘が『いつまで休憩してんだー』のあと、 
私『うん、、、さっきは休憩ってわかりにくい言葉をそのままにしちゃってごめんね。 
だけど、お母さんは公園では、娘たちを見守る応援隊でいようって思うんだ。 
だからね、○○ちゃんと話し合って、どんな遊びだったら二人で楽しく遊べるか考えてみてくれる?』 
です。もし助けが必要だったら、 
私『○○ちゃんはどう思う?(お友達ママに)普段は○○ちゃんどんな外遊びが好きなの?娘ちゃんは、今の意見はどう?』 
などと二人が話し合うための交通整理役はできます。 
それで決裂したら、 
私『じゃあ今日はお家に帰ろう。そして、次は二人で楽しく遊ぶためにどんなアイデアがあるか考えるっていうのを宿題にするのはどう?』 
と提案してみようと思いました。 

代替案ロールプレイをしてみたら、私はこの『きっぱり』をしてみて、 
『きっぱり』とはわかりやすさなんだ。 
お互いが上手に協力し合うために必要なアウトラインをこちらが提示することは、それ自体『子どもを信頼する・子ども自身に考えてもらう』ための援助であり協力なんだ。 
ということがはっきりわかりました。 

なぜ自分は、きっぱりが苦手だったんだろう・・・陰性感情がなくても、きっぱり伝えることに申し訳なさのようなものを感じていたみたいです。 
それは自分・相手・そしてその関係さんを信頼する力が足りなかったのかな? 
本当に一緒に成長していこう、協力し合おう、とヨコの関係で、対等で平等な関係に立つということは、勇気のいることなのかもしれません。 

信頼・尊敬・感謝。 
パセージを学ぶごとに、パセージの文言は深く深くなっていきます。 
私のテキストはもはや紙面が4次元状態です。 
そこにはたくさんたくさんの仲間の勇気づけがあります。 
だから、楽しく代替案を試してみようと思えます。 
パセージが痛くて、でも楽しくて、仲間がいてこそ学べるものだということを、改めて感じさせてもらった幸せな時間でした。 

『ココからスタートする成長の一歩』を一緒に考え、後押ししてくださったメンバーさんに感謝します。 

次回は5月17日(火)の予定です。 
みなさまぜひぜひ、エピソードを持ってご参加ください。 
これからもどうぞよろしくお願いいたします。 

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