北見 三浦綾子読書会

「北見 三浦綾子読書会」の案内や様子をレポートします。

読書会の案内

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「北見 三浦綾子読書会」へようこそ♪
2014年12月から始まった読書会です。
月に1度、集まった皆さんと「ゆっくり」と三浦綾子さんの本を読み、
コーヒーや紅茶を飲みながら、楽しく語り合います。

読書会 スゴロク」(みなみななみ さん作)を読まれると、
読書会の流れ、様子がよく分かります。

2016年5月から、北見市内の2箇所で開かれます。
どちらの会にも参加することができます。

     「虹の会」   会場:北見神愛キリスト教会
     「オリーブ会」 会場:北見市立中央図書館(1階 多目的視聴覚室)
 

「虹の会」
2時から始まる虹の会です♫
『道ありき』を読み終え、現在は『銃口』を読み続けています。
当日、本をお貸しすることも出来ます。
初回からではなくても、途中からの参加も歓迎します。

基本的には、毎月第2日曜日の午後2時から4時まで。
その月によって日程が変更することもあります。
会場は、北見神愛キリスト教会です。(下記参照)




「オリーブ会」
2016年5月から始まりました。
「オリーブ会」では、『塩狩峠』執筆50年を記念して、
1年かけて『塩狩峠』を共に読み続けて味わいました。

2017年5月からは『母』を読み続け、
2018年9月から『泥流地帯』を読み始めます。

北見市立中央図書館の1階、多目的視聴室で、
基本的に毎月第1金曜日(夜6時半〜8時)に開く予定です。
(2018年は、9月7日、10月5日、11月2日、12月7日)
初回からではなくても、途中からの参加も歓迎します。

図書館の利用・予約状況などで変更する可能性もありますが、
3ヶ月前には下記にて予約を確認することができます。




〈参加費〉
「オリーブ会」(図書館を会場)は、無料です。

「虹の会」(教会を会場)は、袋を回しての自由献金としています。
会の運営や森下辰衛先生(三浦綾子記念文学館特別研究員)が
来会される時の費用(交通費、謝礼、広告費)に用いられます。

〈会場〉
北見神愛キリスト教会
〒090-0834 北見市とん田西町297-2
電話 0157-26-0101
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アクセス(地図)

 北見市立中央図書館
 1階 多目的視聴覚室
〒090-0811 北見市泉町1丁目2番21号

〈主催〉
北見 三浦綾子読書会
問い合わせ:北見神愛キリスト教会
電話 0157-26-0101

最新記事は、1つ下になります。
(広告の下です)
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2018年11月18日「塩狩峠」映画上映会(紋別市民会館)

 
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「塩狩峠」映画上映会の案内
 発刊50年を記念しての上映会です。
 「半世紀を経ても色褪せない
  一人の男性の真実に歩んだ一生」 

 「愛とは、自分のもっとも大事なものを
  人にやってしまうこと」 

1909(明治42)年2月28日、北海道で起こった実話をもとにして、
三浦綾子が小説を書き、それを映画化したもの。

日時:2018年11月18日(日)
   午後1時30分開場、2時開演
会場:紋別市民会館 小ホール

入場は無料です。事前の申し込みも必要ありません。
2年前に北見の図書館で上映した時も、多くの方々が観に来られました。
お気軽にお越しください。

主催: 北見 三浦綾子読書会
 

2018年11月11日 オホーツク地域交流会

オホーツク地域の三浦綾子ファンは集まれ~~~♬
三浦綾子読書会オホーツク地域交流会が開催されます。
  日 時:2018年11月11日(日) 午後3時~5時
  内 容:長谷川与志充先生のお話
      各読書会の活動紹介
      三浦綾子クイズ
      情報交換 など
  会 場:網走・エコーセンター2000
      オホーツク・文化交流施設 3階研修室
      〒093-0072 網走市北2条西3丁目3番地
​      電話:0152-43-3704
      ​施設ホームページ​ 
      http://www.city.abashiri.hokkaido.jp/…/040bu…/180echocenter/
  参加費:無料(自由献金)
  三浦綾子ファンの交流を目的とした会です。
  綾子ファンならどなたでも大歓迎です。
  読書会に参加なさっておられない方も是非是非お出かけください!
  お待ちしております。  

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泥まみれの命を背負う時〜『泥流地帯』講演会のレポート

8月19日に開かれた『泥流地帯』の講演会は、
多くの方々が集われ感動的なひと時となりました。

20180819「泥流地帯」講演会 





























森下辰衛先生が語られた内容の最初と最後の部分の抜粋を以下に紹介します。

 人を幸せにさせないものが2つあります。1つは罪の問題で、まさに「氷点」は罪、原罪を扱っています。そしてもう1つは、外からくるもの、苦難の問題です。その罪の問題と苦難の問題。「こんなことになるなら、私なんか生きていても仕方がないは、申し訳ないは、だから死のうか」と真面目な人は罪を犯すとそう思います。また苦難が来ると「こんなことになるなら、私の人生、望みなんかない。もう生きていても仕方がない。こんな病気になってこんな障害をもって、人に迷惑をかけるばっかり、生きていてもしょうがないは」と思うんです。そうやって、人間らしく、幸せに生きられたはずの人生が、壊れていく。
 でも、綾子さん自身がその罪の問題も自分自身の内にあることを分かった。そして綾子さん自身が、病気、絶望、経済的な困難も、愛する人を失ったこともいっぱい通りました。それを通して苦難ということも知っていたのです。だから三浦綾子は「罪を犯したからと言って、死ななくてもいいんだよ」、「ひどい苦難でぺしゃんこにさせられたからと言って、死ななくてもいいんだよ」、「それを越えていく道が、解決していく道がある」、いやそれだけではない、むしろ「苦難の中でこそ人生が豊かになるという道が実はあるんだよ」ということを書きたかった、教えたかった、伝えたかった、そんな作家だったんじゃないかなと思うのです。

 その三浦綾子さんが、「私はこの作品は、苦難ということの意味について書きました」とはっきり言っている作品が、この『泥流地帯』と『続泥流地帯』なのです。他の作品にも苦難はたくさん出てくるのですが、一番そういうことをテーマにして、書いた作品がこれなんです。

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 私もこの『泥流地帯』の研究を始めた時に、生で語れる人が何人もおられました。やっぱりそれは凄まじい体験でした。涙ながらに生で語り、生で泣きながら聞くのです。それだけではなく、泥流が流れた谷川みたいなところに綾子さんは行き、そこに降りて行って、その場所にしゃがんでその川の水の中に手を浸して、「しゃがんだまま、じーっと手を浸して動かずにおられました」と、上富良野教育委員会の語ってくださったことが印象的でした。

 じーっと手を浸し、50年ほど前にそこを流れていった人がいる、流れていった人の人生があったんです、埋められていった人間の生活があったのです、それに思いを浸していくのです。そして綿密に調べるのです。大正末年、上富良野のどこに誰さんが住んでいるということも全部、頭の中に入っているのです。豆腐屋さんの横は花屋さん、花屋さんの横は郵便屋さん、郵便屋さんの横は何とか屋さん、全部、頭に入っている状態です。そういうふうに頭のなかに映画のセットを作っていく、そういう作家だったのです。でも最後はそうやって手をつけて、自分の中に上富良野の歴史、上富良野の苦難の歴史の物語が心の中にいっぱいになるまで待って、それが表面張力のようにいっぱいになって、溢れ始めて、そうやって物語が始まるのです。三浦綾子ってそういうタイプの作家だったと思います。


  この物語の、まだ泥流が来ない真ん中へんに、のんきな場面があるんです。この一家がですね、じっちゃん、ばっちゃんも耕作も、みんな一家総出で畑に豆を撒く場面です。山の畑に豆をまくんです。広い畑。耕して、ならして、畝を作って、そこに次の人が豆を撒く。そして豆を撒いた後、次の人が泥をかぶせていくのです。それをしながら耕作は、「不思議だな、豆を撒けば豆が出る。麦を撒けば麦が出る。不思議だなあ」。何も不思議じゃないんです。豆を撒いてスイカが出てきたら不思議ですが。その後、「冬の後には春が来る。枯れた草からまた芽が出る。不思議だなあ」と言っている。それを思い巡らしている耕作がいるという場面。この場面はなんであるのでしょうか。私は全然気づかない。でも私はある時、三浦綾子読書会をしていて、ある一人の参加者が、こんな意見を言ったのです。それはね、「ここで、泥をかぶせてますねぇ。この泥って、『泥流地帯』の『泥』と同じですね。何か意味が在るのでしょうか」。

 まとめて補足しますと、豆が撒かれて、その一つ一つそれが人なんです。耕作であり、拓一であり、お父さんであり、説子さんというもうひとりのヒロイン、いろんな苦難があるんです。ひとりひとりが命なんです。豆は撒かれた後、撒かれたままじゃ駄目なんです。それに泥をかぶせないと駄目なんです。泥をぶせて、水をかぶせなきゃいけない。でも、豆は、なんでこんなところに落とすんだよ、土をかぶせるんだよ、暗いよ、恐いよ、水までかけられて、どうしてこんなことされるんだよ、もうやめてくれぇ、と思ったりするんです。でもね、農夫は分かっているんです。泥をかぶせて水を被せないと、芽が出たり、根が出たりしない。知ってるんです。だから容赦なく泥をかぶせるのです。容赦なく泥を被せて豆がじたばた文句を言おうが、関係なく泥を被せて、笑ってみているのです。そしてね、言うんです。待ってるよ、信じてるよ、出ておいで、出ておいで、芽を出して、根を出して、君らしく成長して、花を咲かせて実を実らせるんだよ。農夫は知ってるんです。

 もうこれ以上、言う必要はありません。泥というのが苦難です。人を成長させていくために、人に本当に大事なことを教えるために、泥を被せなければならない。なぜ泥があるのでしょうか。豊かにされるためです。だから、苦難の中でこそ、人生は豊かなのです。と三浦綾子は言ったのです。でも、この物語はここで終わってはいません。『泥流地帯』はここで終わるんですが、書いている途中で『続泥流地帯』を書くつもりになったと思います。そこから復興の物語があります。目の前に泥流がいっぱい積もっていて、この畑どうするの、このたんぼどうするの。そういう状況、じっちゃん、ばっちゃん、みな死んでいる。どうするの。そういう状況。でもそれに取り組んでいく人たちが、それらを通してどう成長していくのか、それはまた上富良野という街が、どうむしろそこから成長していったか、という物語でもあります。だから上富良野が今度それを映画にしたい、それは上富良野の街のアイデンティティなのです。それはまさにじっちゃん、ばっちゃんが上富良野人で、それをまさにしたのです。そしてそれは上富良野の街の誇りなのです。そして上富良野の街はそれを通して街として成長していったのです。北見には北見の物語があるでしょう。それをもう一度掘り起こしていくという、そういう作業でもあると思います。それぞれの町に苦難があり、物語があるでしょう。それの意味を、分かっていくということもとても大事なことであると思います。

 私たちは苦難に遭う時に「なんで、こんなことが起こるの」「なんで」。なんでかを知りたいわけではない。止めて欲しいのです。その苦難を。でもなんでと問うのです。理由を人は知りたいのです。その理由が本当に納得できるものであれば、教えてくれよと思うのです。人間てそういうものなのです。人はその苦難の理由は、簡単にはわからないでしょう。でもそれと向き合う時に、その泥まみれの命を背負う時に、死にたくなった私が、その死にたくなった私がもう一度その命を背負うのです。その意味がその背中を通して、その重みを通して、その戦いを通して、見えてくるのではないだろうか、と書かれているのではないでしょうか。

 辛いことが書いてあるようですが、名言があって、分かりやすく書かれています。子どもが読んでも分かるように、なぜなら子どもも苦難に遭うから。三浦綾子が書いた本の中で、一番簡単な文体で書かれています。分厚いようですが、どんどん読めます。ぜひ読んでいただきたいと思います。

9月7日のオリーブ会

本日から『泥流地帯』を読み始める予定だったオリーブ会は、
地震のために図書館が臨時休館となりましたので、
来月の10月5日(金)18時からが初回となりました。

停電中のため、コンビニのwifiを使ってのお知らせとなりました。