May 16, 2007

「椅子に座ってくれた人へ」 西島一洋

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時空を超えて(過去への案内状シリーズ)


「椅子に座ってくれた人へ」

※以下の文章は、1996年に名古屋の中区のウエストベスギャラリーで有馬かおる氏が企画した「うさぎ小屋研究所」の会場において、西島が「ぴしっぷる」という70年代のころ編集発行していた雑誌の編集机を再現し、その編集机の上に置いたプリントの内容文です。
 
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「椅子に座ってくれた人へ」

 「ぴしっぷる4号」はどうぞ「無料」でお持ち帰り下さい。ほかの資料はダンボール箱や封筒から出してすべて御自由にご覧下さい。ただし大体でかまいませんが元の状態に戻しておいて下さい。

 この「ぴしっぷる」というのは、僕にとっては、僕が関わって編集発行した「美術雑誌/裸眼」の前身の「美術批評誌/ON THE BEACH」のそのまた前身で、「ぴしっぷる」は4号で廃刊、ここにあるのが廃刊号でもある。

 また、この「ぴしっぷる4号」は、喫茶店、ライブハウス、うどん屋などで、1500部ほど実買した。今から20数年前のことである。僕の歳は20才を少し越した頃だったと思う。

 今回の展覧会を企画した有馬かおる氏は、一昨年の1995年8月、僕が「体現集団φアエッタ/記憶ノカケラ展」というのを名古屋市中区にあるガレリアフィナルテという場所でおこなっている時に来てくれた。

 僕は1970年代より断続的におこなってきた名称不能行為を、林裕己や関智生と交わることにより1988年には「体現」と名付け「体現集団φアエッタ」を創始、以来、より頻繁に行為の現場を持つことになった。

 「体現集団φアエッタ/記憶ノカケラ展」では、アエッタの7年間におよぶ膨大な資料を未整理のまま開陳した。と同時に、会期中にそれらを整理しようと目論み、約1週間、画廊に泊まり込んでの作業も展と平行しておこなった。しかし、24時間終日連続開廊していたこともあり、訪れた人たちは、そのまま泊り込んで朝までという人も多く、整理の作業どころではなかった。また、たとえそうでなかったとしても、膨大な資料の山の整理は1週間くらいでは、専念したとしても圧倒的に時間不足。展を終えて再び整理にとりかかったものの、あれから2年。アエッタは同時継続中で、行為の現場も同時進行だ。整理がどうにも追いつかない。未整理の資料ばかりが増えていく。

 そんな折り、有馬かおる氏から今回の企画「うさぎ小屋研究所」への出品依頼が僕にあった。「今回の 企画は資料展示です。アーティストは作品ではなくコンセプトやプロセスを提示して欲しい」とのこと、また有馬かおる氏はガレリアフィナルテでおこなった「記憶ノカケラ展」の凝縮版をイメージしての出品依頼でもあった。依頼のあったちょうどその時には、それでも何とか「体現集団φアエッタ」の行為の記録の文章化の作業は半分以上は終えていた。「うさぎ小屋研究所」展の開催までには、これをきっかけに何とか頑張って全行為の文章化を達成しよう。ということで快諾した。

 結果からいうと、文章化作業はすすんではいるが、まだ終えてない。整理の途中であっても、「うさぎ小屋研究所」展に持っていった方がよいのかどうか、迷いながら行為の痕跡の整理と文章化の作業を続けていた。と同時に、当然、アエッタは行為の現場も進行形だ。新しい資料ばかりが増え、文章化が追いつかないという現状は相変わらずだ。ふと、ダンボール箱の山に目をやる。いくつかの手付かずの未整理の資料箱のさらに下の方に、「ぴしっぷる残」「ぴしっぷる考房資料」とマジックで書いた箱が5ツある。「よし、こいつでいこう」。机の向こうに沈んでいてちょっと出しにくかったが、なんとかぎっくり腰にもならず引きずり出した。

 この5ツのダンボール箱に手をふれるのは、いま住んでいるところに引っ越してきたとき以来だからずいぶんになる。箱をあけて中身を見るのは20数年ぶりだ。

 「よし、こいつでいこう」と思ったのは、有馬かおる氏の今回の呼びかけのコンセプトにも合致しているのではないかと、勝手にふと思ったからである。

 もとより、この「ぴしっぷる残」は何とかしようと思っていた。路上で販売したり、古本屋にもちこんだり、何かの展のときに積んで配ったり、可能か不可能かはともかく、ときおりそう考えてはいた。

 懐古趣味で「ぴしっぷる」を引きずり出したのではないが、1970年代前半当時の名古屋の状況を少し述べたい。記憶は曖昧だが、20代前半の美術家達が自主運営する現代美術スペース「8号室」の誕生、「ウエストベス」もこの直後に、西区押切で現代美術画廊を始めたと思う。今は無いが「ギャラリーU」も同時期だったかもしれない。それまで名古屋で現代美術というと「桜画廊」ひとつだったと思う。公立の美術館としては愛知県美術館のみで、岐阜美術館も三重美術館も名古屋市美術館も市民ギャラリーも市博物館も市政資料館もまだ無かった。

 「ぴしっぷる考房」は実は僕の中では「体現集団φアエッタ」に通底するものがある。共同体(社会)はその在り方の形態として、二つの型に分類されるとの考え方がある。利害関係をもとに形成されるゲゼルシャフト、一方利害関係を全くもととしないゲマインシャフト。僕は17才の頃から、この後者のゲマインシャフトの理想を求めてきたように思う。 

 今は行方知れずとなった日置真紗人、現在欝病と闘う平松明、そして僕との3人で「ぴしっぷる考房」という生活共同体を1970年代の前半につくった。ここでの共同体理念の実現のための模索行為は数年で崩壊となった。いくらかタンコブ(幻想)があったのだろう。何もなくて成立する「場」、空虚な「場」、タンコブ(幻想)もなく…、そういう「場」を、今僕は「体現集団φアエッタ」に求めている。

 なお、「体現集団φアエッタ」記録集は、現在編纂中です。御希望の方は後日御案内を差し上げますので住所、名前を御記帳下さい。

西島一洋

 

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