Institute for the Advanced | 高等戦術研究室

高等戦術研究室代表 杉村晶孝|とらわれず、また、とらわれないことにも、とらわれず|随処に主と作れば、立処皆な真なり(臨済録)

再生の儀式としての音楽芸術 「涙」の円環運動構造とは?

「人生は学問、芸術、自然、そして涙」の「涙」の意味とは?
再生の儀式としての音楽芸術 「涙」の円環運動構造とは?

私の学生時代の尊敬する伝説の近畿予備校の永井先生は(元・数学教授)は 、近畿予備校OB輪読会「カント会」で人生は「学問、芸術、自然、そして涙」と言われていた。その「涙」の意味を40年以上、機会ある度に考えてきたが・・・・・

プッチーニのラ・ボエームを聞きながら、ふとこう考えた・・・。

私は音楽芸術には全くの素人だが、以前、ヘーゲル「精神現象学」を読みながら、オペラは古代ギリシャ悲劇(アンティゴネーなど)の系譜に近いのではと、うすうす思っていた。が、どうやらオペラはルネサンス後期の16世紀末、フィレンツェで古代ギリシャの演劇、ギリシャ悲劇の復興を目指したもののようだ。

人間の情動、情念、つまり意識下、無意識深層の自己(闇の部分、地下の掟)と狭義の知性、意識化された自己、言語等(光の部分、白日の掟)とが、ひとつの自己の中で、個と共同体の絡み合いの中で葛藤、矛盾、分裂対立、せめぎあい等を起こしながら、わけがわからないまま、「やむにやまれれず」引き裂かれ悲劇的な結末、没落におわる場合もある。

これは確かに人間として生まれた限り、やむをえざる一種の「涙(A)」であろう・・・・・・。

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けれども今、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲を聞きながら「涙」の意味を考えた・・・。



人間自身の、人間社会のやむにやまれぬ、どたばた劇を鳥瞰したような透徹したあまりにも美しい音楽が流れることがある。 ある意味でこういった音楽芸術は自己、共同体再生の儀式、追体験、真の意味での宗教体験なのかもしれない。

これも確かに人間の至高体験の「涙(B)」に近いものだろう・・・・・・・・・。

だが今、禁断のマーラー交響曲第9番 第4楽章アダージョを聞きながらさらに「涙」の意味を考えた・・・・・・・。

そしてなぜか『荘子』 養生主篇の最後の老子の死とそれを弔う弟子の説話を思いうかべた。その中で非常に深遠な薪(たきぎ)と火の比喩で、個々の薪はそれぞれ燃え尽きるが、炎は次から次へと移っていく。人間の生命も個々の人間に関する限り滅び失せるが、生命 そのものは永劫に尽きることがないと説いている。

『荘子』において一切存在は方生方死であり、この生滅変化してゆくはてしない変化の流れそのものが道、実在の真相であって、個体はこの変化の流れに生じては滅し、滅しては生ずる波のごときものに他ならない。不滅なのはこの変化の流れそのものであって、生滅する個体ではない。人間はこの道の不断の流動にそのまま従う時、真に生と死を超えることができると説く。

一切の存在が常識的な分別のしがらみを突き抜けて自由自在に変化し合う世界・・「物化」・・・万物の極まりない流転・・・あらゆる境遇を自己に与えられた境遇として逞しく肯定し、逍遥遊してゆくところに、真の自由な生活がある・・一切肯定を自己の生活とする人間に他ならない。

この段階での涙を「涙(A')」と名付けると・・・・・・。

ここに、ようやく「涙(A')」に至る、「涙(A)」→「涙(B)」→「涙(A’)」という「涙」全体の円環運動構造があらわになってくる。それは荘子の真人への、A→B→A'構造に近いようだ・・・・・。この円環運動の過程で、ついには禁断のマーラー交響曲第9番 第4楽章アダージョも超克されていく。

A(分節、現実の否定、未悟)→
B(絶対無分節、悟)→
A’(新たな分節による現実肯定、已悟) 

A→B→A’→B'→A''→B''→A'''→・・・・・・「悟了同未悟」の円環運動。

『生きながら(=A)死人となりてなり果てて(=B)思いのままにするわざぞよき。(=A')』 至道無難禅師

とらわれず(=A)また、とらわれないことにも(=B)とらわれず。(=A')

随処に主と作れば、立処皆な真なり(臨済録)








「夜と霧」 フランクルのことば|マーラー「大地の歌」 

「夜と霧」著者フランクルと、旧版訳者 霜山徳爾、ウイーンの夜道で「グスタフ・マーラー「大地の歌」をうたう。

ヴィクトール・フランクル著 みすず書房「夜と霧」池田香代子訳 新版の後書きに、旧版訳者、霜山徳爾のことばがある。
以下抜粋引用要約
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・・・私はウイーンに彼を訪れた時のことを想起する・・或る夜、彼に招かれて・・・ワインの盃を傾けながら彼からアウシュビッツでの語られざる話を聞いた時であった。謙虚で飾らない彼の話の中で、私を感動させたのは、アウシュビッツでの他の多くの苦悩の事実ばかりでなく・・・彼がこの地上の地獄の内でさえ失わなかった、堅い良心とやさしい人間愛であった。

・・・帰途、なにかのことで音楽の話題になり、フランクルは自分の好きな音楽の一つとして、グスタフ・マーラーの「大地の歌」をあげた。これは中国の詩の独訳に作曲した(彼の第9交響曲ともいわれている)異色のフル・オーケストラの名曲である。それは私もきわめて好んでいる曲であった。偶然の一致を喜んだ彼と私は、暗い夜道で・・・一緒に歌うことになった。・・・・中略・・・哀しく美しい旋律・・・。それを共に歌いながら帰ってきたのだが、明るく強い彼の言葉に陰翳のようにあるもの、彼の世界観の深い底にある哀しさ、を示しているかのようであった。・・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上
ヴィクトール・フランクル著、みすず書房「夜と霧」池田香代子訳 新版の後書きの、旧版訳者、霜山徳爾のことばより。
抜粋引用要約

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フランクルの諸著書より抜粋引用意訳要約した、
私自身の手帳に何度も何度も書き写してある言葉。
以下 
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「・・・我々は人生という舞台の上でスポットライトをあびて役者を演じているが、舞台からは観客席は真っ暗で何も見えない。しかし真っ暗の中で、だれかが、なにかが、どこかでじっと見つめているのだ・・・」

「もし私がそれをしなければ、誰がそれをするだろうか。しかし、もし私が自分のためにだけそれをするなら、私は何であろうか。そして、もし私が今それをしなければいつするだろうか。」 (ラビ・ヒレル)

「ひとはいかにして分自身を知ることができるのか。それは決して考えることによってではない。行為することによってである。汝の義務を果たそうと努めよ。その時汝はただちに汝が何であるかを知るであろう。では汝の義務とは何か。日々の要求がそれである。」

「一般にあらゆる当為はつねにただ具体的にのみ人間に与えられ、彼が「いま・ここ」で為す「べき」ことという具体的な形であたえられているのだろう。価値は日々の要求と個人的な課題のうちに現れてくる。そしてこの課題の背後にある価値はただ課題を通してのみ思考されうるように思われる。」
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以上 フランクルの諸著書より抜粋引用意訳要約した、
私自身の手帳に何度も何度も書き写してある言葉。

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30年前の伝説の近畿予備校|数学の永井先生との輪読会 「カント会」 「人生は学問、芸術、自然、そして涙」

30年前の伝説の近畿予備校
数学の永井先生との輪読会 「カント会」 「人生は学問、芸術、自然、そして涙」

100429_152118大学に入ってから、近畿予備校で4浪、京大法学部に合格した友人が旗振り役で、近畿予備校の数学の永井先生(元・大学教授)に、ご指導役をお願いし、毎週水曜日夕方6時ごろから東館1階奥の部屋で、岩波文庫、カントの「純粋理性批判」の輪読会「カント会」を始めていた。

この「カント会」には近畿備校OBで、法学部や、文学部、理学部、医学部等の学生達や近畿OBの他の大学の学生も集まってきた。毎回大体10ページ程度、徹底的に精読し、担当者が自分の領域、土俵にひきつけてレジュメをつくり発表をした。それをベースに、永井先生に、ご教示いただいたり、皆で自由奔放に話し合ったりした。それでもまだ話し足りなくて、当日来ていた誰かの下宿先へなだれこみ、明け方まで議論を続けたことも度々あった。大変密度の濃い時間を過ごした。これは大学卒業まで続いた。

この4浪の彼は近畿予備校時代も上位の成績で大学でも授業の後、先生にしつこく質問をしていた。所属の法学部だけでなく文学部他、有名な先生のゼミとかにも出没し執拗に質問していた。またクラブ、サークルも幾つか忙しくかけもちし満員の電車やバスの中でも笑いながら平然と大声で歌っていた。4浪の経験というのはこのあたりにも大きな影響を与えていたのだろう。(笑)

この「カント会」で、永井先生はよく理学部の学生と、純粋な数学の話や(私には数学の話らしいとしかわからなかったが)、またマリアカラスとかポリー二、リヒテル、またオペラ等、音楽方面の話もされていたようだった。そのうち、土曜日の夕方、皆で百万遍近くの永井先生の宿所に押しかけ、クラシック音楽を教えてもらい聴くようにもなった。大きなスピーカーがあった。テーブルの上には雑然と数学の専門書らしきものと哲学の書物等が置いてあった。

今でも晩秋の夕方になると、永井先生に教えていただいたベートーヴェン自身によって「病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と題された、弦楽四重奏曲第15番イ短調 OP132第3楽章をふと聞きたくなる。永井先生は、たまにブランデーを飲みながらくつろがれて「人生は学問、芸術、自然、そして涙。」とよく話されていた。煙草の灰がおちそうになっても窓から夕焼けをじっと見つめられていたように記憶する。その頃はまだその言葉の意味は、よくわからなかった。

夜、皆でよく近くの店や三条まで出て、うどんすきをごちそうになった。また大学の友人たちと夏山で北アルプス、槍沢の雪渓で「雪割りウイスキー」を飲んだことを話すと、うれしそうに聞かれていた。また2月頃だったか、永井先生もお誘いして雪景色の奈良の室生寺へ行ったこともあった。

秋の夜長、永井先生に教えてもらったプッチーニのラ・ボエーム「私の名前はミミ」をひとり聞きながら先生の「人生は学問、芸術、自然、そして涙」の言葉の意味を40年経った今でも考えている自分に気づくときがある。

大学を卒業して社会人になって数年後の歳末だった。この4浪の彼がいつものように幹事、連絡役となって数学の永井先生を招き近畿予備校卒業生同窓会もどきを開いたことがあった。夕刻、三条京阪駅で待ち合わせ、2次会、3次会、5次会等、学生時代よく行った、学生でいつも満員の白夜だったかに、なだれこんだ記憶がある。「ホワイト」のボトルを注文。皆、社会人ではあったが、学生時代と同じく、4浪の彼は外で買ったスナック菓子の袋を幾つもカバンに忍ばせ、皿の上にこっそり何度も盛っていた。

深夜、酔っ払って真冬の三条河原で「紅もゆる」を叫んだ。その後、4浪の彼は、大声で歌を歌いながら深夜の吉田山にひとりで登ったようだ。他の者は始発で帰ったような記憶がある。

30年前の伝説の近畿予備校 驚愕の高級英文研究 橋本実 永井先生 猛語録
猛勉したまえよ、猛勉|30年前の伝説の近畿予備校|執念で一発かましてやりたまえよ。








猛勉したまえよ、猛勉|30年前の伝説の近畿予備校|執念で一発かましてやりたまえよ。

猛勉したまえよ、猛勉|30年前の伝説の近畿予備校|執念で一発かましてやりたまえよ。

秋風が吹き始め、夕刻、日没時間が早くなると、私の在籍していた伝説とまでいわれる近畿予備校(1975-1977当時)をふと思い出す。不思議だが高級英文研究の橋本先生の「猛勉したまえよ、猛勉。執念で一発かましてやりたまえよ。」の声が聞こえてくるのだ。もうあれから40年が経過したのだ。
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・・・その当時・・・

・本館の入り口をはいると右側、東館との境目の壁に京大学部別合格者、京都府立医大等の合格者格の実名、出身高校名が模造紙に黒のマジックインキで手書きされ1年間、貼り続けてあった。


・近畿予備校約1300名中、京大合格者総数は確か400名以上いたように記憶している。驚くべきことに、京大医学部と京都府立医大は全合格者の約30〜50%近くまでを、近畿予備校が占めていた。この他に全国の国公立医学部合格者は少なくとも約250〜300名以上はいたようだが記憶は定かではない。また文系では京大法学部の合格者数は約60数名(当時の法学部定員が330名だったので合格者の約5人に1人が近畿予備校出身ということになる。)

・また「合格者は、すべて在籍者のもので、他の予備校のように夏期講習だけの受講者や、模擬試験受験者だけの合格者は一切含まれていない。」旨、書かれてあった。

・近畿予備校の合格者発表の日には、本館の入り口前に臨時の下宿紹介小屋窓口が開設され、全国からの受験者に下宿を紹介していた。下宿先からはたいてい自転車通学で東館の常時しまっているシャッターの前にいっぱい駐輪していた。

・当時定員は約1300名程度で、1クラス250〜300名程度で文系が1クラス、医系が1クラス、理系が3クラスあった。理系クラスの中にも医学部志望者が大勢いた。それぞれ本館2階、3階、4階、北館の1階、2階の大教室だった。本館の5階というより、たしか屋上だったか寒風吹きすさぶプレハブ作りの掘立小屋?が自習室であった。文系は、たいていは2浪以上で、医系は3浪、4浪は普通、なかには10浪という猛者もいた。

・校内模試は、総合順位が本館はいって正面に実名と出身校が模造紙に黒のマジックインキで手書きされ張り出された。確か100位以内は大きく、200〜300番位までは小さな字でびっしり書かれてあったように記憶する。科目別にも順位が掲示されていた。このうち京大は800番程度まで合格可能、法学部は、確か平均300〜400番程度であればまず合格確実だったと記憶する。学部によっては1200番位までも京大に合格していたようだ。晩秋頃から順位が大きく変動していったように思う。

・文系は4階?の大教室だった。エレベーターはなく大きな大教室には細長い板のような机がずらっと並んでいた。教室入口の階段の踊り場に椅子が幾つかと灰皿が置いてあった。特に永井先生の数学の講義の後、何人かで講義板書ノートを見ながら「これはこういうことちゃうか、なんでこうなるのやろな。しかし、文系のわしらには、難しすぎて、わからんの〜、これがほんまの数学ちゅうもんかもしれんな・・・」とか煙草を吸いながら話し合っていた。
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・講義時間は確か50分か45分だったと思う。
・食堂はなく、本館と北館のあいだの小さな中庭にうどんの自動販売機があった。昼飯は近くの同志社の地下の食堂に出かけていた。




・夏期講習、特に永井先生の数学、橋本先生の高級英文研究は全国から受講生が殺到し、申し込み受付日の約1週間前から父兄がその順番どりで東館シャッター前にずらっと並んでいた。

・入試直前の2月は一斉模擬試験ではなく、三々五々連れだって、小雪ちらつく、がらんとした大教室で自主的に模擬試験を実施していたように思う。

・京大の合格者発表の日は確か工学部の前で二階建てのやぐらを立て京都放送テレビで近畿予備校がスポンサーで合格発表の独占実況生中継をやっていた。確か数学の永井先生、化学の小林先生、教務の大橋先生等が問題を解説し、近畿予備校生の合格者の喜びの声を実況生中継していた。

執念で一発かましてやりたまえよ、猛勉したまえよ 猛勉

・下記↓投稿記事一番下の欄外、コメント一覧にコメントたくさんいただいておりまする。
・30年前の伝説の近畿予備校 驚愕の高級英文研究 橋本実 永井先生 猛語録
・30年前の近畿予備校 橋本実編 驚愕の高級英文研究 成功・合格への秘密とは 
・30年前の伝説の近畿予備校 2浪の思い出(1975〜1977年頃)
・30年前の伝説の近畿予備校|数学の永井先生との輪読会 「カント会」 「人生は学問、芸術、自然、そして涙」






中村天風|安定打坐法|瞑想|一音傾聴法

中村天風|安定打坐法|瞑想|一音傾聴法

香港時代、華僑やユダヤ相手に投資金融証券業務をやっていた時から、中村天風氏の著書や写真を証券モニター機器の傍らにおき、気合と根性で雄たけびをあげ、ディールや商売をしていた。

最近、あらためて中村天風氏の著書の深い理論的背景、東洋思想等の実践的理解がすこしずつだが進んできたようで、前回、投稿の静坐、意識訓練の方法「已発(いはつ)」と「未発(みはつ)」とも関連付けて、中村天風氏の安定打坐法、瞑想を試行錯誤で生体実験中。著効あり・・・

*理論的、いわゆる理性的理解は(必要ではあるが)あまり度が過ぎると、よくとも回り道、悪くすれば神経性等の、どつぼの肥溜めにはまる可能性が非常に高い。

以下
天風会 中村天風述 「盛大な人生」第6章 真人生の実現、「安定打坐考抄」 講演「神人冥合」等、中村天風氏著書より適宜、一部抜粋引用、要約、参照参考
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
・・・・雑念妄念がでたらすぐに「安定打坐法(,鉢△ワンセット)」を実行してごらん。・・・・この方法はね、インド山中の修行中にヒョイと悟ったの。それはね、深山の特有とするシーンとした声のない声をフーッと聞いているうちに、雑念妄念がとれて、三昧の境に入れたことにヒントを得たんであります。
・・・
そのうちに、暴れ馬みたいに暴れてた心、ああでもない、こうでもないと、自ら考えても恥ずかしいほど騒いでいた心も、ゴオッーと鳴り響く滝の音に、,い弔靴一本にまとめられてくるんです。何しろ耳が聞こえなくなりそうな滝の音だからね。そのとき、心が 嵳我一念」という心になるんですよ。(¬飢飜鞠阿猟樵亜ΑΑ

滝つぼのわきに座っている自分をはっきり自覚している。けれども、絶え間なくゴーゴーと水の落下する音に耳(*脳)は、誘われるのはいやだっても誘われちまいますもん。そうすると、激しく動いて乱れている心の動きにも、とらわれなくなって、,靴次爾鵑搬譴硫擦砲泙箸瓩討劼こまれそうになってくる。

・・・そのうちに、∋々フッーフッーと、滝の音も聞こえない、何にも聞こえない境涯に入っていった自分に気がつくんです。△曚鵑琉貊屬任垢茵0貊屬世韻鼻▲魯辰筏いついたときに、「はてな、寝てたんじゃないか、今の瞬間、滝の音が聞こえなかったな。」

・・・さて今これから諸君には、水の流れるようなブザーの音が、聞こえてきます。,海離屮供爾硫擦坊でも心が引きいられる。・・・慣れない間は、目をつぶるんだよ。・・・

この^きいられてる時が、「有我一念」だ。この引きいれられた耳を通じての心の定まりが、ブザーの音が突然絶えたとき、⊇峇屬任△蠅泙垢、1秒か2秒、シーンとした世界が味わえる。本当の瞬間的に何にも音のない世界を感じる。

・・・△海硫擦里覆だこΑ¬祇爾龍地・・・禅でいう三昧境・・・やがてこの境地が長く味わえるようになりますが、最初の間は、音が絶えた瞬間だけフーッと「無念無想」「無我無念」になります。

慣れれば、シーンとした世界に、どんなうるさい場合でも、ヒョーイと心をのりかえることができるようになる。

−−−−−−−−−−−
以上
天風会 中村天風述 「盛大な人生」第6章 真人生の実現、「安定打坐考抄」 講演「神人冥合」等、中村天風氏著書より適宜、一部抜粋引用、要約、参照参考

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ー私なりの試行錯誤実験ー

・前回投稿の「・・・意識の表層、すなわち「已発(いはつ)」のさなかに瞬間的に姿を現わす「未発(みはつ)」。普通の状態では、通常はこの瞬間的別れ目(切れ目)を「未発(みはつ)」の状態としては気づかない。だが、訓練された人々は「已発(いはつ)」と「已発(いはつ)」の間に介在、垣間みえる「未発(みはつ)」を、はっきりそれとして捉えることができる。・・・」(井筒俊彦著 岩波文庫「意識と本質ー精神的東洋を索めて」より適宜、抜粋引用、要約)・・・・・・

・この垣間みえる「未発(みはつ)」とはまさに、天風氏の「無念無想」「無我無念」に近いようだ。

・天風氏によれば滝のような流れる連続音は、ブザー音や鈴(仏具のすず)がよい。講演「神人冥合」にはズバリ天風氏の肉声によるブザーの音による具体的な指導がある。

・私なりに工夫して種々試行錯誤しているが、大音量の環境音楽の瀑布(滝)の音や、お寺の鐘(余韻)CD等を使っている。なにもないときはラジオの放送局のない周波数、ガ―ガーザーザーという大音量の音(滝の轟音に近い)や電子メトロノーム等の連続した合成音もよいようだ。また鈴(仏具のすず)の代わりに高品質なトライアングルの余韻の音もよいようだ。

・私は週末、山の渓流の音を聞きながら、のほほんとやってる場合も多い。

・自分の意識でオンオフするより、突然オンオフになるほうが効果が高いようだ。

・,両態から△両態になる刹那、どこかへ吸い込まれそうに感じ、身体が前のめりになりそうなこともある。

・△両態から突如,砲發匹觧、飛び上がるようにびっくりする場合がある。

・△両態になった瞬間、意識せずとも自然に丹田呼吸深い複式呼吸になっている場合も多いようだ。

・,領れるような連続音による一点集中、一音傾聴法と、それが断絶した刹那の瞑想(数秒)。,鉢△ワンセットで、これを何度か繰り返す。

・熊野宏昭著のマインドフルネス著述関連の音による「注意訓練」とも深い関連があるようだが詳細は別途。

・コツさえつかめれば、日常生活のどんな場面でも、その辺の音を使って、ヒョーイと、シーンとした世界に心をのりかえることができるようになる気がしている。

・中村天風氏の「観念要素の更改法」「積極観念の養成法」「神経反射の調整法」等とともにきわめて実践的効果が高い。

・では瞑想して*いったいどうなるのか?何のために?等等、しかめっつらしてゴテゴテと問う前に・・・すぐできるので、ためしにダメもとでやってみては・・・・
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『荘子』大宗師篇の荘子的超越者「真人」仙人への構造「方内=A」→「方外=B」→「無方=A’」にみる A→B→A'構造

「主(ぬし)なくて、見聞覚知する人を、いき(生き)仏とはこれをいふなり」至道無難禅師

「随処に主(主人公)と作(な)れば、立処皆な真なり(その場その場が真実だ)」臨済録

『生きながら死人となりてなり果てて思いのままに するわざぞよき』
至道無難禅師

「大事なことは、あらゆるとき、あらゆる機会に、日常の行住坐臥のひとつひとつのうちに、ひたすら無心を学び、ものを分別することなく、ものに寄りかかることもなく、ものに執着することなく・・・まるで阿呆のように生きてゆくことだ。」 黄檗伝心法要 宛陵録

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ダイヤモンドオンライン特別レポートインタビュー記事「究極のゲリラマーケティングとは?高等戦術研究室代表 杉村晶孝」


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わてかってアホやけど、あんたかってアホやがな(=A)

人にどう見られようと、何と思われようと、どうでもええがな。なんでもええがな(=B)

アホに徹したら、なんでもできまんがな。ダメもとやがな(=A')





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静坐ー意識訓練の方法 「已発(いはつ)」と「未発(みはつ)」とは?「気づき」が第一段階のキーワードか?

静坐ー意識訓練の方法 「已発(いはつ)」と「未発(みはつ)」とは?
「気づき」が第一段階のキーワードかもしれない。

bb0b00a1.JPG維摩経の「煩悩を断ぜずして涅槃に入る、これを坐禅となす」また禅の瞑想、マインドフルネスの瞑想、禅語録等に関わって・・・・宋儒(中国、宋代の儒者の総称。程曄程 頤、朱熹等) が実践する意識訓練の方法である静坐ー意識訓練の方法 「已発(いはつ)」と「未発(みはつ)」とは?を考えてみた。「気づき」が第一段階のキーワードかもしれない。

井筒俊彦著 岩波文庫「意識と本質ー精神的東洋を索めて」より適宜、一部抜粋引用、要約、参照参考
以下
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普通の状態に放置された意識には全然見られない特殊な機能を発動させるために宋儒(中国、宋代の儒者の総称。程曄程 頤、朱熹等) が実践する意識訓練の方法は、静坐と格物窮理との二つに分かれる。・・・静坐は格物窮理の準備段階と見なされる。・・・

静坐とは、ただじっと坐って内的鎮静を図るだけの事ではない。その内部構造とは・・・・

通常の場合、我々の心は「已発(いはつ)」の状態(意識がなんらかの方向に発動)にある。絶え間なく揺れ動く心。感覚、知覚が外界に対象を追い、それをめぐって欲望が走り、感情が湧き、想念が渦巻く。寄せては返す波のように、様々な動きが何処とも知れぬところから生起してきて意識の表面を満たす。「意識の流れ」という表現が示唆するように、表層意識は様々な内的動きの連続、まさしく已発(いはつ)そのものだ。そういう内的動きの状態をこそ、人は普通、意識と呼ぶ。

だが、一見すると絶え間ない流れとも見えるこの「已発(いはつ)」意識はよく観察してみると、本当は連続ではなくて断続であることを人は知る(気づく)。例えば一つの感情が生起する。心はたちまち内的緊張の状態に入る。緊張は一定の時間保たれるが、或る時点まで来ると弛緩して、弱まり消える。つまり、この一つの感情に関するかぎり、心は動から静に移る。そしてまた動いて、次の新しい緊張に入る。感情であるにせよ、意志にせよ、欲情にせよ、想念にせよ、しかしこの新しい緊張も、或る時間続いてやがて消え去る。意識の自然のあり方として「未発(みはつ)」はこういう形で現実に実現しているのだ。それにはなんの修行も要らない。・・「已発(いはつ)」はごく自然に、「未発(みはつ)」によって、ところどころで区切られるのである。

一つの心の動きと次の心の動きとの間には、たといそれがほんの一瞬間にすぎないにしても、心が全く動いていない状態が経験される(あるいは少なくとも想定される)のであって、それが瞬間的に想定される「未発(みはつ)」状態である。

意識の表層、すなわち「已発(いはつ)」のさなかに瞬間的に姿を現わす「未発(みはつ)」。普通の状態では、通常はこの瞬間的別れ目(切れ目)を「未発(みはつ)」の状態としては気づかない。だが、訓練された人々は「已発(いはつ)」と「已発(いはつ)」の間に介在、垣間みえる「未発(みはつ)」をはっきりそれとして捉えることができる。そしてその「未発(みはつ)」の間隙をできるだけ長く延ばして把持しようとする訓練・・・むしろ経験的世界の真っ只中で、心の動きそのものの中に心の静を求めようとするのだ、と強調する。

だが、この道を行くうちに、あたりの様相は次第に変わってくる。もともと「未発(みはつ)」は意識の表層だけのことではなかったのだ、というより「未発(みはつ)」はその根源を意識の深層にもっているからだ。意識の表面は、大部分が「已発(いはつ)」によって占められていて、その間に僅かに「未発(みはつ)」が点在していたにすぎなかった。ところが修行が進むにつれ・・・・・・
「未発(みはつ)」の領域の深層化、意識のゼロポイント、格物窮理へと続く・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上 井筒俊彦著 岩波文庫「意識と本質ー精神的東洋を索めて」より適宜、一部抜粋引用、要約、参照参考

維摩経の「煩悩を断ぜずして涅槃に入る、これを坐禅となす」また禅の瞑想、マインドフルネスの瞑想、禅語録等に関わって・・・・宋儒(中国、宋代の儒者の総称。程曄程 頤、朱熹等) が実践する意識訓練の方法である静坐ー意識訓練の方法「已発(いはつ)」と「未発(みはつ)」とは?を考えてみた。「気づき」が第一段階のキーワードかもしれない。詳細は、またの機会にしたい。いろんな禅語録がより見えてくるようだ。

*三祖信心銘「至道無難、唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う、但だ憎愛莫ければ、洞然として明白なり。」
*「主(ぬし)なくて、見聞覚知する人を、いき(生き)仏とはこれをいふなり」至道無難禅師


なお、この井筒俊彦著 岩波文庫「意識と本質ー精神的東洋を索めて」は名著中の名著であろう。


ダイヤモンドオンライン特別インタビュー記事、ゲリラマーケティング、忍辱(にんにく)は是れ道場なり。
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わてかってアホやけど、あんたかってアホやがな(=A)
人にどう見られようと、何と思われようと、どうでもええがな。なんでもええがな(=B)
アホに徹したら、なんでもできまんがな。ダメもとやがな(=A')







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維摩経|人生が道場だ|煩悩を断ぜずして而も涅槃に入る|維摩の一黙、雷の如し


維摩経|人生が道場だ|煩悩を断ぜずして而も涅槃に入る|維摩の一黙、雷の如し。

鎌田茂雄、長尾雅人、中村元、谷口雅春、武者小路実篤等の維摩経訳を熟読している。それぞれに訳者の学問的、思想的、宗教的背景、人生模様等がうかがえて非常に興味深い。いずれ詳細に紹介できればと思う。

今回は鎌田茂雄「維摩経講話」菩薩品より適宜、一部抜粋引用、要約、参照参考 。
以下
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「人生が道場だ。」

光厳童子が街を出ようとした時、維摩に出会った。
光厳童子「居士はどこからいらっしゃいましたか。」
維摩「*道場から来ました。」

光厳童子は道場といえばずいぶん遠いところから維摩は帰ってこられたのだなといぶかった。そこで
光厳童子「あなたのいう道場とは一体どこの道場ですか。」と質問した。

維摩がいう道場とは具体的な場所ではなかったのだ。
ありとあらゆるものが道場であった。
・・・・・
維摩が*道場というのは修行の一切をいう。ありとあらゆるものが道場となる。生活全般、行、住、坐、臥等の一切の行為、日常生活すべてが道場となる。・・・・・煩悩もまた道場となる。煩悩に日夜苦しめられてこそ安楽がある。人間は生きている限り煩悩がある。蓮華が泥の中から美しい花を咲かせるように煩悩があるからこそ菩提もある。・・煩悩を断ぜずして而も涅槃にはいる。・・・生活、仕事もすべて道場となる。生きてゆくことが道場なのだ・・・まさしく人生そのものが道場である。・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上

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「荘子」これを望むに木鶏に似たり|有為から無為に至る実践プロセス

ー有為から無為に至る実践プロセスー
「荘子」 福永光司著訳 達生篇 木鶏「これを望むに木鶏に似たりの説話」より適宜、一部抜粋引用、要約、参照参考
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
闘鶏師の名匠が王のために闘鶏を飼育した。

10日もすると、王はたずねた。
ー鶏はもう使いものになるか。−
名匠はこたえた。
ーまだです。いまのところ、むやみに強がって威勢を張っています。−

それから10日すると、王はまたたずねた。すると名匠はこたえた。
ーまだ使いものになりません。まだ他の鶏の響き影に対してさえ、さっと身構えます。−

それから10日して王はたずねた。すると名匠はこたえた。
ーまだ使いものになりません。他の鶏を近づけると、まだぐっとにらみつけて気おいたちます。−

それから10日して王はまたたずねた。するとこんどは名匠はこたえた。
ーもう完璧です。他の鶏が鳴き声を立てても、もはや何の反応も示しません。遠くから見ると、まるで木で作った鶏のようです。無為自然の道を完全に身につけています。他の鶏で相手になろうとするものはなく、背を向けて逃げ出しましょう。ー

人が自己の生を全うし、真の意味での人生の*達人となるにはどうしたらよいか・・一言にして尽くせば天理の自然に順って私心をすてること。いわゆる*則天去私の無為を説くことにあるが、この無為の境地に立てば、かえって至妙の有為が実現すると説くところに積極的な立場がある。

無為の為さざるなきの積極面を単なる観念ではなく現実社会の人間の具体的ないとなみに即して、有為から無為に至る実践のプロセスを重視している。外物に心を乱さぬ無心の境地、天の理に従う人間がいかに超人的な妙技、究極の有為を発揮するか。・・・・

「荘子」 福永光司著訳 達生篇 木鶏「これを望むに木鶏に似たりの説話」より適宜、一部抜粋引用、要約、参照参考

以上
-----------------------------------------
*則天去私(天に則(のっと)り私を去る。)夏目漱石が晩年に人生の理想とした境地。自我の超克を自然の道理に従って生きることに求めた。
*かって横綱双葉山が、連勝が69で止まった時、「未だ木鶏たりえず」と語ったエピソードがある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここでいわれる*達人とは無敵の強者、勝負師を意味するだけではない。真の勝負の場とは、まさに今ここで直面する日常生活そのものであるということだ。王陽明に「事上磨練」という考えがあるが、欲得のうずまく世俗とかけ離れ、深山幽谷で独り瞑想するのでなく、実際に直面する日常の生活や仕事、世俗のど真ん中という場で、もみくちゃにされ七転八倒しつつも生きぬき修養し精神を練磨することに近い。

臨済録に「随所に主(主人公)と作(な)れば、立つ処皆な真なり(その場その場が真実だ)」という言葉がある。日常生活を生きぬいていくためには、種々の苦しみや悲しみ、悶え、怒りと怖れや、憂い、不安等も当然あろう。けれども、その場、その場がまさに随所であって(世間的にはたとえいかにみじめさのどん底であったとしても)その場でせいいっぱい主と作(な)ってあらゆる境遇を自己に与えられた境遇として逞しく肯定し、無心で生きぬくことこそが真の人生の達人なのだろう。・・・・

黄檗伝心法要 宛陵録に「大事なことは、あらゆるとき、あらゆる機会に、日常の行住坐臥のひとつひとつのうちに、ひたすら無心を学び、ものを分別することなく、ものに寄りかかることもなく、ものに執着することなく・・・まるで阿呆のように生きてゆくことだ。」ともいう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
A→B→A'構造

この「荘子」達生篇 木鶏「之を望むに木鶏に似たりの説話」で,「有為=A」→「無為=B」→「至妙の有為=無為にして為さざる無し=A'」と考えてみた時、『荘子』大宗師篇の荘子的超越者「真人」仙人への構造、「方内=A」→「方外=B」→「無方=A’」にみる A→B→A'構造と同様の弁証法的構造が見られる。

今、合わせてその構造をあらわせば、
A=「方内」「有為」(*とらわれ)
『荘子』でいう「方」とは規範、限定、分節、共同体社会の秩序、礼教規範を意味する。

B=「方外」「無為」(*とらわれず)
荘子では世俗 俗世間をこえたいわゆる超越者の世界。深山の洞窟にひとり住む隠棲者。しかしながら「方外=B」に固執すれば「方内=A」の立場に束縛される不自由と同じであろう。

A'=「無方」「至妙の有為」(*とらわれず、また、とらわれないことにも、とらわれず)
荘子のいう絶対者、真人とは「無方=A'」の人であって「方内=A」「方外=B」の区別をともに包み超え「無方=A'」の世界に遊ぶことをいう。深山の洞窟より街の雑踏、共同体、人の世へおりてくる。

共同体社会にありながら心はがんじがらめにされず、共同体社会の束縛を束縛とも感ぜず、共同体は以前の共同体とは全く違って見えてくる。真の隠者は市井にあり。仙人は深山に在らず、街中の雑踏で笑う。荘子ではこれを無何有の郷に逍遥遊するという。「無方=A'」の共同体は、「方内=A」と同じ共同体であってもその意味は全く異なる。

蘇東坡の「廬山は煙雨、浙江は潮 到らざれば千般恨み未だ消せず(=A)到り得 帰り来たれば(=B)別事なし 廬山は煙雨、浙江は潮(=A')」ということだろうか。

中国禅における宗教、修行の構造「悟了同未悟」
A(分節、現実の否定、未悟)→B(絶対無分節、悟)→A’(新たな分節による現実肯定、已悟) 
A→B→A’→B'→A''→B''→A'''→・・・・・・の円環運動。
中国禅における往相(向上)と還相(向下)の円環を描きながらのさとり(煩悩即解脱)への循環だろう。

『生きながら(=A)死人となりてなり果てて(=B)思いのままにするわざぞよき。(=A')』 至道無難禅師

週末は山の仙人の庵にて、唐文化の香りと雰囲気が漂う唐代の中国古典音楽を聞きながら・・・・
とらわれず(=A)また、とらわれないことにも(=B)とらわれず。(=A')

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音楽療法としての中国古典音楽の哲学|道家の咸池楽(かんちがく)と儒家の楽記(がくき)|

音楽療法としての中国古典音楽の哲学|道家の咸池楽(かんちがく)と儒家の楽記(がくき)|


秦、漢、魏、六朝の中国古代音楽の響き(新石器時代の頃の土笛の音色から、中国の古代宮廷楽器の青銅製の何十個からなる「編鐘」、また屈原、楚歌、伝説の竹林の七賢、ケイ康の古琴、広陵散を含み)唐、宋、元、明、清代のそれぞれの古典音楽までを時代毎に忠実に再現したという中国古代音楽に触れることができた。

それらを聞きながら・・・・

福永光司訳「荘子」天運篇、福永光司訳著「芸術論集」咸池楽(かんちがく)論に引き続き中国最古の音楽論「楽記(がくき)」等より適宜、一部抜粋引用、要約、参照参考とした。

「楽記(がくき)」は、
「礼記」の一篇として儒教の経典の中に加えられ、儒家の政治哲学の一環として治道、政治のための音楽を説く。儒家の政治倫理の哲学に組み込まれ、礼の哲学と結び付けられ礼楽論として、政治のための音楽論が展開される。

人間社会の政治的な秩序と調和、さらにはその根源としての天地大自然の秩序との調和を表現することを音楽の本質とし、音楽によってその秩序と調和が実現され、人間の心の安楽が確立されることを強調する。

政治的な秩序と天地の道に基づく人間の道、万物一体の仁を唱え、人間を人倫の秩序の中に安らがせ、社会との連帯の中で人間を善美為らしめる音楽の効用を重視する。

一方、

「咸池楽(かんちがく)」は、
老荘、道家の無為自然の哲学を踏まえ、無為の道すなわち真実在の世界に目覚めさせることを音楽の本質とする。万物斉同を唱え、天地の道そのものを強調する。

真実在の世界との大いなる調和を象徴し、その調和と一体になった求道者の魂の愉楽を表現し、人間の魂を深く揺り動かし、自己の生存の根源を意識させ道の前にただ独り立たせ、音楽による覚醒と浄化の作用を重視する。

自己の限られた生存を大いなる混沌、悠久無限な天地大自然の中で確かめようとする。社会との連帯を意識することではなく個人の魂を浄化し救済するものとする。

但し、天地の道にもとづく人間の道を強調する「楽記(がくき)」と、天地の道そのものを強調する「咸池楽(かんちがく)」は、強調の違いこそあれ、どちらも自然を人間と対立するものとは考えず、人間の根源に自然を考え、天地の道を究極根源の真理とする点は同じであり、音楽のリズムを大自然の宇宙的なリズムの象徴とする点は共通する。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

いずれ最近のミュージックセラピー、音楽療法とも合わせて、宗教的儀式における音楽の役割、また音楽を通じての修行、宗教的覚りへの道をかんがえてみたい。

また、道の自覚者ー哲人こそが真の芸術家であるという観点、そもそも芸術とは何であるのかも考えてみたい。

ここ半年以上、海外出張を含めてマーケティングコンサル業、プロジェクト等で夜も週末もバタバタ、イライラの、しぱなっしで、またこれらのビジネスを通じて今まで知らなかった様々な人の声や音、人間模様をも垣間見てきた。なかなか時間がとれなかったが、ようやく週末、山で渓流の音、鳥や虫の音、風や木々の葉擦の音、山の音などを初夏の木漏れ日の中で、のほほ〜んと。・・・・道家の咸池楽(かんちがく)とは、なんであるのかを考えている。



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音楽による魂の目覚め|道家の中国古代音楽 『咸池(かんち)の楽』とは?|精神の三態の変化


音楽による魂の目覚め|道家の中国古代音楽
『咸池(かんち)の楽』とは?|精神の三態の変化

福永光司訳「荘子」天運篇、福永光司訳著「芸術論集」咸池楽論より適宜、一部抜粋引用、要約、参照参考とした。

以下
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中国最古の「楽記」は儒家の音楽の哲学を代表するのに対して、「咸池楽論」は道家の音楽の哲学を代表する音楽論。*咸池とは咸(あまねく)池(うるおす)の意味。

日常的な生活の中に埋没し、常識的な価値観の中に安住している人間が、咸池(かんち)の楽を聞く時、「道」(天地造化のはたらき)の世界に目覚め、自己の生存の根源を意識し、求道者の三種の精神のプロセス、すなわち 嶷れ(おそれ)」◆崑佞蝓覆阿鵑覆蝓法廰「惑い(とまどい)」を体験する。

この三種の精神のプロセスを体験してはじめて「道」の世界に参入しうる。その音楽が、真実在、天地造化の世界の大いなる調和と一体となった魂の愉楽を実現し、人間の魂を深くゆりうごかし飛翔させる。大いなる混沌、悠久無限の中で自己の限られた実存生存の根源を意識させ「道」の前に、ただ独り立たせる。音楽を個人の魂の覚醒と浄化、救済するものとして本質づける。

求道者の三種の精神のプロセス、すなわち 嶷れ(おそれ)」◆崑佞蝓覆阿鵑覆蝓法廰「惑い(とまどい)」

第一奏 <懼れ(おそれ)> 日常的自我の崩壊

春雷の天地を揺るがし鳴り響き、変化して常無し、千変万化する響きを展開させていく。先ず懼れの感情を抱かせ、物の怪に取りつかれたように不安な状態になる。生活の中に埋没していた精神、常識的な思慮分別、安住していた世俗性、「方内」へのとらわれが打破、否定され、真実なる世界(道)に驚き目覚める。世俗の価値観、分別知からの転換へ。日常的な自我の崩壊。

第二奏 <怠り(ぐんなり)> 忘我

四面はてしない太虚の中にひとりたたずませ、心の緊張を解いて気持ちを(怠)ぐんなり(弛緩)させる。ひとつの脱出現象が起きる。身体は果てしなくひろがる宇宙空間いっぱいに溶け込み、とらわれない道の世界、絶対無分節、悠久無限の「方外」の世界に遊ぶ。今までの自己を支えていた知的葛藤や主我意識、一面的な価値観の妄執から解き放たれ、世俗的な分別知の束縛、言語概念と確執からの脱出、解放。心は、なよなよと弛緩する。忘我。

第三奏 <惑い(とまどい)> 和光同塵

万物が混沌として群がり生じる。人間の言語や思考で方向づけることのできない無限定の世界、声なき声の世界に彷徨し生死虚実を超えながらも生死虚実として現象する真実在の世界。一切の常識的な思慮分別を超克し、ひっそりとした静寂の中で常識的な思考や言語に無理に拘泥し固執することもなく和光同塵、無知無欲の愚者となり、天と和する(天楽)。無為自然の道とひとつとなり「無方」の世界に逍遥遊する。とらわれず、またとらわれないことにも、とらわれず。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上

詳細は拙記事『荘子』天運篇 中国古代音楽 『咸池(かんち)の楽』とは・・・「宗教音楽と修行・覚りの構造 悟了同未悟」参照。
 
また咸池の楽の三種の精神のプロセス(第一奏、第二奏、第三奏)を、二―チェ「ツァラトストラかく語りき」における精神の三態の変化(駱駝→獅子→幼児)とも関連付けてみたい。

道家(竹林の七賢)の、阮籍(げんせき)の音楽論「楽論」ケイ康(けいこう)の「琴賦」「声無哀楽論」等も機会があれば原書にもあたってみたい。

なお、これらに関して、香港等駐在時に中国古典伝統音楽(カセットテープ!)を多数収集。其の中にはケイ康(けいこう)の古琴の名曲「広陵散」らしきもあり、今も聞きながら書いているけれども、それがケイ康(けいこう)の「広陵散」かどうか真偽はわからない。

また広莫の野で咸池楽そのものを聞いてみたいが、どなたかご存知でしたら、ご教示いただければ、ありがたく、感謝いたします。

道家の音楽の哲学を代表する「咸池楽論」とは一見、反対に位置付けされる儒家の音楽の哲学を代表する中国最古の「楽記」(舞楽、雅楽等集団の演技)に、逆に咸池楽のさらなるヒントがあるかもしれない。

隠者は私にかく語った「自分の見たいように見て、自分の聞きたいように聞く」 妄想のマッチポンプとは?

崩壊がはげしいやせ尾根の岩稜、足がすくむ。稜線の両側はスパッと切れていて遥か下をのぞくと奈落の底が白雲の垣間に見え隠れしている。

なぜか隠者は私を岩峰へ連れていったのだ。岩峰の冷たさに手がかじかむ。
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隠者は厳かに私にかく語った。

「おまえ(私)はなぜいつも重い岩をほうりこんだバカでかい荷物を背負って岩稜歩きをしているのだ。」

私は食料のいっぱい詰め込んだ、でっかい荷物は庵に置いてきたのだが。いったい隠者の言うバカでかい荷物とは何のことだろう。・・・

すると隠者は笑いながら岩にしがみついている私にかく語った。

「・・・・心はさまざまの知性の戯言(ざれごと)や感情のがらくたや、直截性を失った残滓観念、言語概念等でいっぱいである。おまえ(私)が悲惨な思いをしたり苦悩や束縛感にうめいたり煩悶せねばならぬのは、それらの累積による束縛拘束のためである。こんな愚かしい重荷を全部捨ててはどうか。こんな荷物をかつぎまわる必要はどこにもない。」

隠者の厳かな言葉は、確かに聞き心地はよかった。
だが、私はある不信感を感じはじめていた。

隠者の厳かな言葉があたかも「塗り絵」のように感じられはじめたのだ。あまりにもきれいすぎ、できすぎているように思える。言うは易く行うは難しではないだろうか。・・・

この隠者は実は似非哲学者、学者坊主くずれではないのだろうか?隠者の語った厳かな言葉は覚ったようなもっともらしい言葉だが、ただのうわつらの言葉だけで、覚者(かくしゃ)を装ってはいるが、ほんとうはなにもわかっていない俗物ではないのか。これこそが単なる学者坊主のでっちあげた直截性を失ったバーチャルな言語概念だけの塗り絵あそびそのものではないのか。・・・・


そもそも隠者の厳かな言葉は、はじめに自分自身ででっちあげた知的概念という物差しで、世界なるものを、自分の描きたい筋書き、青写真、ひな形通りに分別、こじつけ解釈しているだけではないのだろうか。つまり、ただただ自分の見たいように見て、自分の聞きたいように聞く自作自演、妄想のマッチポンプにすぎないのではなかろうか。その代表格が厳かに語られる「主客未分」とかいう言葉だろう。・・・・・

そんなものを金科玉条のように真に受けて、ここには何か救いのヒントがあるのではとノーテンキに思い込んでいる私こそがあほではなかったのか?「わてかってアホやけど、あんたかってアホやがな。・・・・・」ということだろう。・・・

そもそも、この隠者は、なぜこんな山奥にひとりで隠れ住んでるのだろうか?真の隠者は深山でも、また街中(まちなか)の雑踏でも、大地に両足をしっかりおろし、どこでも、どんな境遇でも、とらわれず、また、とらわれないことにも、とらわれず、日々の生活をたくましく笑いながら逍遥遊しているのではないか。


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*「主(ぬし)なくて、見聞覚知する人を、いき(生き)仏とはこれをいふなり」至道無難禅師





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白雲たなびく深山の庵 夢現(ゆめうつつ)の中で隠者が私に語ったこと。逍遥遊

隠者はどこに行ったのだろう。

白雲たなびく深山の庵。

大きな薪を二三本、板の間の部屋の真ん中に掘ってある囲炉裏に投げ入れ、飯を炊きはじめる。

深山の春はまだまだ寒い。・・・・・ああ暖かくなってきた。
気がついてみると囲炉裏のそばでうつらうつらしはじめている。
時おり薪がぱちぱちとはぜ赤い火の粉をあげる。

夢か現実か。・・・・・

夢現(ゆめうつつ)の中で隠者が私にかく語った。

「おまえ(私)は自分の設定したイメージでもって仏を求めて、おのが妄執の心でもってとらえようとしていて、結局それをつかむことはできぬ。

それは、あたかも自分の手で竜や虎の絵を画いて、今度は逆に、自分でそれを眺めて、自分で恐れおののくようなものだ。自作自演で、求めれば求めるほどそれは見失われていく。」


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隠者はまた私にかく語った。

「しかめつらしい(哲学的)分別や詮索考証に躍起となる中で生命(いのち)は指間を洩れる水のようにこぼれおちてしまってることに気付かないのだ。夢もまたよく、現実もまたよく、夢と現実の混沌の中で、生きたる混沌の中で、生きたる混沌として楽しめばよい。あらゆる境遇を自己に与えられた境遇として逞しく肯定してゆくところに真に自由な生活があるのだ。」

そんなもんかいな・・・まあむつかしいことは、どおでもええがななんでもええがな。

・・・飯がもう、ぐつぐつ煮え白い湯気がもうもうとたちのぼっている。

さあ飯や飯。わては、日ねもす、のほほんとして飯を腹いっぱい食えたらそれだけでほんまにうれしいんや。

隠者はまた私にかく語った。

「日常の日々の仕事や生活のひとつひとつに、ひたすら無心で、分別することなく、寄りかかることもなく、執着することなく・・・・それは他でもない、今まで心の中に妄念ででっちあげ、どっさりため込んだ観念を掃き捨てるということなのだ。」


鳥の音、山の音、渓流の音が聞こえてくる。
なんだか遠くの方から、胡弓の音らしきものがもれ聞こえてくる。

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深山幽谷の隠者が私に語った「似非(えせ)哲学者とは」


隠者が私に語ったこと。白雲たなびく深山幽谷へ隠者に会いにでかける。

深山幽谷の渓流もとぎれ、源流沿いに急峻な崖をはい上がっていくと、遥か遠く白雲たなびく山頂付近に隠者が住むといわれる岩小屋がようやく見え隠れしてきた。隠者は私にいったいどんなことを語るのだろうか。

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隠者は源流沿いの山菜を採ったり、風呂代わりの滝壺で岩魚をつかみとったり、笑いながら私にかく語った。

隠者が私に語った下記の「似非(えせ)哲学者」とは」を聞き、私は気分も悪くムカつき不愉快になったが、私がまともにムキになっていちいち隠者に反論していては、まさに隠者のおもうつぼだ。

隠者が私に語ったことを、以下にそのまま紹介してみる。
−−−−−−−−−−−−−−−−
・・・「似非(えせ)哲学者というのは、自分自身で仮設(偽造)し、つくりあげた概念「意味」に対して、同じく自分自身で仮設した同一平面上の言語概念の「物差し」だけで、こじつけ、ぐるぐる思考する。

あたかも杭に繋(つなが)れた驢馬(ロバ)がそこから逃れようとして杭の周囲を回るうち、ついに自ら杭に固着して動くことができなくなるように、ますます迷路にはまりこんでいく。苦悩に顔をゆがませ、これ見よがしに人に見せつけ、秘かにそれを知的エリートだけに許された特権、証だと誇っているように。

似非(えせ)哲学者というのは現実世界の生活に、うまくとけこめないので、巧妙に現実逃避し、それを隠し偽るため仲間や集団をつくりあげ、その中でだけ通じる独特な意味合いをもつ言語をつくりだし知性の特権階級とみなす。自らその中で、ぬくぬくと寄生している。また、しばしば非常識で幼稚な突拍子もない行動を意図的にとる。それらは知的エリートだけに許された特権、証だと優越感に浸る。

日常の生活に日々汗をかいて一生懸命せいいっぱい生きている人々を、知的に未成熟で、啓蒙され、教育されるべき市民、大衆、愚民と見なし、常に、上目線で「生きる意味」とかを、とってつけたように声高に問いかける。
似非(えせ)哲学者は、あたかも人類の教育者のようにふるまう。だが、実際はあざ笑われるだけで、誰も聞く耳をもっていないことに気付かない。だが理解されないことを逆にそれを知的エリートの優越性の証ととらえ説教の原動力とする。

・・・しかしながら最も愚かなのは、おまえ(私)のような者だ。そういう輩の言うことを盲信して、もともと何もないところに勝手に自分の心で分別を起こして描き出し、逆に自分の意識によってそれらを分別し支配され、縛られるから様々な苦悩が現われてくるのだ。それを妄想と呼ぶのだ・・・」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上 隠者は私にかく語りき

隠者が私にかく語るのを聞いていて、私は気分も悪くムカつき不愉快になったが、私こそが最も愚かな者であるといわれ、かなり腹立たしく不愉快だった。

隠者が私に語ったことに、私がまともにムキになっていちいち反論していては、まさに隠者のおもうつぼだ。

私の知っている哲学をしてる人たちは、もっと日々の日常の生活に地道に密着して、現実の社会に生き生きと積極的にかかわり働きかけ、開かれた行動力のある人が多いようにも感じる。(確かに、彼らは頭がすごくよく、また独特の鋭い嗅覚をもってるので私などはコンプレックスを感じることが、しばしばある。・・・)

日もとっぷり暮れたので、今晩は隠者の庵に泊めてもらう。

まず飯だ、飯だ。小難しいことなど、実はどおでもええし、なんでもええのだ。今日一日、重いリュックかついで山をはい上がってきたので疲れ果てて眠いし腹が減った。飢え来たらば飯を喫し、困じ来たらば即ち眠るということだろうか。・・・・

囲炉裏で岩魚の薫製と山菜飯がぐつぐつと炊けはじめたようだ。・・・・



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呼吸による感情のコントロール|脳科学 情動と感情|至道無難唯嫌揀択

三祖信心銘

至道無難、唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う、但だ憎愛莫ければ、洞然として明白なり。
至道無難唯嫌揀択

(大森曹玄訳 適宜抜粋引用参照)

至極の大道はすぐそこにあって、かれこれと七面倒くさいものではない。ただ選り好み(揀択、けんじゃく)さえしなければ、それでよいのである。選り好みをすると好きなものは愛し、嫌なものは憎む念が起こって心の鏡がくもる。それさえなければ至道はきわめてはっきり現われてくる。・・・自分の好みに違うものは嫌い、自分の考えに合うものを愛するのは避けがたい人情だが、それは至道からいえば、心の病というものである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・・・であるならばいったいどうすれば揀択(憎愛、選り好み)がすくなくなるのだろうか?
*逆説的に言えば揀択(憎愛、選り好み)を「嫌う」というのも、また揀択ではないか。(それはさておき・・・)

三祖信心銘の「揀択(=けんじゃく)」(憎愛、選り好み」は、情動(大脳辺縁系の海馬、扁桃体等や視床下部が制御する身体反応=自律神経反応、ホルモン分泌)から感情へのプロセスであろう。

情動の過度の興奮を制御し、また情動から感情へのプロセス、感情をコントロールするにはいったい具体的に日常的にはどうしたらいいのだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(参考)
神経学者・心理学者のアントニオ・R・ ダマシオ著「無意識の脳、自己意識の脳ー身体と情動と感情の神秘」「デカルトの誤りー情動、理性、人間の脳」また心理学者・脳神経科学者のエレーヌ・フォックス著「脳科学は人格を変えられるか」理化学研究所 脳科学総合研究センター著「脳科学の教科書 こころ編、神経編」坂井克之著「心の脳科学 わたしは脳から生まれる」リタ・カーター著「新・脳と心の地形図」ラマチャンドラン著「脳の中の幽霊」等等を参考に特に情動から感情への脳神経科学的プロセスを只今究明続行中。難解である。(別途詳細)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

時系列でまとめると・・・(私の無知と理系能力不足で大きな間違いもあろうかと思うが、間違いをおそれず現状下記要点するが、随時適宜、修正していく予定。)

・感覚器官→情動 (損・逃避)→感情(嫌・怒・哀)
・感覚器官→情動(得・接近)→感情(好・喜・楽)
・情動反応とは感覚から脳の情動器官(大脳辺縁系の扁桃体、海馬等や視床下部)を経た身体反応(自律神経反応、ホルモン分泌)。
・自律神経反応、ホルモン分泌反応に伴う身体的反応とは、心拍数の増加、血管の拡張収縮、瞳孔の拡大、のどがかわく等。
・感情とは一般的には意識化、自己認知(モニター)された無意識の情動の意識化プロセス。
・情動(脳)→身体(自律神経、ホルモン)→感情(脳)
・身体反応(=情動)を脳が受け取り感情を生みだす。(この過程は詳細究明中)

・狭義の知性が感情より上位にあるとはいえない。情動と狭義の知性(概念化・意味・分別・言語化)の平衡、バランス、媒介しているのが「感情」であろう。
・逆説的だが「感情」なしでは狭義の知性、理性的判断は物理的にはそもそも不可能ともいえそう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−

感情のコントロールを下記の´↓い裡瓦弔(方向)からその方法を考えてみたい。

実は方法等は禅家語録はじめ下記する書物等に明快に書いてある。そのまま全面的に無心に素直に実践できればいいのだろうけれども、私も気づかぬうちに、いわゆる論理、概念、分別、理論的思考等に、中途半端に害されており、ついつい理屈をこね実践を躊躇しがち。

しかし、私のような全くの素人でも、脳神経科学等の背景とかに、ほんのすこしでもふれると、禅禅家語録や下記する書物等も、ある程度理屈の上でも納得でき実践しやすいと感じている。

米国発祥のマインドフルネスなども認知行動療法や脳科学、心身医療等を「瞑想」等の理論的背景「媒介役」としており非常にわかりやすく、実践しやすい。


仝撞柬,脳霪闇召梁臟省娜鏃呂隣桃体、海馬等、視床下部を制御コントロール(自律神経反応やホルモン分泌の調整)し感情をコントロールする方法。
⊂霪阿ら感情への自己認知モニターシステムを統御し感情をコントロールする方法。
6控舛涼寮(大脳前頭前野)から扁桃体等を鎮め(マインドフルネスによるラベリング)認知バイアスを修正し感情をコントロールする方法。
こで賄のエピソード記憶を塗り替え感情をコントロールする方法。

今回は仝撞柬,脳霪闇召隣桃体、視床下部を制御コントロール(自律神経反応やホルモン分泌の調整)し感情をコントロールする方法に関連して。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「大安般守意経」に釈尊の呼吸法がある。安般の「安」とは入息、「般」とは出息という意味。「守意」とは意識する、自覚する、集中するという意味。
「仏は座して安般守意を行ずること90日なりき」(大安般守意経)
「弟子たちよ、私はこの3か月間、出息を念じて多く得るところがあった」(阿含経)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『荘子』刻意篇に神仙の吐故納新、吹咆呼吸という故き気息を吐き新しき気息を納れる導引術(養生)の記載がある。また『荘子』大宗師篇にも、世俗の人間はせわしない息遣いを喉であえいでいるが真人はしっかと大地を踏んで立つ踵の底から生命全体を呼吸する等に近い趣旨の記載がある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
白隠禅師の「夜船閑話」「遠羅手釡」に放下着・内観秘法、臍下丹田呼吸法、軟酥の法による養生秘法がある。下記 古文の訳は帯津三敬病院長 帯津良一医学博士と直木公彦訳を適当に変更引用。

臍下丹田呼吸法(吐く息を長く意識する、吐ききる)と同時に、息を吸う時にまず色も香りも清浄な仙人の秘薬を種々練り混ぜた光り輝く軟酥状の卵大のものを頭のてっぺんに置いたと想像する。

息を吐くときにその絶妙な香り風味が頭蓋からしだいに体温で溶けはじめ、たらりたらりと浸み込みだんだん浸みわたって下ってきて両肩から左右の腕、両乳、胸、肺、肝臓、腸、胃、そして肛門へとあらゆる内臓諸器官をひたしてうるおし流れ背骨、肋骨、尾てい骨をも潤すと観想するのである。

秘薬がとけてしみわたるようにゆるりゆるりと下へ下へ流れくだる。息を吐ききるとき胸の中につかえた五臓六腑の気の滞りや、苦悩、煩悩、しこり、不安や心配も一緒に溶けて足の裏から体外へ流れ出るのである。

そうしてこの流れ出た霊妙な秘薬は足元より出て桶(風呂)に秘薬が満々と満ちて腰までおよび下半身、臍の下まであたため蒸すのである。三界は唯心の所現であり身体は妙香をかぎ身体は妙風につつまれ、調和がよみがえり精気が充満してくるのである・・・このとき積年の苦悩、煩悶、神経症は融解消失し胃腸内臓器官を調和させ内分泌機能も旺盛になるのである。
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「なにも思わぬは、仏の稽古なり」 至道無難禅師
「主(ぬし)なくて、見聞覚知する人を、いき(生き)仏とはこれをいふなり」至道無難禅師
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「覚(さと)り」の構造|禅と瞑想と脳科学|マインドフルネス|悟了同未悟|超仕事術|事上磨練

「覚(さと)り」の構造|禅と瞑想と脳科学|マインドフルネス|悟了同未悟|超仕事術|事上磨練

大脳の前頭連合野(分別、狭義の知性、意識)と大脳辺縁系と脳幹(本能や情動、無意識)の対立矛盾、相互抑制、制御、相互フイードバック、動的平衡、統合過程等がどうも禅家語録にある覚(さと)りや、荘子的超越者「真人」の構造 A→B→A'の弁証法的構造に近いのではと気づきはじめた。

その前提として、まず下記の拙過去記事2件を紹介させていただき、「*事上磨練」とも関連させ、三界唯心「超仕事術」を別途、詳細したい。

・2015-12-31
「情動(無意識)⇔感情(無意識から意識化へ 自己認知モニター)⇔言語化(意識化・概念化・意味・言語・分別)」 と、
・2015-12-10
『荘子』大宗師篇の荘子的超越者「真人」仙人の構造 A→B→A'にみる『修行』の弁証法的構造

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・2015-12-31
「情動(無意識)⇔感情(無意識から意識化へ 自己認知モニター)⇔言語化(意識化・概念化・意味・言語・分別)」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

西田幾多郎を読みながら感情、情動と言語、その制御コントロール方法(修行)を考えている。

情動(無意識)⇔感情(無意識から意識化へ 自己認知モニター)⇔言語化(意識化・概念化・意味・分別) 

脳科学を切り口にようやく糸口が幾つかすこし見え始めている。下記は、まだまだ私の理解の至らぬ点や思い違いも多々ありお恥ずかしい限りなのだが、かなりはしょらせて断片的に書かせていただく。詳細略。


脳認知バイアスの観点より、無数の情報から自分にとって重要なものをとりだし自己の生存、恐怖、危機に関係することが低いものには注目や注意を払わない脳の「選択的注意」「注意バイアス」という機能がある。一度外界の音を録音して聞きなおしてみるといろんな音がほんとうは聞こえていたのだと驚く。修行によって、このバイアスを変えることが可能。

脳認知バイアス 最近の拙投稿の禅家語録からの、三界唯心、妄念 妄想 見聞覚知等に関する記事ご参照。


参考 恐怖の記憶を再統合する脳科学的プロセス。
感情にまつわる記憶はそれを思い出す時、脳の回路は再活性化し過去の記憶を変化、上書きすることができる。意識的に過去の不安や苦痛の記憶を拒否せずあえて、あらたに半強制的に同様な状況に身をさらし暴露(エクスポージャー)させる。このとき脳内の「窓」回路が一瞬開くようだ。これは記憶ぬりなおしの機会にもなりうる。この記憶の再活性化と記憶塗り直しの仮説はほんとうだと実感している。但しこの記憶の再活性化の修行はかなりしんどい。脳科学的な記憶プロセスは詳細略。

心に浮かんだいやな映像や感情に対して前頭前野(言語)を活性化させることで扁桃体(情念、感情 恐怖)の活動過多反応を鎮めることが可能。言語による嫌な感情に対するラベル付けにより、感情を制御コントロールする。お経や呪文、マントラを声を出し念じてみればよくその効果がわかる。ただはたして、その効果は単に水面上の言葉だけによるものではなく水面下の感情、情動(身体的反応をも含む)イメージ等の結合した氷山の水面上に表出された言語であろう。意識的に日々の言葉、日常のつぶやきを変えることが大きな修行になりうる。

ー笑う門には福来たるー
ジェームズや西田幾多郎の「泣くから悲しい」というのは脳科学の観点からたとえ、学問的には正しいとしても、そのようなさびしげな言語表現をなにげなく使用する限りますます迷い逆効果で修行にはならない。「笑うから楽しい」と言い換えればいいのである。さらに笑い顔を鏡でみればよけい楽しいのである。このことを情動(脳)→身体(自律神経)→感情(脳)、情動の自己認知、モニターシステム、ソマティックマーカー仮説、感情のラベリング等の脳科学を背景に、まだまだ私の勉強不足のため理解の至らぬ点も多いが、日常の修行の観点から私なりに概説してみたい。

(注)感覚器官→情動反応には逃避と接近がある。
(注)情動は感情に先駆けて自然に生じる身体的反応。
(A)緊急な情動反応とは感覚から脳の情動器官を経た(記憶器官を経由しない)身体反応(自律神経反応、ホルモン分泌)である。
(B)緩慢な情動反応とは感覚から脳の情動器官を経てエピソード記憶等の器官にて分析(無意識の狭義の知性)を経た身体反応(自律神経反応、ホルモン分泌)である。

(注)自律神経反応、ホルモン分泌反応に伴う身体的反応とは、心拍数の増加、血管の拡張収縮、瞳孔の拡大、のどがかわく等。

(注感情とは一般的には意識化、自己認知(モニター)された情動である。

・情動 (損・逃避)→感情(嫌・怒・哀)・(不快)
・情動(得・接近)→感情(好・喜・楽)・(快)

(注)ジェームズ・西田幾多郎の「泣くから悲しい」とは原因結果、因果関係の意味ではなく、時系列、つまり上記の情動→感情で考えると明快。まず無意識の情動身体反応(泣く)がありそれを部分的に意識化・自己認知モニターしている感情(悲しい)がある。→「脳活動する、ゆえに我あり」「脳活動する、3秒たって、我はじめて意識する」
(注)感情化されない情動が山ほどある。
(注)感情には意識化され概念化(意味・区別・分別・言語化)されたものと、意識化されてはいるが概念化(意味・区別・分別・言語化)できない(なんともいえない)感情がある。さらに意識化されぬ、つきあげてくるような感情もある。
(注)概念化、意味付けされた感情は狭義の知性の制御がすでにかかっている。

かならずしも狭義の知性が感情より上位にあるとはいえない。いいかえれば情動と狭義の知性(概念化・意味・分別・言語化)のバランスをとってるものが実は「感情」かもしれない。「感情」こそが情動、狭義の知性の制御?ではどのような日常の修行が効果があるのか・・・

*参考 西田幾多郎の感情について

藤田正勝著 岩波新書『西田幾多郎』から抜粋要約引用

「・・・・西田幾多郎は「人心の奥深く潜める或るもの」という言葉で「感情」を言い表している。感情は単なる意識現象の領野ではない。むしろあらゆる意識現象の根底にあってそれらを支えている。・・・西田は感情を意識成立の根本的条件とみなしている。それはさまざまな意識作用の結合点であり、それに依拠して様々な意識作用が機能する。知もまた例外ではない。・・・・・

・・・・・新たな知の成立の根底に西田は新たなる感情の内容の発生を見ている。感情がもっとも根本的な意識の相であることが言われている。・・・西田が芸術創造活動を重視するのは、感情が知的範疇を超えたもの、つまり知によって捉えられないものである。感情は分析することのできない己自身の深い内容をもつ。感情の深い内容は分析することによってではなくただこれとともに動くことによってのみ把握されうる。・・・」

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・2015-12-10
『荘子』大宗師篇の荘子的超越者「真人」仙人の構造
     A→B→A'にみる『修行』の弁証法的構造
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『荘子』大宗師篇
「方内=A」の人→「方外=B」の人→「無方=A’」の人
と同じ弁証法的循環構造。・・詳細別途

「A=方内」
『荘子』でいう「方」とは規範、限定、分節、分別、共同体社会の秩序、礼教規範を意味する。

「B=方外」
荘子では世俗 俗世間をこえたいわゆる超越者の世界。深山の洞窟にひとり住む隠棲者。しかしながら「B=方外」に固執すれば「A=方内」の立場に束縛される不自由と同じであろう。

「A'=無方」
荘子のいう絶対者、真人とは「A'=無方」の人であって「A=方内」「B=方外」の区別をともに包み超え「A'=無方」の世界に遊ぶことをいう。深山の洞窟より街の雑踏、共同体へおりてくる。禅の十牛図の第10番目であろう。共同体社会にありながら心はがんじがらめに非ず。共同体は以前の共同体とは全く違って見えてくる。

真の隠者は市井にあり。仙人は深山に在らず、街中の雑踏で笑う。共同体社会の束縛を束縛とも感ぜず。
「A'=無方」の共同体は、「A=方内」と同じ共同体であってもその意味は全く異なる。
荘子ではこれを無何有の郷に逍遥遊するという。

悟了同未悟

「廬山(ろざん)は煙雨(えんう)、浙江(せっこう)は潮
未だ到らざれば千般恨み消せず
到り得て帰り来たれば別事無し
廬山は煙雨、浙江は潮
」(蘇東坡)ということか・・・

参考 『荘子』天運篇 中国古代音楽 『咸池(かんち)の楽』宗教音楽と修業の構造。 

中国禅における往相(向上)と還相(向下)の円環を描きながらのさとり(煩悩即解脱)への循環だろう。この分節網(分別)のかぎは言語であろう。正確に言えば言語阿頼耶識ともおもわれる。

以上拙過去記事などを踏まえて・・・
大脳の前頭連合野(分別、狭義の知性、意識)と大脳辺縁系と脳幹(本能や情動、無意識)の対立矛盾、相互抑制、制御、相互フイードバック、動的平衡、統合過程等がどうも禅家語録にある覚(さと)りや、荘子的超越者「真人」の構造 A→B→A'の弁証法的構造に近いようだ。「*事上磨練」とも関連させ、三界唯心「超仕事術」を別途詳細してみたい。

「主(ぬし)なくて、見聞覚知する人を、いき(生き)仏とはこれをいふなり」至道無難禅師




*事上磨練
王陽明に「事上磨練」という考えがある。机上の観念論や言語による概念論ではなく、実際に直面する日常の生活や仕事などの行動を通して修養し精神を練磨、修養すること。こそが真の生きた学問であると説いている。

「事上」とは実際の日常のことに当たりながらの意。「磨錬」は練り磨く意。日々の日常生活から離れて観察者、傍観者として、静かな思索や過去の哲学者の訓詁学や注釈解釈等にふけっている限り、ほんとうの宗教や哲学ではなかろうということか。「照顧脚下」ということだろう。

現実の修羅場、日常の今、ここの生活、煩悩の真っ只中で生きることこそがそのまま菩提。般若の知恵、不二の法門なのだろう。 「維摩経」(ゆいまきょう)の中で・・・出家者のシャーリプトラが街から遠く離れて深山の静寂の中でひとり瞑想、禅にふけっていたところ、在家の大商人でもある維摩居士に「娑婆世界こそが浄土である、汚泥の中に咲く蓮こそ本当の蓮華」と怒られまくられるのがとても興味深い。煩悩を断ぜずして涅槃に入る、すべての行住坐臥いっさいが道場であるということだろう。



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黄檗伝心法要|つかず離れず、居座らず縦横自在に|見聞覚知|六根清浄|マインドフルネス

黄檗伝心法要 入矢義高訳より要約抜粋引用

人間というものは、姿かたちにとらわれて、おのれの外に、仏を求めようとする。求めれば求めるほどそれは見失われる。こんなふうに、自分の設定したイメージでもって仏を求めて、おのが妄執の心でもって心をとらえようとしては、結局それをつかむことはできぬ。

・・・・・一切の思慮をやめ、思念をなくしてしまえば、仏はちゃんと目の前に現れてくるものなのだ。この心がそのまま仏なのであり、仏がそのまま人間なのである。

・・・・無心とは一切の分別のない心のことである。心はもともと無心なのであり、心のほかに無心というものがあるのではない。。誰もがみな一様に知識、解釈を手掛かりにしようとするが道を悟るものはめったにおらぬ。・・・もし心を無心ならしめようと図れば、かえって有心になる。・・

ただ、おのが知見認識(*見聞覚知)のみを軸として営為し行動する者たちは、そのよりどころとする知見認識(*見聞覚知)を取り払われてしまうと、おのが思念の道を絶たれて、悟入へのてがかりを失うことになろう。ほかならぬその知見認識(*見聞覚知)のそのものに、おのが本心(本源の心)を覚知せよ

しかしながら、本心そのものは知見認識(*見聞覚知)に属するのでもなく、かといってそれと離れてあるのでもない。要は、おのが知見認識(*見聞覚知)に立って解釈を試みようとせぬこと、またその知見認識(*見聞覚知)について思念をめぐらさぬこと、と同時にまた知見認識(*見聞覚知)を離れて心を求めたり、それを捨てて法にとびついたりせぬことだつかず離れず、居座らず執着せず縦横自在にふるまえば、いずこも道の顕現の場ならざるはない。・・・心でもってさらに心を求めてはならぬ。いま即時に無心になることだ。・・・

以上ーーー

*知見認識の原典、中文は見聞覚知・・・達摩「無神論」では「ほかでもない、知見認識(見・聞・覚・知)することが、つまり無心そのものなのだ・・・知見認識(見・聞・覚・知)を離れて別に無心のありようはない。無心とは真の心にほかならず、真の心は無心に他ならない。」

*見聞覚知とは六識の働き。見ること(眼識)・聞くこと(耳識)・覚(さと)ること(鼻識・舌識・身識)・知ること(意識。

*六識とは六根をよりどころとし、六境を対象とする、六つの認識の働き。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の総称。

*「主(ぬし)なくて、見聞覚知する人を、いき(生き)仏とはこれをいふなり」至道無難禅師


妄念が勝手に画いて作るとはどういうことですか「達摩二入四行論」

柳田聖山訳 「達摩二入四行論」より要約抜粋引用。



「すべて妄念が勝手に作るなら、いったい妄念が勝手に作るとはどういうことですか。」


「例えば君の屋敷の中に大きな岩石が庭先にあるとせよ。はじめはたとえ君がその石の上に寝転ろがろうと、座ろうと、驚くことも怖れることもない。ところが、君があるとき、にわかに発心して、仏像を作ろうと思って、人をたのんで仏の形像を描き出してもらうと、君の心はそれを仏だと考え、すぐに罪を怖れて、あえてその上に座ろうとはせぬ。それは昔の岩石にほかならぬのに、君の心がそれを仏だと思うためである。すべて君の意識という筆先が、それを画いて作りだし、みずから、あわて、みずから怖れているのであって、実は岩石の中に罪だとか福だとかがあるわけではない。君自身の心が、自分でそれを作るだけだすべて、君自身の意識という筆が勝手に妄念、分別してそれを作るにすぎぬ。」

脳科学|三界唯心|外界が主観の世界に分別変換されていく脳内プロセス|超仕事術

三界唯脳|脳科学と三界唯心|超仕事術
外界が主観の世界に分別変換されていく脳内プロセス。

脳の視覚情報処理は外界が主観の世界に変換されていくプロセス。「見える」ということは外界から得られた情報に対して無意識的(しかる後に意識的、意識は後追い)にさまざまな操作や選択、改変、バイアス、分別処理が行われる。幾つかの脳内での分別処理を通して「見た」世界を現実の世界として認識している。



5つの感覚(視覚、聴覚、臭覚、味覚、体性感覚)の脳内への伝達プロセス、

(例)感覚の一つとしての視覚を例にとると・・・・・
時系列で以下´↓。

 奮阿らの刺激段階) 目→網膜(視細胞)で受容検出された視覚情報→視神経→視床→後頭葉の大脳皮質一時視覚野へ伝達。


目から網膜を経て機械的に大脳皮質の一時視覚野に送られる。いまだ視覚としては意識には上らない。ほとんどが脳内で無意識下で情報の処理が行われている。この時点では何も意識上は認識、認知、知覚できない。完全な無意識レベル。視覚刺激から30ミリ秒。(*意識上は見えていないのだが実は、無意識には見ていて行動に明らかに変化が現れる。盲視等)次の知覚プロセスへ。

◆淵椒肇爛▲奪彙奮)一時視覚野→(V1〜V8という視覚野を経て)→前頭葉(高次の脳領域、知性、言語、情報処理の操作統括、意思決定、思考)へ伝達。各感覚の統合。

一時視覚野にとどいた情報は順々にV1〜V8という視覚野を経て8つの種類の要素(存在の有無、線の傾き、色、動き等)へ次々と情報処理されていく。脳は単に外界の世界を映しだす装置ではなく、得られた映像を脳の中に映し出した上で(感覚、無意識レベル)これをさまざまな形に加工処理(知覚)していく、その過程で、はじめて意識にあがってくる。 視覚情報という原材料は無意識の組み立てラインを経て認識できるものに構築されていく。

(トップダウン段階)前頭葉(知性、情報処理の操作統括、意思決定、思考)→ 一時視覚野へフイードバック

前頭葉指揮による脳内ネットワークにより、言語、概念、記憶、感情、情動、思考、経験また遺伝等のバイアス、分別がかけられ統合処理、その後、前頭葉からトップダウンされ一時視覚野にフイードバックされる。個々人によって異なった分別バイアスがかけられ、何をどう見ているかはすっかり変わる

以上のように脳の視覚情報処理は外界が主観の世界に変換されていくプロセス。「見える」ということは外界から得られた情報に対して無意識的(しかる後に意識的、意識は後追い)にさまざまな操作や選択、改変、バイアス、分別処理が行われる。上記の幾つかの脳内での分別処理を通して「見た」世界を現実の世界として認識している。

三界唯心、三界唯脳・・・つまりは「すべては自分の見たいように見ている」・・・これに気づくことが瞑想・・・

経営コンサル業を通じて様々な経営者層とマーケティング、仕事を通じてその背景にある心の生体実験をも繰り返してきたが、三界唯心・超仕事術で猛然と仕事に復活よみがえった人たちの実証例や心の体験談を記していく予定である。

超仕事術|三界唯心|妄想|分別|達摩|

〔田聖山訳「達摩二入四行論」より要約抜粋引用・・・・


ある人が自分の手で竜や虎の絵を画いて、自分でそれを眺めて、かえって自分で恐れおののくようなものだ。迷える人もこれと同じであって、自分の意識という筆で分別して刀の山や剣の林の姿を描き、かえって自分の心で恐怖しているにすぎぬ。もし心中に恐怖することがなければ妄想はすべて取り除かれる・・・自分の心に分別を起こして描き出し、逆に自分の意識によって分別しそれらに支配されるから様々な業や苦悩を受けることになるのだ・・・

以上−−−−−

以下はーーーーー
「達摩二入四行論」とは全く関係ないが面白いので紹介する。

華厳僧侶 元暁の説話・・
諸説あるが、だいたいの大意を概略要約、下記。

元暁は入唐求法の旅の途中、ある夜、雨に降られ、洞窟で野宿した。その晩は何も知らず気持ちよくぐっすり寝たのだが、朝起きてみるとそこは風葬の墓場であり無数の骸骨や髑髏が転がっていた。
昨夜は、喉が渇いたので、真っ暗なため、それとは知らず手を延ばしておいしく水を飲んだが、翌朝起きて見ると髑髏に入っていた水であったことがわかり、急に吐き気を催したという。
そこが墓場だと知った夜は、気味が悪く、夢の中で鬼や魑魅魍魎が現れうなされて安眠をさまたげた。
その時、いっさいのものはおのれの心より生ずる、「心の外に師をもとむべからず」三界唯心と豁然大悟した。

以上ーーー

まもなく・・・三界唯心仕事術

<ダイヤモンドオンライン特別インタビュー記事、ゲリラマーケティング、ここ一番の忍辱(にんにく)瞑想より。
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妄念と覚り|黄檗|無心|マインドフルネス|瞑想メモ走り書き

黄檗伝心法要 入矢義高訳より要約抜粋引用


「この法門がわがものとなれば、まさに<無為の法門>というものだ。会得したかったら、なによりも無心を知ることが第一だ。いったんそれが自覚できたら、それで完成だ。もし心を働かせて学び知ろうとしたなら、そうすればするほど遠ざかることになる・・・」


「しかし、私の心には現に様々な妄念があります。どうして無心などと申せましょう。」


「その妄念はもともと実体なきもの、ほかならぬ君の心自体が作ったものだ。もし君が心が仏であること(*即心即仏)、心には元来、妄はないことを自覚したならば、わざわざ心を働かせて妄を確認しようなどとはできないはずだ。もし君が心を生ぜしめ思念を働かせなければ、おのずから妄はなくなる。さればこそ、<心が生ずると種々のものが生じ、心が滅すると種々のものは滅する。>というのである。」


「いまちょうど妄念が起こったとしますと、仏はどこにいるのでしょうか。」


「いま君が妄念の起こったことを覚(さと)った、その覚(さと)りこそが仏なのだ。もしも妄念がなければ仏もありはしない。どうしてそうか。君が一念を起こして仏という観念を作ると、なるべき仏があるのだと思いこみ、衆生という観念を作ると、済度さるべき衆生があるのだと思いこむ。こういうふうに心を生じ思念を働かせると、すべて君の観念になってしまう・・・・」

以上−−−−−

ーーー以下は私の瞑想メモ走り書きよりーーーーー

・瞑想していると感情や思考、過去の記憶等等のいわゆる雑念、妄想等がうじゃうじゃと湧き上がる。ついつい飲み込まれ一体化しがち。けれどもそれにハッと気づき、捉えて手放し瞑想にもどる自分がいる。気付く自分、観察??している主体は?

・瞑想していると、夢に過去の記憶が鮮明によみがえる。脳の記憶層が底からひっかきまわされているのか。

・瑜伽行唯識学派は経典など言語による道しるべと同時に、並行して瞑想を深めていく。この相互フィードバックだろう・・

・言語の積極面と否定面(バーチャルな現実の仮設捏造?)マインドフルネスでは言語により雑念等に対し「ラベリング」して雑念から離脱するという手法があるようだが、それは言語による概念化機能ではなく、言語による感情の制御?コントロールか。思考停止のための「音」か。でないとますます妄想だらけではないか・・・・

・言語による積極面でのバーチャルな現実の仮設、捏造ノウハウも大いにありうる・・・

・感受とはなにか。唯識から究明中。これはすごく深い。

・心は鏡のような、または単に「場所」的なもの?その上をさまざまなものがただ流れていく・・・「鏡」や無色透明な「マニ宝珠」はあらゆるものをただ無心に映す。


分別と妄想|達摩二入四行論|菩提達摩無心論|と熊野宏昭マインドフルネス

今回は・・・・・

〔田聖山訳「達摩二入四行論」「菩提達摩無心論」
熊野宏昭著のマインドフルネス著述関連に、わかりやすい記述が多々あったので下記に部分的に要約抜粋引用する。


〔田聖山訳「達摩二入四行論」「菩提達摩無心論」より部分的に要約抜粋引用する。


・ 自分の心が分別を起こすだけのことで、自分の心が、もともと何もないところを分別しているだけであり、それを妄想と呼ぶのだ。

・一切の経論は心が起こした不始末の後始末にすぎぬ。知識や分別、言葉等によって名称を求め、道を求めるという心を起こすと巧偽(つくろい)が生まれる。心を起こさなければ何で座禅が必要であろう。

・ある人が夜叉や亡鬼の姿を絵具で描き出し、自らが描いて自らながめ、すぐに自ら恐れおののくのである。絵具の中には何も恐るべきものはないのだが、君自身の意識という筆が分別しているにすぎない。すべて君が勝手に妄念してそれをこしらえるのだ。

・現象的な差別はすべて自分の胸中の妄想の別名で、自分の心が勝手にこれは何々だと規定したものや感情に引きずられ、妄想したものである。

・とらわれぬ人も、とらわれぬことにとらわれ、ものを求めぬことをせぬ人も、ものを求めぬことを求めている。

・人々はまちがって、無心の中で勝手に心を起こして、様々な業をこしらえて、勝手にあると思い込んでいる。暗がりで木の根を幽霊とみちがえ、縄を蛇と見違え勝手に思い込みこわがっているのと同じだ。

・見ていて無心なのだ、聞いていて無心なのだ、記憶していて無心なのだ、・・・・

以上−−−−−

以下−−−−−

熊野宏昭著 星和書店 「マインドフルネスそしてACTへ」日本評論社「新世代の認知行動療法」ちくま新書「ストレスに負けない生活」サンガ「実践!マインドフルネス」等より部分的に要約抜粋引用。

マインドフルネスとは・・・

・今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情には囚われないでいる心の持ち方、存在の有様。

・対象と「観察する自分」との間に、さらに解釈や評価をする思考、イメージ、感情などが入り込んできて、それらを現実や自分と取り違えることで、あるがままに知覚できなくなり、「妄想」の世界が広がってしまう。

・思考は「無知(心の基本的状態)」に由来する。何を考えても、それはバイアスを伴う。

・ 思考が無くなったとき智慧が働き始める。 つまり、思考は自分ではない。
・対象のあるがままの体験。

・感受で止めて、外(外的事物にまつわる勝手な思い込みの生成)にも、内(勝手な自己イメージの生成)にも広げない。

・バーチャルな世界を作り上げる言葉の力は、将に諸刃の剣で、それが自分自身に向かった場合には、ありもしないネガティブな評価を現実として感じることになる。


・「見るものは見ただけで、聞くものは聞いただけで、感じたものは感じただけ、考えたことは考えただけで
とどまりなさい。そのときあなたは、外にはいない。内にもいない。外にも、内にもいないあなたはどちらにもいない。」

以上−−−−−

なお、宗密(禅と華厳を綜合)「無心」のたとえに「無色透明なマニ宝珠は、それ自ら何の色も、もたないことによって、あらゆる色を映し出しさまざまに変化する・・・」があるが、確かに、言葉、思考、感情、習慣となった心のひな形、過去の記憶などにより、「バイアス、こじつけ」て、あるがままの世界が見えなくなっているようだ。それらに気付くひとつの方法として、マインドフルネスは非常に効果があると思う。

非常に逆説的にだが、気づかぬうちに、らせん状にどつぼにはまり、落ち込んでいく具体的な「こじつけ」方法もはっきり見えてきた。

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黄檗|心中に作り上げた観念を掃き捨てる|禅|脱フュージョン

黄檗伝心法要 宛陵録 入矢義高訳より適宜抜粋引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大事なことは、あらゆるとき、あらゆる機会に、日常の行住坐臥のひとつひとつのうちに、ひたすら無心を学び、ものを分別することなく、ものに寄りかかることもなく、ものに執着することなく、日ねもす、のほほんとして成行きにまかせ、まるで阿呆のように生きてゆくことだ。
世間の人は誰も君を知らぬ、君のほうも人に知ってもらおうとか知られたくないなどと気を使うこともない。心はごろりとした石みたいに、ひびも割れ目もないから、一切のものは君のこころに入りこみようがなく、ごろりとしたままで何にも関わりをもたぬーこうあってこそはじめて少しは脈があるというものだ。

・・・さて以上の意味がわかったら、こせこせ立ち回る必要はない。ただその時その時の在り方のままに宿業を消していくこと、そして新たな禍いの種を作らぬことだ。かくて心中は朗朗となろう。・・・・それは他でもない、心中に作り上げた観念を掃き捨てるということだ。また無意味な議論という糞を取り除くともいう・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上ー黄檗伝心法要 宛陵録 入矢義高訳より適宜抜粋引用ー


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マインドフルネス|瞑想|飢え来たらば飯を喫し、困じ来たらば即ち眠る|禅|頓悟要門

禅・頓悟要門に大珠慧海禅師とある修行僧(律師、戒律を守っている人)との問答があった。特に下記の大珠慧海禅師の最後の部分は痒いところに手が届くように「飢え来たらば飯を喫し、困じ来たらば即ち眠る。」の意味するところがよりはっきりとわかる。



適宜、訳して下記する。
「飢来喫飯困来即眠=飢え来たらば飯を喫し、困じ来たらば即ち眠る。」
ーーーーーーーーーーーーーーー
修行僧「和尚様は道を修行するに際し、なにか工夫をされているのですか?」
慧海禅師「工夫している」
修行僧「それは、どういう手だて、工夫なのでしょうか?」
慧海禅師「腹が減ったら飯を食い、疲れたら眠るのだ。」
修行僧「それなら誰でもそうではないのでしょうか。他の人と何も変わらず同じではないのでしょうか?」
慧海禅師「同じではない。違うのだ。」
修行僧「どこがどう違うのですか?」
慧海禅師「他の人は飯を食う時、心から食わず、いろいろ他の事を思って片手間に飯を食う。他の人は眠る時にも、心から眠らずあれこれ考えて眠る。ここが違うのだ。」

ーーーーーーーーーーーーーーー
これはヴィクトール・フランクルが「自己形成の秘密」といったことに近い。つまり頓悟要門の大珠慧海禅師と、ある修行僧との問答では、例えば飯を食う時、眠る時、普通、同時にあぶくのようにわきあがってくる種々の雑念、心配や不安、取越し苦労、過剰な自己反芻、ネガティブな感情等に心はすっかりとらわれて占領されてしまい、心は今、この場この瞬間に直面している現実(飯を食う、眠る)にあらず、主と作りきっていないことが多い。

日常の今ここにおいて、その場その場で自らが主と作り、事に無我夢中で没頭、専心することによって深層の自己が立ち現われてくる。これこそがまさに慧海禅師の修行の工夫ということだろう。
名前は何であれ、ここに精神的深層人格、精神的無意識の働きがあるのだろう。

まさに臨済の「随所に主と作れば立つ処、皆真なり」(今、ここで、その場その場で主人公となれば、振り回されることはなく、おのれのあり場所はみな真実の場となる)。

また脳科学的視点に基づくマインドフルネス、ストレス低減瞑想法とマインドワンダリングとも深く関連して非常に興味深い禅問答である。詳細は別途予定。

なお、わきあがってくるあぶくに対しては、とらわれず、また、とらわれないことにも、とらわれず、そのままに、あるがままに日常の今、この瞬間に直面している現実に自らが主と作りきることであろう。


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荘子 斉物論篇 「胡蝶の夢」と臨済「随所に主と作(な)れば、立つ処皆な真なり」

荘子 斉物論篇 「胡蝶の夢」と臨済「随所に主と作(な)れば、立つ処皆な真なり」

前田利鎌著 岩波文庫「臨済・荘子」より抜粋要約引用

・・荘子にとっては、いわゆる夢も現実も道の一持続にすぎない。従って胡蝶が荘子になったのか、荘子が胡蝶になったのか、そんなことは彼にとってはどうでもいい問題である。

荘子にとっては、随所に主となって、その場その場の変化を楽しんで行けばよいのである。とにかく、胡蝶と荘周とは同一物ではないけれども、それかといって一を夢とし、一を現実とする必要はどこにもない。

胡蝶は胡蝶たるを楽しんで行くだろうし、荘周はまた荘周たるを楽しんで行くだろう。生死もまた然り。化に順うのみである。「物に乗じて以って心を遊ばしめ、已むを得ざるに託して以って中を養えば至れり。」(*人間世篇)

・・・一言をもってこれを覆えば、荘子は運命と戯れ随時、随所にその変化「物化」を楽しむ・・・・



福永光司著 中国古典選「荘子」より抜粋要約引用

・・一切の存在が常識的な分別のしがらみを突き抜けて自由自在に変化し合う世界・・「物化」・・・万物の極まりない流転・・・あらゆる境遇を自己に与えられた境遇として逞しく肯定してゆくところに真に自由な生活がある・・・

一切肯定を自己の生活とする人間に他ならない。・・・しかめつらしい(哲学的)分別や詮索考証に躍起となる中で指間を洩れる水のようにこぼれおちてしまうことに気づかないのだ・・・・・・

夢と現実の混沌の中で、生きたる混沌の中で、生きたる混沌として楽しもうというのである。・・・与えられた自己の現在を自己の現在として逍遥する・・・

美もまたよく、醜もまたよく、生もまたよく、死もまたよく、夢もまたよく、現実もまたよく、人間であることもまたよく、胡蝶であることもまたよい。一切の境地をよしとして肯定するのである・・・・



臨済録
随所に主(主人公)と作(な)れば、立つ処皆な真なり(その場その場が真実だ)」を髣髴させる・・・・

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臨済 無位の真人・無依の道人とはいったい誰なのか?何なのか?入矢義高著「求道と悦楽」より


臨済録の無位の真人、無依の道人とはいったい誰なのか?何なのか?・・・

それは・・・・

入矢義高著 岩波現代文庫 「求道と悦楽 中国の禅と詩」に臨済録に関して非常に興味深い記述があったので以下に私なりに、適宜抜粋要約する。

・・・・・私の目の前で、私の説法を聴いている、まさにお前、他ならぬ、おまえこそが祖仏なのだとなります。別に内在の主体者として措定するのではなく、また無位の真人とか、そういう超越的、絶対的なものを措定する必要はないのです。

祖仏はお前だというのです。私の目の前で法を聴いている修行者たちを、その現在の生き身そのままに、本来人として祖仏として肯定し、目の前の君たちこそが生ける祖仏だということです。

そこには内在的にしろ、外在的にしろ、ひとつの超越者や絶対者のごときもの、真仏を介在させる、あるいは前提させること必要は全くないのです・・・そういうものが内に在って働きを為すのではないのです。

我々が生き身のままで本来の無依の道人なのだと臨済は説いているのです・・・・しばしば誤解されるように、内在的に超越化された無依の道人なるものが聴法しているのではないのです。

・・・鈴木大拙先生の英訳もこの点ではあっていません。The One who・・・ The Man whoとか訳されていますが、これらは明らかに超越的に内在しているもの、無位の真人が尾を引いているのです。しかしここではそういう媒介があってはいけないのです・・・・

以上 適宜抜粋要約。

上記と関連して鈴木大拙著 佐々木閑訳 岩波文庫「大乗仏教概論」の訳者による後記で、・・・・この鈴木大拙博士による大乗仏教概論は・・あたかも内在する実在を説くかのような、宇宙的如来蔵、法身の意思等、特異な汎神論に近く、またヘーゲル哲学に近いのでは・・・と論評する訳者自身による指摘(詳細略)も大変興味深い。


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集団感染マーケティング
高等戦術研究室 
杉村晶孝著
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ダイヤモンド オンライン特別レポート・インタビュー記事 「集団感染マーケティング」の正体とは? 

ダイヤモンド ビジネスタレント セミナー講師
プロフイール
高等戦術研究室 杉村晶孝
Institute for the Advanced


集団感染マーケティングコンサルティング、個別企業 営業実務支援・セミナー研修、短期海外駐在等

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略歴

●●●●大阪府立天王寺高校卒、伝説の近畿予備校を経て、京都大学法学部(法哲学)卒。幼少期から立志伝中のど根性商人の祖父に商人魂を鍛えられる。総合商社、丸紅にて国内営業,三国貿易,国際プロジェクト金融等(数年のアーサーヤング米国シカゴ本部派遣留学含む)ダントツの営業実績を残す。
●●●その後、大手金融機関に転職。国際証券金融、投資銀行、マーチャントバンク、投信企画開発等、米国、香港、台湾等海外で長年勤務。米国流の国際的でスマートなビジネスに、ど根性大阪商法と華僑流商売を融合。
●●香港ではユダヤ商人、華僑をも震撼させる国際証券ビジネスで売上実績1500億超。さらに中国や台湾大企業向、業界初の「仕組み」ビジネスで数百億の記録破りの実績。業界の話題を呼ぶ。
●●その後、ダイレクトマーケティング、コミュニティ口コミビジネスをゲリラマーケティングで融合した「集団感染マーケティング」で個人向金融商品900億円超の前代未聞の販売実績を達成。マスコミ等の注目をあびる。カント会所属。
●●●●大企業、外資から中小企業、自営、個人商店の個別の営業支援、コンサル、研修セミナー、短期海外駐在等実施中

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著書

『集団感染マーケティング』(ダイヤモンド社)『やる気になったあなたが成功するために本当に必要なこと・仙人の教えとは?』(明日香出版社)『お役所系集団に口コミで売り込む方法―なぜ消防署で住宅ローンがバカ売れするのか?』(ダイヤモンド社)『客が客を呼ぶ「集団感染」のスゴイ仕掛け』(ぱる出版)等がある。
メッセージ
杉村晶孝 著書紹介
●●杉村晶孝著 明日香出版社『やる気になったあなたが成功するために本当に必要なこと』あなたにこっそり巣くった、こころの集団感染の「ワナ」をぶっこわせ 2008/12

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杉村晶孝 著書紹介
●●●杉村晶孝著 ダイヤモンド社『なぜ消防署で住宅ローンがバカ売れするのか―お役所系集団に口コミで売り込む方法』2007/10/18・・・ce37ea19.JPG



なぜ消防署で住宅ローンがバカ売れするのか?―お役所系集団に口コミで売り込む方法 [単行本]


●●●コミュニティビジネス、口コミ伝染ビジネスをダイレクトマーケティングに融合した究極のゲリラマーケティング
ダイヤモンド オンライン記事

土井英司、厳選ビジネス書評ビジネスブックマラソンで「神田昌典さん以来の衝撃的マーケティング書」と絶賛 

本のソムリエ 本ナビ 一日一冊読書感想集でも紹介★94点

ダイヤモンドオンライン記事 ビジネス書ベストセラー『なぜ消防署で住宅ローンがバカ売れするのか?』
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●プロフェッサー杉村&高等戦術研究室著 ぱる出版『客が客を呼ぶ集団感染のスゴイ仕掛け』〜ゼロから900億つくった私の方法論。

●大阪ど根性商人出身でユダヤ商人、華僑との国際ビジネス経験を基に「群れに投網を投げ一網打尽」にする集団感染マーケティングの全貌。



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「わてかってアホやけど、あんたかってアホやがな。人にどう見られようと、何と思われようと、どうでもええがな。なんでもええがな。アホに徹したら、なんでもできまんがな。ダメもとやがな」

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