April 28, 2007

「現在まで通底するアングラ、マイナー精神の源流/名称不能行為」 西島一洋

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「現在まで通底するアングラ、マイナー精神の源流/名称不能行為」

西島一洋 Kazuhiro Nishijima  

 僕は、1952年の12月20日生まれだから、1970年代は、17歳から27歳ということになる。 僕は、今も晒し木綿でよくふんどし姿になるが、1970年最初の「行為」もやはり、ふんどしだった。水着姿の16〜17歳の女子高生数人と、くんずほぐれつのボディペインティング。今51歳の僕がこう書くと、へんな画を読者は想像してしまいがちだが、当時は、僕も17歳、自分で言うのもなんだが、女性とは面と向かって話もできないほどの硬派で、柔道で鍛えた美しい肢体の坊主頭の純朴を絵に描いたような紅顔の美少年であった。

 16歳で絵に志し、棟方志功の「わだばゴッホになる」じゃあないけれど、当時ロートレックや村山槐多に心酔しており、絵は命がけでかくものだという強固な幻想をいだき、描画の線のふるえとか、線のリアリティのありかとか探求し、実践していた。

 ボディペインティングは、他者からみれば唐突のように見えるかもしれないが、行為とそれによって生じる線ということを、思考する純粋な実験装置でもあった。僕以外が女子だったのは、単に同意してくれたのが、女子のみであり、男子は恥ずかしがって参加の躊躇があったというだけの事情に他ならないので、あくまで勘違いなさらないように。

 他に、名古屋の栄町の道路の中央分離帯で寝転び、ヘリウムガス入りの風船を、100個ほど、ひとつずつゆっくりと、順に宙空に離し、天空に消えていく軌跡を追うという行為、また深夜名城公園で、長時間金属の手摺を数人でたたき続けるという行為、同じく深夜鶴舞公園の音楽堂で、数人で言語を使わずに笛(小学校のときに使っていた縦笛)で会話する行為(これが結構面白い。長時間行っていると、具体的に言語で会話しているようになる。本当にそうだったのか途中で確認を入れると、瑣末なことまでまるでテレパシーのように交信できているので、やっている本人たちもびっくり)、などなど。

 僕の個人史の文脈ではこれらの70年代の「名称不能行為」があり、これが、80年代からの「体現集団φAETTA」や、そして現在につながる「絵幻想解体作業」、また90年代後半からの「NIPAF(日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバルの略)」での、行為や活動に繋がっていくのだが、この記述や分析は膨大になり、書くことはできるけれど、これについては限られた紙面なのではしょる。端的に言えば、僕の中で「絵」と「行為」は混交し、同体化している。

 さて、前記の「名称不能行為」だが、名古屋の生粋のパフォーマンス・アーティストの浜島嘉幸が編纂した、「七ツ寺共同スタジオ30年史」の「名古屋のパフォーマンス・アート史」によると、「名称不能行為」という呼称は、つまり言い方は「体現集団φAETTA」が言い出したことのように筆記されているが、確かにそれを前面に押し出し80年代以降活動を続けているのは「体現集団φAETTA」にほかならないが、実は「名称不能行為」という言い方は、60年代「ゼロ次元」が愛知県美術館で行った「狂気見本市」のパンフレットの一部からの引用である。

 僕は、70年代に入ってから、今となっては60年代の象徴「ゼロ次元」の岩田信市や、「PLAY」の水上旬のところに頻繁に出入りしていた。ともに、激しい凄いエネルギーの持ち主で、僕ら若い連中(12歳〜13歳の年下)が深夜に訪れてもが、朝まで延々と付き合ってくれる。というよりもかれらの独演に近い。しかし、すでにその60年代の活動は、実質的には終息しており、彼らからの言葉の端々から、多少のかけらはあるものの、彼らにとっては、当時は、現在形なので、今何かをやるかが中心。僕らは、「ゼロ次元」の回顧や、「PLAY」の回顧を聞いたことがほとんど無かった。

  ここからが、ちょっと複雑になる。どうでもいいことかもしれないけれど、少しははっきりしておきたい。 個人的に岩田信市や水上旬に薫陶を受けたのは確かだけれど、僕らの行為は、それがきっかけではなかったし、すでに彼らと出会う前より、行っており、また、なんとなく、彼らの行為との齟齬も感じ取っていた。 しかし、80年代に入って、僕にとって「行為」の活動が本格化し、88年「体現集団φAETTA」を創始。「体現集団φAETTA」は、僕の13歳年下の、林裕己や関智生と結成した。彼らは「ゼロ次元」とは、明らかに世代が2つも違うのだ。

 しかし、というかそれゆえにか、彼らは、「ゼロ次元」や「PLAY」などの60年代の活動を、神格化し、それに突き動かされるように、行為に走ったといっても過言ではない。

 「体現集団φAETTA」は、時代錯誤だったのか?行為の中で事故ではあるが、動脈を切って血の吹き出たこと、ちんちんがでて警察に即逮捕されたこと、さまざまな、究極な場面に遭遇の行為もあった。

 アングラ、マイナーが、反体制の行為と、短絡的につなげるつもりはないし、もっとスマートに、かいくぐっていく方法も、きっとあるとは思う。しかし、僕たちは、不器用を選んだ。 もとより、僕たちは、過激を望んでいない。もとから反社会的ではなかったが、誤解されそのように評されたこともある。しかし、70年の「反万博闘争」を、ひきずっていることはたしかで、僕たちのやり方で、このことについては、つまり非暴力で行為は続ける。

 

西島一洋 Kazuhiro Nishijima

 平面作家であると同時に自らの身体を駆使した「体現」行為を継続的に発表。そこでは自身の無意識がもつ原記憶との対話が常に行われ、やがて描かれるべき新たな「世界」が模索されてゆく。自らの無意識を顕在化するために、自らを含んだ「場」を常に意識している。

  ポツダム宣言から7年後、生まれる。その時の家業は録音業、レコード盤を作る器械があった。家業はかんばしくなく、5歳の頃から祖母が細々と営んでいたうどん屋の2階の四畳半に親子5人。父は、色々事業を起こすがことごとく失敗で借金の山。うどん屋も手伝ったが、家計の足しにはならぬ、12歳より、酒屋、プレス工、木工、染色工、牛乳配達。16歳の時から絵かきとなるが、収入は無い。その後、掃除夫、ちり紙交換、キャバレーボーイ、劇場大道具、デパート店員、印刷ブローカー、版下デザイン、看板制作、洗濯夫、モデル、似顔絵、喫茶店、生花市場、などをてんてんとしながら、29歳専業絵かきとなり51歳の現在に至る。

 1970年代よりハプニングやパフォーマンスに隣接する名称不能行為を断続的におこなう。1988年には「体現」と名付け体現集団φアエッタを創始、個人または集団で活動を続けている。「体現」は開かれた表現の領域としてのパフォーマンスアートとは一線を画しており、むしろ表現という幻想の抑圧から逃れる旅を続けているといった方が適切かもしれない。

 行為地:日本、フランス、香港、マカオ、アメリカ、台湾、韓国、インドネシア、タイ、セルビア・モンテネグロ、ハンガリー、スロバキア、ポーランド、カナダ、メキシコ、ミャンマー、フィリピン。

 

初出:美術批評誌『REAR』no.6(2004年5月1日刊)
特集「名古屋のコンセプチュアリズム」
執筆:中村英樹、三頭谷鷹史、久野利博、井上昇治、高橋綾子、鈴木敏春、黒ダライ児、岩田信市、西島一洋、山田諭、林卓行、長船恒利、西澤美子、海上宏美、浜島嘉幸、安住恭子、加藤瑞穂、原田真千子、馬場駿吉、都筑正敏、ほか。
編集発行:リア制作室/季刊/A5判/並製本/
「芸術、批評、ドキュメント」を掲げ、現在の表現をめぐる諸問題を様々な視点から捉える特集と、中部/東海地区のアート・シーンの記録を充実させた名古屋発の季刊美術批評誌。

 

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※文中固有名詞
ロートレック
村山槐多
ゴッホ
棟方志功
体現集団φAETTA
NIPAF
名城公園
鶴舞公園
浜島嘉幸
七ツ寺共同スタジオ
愛知県美術館
岩田信市
PLAY
ゼロ次元
水上旬
林裕己
関智生
反万博闘争
西島一洋
ポツダム宣言
狂気見本市

 

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