アカデミー賞は、貧困・格差を扱ったパラサイトが受賞したようです。
まあ、展開の意外性みたいのは確かにあるのですが、
主人公一家の理不尽な行動には納得できかねるものがあります。
ネタバレですが犯人に臭いという動作をしただけで、散々よくしてもらった雇い主を殺すというのはまったく納得てきません。そんなに気にしているなら、雇い主一家の留守に雇い主の高級酒を飲みあさる時間に、雇い主の風呂を拝借して体を洗うとか、やることがあるでしょう。
妹はともかく、母親と父親が雇用されるよう、前任者を追い出した経緯は陰険そのものでしたし。
正直見ていて気分が悪かったです。

そんなわけで、作品としてそれほど秀逸とも思えない同作品がなぜ作品賞を受賞するのか、それは、結局のところ、貧困や格差といった問題を扱ったからでしょう。それは、「万引き家族」や「ジョーカー」の過大評価でも分かります。
これらの分野を扱った作品は、審査員の「私は貧困や格差に真剣に取り組んでいる」という自己満足に資するため、過大な評価をされます。そしてそのことは、ハリウッドの大金持ち達が、貧困とは無縁の存在であり、そのことに引け目を感じていることを意味しているのでしょう。

同じような傾向はミスコンにもあり、代表的なミスコンは全て黒人が受賞する、なんてことになっているようです。
これなども、審査員の「私は黒人差別をしません」という自己満足と偽善の結果でしょう。

私はミスコンには最初から意義を感じていないので、どうでもいいのですが、アカデミー賞については、一定の意義があると考えています。
そして、その審査に当たっては、純粋に作品の価値、良さだけを審査の対象としてほしいです。
アカデミー賞は、審査員のエクスキュースの場ではないし、社会問題に真剣に取り組んでいるというアピールの場でもありません。
そのあたり、履き違えないでほしいと思います。