December 31, 2009

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孑孑彷徨変異: Japanese English English automatic Top page
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[ Contents ]

5月1日「行為終了の儀式」    西島一洋
椅子に座ってくれた人へ     西島一洋
食素描 『うどん供述書』     西島一洋
現在まで通底するアングラ,マイナー精神の源流/名称不能行為         西島一洋
"Up to the present time source/name impossible act of expert bottom underground and minor spirit" Kazuhiro Nishijima
体現/遁遁蠧魚         西島一洋
"Embodiment/Away away moth-eaten older documentary books" Kazuhiro Nishijima
身体素描 『長髪』       西島一洋

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過去記録としての文献や図版類の掲載が中心となるが、
同時に現在の情報としての記事を掲載することもある。

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Japanese 原文 Part English English automatic translation

Sentences of the original are Japanese. Please click the upper right item. And you can translate automatically to English. But automatic translated English becomes random sentences almost. Especially, most proper nouns are translated to the pronunciation with wrong Japanese phoneme. I did copy the page of the automatic translation being completed. I did proofread those though only proper nouns. And I wrote it in "Part English" of this blog with right Japanese phoneme by alphabets. About a correct proper noun, please refer to "Part English".

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May 14, 2008

身体素描:長髪

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「身体素描:長髪」


身体の記憶その8
「長髪の記憶」

2007年晩秋 記/西島一洋

chouhatunokioku

 亜麻色の髪は細く柔らかい。そよ風でもふわっとなるナチュラルカール。まるで少女のようだ。
 僕は、少年のころ、「男は剛毛」にあこがれていた。角刈りこそ男の粋ぞ。無頼で無口。鋭いがやさしい眼光。男はそのようにあるべきだと、世間からの刷り込みだったか、自らが勝手にそう思い込んでしまったのか、今となってはもう覚えは無い。三船敏郎、赤木圭一郎、近年では菅原文太か。
 しかし、僕の髪は、冒頭の少女のごとく、いわゆる猫毛というやつで、角刈りは到底無理。人知れず、小さな心を痛め続け、その劣等感の極みに達した16歳のころ、あることがきっかけで克服することができてしまったのだ。
 「頭を剃ったら、牛乳をやるぞ。」と、友人数人がわいわいと囃したてながら僕に言った。高校生のときの放課後の教室だ。僕の牛乳好きは有名、校内に知れ渡っていた。まさしく何本でも飲める。大食いというか、大飲みというか、牛乳に関しては尋常ではない飲み方をしていた。友人たちはそれをからかっての半分冗談での発言だった。はたして、僕は帰宅後その日のうちに頭を剃り、翌日登校、まんまと彼らから牛乳10本近くをせしめたのだった。また、生まれて初めての坊主頭はなんともすっきり気持ちが良い。そのうえに大好物の牛乳がたらふく飲める。至福の極致。と同時に、いとも簡単に消えうせた柔らかい髪への長年にわたって鬱積していた劣等感。「そっか、坊主頭という手があったのか。」それは劣等感を克服したというより、悟りの境地でもあった。髪があろうとなかろうと、またその毛質がどうとかこうとか、「そんなの関係ない」ということだ。以来、僕はもう40年近くも床屋に行っていないし、のびた髪はいつも自分で剃ってきた。
 実は、昨年の晩夏より髪を剃っていない。はや1年と数ヶ月になり、そろそろ肩にかかるようになってきた。これまで、伸ばしっぱなしの数ヶ月というのはよくあることだったが、今度は長期間にわたる。面白そうなので、もうしばらくはこのまま伸ばし放題にしておこうと思っている。
 ところで、ここまでも髪が長くなったのは生まれて初めての経験。気がついたことがふたつある。
 ひとつめ。
 今年の春ぐらいまでは、不精髪というか、髪を剃るのも結構面倒くさいので、いくらかのびてしまってはいたが、さほど気になるほどでは無し。さて、今年の夏を迎えようとしているとき、ふと、このまま剃らないで夏を過ごしてみようと思ってしまったのだ。特に理由はない。長髪への憧れというものは正直微塵も無い。いくらかの迷いはあった。一番の不安は、暑さが苦手で汗かきの僕が、髪を長くしたまま夏を過ごせるかどうかであった。ところがどっこい、心配していた暑さ対策はいとも簡単だった。頭からどっと水をかぶれば良い。坊主頭だとすぐに乾いてしまうが、髪があるとしばらくは髪が水分を含んでいてくれる。濡れタオルを頭に置いているようなもので、水分が蒸発するときに頭の熱を奪う。いやあ、これは便利、便利。
 ふたつめ。
 あっという間になにも問題もなかった夏は軽く過ぎ、晩秋も駆け足で通り過ぎる。年をとると時のたつのが早いのだ。さて、そろそろ寒さが気になる季節を迎えている。ことしは髪があるから暖かい冬が越せそうだな…。ところがどっこい、今度は大きな誤算。長年の坊主頭生活では、いわゆるシャンプーを使って髪を洗うということがなかった。坊主頭だとあえて洗髪という行為をしなくとも、風呂で体も頭も区別なきひとつの石鹸で一緒なのだ。そうか、洗髪とはこういうことだったのか。…、誤算というのはこの後のことである。夏には濡れ髪が頭のクーラーがわりになってちょうど良かったが、実は長髪というのは冬をすごすほうが難しいということにはじめて気がついた。乾いていれば確かに暖かいが、濡れれば乾くまでは寒い。こんな当たり前のことにどうして気がつかなかったのか。今年の冬を長髪で乗り切ることができるかどうか、いくらか不安を抱えている今日この頃である。うーむ。
 とはいえ、なんとか春までがんばって、柔らかな亜麻色の長い髪を、少女のごとく春風になびかせよう。…初老の頭に。
(にしじまかずひろ、画家)

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August 20, 2007

5月1日「行為終了の儀式」/kazuhiro nishijima

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時空を超えて(過去への案内状シリーズ)

5月1日「行為終了の儀式」

kazuhiro nishijima


こんにちわ、西島一洋です。
『西島一洋/体現』行為中
僕は今、5月1日までの毎週金土日のPM1:00〜PM8:00、犬山のキワマリ荘の2階の4畳半で、「現場行為」を続けていますので、交感にお越しください。
(この行為は2005年3月4日に開始し9週間の行為です)
体現は、「絵幻想解体作業最終行為…筆触について」及び「身体素描交感儀」です。
温かい昆布茶、コーヒー、紅茶、凍頂烏龍茶などをご用意してお待ちしております。
さて、最終日の5月1日(日) PM6:00に、キワマリ荘にて「行為終了の儀式」を行います。
★キワマリ荘/アートドラッグセンター:犬山市薬師町11−4:電話0568-61-6251/名鉄犬山線、犬山駅下車、西へ進み、犬山駅西の交差点を南へ、右手に、図書館、エッソ、ローソンを越え、モービルがある信号交差点「東専正寺」を右(西)へ、「清水屋」の手前の信号交差点「専正寺中」を右(北)へ50mくらい、右手に小さな看板、右手路地のさらに長屋を3軒ほど通ってその奥。(キワマリ荘入場料500円)

※参考資料
(Kazuhiro Nishisijima ブルックリンにての個展の模様)
http://www.kentlergallery.org/pages/archives/11_02.html

mail  2005/04/17(Sun)02:29:06




(鈴木陽一レモン氏の感想:2005/5/1)
http://yellow.ap.teacup.com/lemon/69.html


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May 16, 2007

「椅子に座ってくれた人へ」 西島一洋

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時空を超えて(過去への案内状シリーズ)


「椅子に座ってくれた人へ」

※以下の文章は、1996年に名古屋の中区のウエストベスギャラリーで有馬かおる氏が企画した「うさぎ小屋研究所」の会場において、西島が「ぴしっぷる」という70年代のころ編集発行していた雑誌の編集机を再現し、その編集机の上に置いたプリントの内容文です。
 
--------------------------------------------------

「椅子に座ってくれた人へ」

 「ぴしっぷる4号」はどうぞ「無料」でお持ち帰り下さい。ほかの資料はダンボール箱や封筒から出してすべて御自由にご覧下さい。ただし大体でかまいませんが元の状態に戻しておいて下さい。

 この「ぴしっぷる」というのは、僕にとっては、僕が関わって編集発行した「美術雑誌/裸眼」の前身の「美術批評誌/ON THE BEACH」のそのまた前身で、「ぴしっぷる」は4号で廃刊、ここにあるのが廃刊号でもある。

 また、この「ぴしっぷる4号」は、喫茶店、ライブハウス、うどん屋などで、1500部ほど実買した。今から20数年前のことである。僕の歳は20才を少し越した頃だったと思う。

 今回の展覧会を企画した有馬かおる氏は、一昨年の1995年8月、僕が「体現集団φアエッタ/記憶ノカケラ展」というのを名古屋市中区にあるガレリアフィナルテという場所でおこなっている時に来てくれた。

 僕は1970年代より断続的におこなってきた名称不能行為を、林裕己や関智生と交わることにより1988年には「体現」と名付け「体現集団φアエッタ」を創始、以来、より頻繁に行為の現場を持つことになった。

 「体現集団φアエッタ/記憶ノカケラ展」では、アエッタの7年間におよぶ膨大な資料を未整理のまま開陳した。と同時に、会期中にそれらを整理しようと目論み、約1週間、画廊に泊まり込んでの作業も展と平行しておこなった。しかし、24時間終日連続開廊していたこともあり、訪れた人たちは、そのまま泊り込んで朝までという人も多く、整理の作業どころではなかった。また、たとえそうでなかったとしても、膨大な資料の山の整理は1週間くらいでは、専念したとしても圧倒的に時間不足。展を終えて再び整理にとりかかったものの、あれから2年。アエッタは同時継続中で、行為の現場も同時進行だ。整理がどうにも追いつかない。未整理の資料ばかりが増えていく。

 そんな折り、有馬かおる氏から今回の企画「うさぎ小屋研究所」への出品依頼が僕にあった。「今回の 企画は資料展示です。アーティストは作品ではなくコンセプトやプロセスを提示して欲しい」とのこと、また有馬かおる氏はガレリアフィナルテでおこなった「記憶ノカケラ展」の凝縮版をイメージしての出品依頼でもあった。依頼のあったちょうどその時には、それでも何とか「体現集団φアエッタ」の行為の記録の文章化の作業は半分以上は終えていた。「うさぎ小屋研究所」展の開催までには、これをきっかけに何とか頑張って全行為の文章化を達成しよう。ということで快諾した。

 結果からいうと、文章化作業はすすんではいるが、まだ終えてない。整理の途中であっても、「うさぎ小屋研究所」展に持っていった方がよいのかどうか、迷いながら行為の痕跡の整理と文章化の作業を続けていた。と同時に、当然、アエッタは行為の現場も進行形だ。新しい資料ばかりが増え、文章化が追いつかないという現状は相変わらずだ。ふと、ダンボール箱の山に目をやる。いくつかの手付かずの未整理の資料箱のさらに下の方に、「ぴしっぷる残」「ぴしっぷる考房資料」とマジックで書いた箱が5ツある。「よし、こいつでいこう」。机の向こうに沈んでいてちょっと出しにくかったが、なんとかぎっくり腰にもならず引きずり出した。

 この5ツのダンボール箱に手をふれるのは、いま住んでいるところに引っ越してきたとき以来だからずいぶんになる。箱をあけて中身を見るのは20数年ぶりだ。

 「よし、こいつでいこう」と思ったのは、有馬かおる氏の今回の呼びかけのコンセプトにも合致しているのではないかと、勝手にふと思ったからである。

 もとより、この「ぴしっぷる残」は何とかしようと思っていた。路上で販売したり、古本屋にもちこんだり、何かの展のときに積んで配ったり、可能か不可能かはともかく、ときおりそう考えてはいた。

 懐古趣味で「ぴしっぷる」を引きずり出したのではないが、1970年代前半当時の名古屋の状況を少し述べたい。記憶は曖昧だが、20代前半の美術家達が自主運営する現代美術スペース「8号室」の誕生、「ウエストベス」もこの直後に、西区押切で現代美術画廊を始めたと思う。今は無いが「ギャラリーU」も同時期だったかもしれない。それまで名古屋で現代美術というと「桜画廊」ひとつだったと思う。公立の美術館としては愛知県美術館のみで、岐阜美術館も三重美術館も名古屋市美術館も市民ギャラリーも市博物館も市政資料館もまだ無かった。

 「ぴしっぷる考房」は実は僕の中では「体現集団φアエッタ」に通底するものがある。共同体(社会)はその在り方の形態として、二つの型に分類されるとの考え方がある。利害関係をもとに形成されるゲゼルシャフト、一方利害関係を全くもととしないゲマインシャフト。僕は17才の頃から、この後者のゲマインシャフトの理想を求めてきたように思う。 

 今は行方知れずとなった日置真紗人、現在欝病と闘う平松明、そして僕との3人で「ぴしっぷる考房」という生活共同体を1970年代の前半につくった。ここでの共同体理念の実現のための模索行為は数年で崩壊となった。いくらかタンコブ(幻想)があったのだろう。何もなくて成立する「場」、空虚な「場」、タンコブ(幻想)もなく…、そういう「場」を、今僕は「体現集団φアエッタ」に求めている。

 なお、「体現集団φアエッタ」記録集は、現在編纂中です。御希望の方は後日御案内を差し上げますので住所、名前を御記帳下さい。

西島一洋

 

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May 12, 2007

食素描 『うどん供述書』 西島一洋

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※以下は、ずいぶん昔、名古屋にあった「是是通信」という
藁半紙の冊子に執筆掲載した文章です。


食 素 描

うどん供述書

西島一洋 Kazuhiro Nishijima

西島一洋:追悼儀:七ツ寺共同スタジオにて:2007年7月


 鶴代は、骨太で毛深く、顎は付け根からしっかりしており、体躯は大きい方でした。鶴代は日本の南の方、九州、四国あたりの出身らしいが、アイヌをほうふつともさせる風貌で、縄文人をイメージしてもらってもかまいません。

 

 鶴代は、39才の時、書道家の夫、八五郎(※註)を亡くし、直後、長男一明と長女澄子の2人のおさなごをを抱え、名古屋の飯田街道筋に「つるやうどん店」を1928年に創業しました。鳥小屋を解体した材木でつくった小さなあばらやでした。以後、鶴代は、40年間うどんをつくり続け、1968年の春、「つるやうどん店」で死にました。

 

 鶴代の長男一明は、家業のうどんやを忌み嫌っていたようでした。うどんやといって|も低賃金労動者対象の「めしや」にすぎなく、食っていくのがやっとという耐乏生活が嫌だったのかもしれません。

 

 一明は、勉学に秀いで、東京物理学校に就学、戦後名古屋に戻り県庁勤めをしながら、密かに研究開発していた製塩器の発案特許で、いくらかの金を手にいれ気を良くして、県庁勤めを辞め、さまざまな事業を起こしました。しかし、ことごとく失敗し多額の借金を背負うことになりました。その後、酒におぼれて、酒乱となるが、55才で断酒し、警備員の職につき、76才で死にました。

 

 一明の妻綾子は、夫からの収入はほとんどなく無く、借金苦と生活苦の中「つるやうどん店」を手伝い、かろうじて3人の子を育てました。

 鶴代の死後、「つるやうどん店」は、綾子によってしばらく細々といとなわれましたが、1978年経営不振のため廃業しました。現在は、そのあばらやに、綾子73才がひとり住んでいます。

 

 一明と綾子の長男、つまり鶴代の孫である一洋は、幼少の頃より「つるやうどん店」を手伝いながら、天才うどん少年となり、将来うどんやになるつもりでしたが、16才の頃の失恋をきっかけに、突然心変わりし、絵かきとなりました。同時にハプニングやパフォーマンスに隣接する名称不能行為もおこない、1988年から名称不能行為を、自ら「体現」と呼称し、活動を続けています。

 

 一洋は、2000年5月、名古屋のギャラリークナンクナンで「体現/うどん記憶交感儀及び絵幻想解体作業/つるやうどん店7日間開業」おこない、連日24時間7日間うどんをつくり、訪れた人たちとうどんを食いながら、うどんにまつわるそれぞれの記憶を互いに話し合いました。同じ行為を、2001年1月、神戸のギャラリーPOCKET美術函でもおこないました。滋賀県の山の中で日の出から日没まで「体現/つるやうどん店一日開業」を数年前におこなったこともあります。

 西島一洋:追悼儀:明通寺にて:2007年7月15日

 2001年春、元「つるやうどん店」のあばらやで、鶴代の33回忌がおこなわれました。坊さん一人と綾子、一洋、その妻と子、総勢6人、極めて質素な法事でありました。

 

 さて今回は、「たまごとじうどん」のたまごとじの方法を伝授しよう。(1)わずかにだしをいれた卵をしっかり解き混ぜる。(2)だしに白醤油をいれ強火で沸騰させる。(3)2のだしに、沸騰をおさえない程度に1を一気にいれる。ほぼすぐに火をとめる。けっしてかきまぜない。これが、こつ。これで、やわらかふかふかのたまごとじができる。火が弱くてふにゃーたらーとしたり、もしくは火が強すぎてぱさぱさになったら失敗。こつを記したものの、実は、完璧なたまごとじうどんは、世界中でもしかしたら僕しかできないのではないかというほど、微妙で難しい。天才うどん少年のこの僕でさえ十回に一回は失敗した。

 

 次回も、うどんでいきたいが、ころっとかえて、フランス料理といこうか。

 

にしじまかずひろ(絵、体現)

 

 

(※註:西島八五郎:明治から大正時代にかけての書道家41歳で没)

 

 

 

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April 28, 2007

「現在まで通底するアングラ、マイナー精神の源流/名称不能行為」 西島一洋

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「現在まで通底するアングラ、マイナー精神の源流/名称不能行為」

西島一洋 Kazuhiro Nishijima  

 僕は、1952年の12月20日生まれだから、1970年代は、17歳から27歳ということになる。 僕は、今も晒し木綿でよくふんどし姿になるが、1970年最初の「行為」もやはり、ふんどしだった。水着姿の16〜17歳の女子高生数人と、くんずほぐれつのボディペインティング。今51歳の僕がこう書くと、へんな画を読者は想像してしまいがちだが、当時は、僕も17歳、自分で言うのもなんだが、女性とは面と向かって話もできないほどの硬派で、柔道で鍛えた美しい肢体の坊主頭の純朴を絵に描いたような紅顔の美少年であった。

 16歳で絵に志し、棟方志功の「わだばゴッホになる」じゃあないけれど、当時ロートレックや村山槐多に心酔しており、絵は命がけでかくものだという強固な幻想をいだき、描画の線のふるえとか、線のリアリティのありかとか探求し、実践していた。

 ボディペインティングは、他者からみれば唐突のように見えるかもしれないが、行為とそれによって生じる線ということを、思考する純粋な実験装置でもあった。僕以外が女子だったのは、単に同意してくれたのが、女子のみであり、男子は恥ずかしがって参加の躊躇があったというだけの事情に他ならないので、あくまで勘違いなさらないように。

 他に、名古屋の栄町の道路の中央分離帯で寝転び、ヘリウムガス入りの風船を、100個ほど、ひとつずつゆっくりと、順に宙空に離し、天空に消えていく軌跡を追うという行為、また深夜名城公園で、長時間金属の手摺を数人でたたき続けるという行為、同じく深夜鶴舞公園の音楽堂で、数人で言語を使わずに笛(小学校のときに使っていた縦笛)で会話する行為(これが結構面白い。長時間行っていると、具体的に言語で会話しているようになる。本当にそうだったのか途中で確認を入れると、瑣末なことまでまるでテレパシーのように交信できているので、やっている本人たちもびっくり)、などなど。

 僕の個人史の文脈ではこれらの70年代の「名称不能行為」があり、これが、80年代からの「体現集団φAETTA」や、そして現在につながる「絵幻想解体作業」、また90年代後半からの「NIPAF(日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバルの略)」での、行為や活動に繋がっていくのだが、この記述や分析は膨大になり、書くことはできるけれど、これについては限られた紙面なのではしょる。端的に言えば、僕の中で「絵」と「行為」は混交し、同体化している。

 さて、前記の「名称不能行為」だが、名古屋の生粋のパフォーマンス・アーティストの浜島嘉幸が編纂した、「七ツ寺共同スタジオ30年史」の「名古屋のパフォーマンス・アート史」によると、「名称不能行為」という呼称は、つまり言い方は「体現集団φAETTA」が言い出したことのように筆記されているが、確かにそれを前面に押し出し80年代以降活動を続けているのは「体現集団φAETTA」にほかならないが、実は「名称不能行為」という言い方は、60年代「ゼロ次元」が愛知県美術館で行った「狂気見本市」のパンフレットの一部からの引用である。

 僕は、70年代に入ってから、今となっては60年代の象徴「ゼロ次元」の岩田信市や、「PLAY」の水上旬のところに頻繁に出入りしていた。ともに、激しい凄いエネルギーの持ち主で、僕ら若い連中(12歳〜13歳の年下)が深夜に訪れてもが、朝まで延々と付き合ってくれる。というよりもかれらの独演に近い。しかし、すでにその60年代の活動は、実質的には終息しており、彼らからの言葉の端々から、多少のかけらはあるものの、彼らにとっては、当時は、現在形なので、今何かをやるかが中心。僕らは、「ゼロ次元」の回顧や、「PLAY」の回顧を聞いたことがほとんど無かった。

  ここからが、ちょっと複雑になる。どうでもいいことかもしれないけれど、少しははっきりしておきたい。 個人的に岩田信市や水上旬に薫陶を受けたのは確かだけれど、僕らの行為は、それがきっかけではなかったし、すでに彼らと出会う前より、行っており、また、なんとなく、彼らの行為との齟齬も感じ取っていた。 しかし、80年代に入って、僕にとって「行為」の活動が本格化し、88年「体現集団φAETTA」を創始。「体現集団φAETTA」は、僕の13歳年下の、林裕己や関智生と結成した。彼らは「ゼロ次元」とは、明らかに世代が2つも違うのだ。

 しかし、というかそれゆえにか、彼らは、「ゼロ次元」や「PLAY」などの60年代の活動を、神格化し、それに突き動かされるように、行為に走ったといっても過言ではない。

 「体現集団φAETTA」は、時代錯誤だったのか?行為の中で事故ではあるが、動脈を切って血の吹き出たこと、ちんちんがでて警察に即逮捕されたこと、さまざまな、究極な場面に遭遇の行為もあった。

 アングラ、マイナーが、反体制の行為と、短絡的につなげるつもりはないし、もっとスマートに、かいくぐっていく方法も、きっとあるとは思う。しかし、僕たちは、不器用を選んだ。 もとより、僕たちは、過激を望んでいない。もとから反社会的ではなかったが、誤解されそのように評されたこともある。しかし、70年の「反万博闘争」を、ひきずっていることはたしかで、僕たちのやり方で、このことについては、つまり非暴力で行為は続ける。

 

西島一洋 Kazuhiro Nishijima

 平面作家であると同時に自らの身体を駆使した「体現」行為を継続的に発表。そこでは自身の無意識がもつ原記憶との対話が常に行われ、やがて描かれるべき新たな「世界」が模索されてゆく。自らの無意識を顕在化するために、自らを含んだ「場」を常に意識している。

  ポツダム宣言から7年後、生まれる。その時の家業は録音業、レコード盤を作る器械があった。家業はかんばしくなく、5歳の頃から祖母が細々と営んでいたうどん屋の2階の四畳半に親子5人。父は、色々事業を起こすがことごとく失敗で借金の山。うどん屋も手伝ったが、家計の足しにはならぬ、12歳より、酒屋、プレス工、木工、染色工、牛乳配達。16歳の時から絵かきとなるが、収入は無い。その後、掃除夫、ちり紙交換、キャバレーボーイ、劇場大道具、デパート店員、印刷ブローカー、版下デザイン、看板制作、洗濯夫、モデル、似顔絵、喫茶店、生花市場、などをてんてんとしながら、29歳専業絵かきとなり51歳の現在に至る。

 1970年代よりハプニングやパフォーマンスに隣接する名称不能行為を断続的におこなう。1988年には「体現」と名付け体現集団φアエッタを創始、個人または集団で活動を続けている。「体現」は開かれた表現の領域としてのパフォーマンスアートとは一線を画しており、むしろ表現という幻想の抑圧から逃れる旅を続けているといった方が適切かもしれない。

 行為地:日本、フランス、香港、マカオ、アメリカ、台湾、韓国、インドネシア、タイ、セルビア・モンテネグロ、ハンガリー、スロバキア、ポーランド、カナダ、メキシコ、ミャンマー、フィリピン。

 

初出:美術批評誌『REAR』no.6(2004年5月1日刊)
特集「名古屋のコンセプチュアリズム」
執筆:中村英樹、三頭谷鷹史、久野利博、井上昇治、高橋綾子、鈴木敏春、黒ダライ児、岩田信市、西島一洋、山田諭、林卓行、長船恒利、西澤美子、海上宏美、浜島嘉幸、安住恭子、加藤瑞穂、原田真千子、馬場駿吉、都筑正敏、ほか。
編集発行:リア制作室/季刊/A5判/並製本/
「芸術、批評、ドキュメント」を掲げ、現在の表現をめぐる諸問題を様々な視点から捉える特集と、中部/東海地区のアート・シーンの記録を充実させた名古屋発の季刊美術批評誌。

 

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※文中固有名詞
ロートレック
村山槐多
ゴッホ
棟方志功
体現集団φAETTA
NIPAF
名城公園
鶴舞公園
浜島嘉幸
七ツ寺共同スタジオ
愛知県美術館
岩田信市
PLAY
ゼロ次元
水上旬
林裕己
関智生
反万博闘争
西島一洋
ポツダム宣言
狂気見本市

 

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April 27, 2007

"Up to the present time source/name impossible act of expert bottom underground and minor spirit" Kazuhiro Nishijima

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Sentences of the original are Japanese. 
The following translated sentences are
English version by an automatic translation.

"Up to the present time source/name impossible act of expert bottom underground and minor spirit"

Kazuhiro Nishijima   

  Because I am a birth on December 20, 1952, the 1970 year becomes it from 17 to 27 years old.   The first "Act" was also a loincloth in 1970 though I became a loincloth appearance well by the exposing cotton now. Several high school girls and getting untied body paintings of 16-17 years old of bathing suit appearance. At that time, the woman was a fair youth who had drawn unsophisticated of the shaven head of beautiful limbs forged by the judo in the picture by the rowdy of not being possible to talk face to face though it was what my saying at the age of 17 by myself though the reader tended to imagine the picture when I of 51 years wrote so now.

  It aimed, and the cover of the reality in the line of the shake of the line of drawing was searched, and practiced to the picture in "Became Gogh" of Shiko Munakata at the age of 16 though was not Lautrec and Kaita Murayama adorations at that time holding a strong fantasy that the picture was the one thus at the risk of one's life.

  A pure experimental apparatus that thought about the act and the line of causing by it though the body painting might be seen to be abrupt if it saw from others. Do not misunderstand it to the end because it is only a girl that the girl people except me agreed only, and the boy is just circumstances only that it hesitates in participation feeling shy.

  Besides, in the act of lying down with the crash barrier of the road in the honor town in Nagoya, ..empty air.. separating about 100 balloons with the helium gas sequentially one by one slowly, and chasing tracks where it disappears in the sky and Meijo-park at midnight, this is considerably interesting ..the conversation of the handrail of the metal for a long time with the whistle (length whistle used at the elementary school) without using the language by several by several ..act that it keeps beating.. similarly in the Music temple in the Tsurumai-park at midnight.. ..act (... It comes concretely to talk in the language when going for a long time. It was really so or also is surprised persons in question who are doing because even an insignificant thing can communicate by putting the confirmation on the way as if the telepathy. ) etc.

  This is tucked up because limited space though this description and the analysis become huge, and can be written though these "Name impossible act" in the 70's is in the context in my individual history, and this leads to the act and the activity by "NIPAF (abbreviation of a Japanese international performance art festival)" from the latter half of "Picture fantasy dismantlement work" connected "Embodiment(Taigen) group φAETTA" from the 80's and now and the 90's. Frankly speaking, in me, "Picture" and "Act" are inosculated, and made this body.

  Well, according to "History of Nagoya of the performance art" of "History for 30 years in Nanatsudera cooperation studio" that Yoshiyuki Hamajima of the performance artist of genuine of Nagoya compiles though the above-mentioned "Name impossible act" though the expression is written down in a word like what "Embodiment group φAETTA" started to say as for the name "Name impossible act", to tell the truth, the expression "Name impossible act" is a quotation from a part of the pamphlet of "Frenzy trade fair" that "0 dimensions" did in Aichi Prefectural Museum of Art in the 60's though it is just "Embodiment group φAETTA certainly" to keep acting forward after the 80's of the pushing out as for it.

  I frequently went in and out to Shinichi Iwata of "0 dimensions" and Jun Mizukami of  "PLAY" those are symbol in the 60's in season when I came now after in the 70's. Both, a young party (younger of 12 years old - 13 years old) such as servants visits by the owner of an intense, terrible energy at midnight and it associates with the length until the morning of ..struggle.. ,. It is near their solo performances of dependence. However, it ends substantially, and it is a center because the shape now whether to do something now in the activity in the 60's at that time for them though there are a few fragments from tips of the word from them. We had little thing that heard the recollection of "0 dimensions" and the recollection of "PLAY".

    Here becomes complex for a moment. I want to be a little clear though might a trivial thing.   Personal..Shinichi Iwata and Jun Mizukami..education..in the background of..certain..act..chance..already..meet..go..somehow..act..discrepancy..feel.  However, the activity of "Act" becomes full-scale for me in the 80's, and "Embodiment group φAETTA" for 88 years is founded. "Embodiment group φAETTA" was formed with my Hiromi Hayashi and Tomoo Seki of 13 younger years old. They of the generation are even secondarily obviously different from "0 dimensions".

  No exaggeration to say that the activity in the 60's such as "0 dimensions" and "PLAY" ..them.. is deified, and piercing and ..act.. running therefore however to be moved it.

  Was "Embodiment group φAETTA" an anachronism?The artery was cut, blood was blown, it was arrested immediately by the police ..going out.., and there was an act of the encounter in an ultimate scene variously though the accident in the act, too.

  It is not, and I think will the short-circuited tie of underground and the minor to the act of the anti-establishment also for the method to exist surely smarter. However, we chose clumsiness.   We do not hope for the extreme from the beginning. It is misunderstood and it has been criticized from original like that though it was not the anti-social. However, dragging "Anti-Expo struggle" of 70 years continues the act of this by nonviolence in a word certainly in our way.

 

Kazuhiro Nishijima

  "Embodiment" act of making good use of an own body when it is a plane writer is continuously announced. New "World" that should always be done the conversation with an unconscious original memory there, and draw before long is groped for. To actualize own unconsciousness, "Place" that contains oneself is always considered.

   After seven years, it is born from Potsdam Declaration. The family business at that time had the machine that made the recording industry and the record board. Family business is five parents and children in the four and half-mat room of the second floor in the noodle shop that the grandmother had been fragrantly managing in detail since five years old. The large accumulation of debts entirely due to the failure though started an enterprise variously by father. The liquor store, it is a press worker, woodwork, it is a dye worker, and the milk run from 12 years old who doesn't become it for the addition of the household economy though also helped also by the noodle maker. There is no income though it becomes an artist at the time of 16 years old. Afterwards, it becomes 29-years old principal occupation artist while assuming the scrubber, the toilet-paper exchange, the cabaret waiter, the theater stage setting, the department store clerk, the print broker, the block copy design, the signboard production, the washing husband, the model, the likeness, the coffee shop, and Flower Market, etc. to be a point point and it arrives now of 51 years old.

  A name impossible act of adjacent to the happening and the performance since the 1970's is intermittently done. It keeps founding "TAIGEN/Embodiment" and naming embodiment group φ Aetta in 1988, and it acting in the individual or the group. It makes a clear distinction, and it might be more appropriate to "Embodiment" to continue travel where it escapes from the suppression of the fantasy of expression with the performance art as the area of the opened expression.

  Act ground: Japan and France, Hong Kong, Macau, the United States, Taiwan, South Korea, Indonesia, Thailand, Serb Montenegro, Hungary, Slovakia, and Poland, Canada, Mexico, Myanmar, and the Philippines.

 

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- It is a proper noun in the sentence.
Lautrec
Kaita Murayama
Gogh
Shiko Munakata
Embodiment group φAETTA
NIPAF
Meijo-park
Tsurumai park
Yoshiyuki Hamajima
Nanatsudera cooperation studio
Aichi Prefectural Museum of Art
Shinichi Iwata
PLAY
0 dimensions
Jun Mizukami
Hiromi Hayashi
Tomoo Seki
Anti-Expo struggle
Kazuhiro Nishijima
Potsdam Declaration
Frenzy trade fair

 

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April 20, 2007

「体現/遁遁蠧魚」 西島一洋

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時空を超えて(過去への案内状シリーズ)

9b8af1f6.JPG

NISHIJIMA  KAZUHIRO

西 島 一 洋

TAIGEN TON TON TO GYO

体 現 / 遁 遁 蠧 魚

1996年11月14日(木)

AM9:20〜AM10:40

名古屋造形芸術短期大学/C−305教室

朝まだき、飯炊き、おにぎり約150ケつくる

晒し木綿1000m、鉄球、布団、1畳の鏡と画紙、炭、衣服、たらい

3本の音カセットテープとテープ再生機

ポリタンク3本に水、箒と塵取り

AM 9:20 おにぎりを配る

話をしながら服を脱ぐ

洗濯を始める

洗濯ものを干す

声を出す

布団を敷く(音入る)

寝る

やおら起き上がり自画像を画く

鏡を割る

AM10:20

掃除をする

 

■きっかけ■

1970年代、僕が二十代前半の時、名古屋の栄町の北、長者町という問屋街の古ぼけたビルの一室に美術家達が自主運営する「8号室」という現代美術画廊があった。展覧会ごとにフリートーキングが開かれ、難解な言語が飛び交っていたが、無知無学の僕にも排他的でなかったし、閉ざしていなかったから嬉しかった。「8号室」からは「自己否定」という難しい概念を突きつけられた。今に至ってすらその概念を消化したわけではないが、その後僕なりに咀嚼し続けてきた。そして今回、「楽しい自己否定」として行為を発想した。

■メカニズム■

表現という幻想の窒息感から逃れるために、日常と非日常の境界を彷徨うことにする。今回は日常のカケラ、日常のキリトリ、等を提示し、日常とはなにかということを行為思考する。したがって、白紙の状態、つまり不思議の当然となれば……

写真/音採集行為(日の出より日没まで、自転車で移動しながら、5地点の路上などにて、音を巻紙に記録する)・撮影/林裕己

 

■ 西島一洋 Nishijima Kazuhiro

1988 パフォーマンスやハプニングに隣接する名称不能行為を

「体現」と名付け活動を始める

1988-96 約60回の行為「体現」の場をもつ

1997 [行為の現場から/行為∞思考]を企画、展開の予定

(ガレリアフィナルテ、ギャラリーないとう、他)

 

美術特講・公開授業

名古屋造形芸術短期大学

C−305教室

平成8年11月14日(木)

AM9時20分〜10時40分

企画/三頭谷鷹史

 

 

参考
□自己否定/自己自身を否定すること。否定の否定。
□否定/形式論理学では、否定と肯定は絶対に対立するものであるが、哲学史上では、否定にそれ以上の意味が与えられている場合がある。ヘーゲル及びマルクス主義の弁証法では、否定は発展の契機として積極的な意味を持つ。
□否定の否定/ヘーゲル弁証法の基本法則の一。思考の歩みは、ある規定が自己を否定し、その反対の規定に移り、両者の矛盾が再び否定されることにより解決されるという形で進行するが、これが否定の否定(または絶対的否定性)と呼ばれる。否定の否定で得られた結果は最初の規定より豊かな内容を持つ。これは自然・歴史・思考の重要法則として唯物弁証法にも継承されている。

 

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"Embodiment/Away away moth-eaten older documentary books" Kazuhiro Nishijima

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Sentences of the original are Japanese. 
The following translated sentences are
English version by an automatic translation.

9b8af1f6.JPG

 

 

 

 


NISHIJIMA  KAZUHIRO

Kazuhiro Nishijima

TAIGEN: TON TON TO GYO

Embodiment /

Away away moth-eaten older

documentary books

Thursday, November 14, 1996

AM9:20〜AM10:40

Nagoya forming art junior college/C-305 classroom

It makes it about 150 rice balls the Meshita coming ..coming still in the morning...

Exposing cotton 1000m and Tetstama, futon, mirror, drawing paper of one mat, and charcoal, clothes, and tub

Three sound cassette tape and tape reproduction machines

Water, the broom, and the dustpan in three Poritanc.

The AM 9:20 rice ball is distributed.

Clothes are taken off while talking.

Washing is started.

The washing one is dried.

It speaks.

It spreads bedding on the tatami (The sound enters).

It sleeps.

The getting up self-portrait is drawn slowly.

The mirror is divided.

AM10:20

It cleans it.

 

- Chance *

There was a modern art art gallery "The eighth room" in which the art people managed independent to one room of an old building in the north of the honor town in Nagoya and the wholesale district named Chojamachi in the first half of the 1970's I in one's twenties. I of ignorant no learning was not exclusive, and it was glad not to have shut it though the free discussion of each exhibition was opened, and a difficult language had flitted. A difficult concept "Self-denial" was pointed from "The eighth room". Afterwards, it has been continued to me to chew though it will arrive soon and the concept of was not digested. And, the act was conceived as "Happy self-denial" this time.

- Mechanism *

The boundary in daily life and non-daily life is wandering because it escapes from the choking sensation of the fantasy of expression. Cakera in daily life and Kiritori in daily life, etc. are presented this time, and it thinks about some acts in daily life. Therefore, if it enters the state of the white paper ,in a word, nature of the mystery ……

Photograph/sound collection act (The sound is recorded in rolled letter paper on the road in five points etc. while moving from the sunrise to the sunset by bicycle) and taking a picture/woods Hiromi.

 

Nishijima Kazuhiro

1988 A name impossible act of adjacent to the performance and the happening

"Embodiment" and the naming activity are started.

1988-96 It has the opportunity of act "Embodiment" of about 60 times.

1997 Development is scheduled ..the project of

 [ act ∞ thought: on the site of the act ]

(Gareria Finalte and gallery but light and another)

 

Lecture of art department

special opening to the public

Nagoya forming art junior college

C-305 classroom

Thursday, November 14, 1996

AM 9:20-10:40

Project/ Professor
Mizutani Takashi

 

 

Reference
- Deny oneself self-denial/Denial of denial.
- A meaning any more might be given to the denial on the philosophy history though the denial and the affirmative are the one absolutely conflicting in denial/formal logic study. In the dialectic of Hegel and the Marxism, the denial has a positive meaning as an opportunity of development.
- One of fundamental laws of denial/Hegelian dialectic of denial. This is called though walking of the idea progresses in shape of being solved by contradict of both a certain regulations' denying the self, moving to the opposite regulations, and being denied again negative of the denial (Or, it is absolute negative). The result of obtaining because of the denial of the denial has a content that is richer than the first regulations. This has been succeeded to to materialistic dialectics as an important law of nature, the history, and the idea.

 

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December 31, 2006

[MEMO]

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[MEMO]
いずれ、HPを作るつもりはしているが、2007年5月現在未定。
2006年11月ごろより、パソコンを少し触り始める。
同時に、無料のブログ(blog web)を開設できるということを知り、実験的に一部の文章や写真等を、これら上記のブログに少しずつ掲載し始めることにする。
「This blog/孑孑彷徨変異」には、主に文章を掲載。
「Link1/原記憶交感儀」には、主に写真を掲載。
「Link2/行為∞思考」には、これらのブログのキーワードとなる単語の資料を掲載。(art-word

したがって、上記の3つのwebは、すべて過去の記録としての文献や図版類の掲載が中心となるが、同時に、現在の情報としての記事を掲載することもある。
(記:2007年5月3日:西島一洋:Kazuhiro Nishijima)

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Link1/原記憶交感儀 Think about "proto-memory" 写真
Link2/行為∞思考 Act∞Thought キーワードの説明(art-word)
[mixi] 

 

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[memo]

とりあえず、ここを仮のホームページとしよう。

いろいろと、ホームページの作り方を見てみたが、パソコン初心者の僕にとっては分からないことが多すぎる。いつか、あらためて正式のホームページを作ることとして、まずは、その練習も兼ねて、このブログを仮のホームページとする。2007年5月13日(西島:記)

 

[memo]

   実は、

ここに掲載を始めた元原稿の文章は、昔のワープロで保存した原稿であり、テキストデータとしては一応開けるのだが、文字組みがぐちゃぐちゃになってしか開けない。その文字組みから、一行ずつコピーするという作業をしている。とてもしんどい作業だ、しかし、昔に書いた文章をゆっくりと読み返すことにもなる。文字組みの修正以外は、できるだけ原文のままにしているが、わずかではあるが、いくらか文章の校正や加筆も同時におこなっている。まだ全体のほんのわずかのカケラである。(西島:記:2007年5月16日午後3時45分)



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January 01, 1970

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※投稿書式:註 


「投稿書式:タイトル」

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孑孑彷徨変異 Wriggler wandering mutation 主に文章
原記憶交感儀 Think about "proto-memory" 主に写真
行為∞思考 Act∞Thought キーワードの説明(art-word

過去記録としての文献や図版類の掲載が中心となるが、
同時に現在の情報としての記事を掲載することもある。

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[memo]

 



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