ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2015年05月

難読の神社「高皇産霊神社」(伊丹市)

5月24日伊丹市神社めぐりで4番目に参拝した「高皇産霊神社」は難しい
読み方の神社で「タカミムスビ」と読みます。

高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)は日本の神話に出てくる三つの神様の一つで、
あと二つは天御中主尊(アメノミナカヌシノミコト)、紳皇産霊尊(カミムスビノミコト)です。
なお日本書紀では高皇産霊尊、古事記では高御産巣日神(タカミムスビノカミ)と
書きます。

高皇産霊(たかみむすび)神社:伊丹市山田4-4-3  別名、山田神社



平成17年1月17日、阪神大震災で崩壊した鳥居を保存していました。


5月31日:16992歩

商売繁盛の神様「西天神社」

5月24日、伊丹市内で三つ目に参拝した西天神社は東天神社から西へ
約500mの所に大きい看板があり「商売繁盛  西天神社」と書かれてい
ました。

西天神社(にしてんじんしゃ):伊丹市昆陽北1丁目5-21





地名 昆陽 の由来「東天神社」

5月24日、伊丹市の神社めぐりで2社目の東天神社には地名「昆陽」
の由来を書いた説明板がありました。

東天神社(ひがしてんじんしゃ):伊丹市昆陽4丁目1)

 東天神社は国道171号線沿いにのバス停「伊丹病院住友前」の南にあり
大きいい看板には「延命、長寿、健康の守護神」と書かれています。

地名 昆陽 の由来が書いてある「東天神社」鳥居横にある説明板

昆陽の由来は下記3つの説があります。
①古代国家の有力氏族「中臣氏」がこの地を支配した時、祖先の「天
  児屋根尊」の名前から「児屋」の文字を取って地名にして「昆陽」に
  なった説。
②約1200年前、僧行基が建立した昆陽寺からとった説。
③小屋からきた説。


5月30日:32568歩

昆陽池公園「コブハクチョウ」(50番目に写した野鳥)

「コブハクチョウ」は深北緑地(大阪府大東市と寝屋川市にまたがる緑地)
でも見たことがありますが、自然に住んでいる「コブハクチョウ」を見るのは
昆陽池公園が初めてでした。(深北緑地のコブハクチョウは他の場所から
持ってきて飛べないように羽を切っているらしい)

「コブハクチョウ」:2015,05,24 昆陽池公園(伊丹市)にて撮影

昆陽池公園のコブハクチョウは空を飛ぶこともあるそうです。

美しい景色の昆陽池公園


私は今までに74種類の野鳥を見ましたが、撮影に成功したのはコブハクチョウが
50番目です(日付の空欄は見つけたのみで撮影できなかった野鳥)

昆陽寺(伊丹市寺本)

5月24日、伊丹市の神社めぐりで猪名野神社(寺本)の近くで大きい
寺院、昆陽寺(こやでら)を見つけました。

伊丹市ホームページより

昆陽寺は奈良時代の名僧、行基が建立した畿内49院の一つで、
天平
3年(731年)創建の昆陽施院の後身寺院。朱塗りの山門と
境内の観音堂が昭和
44年に、また山門内に安置されていた広目
天・多聞天立像が平成
10年に、それぞれ兵庫県指定文化財とな
っています。


昆陽寺:伊丹市寺本2-169

2015,05,24 撮影




5月28日:22538歩

「ブラシの木」猪名野神社(伊丹市寺本)

5月24日は伊丹市内をウォーキングして神社を6社見つけました。
最初に参拝したのは伊丹市寺本にある猪名野神社でした。
その猪名野神社に向かう途中の小さい公園で今までに見た事の
ない珍しい赤い花を見つけました。
瓶の中を洗うブラシにそっくりの形をしており、後で調べたら花の
名前が「ブラシの木」でした。

「ブラシの木」:別名 カリステモン、ハナマキ(花槙)、キンポウジュ(金宝樹)
            オーストラリア原産、明治中期日本に渡来



猪名野神社:伊丹市寺本2-81

2015,05,24 撮影


逢合橋七夕歌碑(天の川緑地)

天の川に架かる逢合橋のそばにある歌碑は作者不詳ですが、七夕
伝説のことをうたった万葉集の歌碑でした。

逢合橋七夕歌碑(万葉集、作者不詳) 2011年7 月6日建立

2015,05,23 撮影





5月28日;17288歩

柿本人麻呂 歌碑(交野市 天の川緑地)

5月23日のウォーキングは交野市の天の川緑地を歩きました、過去に
何度も歩いている場所で歌碑のあるのも知っていましたが、写して
いなかったのです、合計3か所ありましたが、そのうち1件は2013年
11月5日のブログに取り上げていました。


柿本人麻呂 歌碑(交野市 天の川緑地)    建立日:2011年11月3日

2015.05,23 撮影




2013年11月5日のブログの歌碑

天野川の歌(藤原為家の歌碑)

明治天皇の仰せで出来た大阪「豊国神社」

5月20日の大阪市内ウォーキングで参拝した大阪城内にある「豊国神社
」が明治天皇の仰せで出来たことがわかりました。
そのいきさつは下記です。

豊国神社は京都にありましたが、豊臣家が滅びると徳川幕府は神社
を没収し、社殿は朽ち果てていました。
明治になってから立場が逆転して、最後の将軍である徳川慶喜(よしの
ぶ)は天皇に歯向かった逆賊とみなされ謹慎しました。

明治天皇は明治元年に大阪に行幸になった時、豊臣秀吉は天下を統一
し国家に貢献すること大である、しかも幕府を作らなかったのは真の忠臣
であるといわれ、大阪の地に豊国神社を祀るように仰せられました。
そして京都の豊国神社を本社として再興され、大阪には別社として今の
中之島公会堂の付近に明治12年に創建されました。
大正10年に京都の豊国神社から独立し、昭和36年に大阪城内に遷座
しました。

「豊国(ほうこく)神社」:大阪市中央区大阪城2-1

2015,05,20 撮影

豊国神社境内にある豊臣秀吉公の像


京都の豊国神社は下記を確認下さい。

豊国神社(京都市東山区)



5月27日:21753歩

石山本願寺推定地(大阪城)

大阪城内を歩き、新たに発見した史跡の一つに「石山本願寺推定地」
があります、修道館(大阪市立の武道館で剣道、柔道空手などの武道
の試合が行われる)の西側で見つけました。

石山本願寺推定地(大阪城)

2015,05,20 撮影





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