2006年09月

2006年09月28日

授業計画

今週から授業を開始。計画表に前の週の休講分を1日加えさせてもらった。
 明日は「教師論」も1回目になる。これは方法を少し変えることにした。前期は、テキスト中心で、章ごとに各グループが担当し、内容から問題意識を持ったことを基にしてまとめ発表し協議するという方法をとった。
 学生の取り組みは意欲的でよかったのだが、どうしても書かれていることを調べて、それをまとめるというふうになりがちだった。私のねらいは問題意識を持つということと、それを追求するための手立てに慣れるということにあったのだが、なかなか意図するようにはいかなかった。
 そこで今回は、「教師」を視点に予めテーマを明らかにし、テキストや様々な資料を活用しながら、バラバラな情報をどのように構造化して発表するかということに重点を置こうと考えた。
 グループ学習の形態は、どちらかというと好まれない傾向にあるが、いざ始めると熱中して取り組んだのがこれまでの経験だ。通信教育部のスクーリングの場合は必ずグループで学ぶようにしている。たった一人で参加しても仲間ができることで学習意欲が高まるという声を耳にしているからだ。
 明日は、偶然の出会いの楽しさ、それを大切にしてともに学ぶ意義を、グループ編成で投げかけようと思う。

 予め設定したというテーマは次のようなものである。
1 教師の姿勢
(1)「子どもを大切にする」とはどういうことか
(2)教師をめぐる問題
2 教師の実践課題
(1)教師のあり方をめぐって
(2)戦後「民主教育」の取り組み
(3)教師の実践とは何か
(4)今日の教育改革と教師
3 教師の役割と責任
(1)教師のチームワーク
(2)教師の危機管理を考える
(3)家庭・地域とどう連携するか
(4)教師が責任を問われるとき
4 教師の使命
(1)子どもの個の確立を図る
(2)子どもの個性を生かす

 

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教育実践 | 教師

2006年09月25日

『こどもの園』

地域の健全育成の広報誌に400字のコラムを作ることになり、いくつか原稿を書いた。次は、掲載されなかった中の一文。
 毎日のように報道される陰惨な事件を見るにつけ、大人の子どもに向ける眼差しの問題について考えさせられることが多い。そこで、フレーベルの理想に学びたいと思って書いたものだ。

「19世紀初頭のドイツにフレーベルという教育家がいました。幼稚園の生みの親とも言われている人です。
 彼は、幼稚園を『こどもの園』として、そこは神の庭でなくてはならないと考えました。神の庭は聖母マリアのいるところ。マリアがたくさんいて、マリアによってたくさんの神の子が育てられれば幸福で平和な社会が築けるという理想が根底にあったのです。
 彼の思いは、幼稚園を設立することで、先生がマリアのように子どもを導き、そこに集う母親もまたマリアのように母性を高め、神の意思に近づくことにありました。子どものもつ本性・能力を豊かに開花させるために。
 フレーベルが『こどもの園』を神の庭に見立てたのは、丘の上から緑に囲まれた町の穏やかで美しい佇まいを眺めてのことだと言われています。
 子どもたちが豊かに育つためには、地域社会の中に『こどもの園』に相応しい環境を整え広げることが大切なのだと改めて思います。」

 今日の教育の問題の多くは大人の心の問題から生まれている。これは、そのまま戦後の教育につながることであるけれども、それ以上に、人々の内面を豊かにつくることから離れた、政治を始めとする社会の形成の仕方が大きな影響を与えてきたことを反省しなければならないと思う。
 だからといって、社会が悪い、政治が悪いで済ませるわけではない。大切なことは、子どもの教育はもちろんのこと、大人一人一人も個人としての自己をしっかり確立していく取り組みを進めるということだ。       



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教育問題 

2006年09月20日

2冊の本

今日の午後、自民党の総裁選が行われる。安部晋三氏が選ばれるであろうことは間違いなく、関心はポスト安部につながる問題として麻生氏や谷垣氏の得票数に向けられている。
 その阿部氏が、7月に「美しい国へ」という本を出した。つい先日、民主党の代表である小沢一郎氏も「日本改造計画」に次いで十数年ぶりに「小沢主義」という本を出した。
 二つの大きな政党のトップリーダーの本が同時期に書店に並べられるということはこれまでなかったことである。これからの日本をどうしていくかについての基本となる考え方が記されている点でなかなか興味深い。
 丁度「小沢主義」を読み終えたところなので、気になったところを比較してみる。
 二人に共通しているのは、今の日本の現状を深刻にとらえ、何とかこれを打開し、よりよいものに変革していきたいという熱意である。そして、それを実現するのは教育だとして共に最後の章を教育問題に充てている。

 安部氏は「教育の再生」とし、小沢氏は「日本復活は教育から」としている。このタイトルのつけ方に二人の立ち位置の違いが表れているようだ。
 安部氏は、喫緊の課題として学力の向上と、モラルの回復を挙げ、それに再チャレンジ可能な社会の仕組みづくりを掲げて、大胆な構造改革が必要だと述べている。  「ゆとり教育」の問題を克服するために「授業時間の増加」や「マンガのような教科書」をやめ、教員の資質を高める、ダメ教師には辞めてもらう。お金がすべてではないことや人と人との温かいつながりを大切にすること、「家族のモデル」を示していくことも大切と述べる。

 一方、小沢氏は、「政界や官界のみならず、実業界やマスコミ、ありとあらゆる分野で、かつては考えられなかった不祥事やスキャンダルが相次いでいる。また、少年犯罪も年々凶悪化・若年化していく一方だ。モラルの低下と犯罪の激増という傾向は、残念ながら今後とも続いていくに違いない」という現状認識を示し、「日本社会のモラルの喪失」と「教育の荒廃」からの復活には半世紀から1世紀はかかるとみる。
 そして、教育問題は、学校の見直しがさかんに言われるが、教育は学校だけで行われるわけではないし、「そもそも日本の大人たちがしっかり自立していないのに、子どもたちに自立を求めるのは筋違いというものである」と述べ、「日本の学校教育の本質的欠陥」を正すべきだとする。
 それは、義務教育の「最終責任者」を明確にすることだという。そのことによって、行政の無責任体制や教育現場にはびこる事なかれ主義をなくしていくという。

 安部氏の考えは、現在進められている教育改革の延長線上にあるもので、特に目新しいものではない。教育現場の視点から見たとき、生き生きとした魅力ある実践をする喜びが湧き上がるかどうか、考えさせられることは多い。
 小沢氏の考えは、本質を鋭く突いているように思われる。これまで様々な教育政策が具体化され、取り組まれてきたが、問題があったとしても誰かが責任を取ったというためしがない。逆に確かな責任の下に思い切った教育を推進するということもなかなかやりにくいという問題がある。
 いずれが日本の現状をよくしていくための力となるか。子どもを幸福にできるか。教育実践にかかわる教師を勇気づけるか。丁寧に見つめ、かかわっていきたいものである。

 



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教育問題 | 教育問題

2006年09月16日

暗記術

「東大生が教える! 超暗記術」を読む。

 中学生のとき、大学を卒業したばかりの担任の先生が、暗記することの大切さを話して紹介した中の一つに「ゴロ合わせ」の方法があった。そのとき覚えたことで今も鮮明なのは、世界史の中で果たした三つの重要な出来事についてであった。
1688年…名誉革命(16でパパとは名誉なことだ)
1776年…アメリカ独立宣言(一つの名になろう)
1789年…フランス革命(雛焼く年はフランス革命)
 その後、ゴロ合わせで覚えていったものは多くあるが、特に暗記術として先生に教えられたのはその時が初めてだった。今になって思うのは、それも含めてもっと多様な暗記術を編み出しながら学ぶことができていたら、学ぶことがどんなに楽しかったかと思うのである。

 「超暗記術」にはそのことが書かれていてなかなか面白い。ポイントは、「引っかかり」をつくることだという。つまり、「ゴロ合わせ」「ひとひねり」「ツールをつくる」「全身を使う」「周囲を巻き込む」「まとめる」「分ける」「関連つける」などを引っかかりとして利用するというわけだ。

 ということで、この本は、面白おかしく暗記するためのこつを紹介しているのだが、大切なのは次の点だ。筆者自身がそのことを次のように書いている。
 「暗記することが最終目標ではなく、重要なのは、暗記を使って実現する本質です。その過程としての暗記方法の習得に必要以上わずらわされるのは無意味なこと。方法を要領よく取り入れ、本質を追求していってほしい」
と。

 その通りだと思う。構造学習で言えば基礎学習に当たるが、その工夫するところが構造化力を高めることにつながるはずだ。

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2006年09月14日

骨を折る

いよいよ後期が始まるというのに怪我をしてしまい、しばらく休まざるを得なくなった。脊椎の一部を傷めたからだ。診断書には「第12胸椎圧迫骨折」とあった。全治4か月だという。

 自分の不注意で多くの方々に迷惑をかけてしまうことになった。大いに悔いている次第。今は回復を長引かせないように努めるのみ。そこで、9月いっぱいは教職・資格センターでの勤務を休ませてもらうことにした。

 しかし、授業の方は後期開始の1週目だけを休講にし、2週目から始めたいと考えて教務課にもお願いした。幸い、立っていることやゆっくり歩くことには影響がないので大丈夫だろう。

 仕事を始める前に骨を折るなんて思いもしなかったことだ。

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