ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2013年03月

「第9回楠公祭り」四條畷市

3月31日「第9回楠公祭り」が行われました、武者行列が12時に小楠公墓所
を出発して四條畷神社まで練り歩きました、今年で第9回(ただし2011年第7
回は東日本大震災のため自粛して中止しました)ですが、私は初めて見に行
きました。

出発5分前

大勢の警察の人も待機していました


ほとんど子供達が主体です





四條畷市の観光大使 谷口さんの顔も見えました





市長も来ておられました





四條畷神社は「なにわ七幸めぐり」の一つです


3月31日の歩数:19877

桜の根元にも花が咲く

守口市体育館の駐車場の近くに桜の根元に咲いてる花を見つけ
珍しいので写して来ました、幹の途中に咲いているのは、稀に見
たことはあるのですが、初めてみました。
最初は落ちていると思っていましたが、よく見ると咲いているので
した。









守口市 大正天皇御下車跡

守口市内を歩いていて、また見つけました、車やバイクでは絶対に
見つからない場所に、「大正天皇御下車跡」と書いた柱が建って
いました、調べてみると、明治43年(1910)10月4日、淀川で行
われた工兵特別大演習を視察のため、大正天皇が皇太子の時、
京阪電車で大阪に来られた時、淀川に近い所に駅が無く、門真
と守口の間に皇太子が下車するために仮の駅が設けられたのが
、この場所であったのです。
私はこの場所を数えきれないほど、通りましたが気が付きません
でした。


高架下の車では見つからない場所でした




大阪市内最古の石造三重の塔(都島神社)

大阪市都島区に鎮座する都島神社には、大阪市内最古の石造
三重宝篋印塔は嘉元4年(1304)の銘があります。
場所は国道163号線を挟んで大阪市立総合医療センターの前の位
置です、医療センターには何度も訪れているのですが、神社の事は
全く知りませんでした、ブログを始めてから今まで見落としていた物
を発見するとこが、度々あります。仮に神社の存在に気が付いて
いても石造三重の塔には気が付かなかったでしょう。

国道163号線沿いにある都島神社の一の鳥居

二の鳥居

三重宝篋印塔



大阪市立総合医療 センター

シロハラの撮影に成功

今日は午前中、飯盛山に行き11時40分ごろ帰宅、午後は南風荘
に風呂に入りに往復歩きで行きました、その帰りにたまに見かける
野鳥ですがすばしこく写すことが出来なかったのですが、今日は成
功しました、野鳥図鑑と、画像を見比べて「シロハラ」が最も似ていまし
た、スズメより大きく、ハトより小さい野鳥です。

場所は大阪電気通信大学 四條畷校のそばです 2013,03,30 撮影

大阪電気通信大学 通用門

桜は満開でした

道端にあった「ヒメオドリコソウ」



3月30日の歩数:22883

ダム工事予定通り終了

いつも行く飯盛山で工事をしていたダムは、2月28日完成の予定
が3月28日に伸びていましたが、今日、久しぶりに飯盛山に行っ
て、工事は予定通り終わっていることが分かりました。


石ころを鉄の枠で囲っているだけで水をせき止める目的ではない
ようです。


ダムの内側から撮影

底の部分から水が流れています

与謝蕪村の句碑(佐太天神宮)

佐太天神宮にお参りした時、参道に蕪村の句碑があることを示し
た、石柱が建っていましたが、見つけることが出来ないで、諦めて
かえる途中、参道の雑草を抜いておられる白い装束の美人の巫
女さん(又は女性の宮司)がおられたので、「蕪村の句碑は何処
ですか」と尋ねると、親切に教えて下され、そのうえ、少し待ってく
ださいと言って、社務所の中に入って佐太天神宮の資料のコピーを
くださいました、それから蕪村の句の説明もしてくださいました、あ
りがとうございました。

俳聖与謝蕪村は、佐太の土地を謳って数句残していますが、昭和
47年守口市文化研究会員を始めとする有志の協賛によって、佐太
天神宮水鏡池の池畔に直原玉青画伯の筆による句碑が建立され
ました。

蕪村の句碑  「窓の灯の 佐太はまだ寝ぬ 時雨かな」

偲び草
この碑文は蕪村の丹波から故郷毛馬村へ帰る途中、雨降る
淀川の夜船から見た佐太村の情景で、夜遅くまで賑わい明る
い佐太の宿場の様子がうかがえる。

菅原道真公 水鏡池

この図は頂いた資料を、スキャナーで読みとったものです。

佐太天満宮(天神宮) 佐太の由来

守口市佐太天神宮は佐太中町7丁目16-25にあり、国道1号線(寝
屋川バイパス)沿いです。

当地は菅原道真の領地であったところで、901年(昌泰4年)道真
が太宰府に左遷され、赴任途中に当地でしばらく滞在したと伝えら
れる。道真は、宇多法皇の計らいで、自分の無実が証明されるか
もしれないと、一縷の望みを持ち、ここで都からの沙汰を待ったが、
一向にその沙汰もなく、筑紫へ下向することとなった。当地の地
名である「佐太」はこの「沙汰」が訛ったといわれる。
道真は出立に際し、自身の木像と自画像を残し、この時楊枝を土
に挿し、「わが身の無実の証拠として二葉の松となって生い栄えよ
」と誓ったところ、程なく発芽し、見事な松の木に成長したと伝わる。
道真が太宰府でなくなってから50年後の天暦年中(947~57年)
に、里人がその徳を慕い、道真が残していった木像を御神体として
祀ったのが、当社の創建とのことである。

前の道路は国道1号線

長い参道






河内名所図会より


大東市竜間不動尊の役小角像

大東市竜間の竜間不動尊には役小角(えんのおずぬ)の石像が
あります、大東市内には多くの役小角像がありますが建造年が
あるのは、竜間不動尊内の役小角像だけです。
役小角について下記調べました。

役小角(えんのおずぬ):
舒明(じょめい)天皇6年(634)大和国葛城茅原(現在の奈良県御
所市)に生まれる、没年は大宝元年(701)。
飛鳥時代から奈良時代にかけての呪術者、修験道の開祖とされて
いる、後の平安時代に山岳信仰が盛んになり、役行者(えんのぎょ
うじゃ)と呼ばれるようになった、20代のころ藤原鎌足の病気を治し
たという説もあるが、人々を言葉で惑わしているという罪で伊豆島に
島流しになる。

大東市竜間の役小角 石像

竜間不動尊

石段の上にあります




守口駅前「希望の鐘」

京阪守口市駅前に「希望の鐘」があります、決められた時間に
なると鐘が自動的に鳴ります、季節ごとに曲が変わります。
正確に言うと、朝8時は「静かな湖畔」、12時は「歓びの歌」、午
後6時は「夕やけこやけ」、午後10時は「家路」、その他の時間
が季節ごとに変わるのです、そばで見ましたが、録音した音楽が
流れているのではなく実際に鐘の中の舌(ぜつ)が鐘にあたって
音が出て曲になっていました。

舌(ぜつ):音を出すために鐘の中にある金属の物







曲が流れている間はこの人形が回ります



京阪百貨店にの窓ガラスに映った「希望の鐘」


3月29日の歩数:16056
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