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「地域調査研究」フィールドワークの3日目です。1日目2日目はこちら。

今日は電車や路線バスを使っての訪問です。
南海電鉄吉見ノ里に集合し、最初に田尻町の田尻歴史館を訪れました。

紡績業で成功した谷口房蔵氏が別邸として大正11年に建築した迎賓館。
草花をモチーフとしたステンドグラスがおしゃれな館。
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窓全面にはめ込まれていない小さ目のステンドグラスは、窓から庭も見えるようにしたのではないかと言われています。
全国から建築の専門家も訪れるようです。

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メインダイニングを貸し切って、館の赤井氏より谷口房蔵氏の業績から建築までの解説がありました。
「綿の王」の館〜田尻歴史館を訪ねて〜のブログ
はこちら。

上記ブログにはなかった女性目線からの写真。
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お客様を迎えるために作った洗面所と浴室。これが2階にあります。現在の家屋で、2階に水回りをつくることは一般的になっていますが、大正時代にもうすでにあったのですね。

茶室から庭を眺めます。
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広間の茶室に控えの間、鞘の間、水屋などを備えた本格的な構造です。

社会貢献することが大切との二宮尊徳の教えを守って紡績業と財団運営の両輪の事業を成し遂げた谷口氏の生き様も勉強になりました。


その後、建物内のカフェ・ベッラメンテでランチです。

本日の日替りランチ。
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私はこちらをチョイス。
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3日目にもなると学生たちも打ち解けてきて、みんな楽しそう。


続いて向かったのは熊取町にある熊取交流センター煉瓦館。

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ここは、昭和3年頃に建てられた煉瓦づくりの綿布工場を平成17年に保存活用した町民のための生涯学習施設です。経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。

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自働織機を500台以上有するなど泉州の機業界をリードした工場の片鱗をうかがわせる広い敷地。

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取り囲まれた高い赤レンガ壁の先には真夏の空しかなく、まるで北の果てに閉じ込められてしまったかのような錯覚も。

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ゆったりとした廊下はギャラリー。

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のこぎり屋根があった名残も壁や建物に取り入れられています。だんじりもある。

短いレンガと長いレンガを交互に段を違えて積み上げる手法はイギリス積み。
このレンガは岸和田にあった大阪窯業で作られたもの。
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所々に産業遺産を再活用したとても贅沢な設計。
かつてこの地域で暮らしてきた人たちの歴史をしっかりと未来に継承している。これらも是非味わってほしい。

施設見学とあわせて熊取町職員・学芸員の立石氏による泉州の木綿と煉瓦館についての話がありました。
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米を作るより綿を作る方が儲かった江戸時代。綿は米を作るより2倍の肥料が必要で、魚肥である干鰯(ほしか)を使っていました。

綿の需要が拡大していくなか、綿を育てる、種を採って油にする、綿打ちをする、繊維を整えて糸にする、染めるなどの職業が出来上がりました。
その分業化が経済を活性化し、日本人の暮らしに重要な役割を果たしたのですね。
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日本綿とアメリカ綿の違いや、オクラやハイビスカスも綿の仲間だと学びました。

その後、染工房で藍染体験です。
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はさんだり
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しぼったり もんだり
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出来上がりました!

染工房は、町民ボランティアによる運営で、今後「紺屋」という地名にちなんだブランド誕生が待たれています。

以上、一大隆盛を極めた綿産業を学習しました。

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学生に、分業化というのは、製品になった時に自分がどこに関わったか残らないではないか、自分がやったという達成感がないのではないか・・・と聞かれた時に、私は、それぞれの過程でそれぞれの達成感があるはずで、形として残っていなくとも満足していると思うとしか伝えられなかった。

もう一言付け加えるならば、どこかが欠けると成り立たない分業化は人と人とのつながりをさらに強め増やしていけるはず。

様々な価値観があり、答えを与えてあげられないけれど、3日間の体験が着実にあなたを成長させたと思う。

ちょっとくさいかな。最終日に続く。

松本コーディネーター締めをよろしくお願いします。(梅田)