ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2012年09月

式内社とは「 国中神社」

国中神社を通りかかったら、いつも閉まっているダンジリの倉庫が開いて
おり、珍しいので見ていると被いをめくって見せて下さいました、10月7日
の秋祭りの準備をしているのでした。

延喜式内社とは延喜式神名帳(927年)にまとめられた「延喜式」の九・
十巻に記載された、全国の神社の一覧です。 延喜式神名帳 ... 式内社
の記載は政治的要素も強く、当時すでに存在したはずであるのに延喜
式神名帳に記載されていない神社が存在します。

国中神社(くになかじんじゃ):四條畷市清滝中町4-4
M1530127M1530131










このダンジリを含め四條畷には10台のダンジリがありそのうち5台が
10月7日に忍ケ丘駅前に集合するそうです。
このダンジリは100年以上前に作られたそうです

             ダンジリのカバーを開けて写させてもらいました
M1530141M1530139










M1530144M1530134










 境内に古墳時代の石棺蓋がありました
M1530145M1530130










2016年12月31日、参拝した時、神社の由緒等を書いた説明板が
新たに設置されていました。

           式内 国 中 神 社
鎮座地 大阪府四條畷市清滝中町4番4号
     (旧地名 河内国讃良郡甲可村大字中野字大上山923番地)
由緒・沿革
    当神社の創建年代は不詳ですが、923年に遷定された延喜式神明
    帳には河内国讃良郡鎮座と記載されており当地域の産土神として
    崇拝されてきました。
    国中と云う名の如く、この地域の中心として、鎮座地が創建時より
    一度も移動した記述はなく四神相応の鎮座地であった事が明白で
    あります、 又明治以降には、この地域の人達は口伝ですが別名
    大蛇宮と称していたとの記述もあります。
    旧社殿は1873年頃の建築でありましたが、1779年に修理した記録
    につづき1833年にも修理した記録があり、その後1954年に大修理の
    記録があります、尚、近年に至り御社殿の荒廃が著しく2000年12月
    大改修すると共に神具庫。末社を再建し社務所については1994年3
    月焼失のため、1995年に再建し現在に至っております。
氏地(現在の地名)
    大字逢阪・大字清滝・清滝新町・清滝中町。大字中野。中野。中野新町
    美田町・大字蔀屋。蔀屋本町・蔀屋新町





































90歳現役登山

今日は台風の接近で天気予報が悪いため8時の時点で曇り
ではあるがまだ降っていないため、飯盛山へ出発、歩きはじ
めは8時40分、頂上につき例の落書き(飯盛登山1635回)を
見たが今日はまだ追記なし、下の展望台のところで休憩して
いると、若い門真から走ってきた青年と逢いました、また別の
私と同年輩の人に会い いろんな話を聞きました、その人は例
の300回登山記念碑を見てから続ける気になり3000回以上
登っているそうです、また その人の知り合いの90歳を越えて
いる人は今なお現役で登山を続けておられ1万5千回を超えて
いるそうです。
昨日3000回以上の人がいると聞き驚いたのに今日 本当に3
000回以上登った人に会ってしまい、世の中には上には上が
あると つくづく思いました。
もう1635回の人ではなく、90歳の人に逢いたくなりました。
私は仕事で鍛えた人の人相を見る眼力には自信があり山に来
る人はほとんど悪そうな人はいませんが私は特にいい人には話
しかけるようにしています。
 
 水汲み場(滝谷楠水の場)にはいつでも飲めるようにコップが
 あります。ベンチもあります
M1530120M1530121












M1530122










 落書きは昨日のままでした       
M1530124











300回登山記念碑の裏には
「大阪 石匠 奥野元治郎」
と彫られていました
M1530125

御机(みつくえ)神社

御机神社の歴史は古く奈良時代(西暦710年から84年間)にはすでに存在
していた神社です、戦国時代はもっと山奥にあり、さらに変わって現在の地
に移転したのは元禄13年(1700年)です。ご祭神はスナノウノミコトで天照大神
の弟神です。
飯盛山に登るには、滝谷楠水の場を経由して登るのが通常ですが私は御机
神社から飯盛山に登ることもあります、こちらのコースの方が近いのですが少
し急でありまた自転車、バイク等が置きづらいのです。

御机神社:四條畷市南野6-12-1
M1530081M1530098










M1530084M1530088










M1530095M1530096








 修理の時の古瓦を保存
M1530087M1530093







 クリック拡大して説明文を確認ください
M1530085
M1530097

M1530116M1530090

修景施設「さとやま」(四條畷市)

今日飯盛山へ行った帰りに四條畷市環境センター・修景施設「さとやま」
によってきました、入場は無料です、市民の「環境意識の普及と向上」
を目的に開設しています。(四條畷市南野6-1-37)
市役所に申し込めば団体で借りることもできます、小さい池がありホタ
ルを飼育しています、今年はうまく育たなかったそうです、ただし近くに
いた近所の人の話では近くの田んぼに自然のホタルがいるそうです、年
々増えていると言っておられました、その年配の人に昔の話をいろいろ
お聞きして、昔の地名がこの付近は「滝」 御机神社から上は「滝谷」と
教えて頂きました。


 あまり知られていません、みなさん行きましょう
DVC00008














DVC00007

DVC00002
 














 高台にあり市内が見えます   
DVC00001 (2)















 池もあります
DVC00005

 ホタルの飼育場所
DVC00004DVC00003

登山3000回にびっくり

今日も飯盛山に行きました、昨日見た落書きが気に
なり見てみると今日追記したらしく29と新たに書き込
まれていました、12時30分ごろです、今度は午前中
に来て逢ってみたいものです、しかし今日出会った
門真の人の話では、金剛山には3000回以上登った
人がいるそうです、金剛山は1000m以上の高い山
飯盛山は314m、1365回で驚いたのにまだ上がいた
のです。

この建物の                このカンバンの裏に
DVC00012DVC00014










このような落書きがあります
DVC00017
右の最終文字が29
となっています
昨日は28でした
明らかに日付です
(画像をクリックして確認
下さい、さらにクリックす
ろと最大になります)








DVC00015

「滝谷水仙峡」の出典判明

滝谷水仙峡と書いた下の写真のようなものを見てから
前から疑問に思っていたことが、昨日わかりました。
御机神社を写す目的で境内を歩いていると、ちょうど
宮司らしき人が来て、しまっていた神社の拝殿の中に
入っていったので私は扉が開くのを待ち、顔が見えた
ので声をかけ、どうして「滝谷水仙峡の立て札があるの
ですか」と尋ねました、答えは、以前この町の老人クラブ
の人たちがその場所に水仙を植えて名所にしようと
考え淡路島から水仙を取り寄せて、育てようとしましたが、
うまく育たなかったのだそうです、それで写真のような
ものが今でも残っているのです。
この地域は今は南野と言っていますが、以前は「滝谷」
と呼ばれていたそうです。
今でも土地の人は神社より上は「滝谷」下は「滝」と呼ん
でいるそうです。

M1530086













M1530115

御机神社の境内にあります
M1530098














1365回 飯盛山に登った人

今日は12時出発、南野の友達の家にバイクを置きそこから歩いて
御机神社経由、水汲み場を通って山頂へ行きました、大阪は晴れ
ていたのですが、明石方面はもやっていて明石大橋は見えません
でした。
帰りは水汲み場を通らず御机神社に出る道を通りました、初めから
その予定でしたから、バイクを友達の家に置いたのです、友達は留守
の時が多いので、前もって飯盛山に行くときはコースにより置かせても
らうと申し入れてありました、矢張り今日も行きも帰りも留守でした。
(今日のコースは水汲み場近くにバイクを置くと片道20分のロスになるの
です)

  ウラギンシジミ
M1530114
名前の通り裏は銀色です

 頂上から望遠で写した大阪府警察総合訓練所
(以前から何の建物か気になって先日調べてわかりました)
M1530102

 国旗掲揚台
M1530103












1365回飯盛山に登った人
 (まだ逢っていませんが下記のメモが本当であれば)

この内部に下のような落書きが有りました内容は登山の回数をメモしたも
のでした、このメモが本当ならこの人は1300回以上ここに来たと言うことです。
今日も来たらしい(拡大して確認してください)
M1530104

これは四條畷側の頂上にあります、楠木正行像から
約150m北にあります。
 登山300回記念碑 大正7年 青木欣四郎 建之
   (青木欣四郎:第二代 四條畷高校校長)
M1530105M1530109












飯盛山史蹟碑
これは登山300回記念碑からさらに約100m北にあり、こちらは標高
318mと書いています、これが本当なら、今まで私が頂上と思ってい
た楠木正行像のあるところは314mですからこちらの方が高いと言う
ことです。    

クリック拡大して318mを確認してください                       
M1530110

*私の見解は318mはないとおもいます。
 理由は下の画像を見てください、四條畷の歴史 研究家が綿密に
  調べて作った図によると楠正行 像と300回登山記念碑は同じ高さ
  で、飯盛城史 蹟碑が低く描かれているからです。
M1530118

第二のふるさと菅原町

私が小学4年(昭和28年)から高校1年(昭和34年)まで過ごした町
.、大阪市東淀川区豊里菅原町(現在は大阪市東淀川区菅原)を紹
介します。
電車の駅は阪急淡路駅が一番近くです、歩いて20分以上かかりま
す、住んだ家は淀川に近く川の向かいが旭区でちょうど城北公園の
あたりになります、以前は田んぼであったところが住宅になり、昔の
面影は少ししか残っていませんでした、小学校は菅原小学校、中学
は柴島(くにじま)中学校でした。


 よく遊んだ淀川の堤防
画像 154画像 152








 

この付近で泳ぎました               赤川の鉄橋(JR貨物線)
画像 147画像 141









 いまは駐車場ですが前は空き地でここで紙芝居、盆踊りなどが
 ありました
画像 157画像 156










少し上流にありました「渡し場の跡」
画像 161











当山鳥畜類一切之霊

四條畷市の清滝瀑布(妙見滝)を100mほど登ると6個の
石碑があります、建造は昭和37年と刻んでありますから、
歴史的な価値はあまりないと思いますが珍しいので写しま
した。6個は南北に並んでいます。
建造したと思われる人の名前(日陣上人)が刻んで
ありましたが、インタネットで調べても出てきませんでした。

当山鳥畜類一切之霊                南北朝戦死者の霊
M1520068M1520065
 五神辯天
 M1520058 
清瀧大龍王     M1520057                     


清瀧大龍王の横に
 当山開山 日陣上人
 二世 日庸法尼

(建造した人の名前
 と思われます)







  妙馬天王            
M1530072









三釼大神  法松天狗
M1530073-1










当山鳥畜類一切之霊の裏
M1520059M1520070









画像をクリックすると拡大します

キバナコスモス

今日はまた、清滝瀑布へ行きました、前に写していなかった滝の内部
もうつしました、

歩いて行く途中にあった道しるべです。
場所は市民総合センターから南へ20mの交差点で東高野街道と清滝街
道が交差する重要な位置にあります。
「ふるさと四條畷」の本はお地蔵様の赤いエプロンはありませんでした。

道しるべの文字
 左の細長い石柱: 右 清滝街道
            すく 東高野街道
   真ん中の石柱: 東 いせなら
            南 かうや
  右のお地蔵さん:右 なら、いせ 道
             左 京 やはた  道
M1530064M1520034                                 

  ニホンアカガエル                       清滝瀑布の内部
M1530077M1530068








           清滝団地付近のキバナコスモス
M1530079














M1530080
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