2010年04月28日

証明


子供の頃、お風呂の中でずっと考えていたことがある。



私の目の前にある、この丸い洗面器。

これは本当に丸いものなのだろうか?

私には丸く見えているけれど、もしかして弟には三角形に見えているかもしれない。

絶対に丸いものだと思ってはいるけれど、確証できることなんてホントはどこにもない。



私には丸く見えているものが、誰かには三角形に見えているとする。

その誰かに、「この洗面器の絵を書いてみて」と言ったとすれば。

その人は、三角形の洗面器を描くだろう。

しかし、私にはその三角形の洗面器の絵もまた、丸いものにしか見えないのではないか。



…この仮説、どうやって証明したら良いのだろう。

と、幼かった私は悩んだ。

悩んだけれど、あまり賢くないので、結局答えは出なかった。

こんな話とか、時間の始まりとか終わりとか、宇宙の最果てとか。

むしろ頭が弱いので、考えても分からないことを考え続けていると、頭が痛くなって気持ち悪くなってくる。

大人になった今でも、これらのことは私の中では全く解決していない。



昔からぶーがよく言っていること、

「点も線も面積は存在しないハズなのに、点や線を描けば必ず面積ができる」

この疑問も、なるほどと思う。

思うけど、答えなんて全然わかんない。

数学の本とか専門的なのを読めばどこかに答えが書いてあるのかもしれないが、そんなもん難しくて理解できない。



こういうことって、子供の頃に誰でも考えることじゃないのかな。

疑問に思っていてもまだボキャブラリーが足りないし、うまく言葉では説明できなかったりするかもしれんけど。

だから誰か頭のイイ人が、子供とか私みたいな大人(ちょいアホ)にも理解できるように、やさしい言葉で説明してくれればいいのにと思う。

いつも思う。常に思う。

ちょいアホ(私)はともかく、頭が柔軟で吸収力もあって脳細胞が活発に動いている子供にヒントを与えれば、そこから何かを発見してしまう可能性もある。

大人みたいに知識や常識がない分、おもしろいことを言い出しそうな気がするんだけど。



というわけなので、よろしくお願いしますよ@頭のイイ人


aeri46 at 08:41|Permalink

2010年04月21日

ノリで決めちゃあ危険だぜ


ぶー様がノートパソコンを買ってくれたので、そいつが我が家に届いたら、サイトを引っ越します。

ま、その件については後々お知らせするとして。

それを機に、サイトのタイトルやハンドルネームを一新したいなと。

思ってはいるのですが…。



今ホームページのタイトルは「一期一会」になっているんだが、ちょっとありきたり過ぎる気がするんだよね。

できれば、アドレスが分からなくなってもサイト名で検索すれば見つけられるようにしたい、というのがあって。

そうすると四字熟語のようなものは、できれば避けたい。



それと、2001年にサイト開設したとき何の思い入れもなくテキトーに決めたこのハンドルネームも、いいかげんやめたい…。

だってまさかこんな長く居座るとは、自分でも思わなかったんだもの。

かと言って身内バレしたくないので本名はイヤだし、自分に自分の名前をつけるなんて恥ずかしくて出来んのですよ。

そう思って以前みなさんに「なんか私のイメージで名前を考えてくだされ」とお願いしたところ、ほぼ全員に「あえりちゃんはもう、あえり以外考えられない」と言われ。

すっかり定着し、ちょっとは愛着もあり、まぁいいかって気もするんだけどさ。

でも、なんか良い名前はないかしら…。



という話をぶーにしたところ、「放課後キング」が候補に挙がり、二人で大爆笑。

しかし、少し時間が経ってみると、一切面白くないという。

あると思います。

aeri46 at 08:00|Permalink

2010年04月20日

孤高と天才


今更ながら、戸川純の魅力と素晴らしさに気が付いてしまった。

あんなに歌が上手いだなんて、知らなかったよ。

もっと早くにちゃんと歌を聴いていれば良かった…。



彼女は幼少時代から、いじめられていたそうだ。

「普通じゃない」って。

だから子供の頃からずっと、死にたいなって思っていたって。



天才は理解されにくい。

人と同じことをしている時点で非天才=凡人なわけだから、理解されなくて仕方ないことなのかもしれないけれども…。

しかし、幼い頃からそうやって変わってる子を「キ●ガイ」とか言って執拗にいじめるような奴こそが、本当のキ●ガイじゃないかと私は思うのです。



私は昔から結構、変わってる人が好きだった。

自分が凡人だという自覚があったからかもしれない。

「あんたって変なヒト好きだよね」って、よく言われたしな。

だって、自分だけの世界観を持っている人って、かっこいんだもの。

触れてみたくなってしまう。



それでも今はまだ理解されやすくなったというか、「差別しちゃいけません」みたいな偽善的思想があるせいかは知らんけど、個性として認めてあげましょう、という風潮もある。

個性的な人が、自分を表現する手段を見つけて、いじめられっ子がスターになっちゃった。

みたいなシンデレラストーリーは、今でこそありきたりなものになっている感じだが。



いつも思うことだけど、それって本人たちはどう感じているのかな。

変わり者だとか社会不適合だとか言われていた半生と、天才ともてはやされる半生。

その両方を経験してしまう人たちは、例外なく感受性が鋭く繊細な人たちなわけで。



人に認められたくてしていたことが、認められた瞬間に意味を為さなくなってしまう。

だって、本当に必要なのは他人からの賞賛や崇拝ではなく、自分自身をどう評価できるかなのだと思うから。



天才と呼ばれる人や、頂点に立ってしまった人って、そういう人たちにしか持ち得ない孤独があると思うのです。

極端に言えば、ライバルもいないし認めて欲しい人もいないわけだ。

他人と比べるレベルでは、もう生きていないのだから。



地位も名声も富も得たとしても、それでは満たされない孤独感を、どうやって埋めているのだろう。

認められない人生も地獄だけれど、認められたからって解決するものでもないんだろうな。

孤独を道連れに、終わりのない旅をしているように見える。

どっちに転がっても終わりはなくて、唯一解き放たれるときが訪れるとすれば、そのときにはもう「凡人」になっているのだろう。



私は、天才じゃなくて本当に良かった。

そんなツライ人生、耐えられないもの。

天才を羨む反面、ツライだろうなと気の毒になる。



っていうか天才の人生を心配する暇があるなら、自分の人生を心配してろよって話。


aeri46 at 09:20|Permalink