ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2015年04月

アオサギの卵を写す「御野縣主神社」(八尾市)

近鉄河内山本駅から玉串川に沿って北へ歩くと山本高校の東側
に神社が見えたで行ってみると御野縣主神社でした。
境内には旧大和川の堤防跡がありました。
堤防跡は森になっていて、そこにはアオサギの巣があり、糞で草が白
くなっていました、またアオサギの卵が落ちているのを見つけ、初めて
アオサギの卵を写す事に成功したのです。

下記地図の緑の部分が旧大和川堤防跡です、そこでアオサギの卵
を写しました。

「御野縣主神社(みのあがたぬしのじんじゃ)」:八尾市上乃島町南1-71

2015,04,24 撮影


下記は由緒書きの内容

「古代の河内で三野縣を支配した豪族三野縣主が、祖神として斎き祭った
神社である。

三野縣は旧英田村・三野郷村の一帯で、現在の東大阪市松原水走,吉田,
花園 玉串から八尾市福万寺 上之島に及ぶ広大な地域にあたる。

天武天皇13年(685)三野縣主は連の姓を賜り、その後美努連とし
て外交交渉や学問の分野でおおいに活躍した。

延喜式神名帳には若江郡に御野縣主神社二座として載る。江戸時代には
河内郡上之郷総氏神として崇敬された。

明治5年(1872)村社に列せられる。同42年(1909)6月 
神饌幣帛料供進神社に指定される。」



斎き(いつき)心を清めて神に仕えること。

神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)とは.

郷社・村社を対象に勅令に基づいて県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭
に神饌幣帛料を供進された神社のことを指します



アオサギの卵 鶏の卵より小さくウズラの卵より大きい卵でした。
少し青みかかった色でした。

卵の上にはアオサギがいました。

 
4月30日:19808歩

八尾市の地名「山本」の由来「山本八幡宮」

4月24日、東大阪の若江鏡神社から近鉄八尾駅前まで歩き、帰路
は近鉄河内山本駅経由で東大阪に戻りましたが、近鉄河内山本駅
前に「山本八幡宮」がありました、八幡宮は玉串川のそばにあり、玉
串川沿いには、数か所に各種説明板が設置してあり、その一つに江
戸時代にあった「山本新田について」の説明板には地名の山本の由
来が書いてありました。
この新田開発を請け負った山中善兵衛、と本山弥衛門の名前の一字
ずつをとって名付けられたと書いてありました。

山本八幡宮:八尾市山本町1丁目2-16



山本八幡宮横を流れる玉串川

近鉄「河内 山本駅」

八尾市の地名「山本」の由来が書いてある説明板

加津良神社(八尾市萱振町)

八尾市内のウォーキングで西郡神社を見つけて、更に近鉄八尾駅に
向かって歩くと同じ道路沿いに加津良神社がありました。

加津良(かつら)神社:八尾市萱振町5-27  近鉄八尾駅北へ 1.3 Km







4月29日:12954歩

西郡天神社(八尾市泉町)

4月24日の八尾市内のウォーキングで、「木村重成の墓」の次に見つ
けたのが西郡天神社(しにこおりてんじんしゃ)です。
西郡(にしこおり)はこの地域の古い地名で、神社の由緒書きには
西郡天神社(にしこおりあまつかみのやしろ)とカナがふってありま
した。

西郡天神社:八尾市泉町2-118    近鉄八尾駅北 2 Km

2015,04,24 撮影



「神社歴」にはこの神社の場所は「錦織寺跡」で古代宮中に仕えた
錦織(にしこおり)家一族の住居跡であったことが記載されています。
地名「西郡(にしこおり)」の出典と推測されます。

木村重成の墓(八尾市幸町)

4月24日、八尾市内のウォーキングで最初に見つけたのが「木村重
成の墓」でした、木村重成は豊臣方の武将で、豊臣秀頼の全幅
の信頼を受け、3000石を拝領し、元服後は長門守(ながとのか
み)と称し、秀頼四天王と呼ばれ、大阪冬の陣では徳川方と対等
に戦い全国にその名を知られましたが、慶長20年(1615)の大阪
夏の陣、河内若江の戦いで戦死しました、23歳でした。

八尾市幸町、木村公園

木村重成の墓

墓石には「長門守木村重成の墓」と刻まれています。

2015,04,24 撮影

大阪市の中之島に記念碑があります、下記をクリックして確認してください。

木村長門守重成表忠碑(中之島公園)


 
4月28日:21282歩

珍しい形の木がある「天神社」(茨木市野々宮)

大阪府神社データーに載っている、茨木市野々宮にある天神社(
てんじんしゃ)は現地の鳥居の額の名称は天満宮となっており、
また鳥居横にある石碑は「乙神社」と読めますが、それは誤りで
天の字を最もくずすと「乙」の字に似ていますので石碑の文字
はあくまで「天神社」と読んで下さい。


その神社で私が今までに見たことのない形の木の枝がある大木
を見つけだのです。 
木の枝がツララ(氷柱)のような形をしていたのです。
専門用語があると思い、さっそく調べてみたら、やはりありました、
イチョウの木等に出来る場合があり、乳房に似ていることから「チチ」と
呼ばれ神社などの大木に出来るので信仰の対象になるそうです。
そのような形になる原因はわかっていないようです。

「天神社」:茨木市野々宮2-1-8  鳥居の額の名称は天満宮

鳥居横の石碑の名称は「乙神社」と読めますが、実は天の最もくずした
字が乙の字に似ていることが神社に詳しい人の指摘により分りました。

茨木市の神社めぐり、残り36社。

「チチ」と呼ばれる枝の形  2015,04,19 撮影

私は初めて見ましたが、他の場所にも見られるそうです。

春日神社(茨木市下穂積)

中穂積の春日神社から徒歩10分足らずの所に下穂積、春日
神社がありました、住宅街の中にありました。
創建年月など由緒も分りませんが、鳥居の日付は享保3年(
1718年)と刻まれていました。

春日神社:茨木市下穂積3丁目13-13



2015,04,19 撮影 茨木市の神社めぐり残り37社




4月27日:16667歩

穂積城跡(茨木市中穂積)

茨木市中穂積、春日神社の境内で見つけた「穂積城跡」は現地
の説明板によると具体的な遺跡は何処にも見当たらないのです
が、小字名(昔の地名)に「城の堀」というところがあり、神社のあ
る山の上が広い平地になっているので城があったと推測している
のです。
築城年や城主などの詳細は不明です。

穂積城跡の石碑と説明板:(茨木市中穂積 春日神社境内)

2015年4月19日撮影

春日神社(茨木市中穂積)

4月19日、茨木市のウォーキングで2番目に見つけた神社は茨木市
中穂積の春日神社です、少し小高い丘の上にありました。
そこには穂積城跡の記念碑もありました。

春日神社:茨木市中穂積2-16-11

茨木市の神社めぐり、残り38社     2015,04,19 撮影

茨木市内には春日神社がここを含む8社あります。




4月26日:16388歩

「のだふじ」見学(福島区の花)

昨日は、新聞紙上で話題になっていた、大阪市福島区の「野田
藤」を見学してきました。
野田藤は江戸時代、現在の大阪市福島地区、玉川・野田地区は
「野田村」と呼ばれ当時「藤乃宮」と呼ばれていた春日神社(玉川
2-2-7)の境内一面に藤の花が咲いていました、この藤は花房が
長く特に優良種とされ「野田ふじ」の名で全国に知られていました、
牧野富太郎博士が日本の藤をツタが右巻きのフジを「ノダフジ」、ツタが
左巻きを「ヤマフジ」と命名したのです。
江戸時代、文禄3年(1594)豊臣秀吉も野田を訪れ藤見物をした事
が記録に残っています。
第二次大戦で焼失しましたが、その後再び福島区を野田ふじの名所
にするため、大阪福島ライオンズクラブ、福島区、地域住民の力で復興
したのです。


阪神野田駅で頂いた「のだふじマップ」

「野田ふじ」は一か所に咲いているのではなく、何か所にも分かれています、
下記以外にもありますが、代表的な場所は下記A~Iで私は全て見学しまし
た、時間のない人にお勧めはA(阪神野田駅前)、C(春日神社前)、D(下
福島公園)、F(浦江聖天 了徳院)です。



A(阪神野田駅前)

「のだふじ」発祥の地、C(春日神社前)

D(下福島公園)

F(浦江聖天 了徳院)
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