牛肉資本主義という本を読みました。
サブタイトルに「牛丼が食べられなくなる日」とあるように、日本人が食べる牛肉の絶対量の確保が難しくなっているという現状に対する危機感と、その状況の俯瞰、そして将来的な展望までが描かれています。

これまでぼくは、中国の経済成長(偏向的な)に伴った、食の西洋化による需要のバランス変化が原因だと思っていましたが、それはある一部のみの正解に過ぎなかったようです。

米国と豪州を相次いで襲った旱魃による穀物の不足=畜産の飼料の不足=飼料の高騰=牛肉の高騰、というサイクルと、中国のバイヤーによる大量買いが重なっての商品(牛肉)不足が巻き起こしたマーケットの混乱。
そしてなんと、これまで世界を席巻していたはずの日本の商社が中国に買い負けているとのこと。

とくに、ショートプレートと呼ばれる部位、牛丼をはじめ、家庭でよく炒め物なんかに使う部位の争奪戦はすさまじいものがあるようです。
それでも、10円、20円という微々たる値上げで何とか回している牛丼チェーンには頭が下がります。
この本を読んでいて、本当にそう思いました。

牛肉を出荷するまでには、大量の穀物、牧草、そしてそれらを育てる水が必要です。
米国が築き上げた巨大ファームの生産システムは、世界の胃袋をグイッと握って生殺与奪の全てを握っていたはずでしたが、二度の旱魃で危機を迎えてしまいました。
穀物も牧草も育たなければ牛は飼えません。

大豆を育てるために草原を拓いて農場にする。
そうすると地下水の循環に影響を与えて潤沢だったはずの水が不足してしまう。
そして旱魃に襲われる。
そんな事例が米国をはじめ、北米・南米その他各地でも見られはじめているようです。

この本では、商社の血の汗が滲むような戦いと対比するように、最後に里海、里山を通じたスローなプロジェクトを紹介していました。
大量の発注で量を確保しようとする商社と地道にスローな供給を続けるプロジェクト。
人情としては後者に軍配を上げたいところですが、それで多くの日本人が納得するのかと言うと、それも難しいところだと思います。

農業を巨大産業に育て上げて後戻りできないステージを作ってしまったのは確かに米国ですが、そのステージに今や全世界が乗っかっているのも間違いありません。
そして、そのステージを支える土台が、もう蜘蛛の糸でかろうじてぶら下がっている状態のも確かなことでしょう。

持続可能な○×みたいなことを言う人は多いけれど、食のダウングレードに賛成するような人は少ないのでしょうね。

最後に、この本を読んでみて、一番強く思ったことは、ぼくらの食を支えてくれているのは、飲食店や生産者、販売店だけではないという、そんな単純なことに今まで気づかずにいたことを少々恥ずかしく思った次第であります。