ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

藤神神社(柏原市国分本町)

11月15日は残っていた柏原市の神社6社を参拝して、現在私が把握して
いる柏原市の神社24社すべてを参拝することができました。
何かを目標にして、「到達した、完成した、うまくいった、終わった」という感
覚は、気分の好いものです。

柏原市の神社 合計24社(大阪府神社庁登録19社、未登録社5社)
  10月  7日 参拝   2社
  10月21日 参拝 10社
  10月24日 参拝   6社
   11月15日  参拝    6社

11月15日、JR高井田駅からスタートした柏原市神社めぐりウォーキングで最初に
参拝した藤神神社を紹介します。
10月24日の神社めぐりで見つけることの出来なかった神社で、今度は詳しく
調べて国分中学校の近くを探してすぐに見つかりました。
この神社は大阪府神社庁に登録されていない神社です。

藤神(ふじかみ)神社:大阪府柏原市国分本町7丁目6      2017,11,15  07:16 AM





龍田大社の紅葉(三郷町)

11月15日は柏原市の神社めぐりをして現在私が把握している柏原市の神社
総てを参拝することができました。最後に参拝した峠八幡神社は奈良県との
境界近くにあり、帰りはJR三郷駅から帰りました。
その三郷駅の近くに龍田大社があることが判っていたので龍田大社も参拝し
ました、龍田大社の紹介はあとにして、先に境内の美しい紅葉を紹介します。

龍田神社の紅葉:奈良県生駒郡三郷町立野南1丁目29−1

2017,11,15  02:00 PM









11月18日:27295歩

足代神社(東大阪市足代)

東大阪市の神社でまだ参拝していない足代神社をグーグルの地図で見つけ
て11月10日のウォーキングで自宅(四條畷)からあるいて行きました。
近鉄布施駅の西側に鎮座しています。
由来については足代神社は終戦後より足代の地に鎮座していました、当初
より足代に在住する正木直市氏が御奉仕して来られましたが、浅草寺20周
年記念を契機に浅草寺へ寄贈され、現在は浅草寺が管理しているようです。

足代(あじろ)神社:東大阪市                        2017,11;10  08:09 AM









                                 関西浅草観音 浅草寺御案内

昔、推古天皇御代江戸ノ宮戸川に一漁夫の手に依って御示現された。

東京浅草観音さまの御分身を奉戴するここ関西浅草観音 浅草寺でご
ざいます。 当寺では、観世音大菩薩のご精神を宣布、世の中の諸所
の方々の為に真言密教の加持祈祷を修法御先祖を始め先亡有縁無
縁一切の精霊、得に全国的に水子のご回向を致し、習性済度の精業
に精進しております。

グーグルの地図:この倍率では足代神社は出てきません


さらに拡大すると足代神社が出てきます。

新喜多新田と暗越奈良街道

11月10日のウォーキングは新喜多中学校で「芭蕉の句碑と新喜多橋の親柱」の
説明板を見つけた後、長瀬川で「新喜多新田と暗越奈良街道」の説明板を見
つけました。

新喜多新田と暗越奈良街道:東大阪市新喜多         2017,11,10  06:48 AM

長瀬川は川幅2m程の川です。





                 新喜多新田と暗越奈良街道
江戸時代中頃まで、大和川は河内平野を何本にも分かれて北へ流れ、大雨が降る
たびに洪水()を起こしていました。

宝永()元年(1704)、柏原市安堂付近から大阪湾に流れ込む新川が掘削()されると、水
量が激減()した旧川筋()では、川床()を埋立てた新田が多数開発されました。

新喜多新田()もその一つで、開発を()()ったのは、鴻池家の一統で有力な両替商で
あった鴻池伸七とされていますが、また鴻池()十郎・鴻池()七・今木屋()兵衛の三名
がたずさわり、その名の一時づつをとって「新喜多」と名付けたともいわれています。

この新田は、川を埋め立てた土地だけに区域は南北に細長く、現在の近鉄奈良線
の北にはじまり、JR学研都()放出()駅の手前まで続いています。

初検時()反別()25 () 2 ()8 ()石高() 147 () 7 ()3 ()で、幕府代官()の支配を受けた
でした。

東西に横切る道は、大阪と奈良とを八里八町( 34km )の最短距離で結ぶ暗越奈良

()

です。街道川幅が広かった時代は渡船場()、付け替え後は旧川床の中央にされた用
水路=長瀬川に石橋(新喜多橋)が()けられました。

この橋の親柱残()が、近くの新喜多中学校内に移されて残っています。

蕪村句碑と新喜多橋の親柱(新喜多中学校)
新喜多の由来「新喜多新田会所跡」



11月17日:22187歩

蕪村句碑と新喜多橋の親柱(新喜多中学校)

東大阪市のすべての神社を参拝する、神社めぐりは以前終わっていましたが、
まだ参拝していない神社をグーグルの地図で見つけて、11月10日に自宅からす
べて歩きで行ってきました。
近鉄布施駅の近くの足代神社を目指して歩いてるとき、新喜多中学校の中に
「芭蕉の句碑と新喜多橋の親柱」の説明板を見つけたのです。
学校の中と言っても外から見える範囲で、写真も写せました。

芭蕉句碑と新喜多橋親柱:東大阪市新喜多2丁目        2017,11,10  06;36 AM







               蕪村句碑と新喜多橋の親柱
蕪村の句碑及び新喜多橋の親柱は、学校の南側、暗越奈良街道筋にあたる
辰巳昭雄氏宅に大切に保存されたきたもので、このたび同氏のご厚志により
市へ寄贈をうけました。
蕪村の碑は、高さ1.5mの自然石の表面に「日は日くれよ 夜は夜あけよと啼
くかわず」の句を刻み、左に画号の「夜半翁」、下には口をあけて啼く蛙を3匹
描いています。
この句は、江戸時代の俳人・画家である与謝蕪村が、街道筋を通った時に詠
んだ句といわれ、江戸時代の案内書の「河内名所図会」にものせられています
。 蕪村は谷口氏といい、享保元年(1716)に摂津東成郡毛馬村(現都島区)
の豊かな農家にうまれ、江戸で漢詩文・俳諧などを学んで早野巴人に入門し、
やがて多数の風俗画・漢画山水図などを描き、天明3年(1783)に68歳で亡く
なりました。
、句碑は、もと西側に住居されていた田中松仙氏(現当主は田中美郎氏)が、
昭和10年に蕪村筆と伝える俳画の軸物を奇遇にも手に入れられ、これをもと
に転刻して建てられたものです。
また、親柱は、大和川付替工事後の宝永年間に、川底の開発により誕生した
「新喜多新田」の中央を流れる長瀬川にかけられていた石橋 新喜多橋の一
部で、共に奈良街道あるいは新喜多の歴史を考える上で、貴重な資料といえ
ます。
   「新喜多の名のおこり」 新喜多の名称は、大和川付替え工事のあと、長瀬川の
    新田開発を行った、鴻池十郎・鴻池七・今木兵衛の三人の名を一字ずつ
    とって名付けられたものです。

                       平成11年4月 東大阪市


新喜多中学校


大阪市城東区にも新喜多という地名があります。
新喜多の由来「新喜多新田会所跡」

11月16日:20409歩

成小路神社(大阪市淀川区新北野)

19月24日の柏原市神社めぐりは、午後5時半に阪急十三駅に行く用事があった
ので早めに終了して、JR大阪駅から歩いて十三へ行きました。
以前、淀川区の神社めぐりは終わっていましたが、後日、大阪府神社庁に登録
されていない、「成小路神社」がという、まだ参拝していない神社の有ることが判
っていたので、今度、十三付近へ行ったときに参拝しようと思っていたのです。
成小路神社は北野高校の近くにありました。

成小路(なるしょうじ)神社:大阪府大阪市淀川区新北野2丁目12−24

2017.10,24  04:17 PM





この鳥居と玉垣は旧富嶋神社のお旅所に建立されていたもので、昭和二十年六月
の空襲で戦禍にあい粉砕又破損せるもの数多く戦後の都市計画により現地に永ら
く保管されていましたが其の間建立者とその子孫で転出して連絡先不明の方もあり
ましたが、この度先祖先賢のご遺徳をしのび、在住の子孫が発起人となり判明せる
分のみこれを再建したものである。     昭和五十三年七月吉日


11月14日:53234歩

初めて「アマゴ」を写す(柏原市)

柏原市の有形文化財「玉手橋を見学して、橋の下の河原を歩いた時、
先日の台風21号(10月22日~23日)の影響で石川は水量が多く水も
濁っていました、当時、付近は避難警報が出るほど水かさが増し、そ
の後急激に水量が減ったため、河原に逃げ遅れた魚が干上がって
いました。名前を調べたら、「アマゴ」でした。

初めて写した「アマゴ」 玉手橋の近く石川河原にて        2017,10,24  00:48 PM


アマゴを見つけた場所









つり橋で日本初 有形文化財 「玉手橋」

10月24日の柏原市神社めぐりウォーキングは最後に伯太姫神社を参拝して帰路
につきました。
帰りにJR柏原駅に向かう途中にあった、玉手橋を紹介します。
この橋は昭和3年(1928年)に大阪鉄道(現在の近鉄)が道明寺駅から玉手山
遊園地への経路を整備したときに途中を遮る石川に架けた吊り橋です。
遊園地は平成10年(1998年)に廃園となりましたが、橋は近隣住民の通勤・通
学路などとして今も活躍しています。バイク、車は通行できません。
つり橋としては日本で最初に有形文化財に指定されました。

玉手橋
昭和3年完成
鉄筋コンクリート造、5径間吊橋、橋長151m、幅員3.3m
大阪府柏原市石川町・玉手町~藤井寺市道明寺3
管理者:柏原市
登録有形文化財(建造物):登録年月日:2001-10-12

玉手橋(柏原市)                    2017,10,24  01:25 PM











11月14日:16573歩

伯太姫神社(柏原市)

10月24日の柏原市神社めぐりウォーキングで最後の6社目に参拝したのが伯太姫
神社です。
明治40年(1907年)、羽曳野市の誉田神社に合祀にされましたが、 戦後、昭和
21年(1946年)5月17日、誉田神社より分離独立し旧地に復しました。

柏原市の神社 合計24社(大阪府神社庁登録19社、未登録社5社)
  10月  7日 参拝   2社
  10月21日 参拝 10社
  10月24日 参拝   6社
   残り            6社

伯太姫(はくたひめ)神社:大阪府柏原市円明町15−8                 2017,10,24  11:56 AM











安福寺横穴群(柏原市)

伯太彦神社のそばにあった安福寺の参道で見つけた横穴を紹介します。
古代人の住居の跡だとかいわれたこともありましたが、よく調べたら古墳時代後期
のお墓ということがわかりました。
このような横穴は大阪府では柏原市にしか見られないそうです。

安福寺横穴群:大阪府柏原市玉手町 安福寺参道他      2017,10,24  11:37 AM









               府史跡 安福寺横穴群
ここ安福寺の参道両側には、35基の横穴が口を開いています。昔、火の雨が
降った時に避難した穴だとか、古代人の住居の跡だとかいわれたこともありま
すが、実は1400年くらい前(古墳時代後期)のお墓なのです。
凝灰岩の岩盤をくり抜いて造られ、中には棺を造り出した横穴もあります。
また、次々と造られた横穴が、現代のマンションのように二層三層に重なって密集
しているのも大きな特徴です。これらの横穴は、6世紀中ごろから7世紀初めに
かけて造られたことが、出土した土器などからわかっています。
その時代には石を組んで造った石室に土を盛った古墳(横穴式石室墳)が多く
、横穴は大阪府では柏原市にしかみられない珍しいものです。
私たちの大切な文化遺産ですから、傷つけないようにして下さい。また、崩れや
すくなっていますので、見学には十分注意をしてください。
    史跡指定年月日
      昭和48年3月30日(史第35号)
      昭和59年5月1日(追加指定)

   平成8年12月 大阪府教育委員会  柏原市教育委員会


11月13日:21309歩
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