ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2014年05月

雑喉場魚市場跡(大阪市西区江之子島)

「大阪中之島今昔案内」のパンフレットに載っている史跡めぐり
で6番目に見つけたのが西日本で最大で大阪三大市場であ
った「雑喉場魚市場跡」でした。

雑喉場(ざこば)魚市場跡

場所:大阪市西区江之子島1-8 江之子島公園


江戸時代(1863)の大阪の絵図 矢印が「ざこば魚市場」


5月31日:25355歩

ヒツジによる除草試験(JR忍ヶ丘付近)

昨日ウオーキング中にJR忍ケ丘駅の南200mの高架下の空地
で子供が集まって何かを見ているので、私も近寄って見ると、
ひつじが雑草を食べているのを目撃しました、よく見ると羊
4頭が草を食べていました。
元々その場所は柵で囲われている場所で誰も入ることができ
無い所でした、JRの敷地なので、JRも粋なことをするものだと
思っていると、柵の外に「ヒツジによる除草試験実施中」と書い
たプレートが貼ってありました。
なるほど、羊に雑草を食べてもらえば、草を刈る費用も節約で
き、また刈った草を捨てる手間もいらず一石二鳥になります、
ただ草が少なくなれば、羊は次の場所に移動するでしょう、私
はずっといてもらいたいのですが。

2014,5,30 撮影






緑の柵の中です、左は「おおさかパルコープ忍ケ丘店」車の出口です。


2014,6,15 追記 : ヒツジは、まだいました、除草は約7割ほど進んで
              いました、今日は私のほかにも羊を見ている人が
            いました、その人の話では、この羊は5月20日から
            一か月の予定で6月20日で除草試験は終わるそう
            です。
2014,6,24 追記: 予定が延びたのか、 ヒツジはまだ草を食べていました。
2014,6,26 追記: 正午(12時)に確認の結果、ヒツジはいませんでした。

JRさん ありがとうございました、子供も大人も喜んでいました。

2014,7,1 撮影 ヒツジによる除草試験終了

宮武外骨ゆかりの地(中之島めぐり⑤)

「大阪中之島今昔案内」めぐり5番目に見つけた史跡は「宮
武外骨ゆかりの地」でした。

場所:大阪市西区江戸堀2-7

宮武外骨(みやたけがいこつ)の滑稽新聞社があった場所です。



5月30日:16530歩

大村益次郎先生寓地址(フコク生命ビル前)

「大阪中之島今昔案内」めぐり④、福島天満宮の次に見つけ
たのが「大村益次郎先生寓地址」でした、江戸堀フコク生命ビル
の前に石柱と説明文がありました。
名前は知っていましたが詳しいことは後で調べて解りました。
大村益次郎は明治維新の十傑の一人に数えられ、幕末期の
長州藩(今の山口県)の医師、西洋学者、兵学者でした。
適塾で医学、蘭学を学んでいた時、下宿していたのが、ここで
した。

場所:西区江戸堀2丁目6-33 江戸堀フコク生命ビルの前

寓地(ぐうち):寓居とは仮の住まいで、寓地はその場所のこと。

赤矢印が石柱と説明板の場所  2014,5,27 撮影

福島と福島天満宮の由来(福島区福島)

「大阪中之島今昔案内」めぐり③
福沢諭吉誕生記念碑から徒歩5分、JR福島駅の手前に「福島天満宮」が
ありました。
フリー百科によれば、この天満宮の起源は、901年(延喜1年)菅原道真公が
左遷で大宰府に赴任の途中、当地に滞在した際、土地の人たちが失意の
道真公一行を丁重にもてなした、道真公はこれに感謝して、お礼に布地に
自分の姿を描いた絵を残しました、後日、903年(延喜3年)道真公の訃報を
風の便りに聞いた村人が、その徳を慕い小さな祠を建てて、画像を祀ったの
が福島天満宮の由来です

また、道真公は当地の名前を尋ねたところ、「鹿鬼島(かきじま)」とも「葭原島
(あしはらじま)」とも呼んでいると答えたところ、鹿鬼は餓鬼、葭は悪しに通じ
るので「福島」と改めるように勧めたと伝わり、これが福島の地名の由来です
また、福島天満宮は福島三天神の一社で上の天神とも呼ばれます。

福島三天神
 ・上の天神:福島天満宮 福島区福島2丁目8-1
 ・中の天神:第二次世界大戦の空襲で消失したため、上の天神に合祀。
 ・下の天神:天神社 福島区玉川1丁目4-5


福島天満宮:大阪市福島区福島2-8-1

2014,5,27 撮影


5月29日:13872歩

福沢諭吉誕生記念碑(朝日放送本社ビル脇)

「大阪中之島今昔案内」めぐり②
福沢諭吉誕生記念碑は堂島川、玉江橋北詰の朝日放送本
社ビル脇にありました。
朝日放送本社ビルの場所は中津藩(現大分県中津市)蔵屋
敷の跡地で、この地の堂島川に面した長屋で福沢諭吉は下
級藩士・福沢百助と妻・於順の次男として生まれました。
この記念碑は2代目で、初代のものは昭和4年に建てられま
したが、金属製であったので、太平洋戦争のため供出しまし
た。

2014,5,27 撮影






蛸の松(福島区福島1丁目)中之島めぐり①

5月27日、「大阪中之島今昔案内」のパンフレットに載っている史
跡15か所を探すウオーキング、最初の目的は、福沢諭吉生誕記
念碑を探すために歩き始めましたが、パンフレットには載っていま
せんが「蛸の松」を見つけました。
広島藩の福島正則が植えたとされる松の木は蛸が泳ぐ姿に
似ているので「蛸の松」と呼ばれていましたが、明治時代に枯
れてしまいました。
現在の松は平成16年(2004)に護岸工事の際に植えたもので
す。


場所:福島区福島1丁目 田蓑(たみの)橋北詰










5月28日:23386歩

「大阪中之島今昔案内」めぐり

昨日のウオーキングは以前入手した「大阪中之島今昔案内」の
パンフレットに載っている、史跡を巡って一日歩きました。
パンフレットを入念に調べて、すでに見ている場所は除いて、ま
だ見たことの無い、場所をマーカーペンで消し込んで、効率よく
まわる為に、およその回る順序も決めて出かけました。
朝早く出発したので、満員の通勤電車に乗り、昔を懐かしく
思いだしました。

パンフレットの表紙

マーカーペンで消し込んだ場所、合計15か所




地図で史跡のおよその場所は分かりますが、住所が記載されていない
ため、有名な場所はすぐに分かりましたが、あまり知られていない場所
は、聞いても知らない人が多く、雑魚場魚市場跡と曽根崎川跡は合計
10人の人に聞いてやっと見つけました。
また地図に載ってはいないが、興味のある史跡を7か所見つけることが
出来て満足した一日でした。

大きい葉の木は桐でした(星田・日高山)

昨日のウオーキングは久しぶりに星田の日高山に行きました、
帰りに初めて見る大きい葉のある木を見つけて、後で調べ
たら桐の葉で、桐の木は成長が早く若い時には大きな葉を
付けることが分かりました。
以前に桐の花を寝屋川で見たことがありましたが葉は大きく
ありませんでした、桐の木は成長を早くするため若いときのみ
葉が大きいので、成長してしまった木の葉は大きくないのでし
た。

2014,5,26 日高山にて撮影

桐の若木の葉はタテ ヨコ 60センチほどになります、日本一大きい葉です。


桐(キリ)の由来は、木を伐ると若木が早く出て成長するという事で
切りの木という名前になりました。
桐の木は軽くて狂いが少なく湿気を通さないので、古くから栽培さ
れ、家具の材料として貴ばれて、娘が生まれたら桐の苗木を植えて
嫁入りするときは、その木でタンスを作ったという話を、物知りの先輩
から聞いた事があります。

桐は伝統的に神聖な木とされ、その葉と花をデザインした紋は知られ
ていますが、日本政府も国際的な書類やパスポートなどに使っています。


5月27日:40725歩

若園ばら園(茨木市若園町)

茨木市若園バラ園に行きました、4月16日にも行ったのです
が、バラの花は全く咲いていなかったので、5月24日に行った
のです、見頃を少し過ぎているようで、やや枯れているものも
ありました。
市の花でもあるバラの花を茨木市は150品種2300株を若園
町に公園を作って一般に無料で公開しています。


場所:茨木市若園町19 若園公園の中にあります

2014,5,24 撮影





私が一番気に入った、薄紫色のばら

すべてのバラにバラの名前と国名が記載されていました。
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