(シリーズ最終回)
フィールドワーク4日目の午前、泉州繊維関連企業の締めくくりとして、岸和田市内にある辰巳織布株式会社を訪れました。
高密度織物を製造し、取引先は国内の商社から海外の有名アパレルブランドにまでおよぶ、岸和田を代表する世界的企業です。
外から見れば変哲もない箱型の工場。ですが、騒音防止のために壁は二重構造、エアジェット織機を設置するための基礎づくりもされています。いまや織布とは装置産業なのです。
経糸を織機にセットするためのマシン。
数千本の糸をセットする作業は、かつては女工さんが何日間もかけて行っていましたが、今では機械化が進み、もっぱら男性技術者の仕事になっているそうです。
サイジング(のりつけ)後の経糸が巻かれたビームが関連会社から搬入され、織機にセットされるのを待っています。
泉佐野にあったサイジング会社が閉鎖されかかったとき、辰巳織布さんが買い取り、さらに工場を新設したそうです。初日の特別講義のなかで松下氏はこの事例を取り上げ、「サイジング会社を存続させることは、辰巳織布さんによるサイジングの内製化であり、また産地における公共財化の意味ももつ」と紹介されていました。
工場の1階には、こうした織機数十台がずらりと並んで稼動しています。2日目に訪れた木下織物さんの織機は、小幅織物を織るシャトル(有杼)織機でしたが、こちらは広幅織物を織るエアジェット(圧縮空気の噴射力を利用して緯糸を入れる)織機。
辰巳会長に工場を案内していただく学生たち。後ろは、検品作業の様子。検品は日中勤務ですが、製織は三交代制の24時間操業とのこと。
工場見学の後、辰巳会長からご自身の経歴や会社設立までの経緯、そして“今、ここでしか聞けない泉州綿織物業界の裏話”もお話いただきました。
産地問屋から機屋になって半世紀、その間に繊維産業の盛衰を目の当りにしてきた会長のお話は、「日本経済論」や「戦後産業史」の貴重な教材そのもの。
帰りのバスのなかで藤田先生が学生に諭していました。「経済にかんする基本的な知識があると、辰巳会長の話されていた内容がもっとよくわかるようになる。今回のフィールドワークで見聞きしたことは、他の授業で勉強することともおおいにかかわりのあることばかり。だから、どの科目もしっかり勉強しなさいよ」。
絶えざる努力によって新製品開発を続けて来られた辰巳織布さん。しかし、織物には知的財産権というものがなく、しばらくすると新製品の技術は容易に模倣されてしまうのだそうです。それでもなお、その先に突き進んでいくために技術を磨き、経営戦略を練る。そうした姿を強く印象づけられました。
* * * * * *
泉州地域の繊維産業を対象とした「地域調査研究」はここまで。
お昼からは、JAいずみの「愛彩ランド」と井坂酒造場を訪れました。地域の「食」について体験学習する意図もありました。
「愛彩ランド」のビュッフェレストランでの昼食。
地元でとれた旬の食材を使ったメニューが食べ放題。でも、学生は若いのにあまり食べませんね。お代わりしたのかな。
* * * * * *
午後は、井坂酒造場を訪問。
昭和30年代まで、泉州地域に20社あった酒蔵は、現在では井坂酒造場を含めて3社にまで減ってしまったそうです。文政元年(1818年)の創業以来、190年余の歴史を歩んできた泉州を代表する酒蔵です。
蔵元の井坂氏から、日本酒・地酒の基本についてレクチャーを受けました。
日本酒に向いた山田錦と食べておいしいササニシキとの違い・・・大手日本酒メーカーと地酒の酒蔵との生産量や生産体制の違い、などなど。
酒造りの工程は以前と比べれば便利にはなったものの、それでもやはり、酒は「機械」ではなく「道具」で造るものというのが実感とのことです。
原料の山田錦は産地で精米されて酒蔵にやって来ます。その後、洗米し、蒸して、室(むろ)で麹づくりが行われます。
麹、蒸米、水、酵母でもって酒母を作り、これらを段階的に仕込んでもろみを発酵させ、適度なアルコール度になったら搾り、その後、火入れ(加熱殺菌)をして瓶詰めされます。
日本酒造りといえば、杜氏を思い浮かべます。蔵元が減っているように、杜氏も少なくなっているようです。高齢化や後継者不足でしょうか。
井坂酒造さんは以前は兵庫の但馬杜氏を迎えていましたが、現在は杜氏の下で修行した息子さんが蔵元杜氏をされていて、但馬へ手伝いにいくこともあるそうです。蔵元と杜氏の関係は時代とともに変化してきているようです。
蔵を見学した後、冷えたお酒を試飲させていただきました。
藤田先生からは、「未成年の学生には絶対に試飲を許しません」と厳しい指導が入っていました。
そもそも地酒とは氏神様に供える御神酒であり、地元で採れる米で作るものだったとのこと。今でこそ、地酒も輸送されて遠方まで届けられますが、かつてはそう広く出回るものではなかったそうです。
なるほど、地酒は「地産地消」を考えるうえで、シンボリックなアイテムになりますね。
数週間前、打合せにうかがったときも蔵を見せていただき、丁寧な説明をしていただきました。その際、「実は今回の授業のメインは泉州繊維産業なのです」と伝えると、ご主人が目を輝かせて綿織物についてそれは詳しくお話してくれました。
というのも、なんとご主人が若い頃、酒蔵だけでなく木綿織物もやっていたのだそうです。5代目として蔵を継がれた後、酒造に専念し、今があるのだとか。
泉州地域において、綿織物が、兼業や副業を含めて、いかに盛んに行われていたのかというエピソード。
* * * * * *
残暑厳しい折、各企業・各施設の皆様にはご協力を賜りまして誠にありがとうございました。
詳しい説明、親切な見学案内にお時間を割いていただき感謝いたします。質疑応答にも丁寧にお答えいただき、学生、社会人受講生ともども有意義な勉強をさせていただくことができました。
地域の産業を存続させていくためにますます重要になっている関連企業の間での協同。ものをつくるという仕事の現実を知ること。大量に流入する安価な輸入製品を前に、価値観の問い直しも含めて、消費者として冷静に思考してみることの大切さ、などなど、多くのことを学ばせていただきました。
* * * * * *
受講生の皆さんもお疲れさまでした。炎天下の4日間、工場の中の蒸し暑さはけっこう過酷でしたね。でも、大半のものづくりの現場とはこうしたものであり、そのようなものづくりが地域の産業や人々の暮らしを支えているということも何となく理解できたのではないでしょうか。
これから本格的に経済の勉強をしていく学生には、難しいこと、理解しきれなかったことも多かったかもしれません。とはいえ、経済学部生として、また近い将来に社会人となっていく皆さんにとって、学ぶべきエッセンスがぎっしりと詰まった4日間だったと思います。もしかすると、受講動機は単位を取るためだけだったという人もいたかもしれませんが、今回のフィールドワークの経験を今後の学習研究、ゼミ活動、卒業論文、進路選択などの機会に少しでも活かしてもらえたらうれしいです。
今年の「地域調査研究」のフィールドは泉南地域3市2町にまたがりました。基本はチャーターしたマイクロバスでの移動でしたが、日によっては電車や路線バス、そして徒歩での移動もありました。移動は直線距離で約50キロ、道のりで70〜80キロといったところでしょうか。学生の皆さんは、これに加えて和歌山市内からの往復があったわけですから、本当にお疲れさまでした。では、レポート作成がんばってください。
危うく書き忘れるところでした。
講師をしていただいた松下さん、訪問させていただいた大正紡績さんや木下織物さん、辰巳織布さんらは企業として、あるいは個人として、これまでに木綿産地の活性化や国内綿花栽培の応援を続けて来られました。こうした方々、そして関心を寄せる市民の思いが少しずつ、しかし確実に実を結びつつあります。
夢つむぎ会
全国コットンサミット
東北コットンプロジェクト
今年の「全国コットンサミット」は、10月26日(土)、奈良県広陵町で開催されます。
フィールドワークをともにした受講生の皆さん、今回は参加できなかったけれどブログを見ていたらちょっと興味がわいてきたという方、一緒にコットンサミットへ行きませんか?
2人でリレーしたブログ記事はずいぶんと長いものになってしまいましたが、これにて「泉州繊維産業の歴史と現在を学ぶ」シリーズはおしまい。(松本)
フィールドワーク4日目の午前、泉州繊維関連企業の締めくくりとして、岸和田市内にある辰巳織布株式会社を訪れました。
高密度織物を製造し、取引先は国内の商社から海外の有名アパレルブランドにまでおよぶ、岸和田を代表する世界的企業です。
外から見れば変哲もない箱型の工場。ですが、騒音防止のために壁は二重構造、エアジェット織機を設置するための基礎づくりもされています。いまや織布とは装置産業なのです。
経糸を織機にセットするためのマシン。
数千本の糸をセットする作業は、かつては女工さんが何日間もかけて行っていましたが、今では機械化が進み、もっぱら男性技術者の仕事になっているそうです。
サイジング(のりつけ)後の経糸が巻かれたビームが関連会社から搬入され、織機にセットされるのを待っています。
泉佐野にあったサイジング会社が閉鎖されかかったとき、辰巳織布さんが買い取り、さらに工場を新設したそうです。初日の特別講義のなかで松下氏はこの事例を取り上げ、「サイジング会社を存続させることは、辰巳織布さんによるサイジングの内製化であり、また産地における公共財化の意味ももつ」と紹介されていました。
工場の1階には、こうした織機数十台がずらりと並んで稼動しています。2日目に訪れた木下織物さんの織機は、小幅織物を織るシャトル(有杼)織機でしたが、こちらは広幅織物を織るエアジェット(圧縮空気の噴射力を利用して緯糸を入れる)織機。
辰巳会長に工場を案内していただく学生たち。後ろは、検品作業の様子。検品は日中勤務ですが、製織は三交代制の24時間操業とのこと。
工場見学の後、辰巳会長からご自身の経歴や会社設立までの経緯、そして“今、ここでしか聞けない泉州綿織物業界の裏話”もお話いただきました。
産地問屋から機屋になって半世紀、その間に繊維産業の盛衰を目の当りにしてきた会長のお話は、「日本経済論」や「戦後産業史」の貴重な教材そのもの。
帰りのバスのなかで藤田先生が学生に諭していました。「経済にかんする基本的な知識があると、辰巳会長の話されていた内容がもっとよくわかるようになる。今回のフィールドワークで見聞きしたことは、他の授業で勉強することともおおいにかかわりのあることばかり。だから、どの科目もしっかり勉強しなさいよ」。
絶えざる努力によって新製品開発を続けて来られた辰巳織布さん。しかし、織物には知的財産権というものがなく、しばらくすると新製品の技術は容易に模倣されてしまうのだそうです。それでもなお、その先に突き進んでいくために技術を磨き、経営戦略を練る。そうした姿を強く印象づけられました。
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泉州地域の繊維産業を対象とした「地域調査研究」はここまで。
お昼からは、JAいずみの「愛彩ランド」と井坂酒造場を訪れました。地域の「食」について体験学習する意図もありました。
「愛彩ランド」のビュッフェレストランでの昼食。
地元でとれた旬の食材を使ったメニューが食べ放題。でも、学生は若いのにあまり食べませんね。お代わりしたのかな。
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午後は、井坂酒造場を訪問。
昭和30年代まで、泉州地域に20社あった酒蔵は、現在では井坂酒造場を含めて3社にまで減ってしまったそうです。文政元年(1818年)の創業以来、190年余の歴史を歩んできた泉州を代表する酒蔵です。
蔵元の井坂氏から、日本酒・地酒の基本についてレクチャーを受けました。
日本酒に向いた山田錦と食べておいしいササニシキとの違い・・・大手日本酒メーカーと地酒の酒蔵との生産量や生産体制の違い、などなど。
酒造りの工程は以前と比べれば便利にはなったものの、それでもやはり、酒は「機械」ではなく「道具」で造るものというのが実感とのことです。
原料の山田錦は産地で精米されて酒蔵にやって来ます。その後、洗米し、蒸して、室(むろ)で麹づくりが行われます。
麹、蒸米、水、酵母でもって酒母を作り、これらを段階的に仕込んでもろみを発酵させ、適度なアルコール度になったら搾り、その後、火入れ(加熱殺菌)をして瓶詰めされます。
日本酒造りといえば、杜氏を思い浮かべます。蔵元が減っているように、杜氏も少なくなっているようです。高齢化や後継者不足でしょうか。
井坂酒造さんは以前は兵庫の但馬杜氏を迎えていましたが、現在は杜氏の下で修行した息子さんが蔵元杜氏をされていて、但馬へ手伝いにいくこともあるそうです。蔵元と杜氏の関係は時代とともに変化してきているようです。
蔵を見学した後、冷えたお酒を試飲させていただきました。
藤田先生からは、「未成年の学生には絶対に試飲を許しません」と厳しい指導が入っていました。
そもそも地酒とは氏神様に供える御神酒であり、地元で採れる米で作るものだったとのこと。今でこそ、地酒も輸送されて遠方まで届けられますが、かつてはそう広く出回るものではなかったそうです。
なるほど、地酒は「地産地消」を考えるうえで、シンボリックなアイテムになりますね。
数週間前、打合せにうかがったときも蔵を見せていただき、丁寧な説明をしていただきました。その際、「実は今回の授業のメインは泉州繊維産業なのです」と伝えると、ご主人が目を輝かせて綿織物についてそれは詳しくお話してくれました。
というのも、なんとご主人が若い頃、酒蔵だけでなく木綿織物もやっていたのだそうです。5代目として蔵を継がれた後、酒造に専念し、今があるのだとか。
泉州地域において、綿織物が、兼業や副業を含めて、いかに盛んに行われていたのかというエピソード。
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残暑厳しい折、各企業・各施設の皆様にはご協力を賜りまして誠にありがとうございました。
詳しい説明、親切な見学案内にお時間を割いていただき感謝いたします。質疑応答にも丁寧にお答えいただき、学生、社会人受講生ともども有意義な勉強をさせていただくことができました。
地域の産業を存続させていくためにますます重要になっている関連企業の間での協同。ものをつくるという仕事の現実を知ること。大量に流入する安価な輸入製品を前に、価値観の問い直しも含めて、消費者として冷静に思考してみることの大切さ、などなど、多くのことを学ばせていただきました。
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受講生の皆さんもお疲れさまでした。炎天下の4日間、工場の中の蒸し暑さはけっこう過酷でしたね。でも、大半のものづくりの現場とはこうしたものであり、そのようなものづくりが地域の産業や人々の暮らしを支えているということも何となく理解できたのではないでしょうか。
これから本格的に経済の勉強をしていく学生には、難しいこと、理解しきれなかったことも多かったかもしれません。とはいえ、経済学部生として、また近い将来に社会人となっていく皆さんにとって、学ぶべきエッセンスがぎっしりと詰まった4日間だったと思います。もしかすると、受講動機は単位を取るためだけだったという人もいたかもしれませんが、今回のフィールドワークの経験を今後の学習研究、ゼミ活動、卒業論文、進路選択などの機会に少しでも活かしてもらえたらうれしいです。
今年の「地域調査研究」のフィールドは泉南地域3市2町にまたがりました。基本はチャーターしたマイクロバスでの移動でしたが、日によっては電車や路線バス、そして徒歩での移動もありました。移動は直線距離で約50キロ、道のりで70〜80キロといったところでしょうか。学生の皆さんは、これに加えて和歌山市内からの往復があったわけですから、本当にお疲れさまでした。では、レポート作成がんばってください。
危うく書き忘れるところでした。
講師をしていただいた松下さん、訪問させていただいた大正紡績さんや木下織物さん、辰巳織布さんらは企業として、あるいは個人として、これまでに木綿産地の活性化や国内綿花栽培の応援を続けて来られました。こうした方々、そして関心を寄せる市民の思いが少しずつ、しかし確実に実を結びつつあります。
夢つむぎ会
全国コットンサミット
東北コットンプロジェクト
今年の「全国コットンサミット」は、10月26日(土)、奈良県広陵町で開催されます。
フィールドワークをともにした受講生の皆さん、今回は参加できなかったけれどブログを見ていたらちょっと興味がわいてきたという方、一緒にコットンサミットへ行きませんか?
2人でリレーしたブログ記事はずいぶんと長いものになってしまいましたが、これにて「泉州繊維産業の歴史と現在を学ぶ」シリーズはおしまい。(松本)