私が住すむマンションの真向かいにものすごく古いマンションがある。といってもそれをマンションといえるかと聞かれれば、アパ−ト何じゃないかと思う。なぜだかそこに暮らす人を見ると幸せの定義ってのは何なんだろうかって考えさせられる。そこに暮らす人は大半がフィリピン人でなぜだか女性が多い。学生もちらほら、それと60歳前後の夫婦でだんなさんは働き出ているみたいだ。いわゆるスラム街ような様相ではあるが、フィリピン人たちの仲間意識というのはすばらしい。昔の古きよき時代の日本のようだ。夕飯で何かを作れば、仲間に分けに回る。そのお返しに飲み物をもらったりとなんだかこんじまりとはしているけれど幸せそうだ。



幸せの定義は人それぞれそこに自分の居場所があれば、それは十分幸せなことのような気がする。今のお金ありきの社会は凄くぎすぎすしているし、何かを買ったり、所有したりすることに対して重要視している気がしてならない。



話は戻るが、フィリピン人家族がそのマンションの一階に住んでいる。20代前半らしき母親と子供が二人。男の子と女の子だ。

仮に名前を男の子を「ガボ」と女の子を「リカ」 としよう母親を「アニ−」とする。父親は仕事のせいか、はたまた、別の家族があるのかははっきりしないけれど、一週間に1回くらいしか、二週間に一回くらいしか顔を見ない。ただ、私が知る限りなのでのはっきりとしたことはわからない。



この母親のアニ−はすばらしくカリスマ性があるようでフィリピン人仲間が彼女の家を入れ替わり立ち代り、出入りしている。

どこかのフィリピンパブの寮でもあるのかもしれない。子供は平日は家から出してもらえないようで、土日祝日は大いに近所を遊んでいる。

そうそう、息子はたぶん3歳くらい、娘のリカはまだ一歳くらいで凄くかわいい。お兄ちゃんの後を付いて回っては泣いている。凄くほほえましい光景だと思う。たまに父親が帰って来て、大体日曜日だけど、夕方6時に「いただきます」なんて夕飯を食べる声が聞こえると、それはなんだか昭和の時代だよなぁ。でも自分の子供の頃もそうだった気がする。



どんなに貧乏でも子供に罪はない。親として精一杯愛情を注いでいるまだ若きアニ−をみると、胸が締め付けられる。

一生懸命に生きることの大切さを彼女を見て改めて感じずにはいられない。タガログ語を勉強して話ができたらもっと楽しいだろうとおもうし、

タガログ語を学ぶ目標も人生の手帳にメモしておこう。



友人からの寄稿 名前はkoji