ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2012年12月

野崎不動尊

野崎不動尊は寶頭神社の横にあります、不動尊の中に山からの
湧水が流れており、次々に地元の人が大きなポリタンクを持って水
を汲みに来ていました。





お堂の中









野崎新池、ここからの見晴らしが良かったです

見晴らしがよく日本一高い「アベノハルカス」が見えました

桜ノ宮「大阪OAPタワー」

大東市 寶塔神社

先日、野崎観音の境内に大東市が作ったハイキングマップが無料で
置いてあり、それに載っていた野崎3丁目にある、宝塔神社に行
きました。



開いたところ

1キロ手前の案内(東高野街道から山側に入ります)

200m手前の案内

50m手前

落ち葉一つなくきれいに掃き清められていました

あまり立派ではない鳥居でした

寶塔神社

中は寶頭神社となっていました


里宮とは「宝塔神社」(大東市)

水陸両用車

先日大阪に行った時珍しいバスを見たので近づいてみると水陸
両用車でした、大阪市内を走る観光バス兼観光船です。
ネットで調べると、大阪が日本最初ですが、今では日本に7か所
あります、すべて予約制で乗車時間は90分、30分が水上です
費用は3300円、大阪駅近くの阪急ホテル付近出発です。






辞世の句(楠正行)

飯盛山 頂上には楠木正行像がありますが、その像をよく見ると
右手に筆、左手に短冊を持っています、不思議に思い、いろんな
書物を読んでいると、正行が辞世の句を詠まんとしている所の像
であることが分かりました、実際は最後の合戦に赴く際、辞世の
句を吉野の如意輪堂の壁板に矢じりで彫ったことが有名ですが、
銅像にするには筆と短冊が似合うと思ったのでしょう。

「かえらじと かねて思えば梓弓 なき数にいる 名をぞ とどむる」

通訳:生きて帰るまいと予め決心したから、過去帳に入る我らの
    名をここに書き留めるのである。
語訳: 梓弓(あずさゆみ)枕言葉で特に意味はありません
        弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」
       「いる」にかかる。
使用例:射ると音が出るところから「音」にかかる。
     「あづさゆみ音聞く我も」
     [訳] うわさを聞いた私も。


楠木正行23才でした

右手に筆

左手に短冊

大東市 本妙寺

本妙寺は大東市津の辺町にあります、本妙寺だけで検索すると
全国にはたくさんあり、大東市本妙寺で検索しないと、出てきませ
ん、いろいろ調べましたがネットでは本妙寺が日蓮宗で、大東市に
4つある日蓮宗の、お寺の一つである程度しか分かりません。

本妙寺:大東市津の辺町12-7



大きい日蓮上人の像は一見の価値があります


北条神社(大東市)

北条神社は大東市北条5丁目にあります、旧170号線の北条
交番所の北側の道を登った所にあります。

祭神は京都北野神社の御神木で像を刻んだものであると、
当社の古い記録にあります。

以下現地説明板の内容 
時の天皇の御詔勅に「北野の神木で神像を作り、漂流地に
祀るべし」とあったので数多くの神像を刻み加茂川に流さ
れた。 その一体が当村の西の津之辺の浜辺に流れ着いた。
その所は森であったので以来その所を明神の森と呼び聖地
であるとして、代々お祭りを欠かさなかった。

しかし、この社は平地であるため度々洪水の災いにあった
そこで時代は不明であるが現在地に御遷座された。
 

御詔勅(ごしょうちょく):天皇の意思表示

旧170号線の北条神社 案内板





大勢の人が初詣の準備をしておられました





そばにあった大きい老人ホーム「みどりの里」

地元の人の話では、ここから飯盛山に登れるらしい、今度登ります
新しいルート発見しました

高槻市立「しろあと歴史館」

高槻市立「しろあと歴史館」は城跡公園の近くにあり駐車場も
入館も無料です、阪急高槻市駅より徒歩10分のところにあり
ます。



広い高槻城の模型







江戸時代の時間





明治6年まで使われていたらしい

また当たりました

今日もきました、宅配便で心当たりのない品物が届きました、中を
開けてみると、ハガキで応募したものが抽選であたったのです、滅多
に出さないハガキがすべて当たりました、そもそも昔、趣味で集めて
いた記念切手が今は、そのような趣味の人があまりいないのか、
ほとんど値打ちが無く、捨てるのももったいないので、ハガキに貼って
使うことを思いつき、出したものが当ったのです。






中身はお餅でした

高槻城跡公園

今年最後の見山に行った帰りに、枚方に寄るところがあったので
枚方大橋を渡るコースで帰ることにしたら、高槻を経由するすること
になり、通り道にある、高槻城跡公園を訪ねました。
江戸時代、堺と並ぶキリスト教布教の重要な拠点となっていた高槻
当時、キリシタン大名で有名な高山右近は、合戦や築城にすぐれた
才能を発揮し、本丸・二の丸の他、町家までも堀で囲い込んだ堅固
な城「高槻城」を築きました。
しかし現在は残念ながら高槻城は取り壊しとなり、城下町の景観は
残っていません。石垣などは、JR東海道線(旧国鉄時代)の線路敷
に活用。1950年(昭和25年)5月に城跡は大阪府の史跡に指定。
現在では一部が城跡公園として市民の憩いの場となり広く親しまれ
ています。




横書きです、横に読んでください







高槻城主 高山右近像

公園手前にある高槻第一中学校の石垣の塀




一般の家の庭に天然記念物

門真市稗島には一般の家の庭に大阪府天然記念物の楠があり
ます、近くに国の天然記念物の薫蓋障という楠があり、あまり目
立ちませんが、樹齢400年の立派なものです。
一般の家にあるのは全国でも珍しいものです。

長谷川さんという、個人の庭です



明治時代にはこの付近に船着き場がありました

人工衛星から写したものです


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