日本の最高権力者は誰か、というのは、難しい問題です。
形式的には天皇陛下ですが、実権はありません。
また、内閣総理大臣は最高権力者ではあるものの、その判断には政治的な制約があります。
そうすると、本当の意味での最高権力者は、財務省事務次官と言えるかも知れません。
新潮の7月25日号に、麻布OBが一度も財務省事務次官となっていない(開成はある)ことが書かれていました。
その理由は何でしょうか?
私は「努力忌避」と「反骨精神」だと思います。
1 努力忌避の悪弊
能力・才能がある者が最善を尽くして戦えば、最後は努力と根性と天運で勝負は決まります。サラブレッドと人間が競争すれば必ずサラブレッドが勝ちますが、サラブレッド同士が戦えば、差などわずかです。競馬で12馬身差がつけば大差ですが、秒数は二秒。勝ちタイムの2%ほどです。
こういうわずかな勝負においては、努力と根性といったものが幅を利かせることになります。
しかし、麻布生は、決定的に努力が嫌いです。
たとえば、10の努力で100点取れる人が二人いるとしましょうか。
開成の人間なら、12の努力をして、120点取ることを考えます。
麻布の人間は、8の努力で100点とることを考えるでしょうか?
違います。
彼らが考えるのは、「3の努力で80点とる」ことです。
彼らは決定的に努力が嫌いだからです。
だから、才能ある者同士のギリギリの勝負になれば、必ず負けます。
というか、そもそもそういう勝負をすること自体を嫌います。
麻布生がトップに立つのは、誰もが目指さない変態的な分野です。
バックギャモンの世界チャンピオンとか、MBO裁判の最多勝記録とかです。笑。
ではなぜ、彼らは努力を忌避するのでしょうか。
2 努力忌避の悪弊を醸成したもの
では、なぜ、彼らは努力を嫌うのか。
最大の要因は、そういう人間を選抜しているからです。
麻布は「私立御三家」などといわれ、入学試験の偏差値は高いことになっています。
しかし、実際麻布の試験問題は簡単です。勉強しなくてもできます。でも、勉強してもできません。
例えば地図の問題なら、普通は、「この地図記号は何ですか」と聞きます。開成もこういう問題です。しかし、麻布の問題は、地図記号は全部問題文に書いてあります。その上で、「この地図から読み取れること」を書かせます。その場で考えればできるけど、地図記号を暗記する努力しても無駄、というわけです。
さてそうすると、麻布の入学試験では、「努力をする才能」が評価要素に入らないことになります。その結果、才能はあっても努力しない人が集まることになります。
さらに、このことは、12歳の子供の人格形成に大きな影響を与えます。というのは、麻布は、より偏差値が低いとされる学校に入るより、はるかに少ない努力で入学できてしまいます。つまり、「10の努力で70点の中学に合格した」人が多数いる中で、「3の努力で80点取った」という成功体験が、植え付けられてしまうのですよ。
人間、一度贅沢を覚えると、生活レベルを下げるのは大変です。彼らも、一度楽していい思いをしてしまうと、そこから抜けられなくなります。もともと、努力の嫌いな子が集まっていますし。笑。
こんなわけで、麻布生は、努力と根性がモノをいうギリギリの勝負になると、いつも負けるのです。
しかし、麻布生が王者になれない原因はもうひとつあります。「反骨精神」です。
形式的には天皇陛下ですが、実権はありません。
また、内閣総理大臣は最高権力者ではあるものの、その判断には政治的な制約があります。
そうすると、本当の意味での最高権力者は、財務省事務次官と言えるかも知れません。
新潮の7月25日号に、麻布OBが一度も財務省事務次官となっていない(開成はある)ことが書かれていました。
その理由は何でしょうか?
私は「努力忌避」と「反骨精神」だと思います。
1 努力忌避の悪弊
能力・才能がある者が最善を尽くして戦えば、最後は努力と根性と天運で勝負は決まります。サラブレッドと人間が競争すれば必ずサラブレッドが勝ちますが、サラブレッド同士が戦えば、差などわずかです。競馬で12馬身差がつけば大差ですが、秒数は二秒。勝ちタイムの2%ほどです。
こういうわずかな勝負においては、努力と根性といったものが幅を利かせることになります。
しかし、麻布生は、決定的に努力が嫌いです。
たとえば、10の努力で100点取れる人が二人いるとしましょうか。
開成の人間なら、12の努力をして、120点取ることを考えます。
麻布の人間は、8の努力で100点とることを考えるでしょうか?
違います。
彼らが考えるのは、「3の努力で80点とる」ことです。
彼らは決定的に努力が嫌いだからです。
だから、才能ある者同士のギリギリの勝負になれば、必ず負けます。
というか、そもそもそういう勝負をすること自体を嫌います。
麻布生がトップに立つのは、誰もが目指さない変態的な分野です。
バックギャモンの世界チャンピオンとか、MBO裁判の最多勝記録とかです。笑。
ではなぜ、彼らは努力を忌避するのでしょうか。
2 努力忌避の悪弊を醸成したもの
では、なぜ、彼らは努力を嫌うのか。
最大の要因は、そういう人間を選抜しているからです。
麻布は「私立御三家」などといわれ、入学試験の偏差値は高いことになっています。
しかし、実際麻布の試験問題は簡単です。勉強しなくてもできます。でも、勉強してもできません。
例えば地図の問題なら、普通は、「この地図記号は何ですか」と聞きます。開成もこういう問題です。しかし、麻布の問題は、地図記号は全部問題文に書いてあります。その上で、「この地図から読み取れること」を書かせます。その場で考えればできるけど、地図記号を暗記する努力しても無駄、というわけです。
さてそうすると、麻布の入学試験では、「努力をする才能」が評価要素に入らないことになります。その結果、才能はあっても努力しない人が集まることになります。
さらに、このことは、12歳の子供の人格形成に大きな影響を与えます。というのは、麻布は、より偏差値が低いとされる学校に入るより、はるかに少ない努力で入学できてしまいます。つまり、「10の努力で70点の中学に合格した」人が多数いる中で、「3の努力で80点取った」という成功体験が、植え付けられてしまうのですよ。
人間、一度贅沢を覚えると、生活レベルを下げるのは大変です。彼らも、一度楽していい思いをしてしまうと、そこから抜けられなくなります。もともと、努力の嫌いな子が集まっていますし。笑。
こんなわけで、麻布生は、努力と根性がモノをいうギリギリの勝負になると、いつも負けるのです。
しかし、麻布生が王者になれない原因はもうひとつあります。「反骨精神」です。
文部省だと喜平が事務次官になってますし(中曽根大勲位のコネか)
逆に開成OBの総理は未だに出ていない
この辺のほうがなんでって感じが
やっぱ麻布が王者になれないのは、
地理的に遊び人になってしまうからでは?
12歳の時からギロッポンでうろうろしてたら、勉強よりも楽しい事がいっぱいで努力しなくなるってw