ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2015年06月

龍女神像(堺市堺区)

日本一低い山「蘇鉄山」を見た後、6月28日は堺市内をウォーキング
しました。
一日一件では全てを紹介するのに一か月以上かかるほど多くの
史跡や名所がありました。
蘇鉄山のある大浜公園から見える「龍女神像」は明治36年に開
催された内国勧業博覧会の際に当時東洋一を誇った大浜水族
館の前に設置されましたが、室戸台風の影響で水族館と共に解
体され、平成12年に市制110周年記念事業で復元建設されたま
した。高さ16mの石の台の上に10mのブロンズ製の乙姫像が立っ
ています。

龍女神像:堺市堺区北波止町

2015,06,28 撮影




6月30日:16423歩

日本一低い山に登る「蘇鉄山」(堺市)

6月28日、堺市にある日本一低い山「蘇鉄山」に登ってきました。
そもそも、この山があることを知ったのは昨年飯盛山で出会った
静岡の青年に教えて頂いたのでした。
それから、蘇鉄山に行きたくなり一年以上かかって、やっと念願
が叶いました。

また日本一低い山として下記の山があることが分りました。



「蘇鉄山」:堺市堺区、大浜公園内

蘇鉄山頂上  2015,06,28 撮影

蘇鉄山一等三角点



大宮神社(旭区大宮)

6月26日、大阪市旭区大宮の大宮神社に参拝して旭区の神社めぐ
りは終わりました。
一つの目標を決めて達成することは心地良いものです。
現在進行中でまだ終わっていないのは、茨木市が残り8社、生駒市
残り5社、大阪市中央区残り4社、北区残り4社です。



大宮神社:旭区大宮3丁目1-37





現地には由緒書きはありませんが、ネットに神社のホームページがあり
下記にコピーを貼り付けます。
源義経や豊臣秀吉の名前が出てきます。



6月29日:20404歩

天満神社(生駒市高山9060)

大阪市城東区の神社めぐりも終わり、次に四條畷市から近いのに
まだ神社めぐりをしていなかった生駒市の神社めぐりを始めました
、調べたら生駒市には全部で10社ありますが、昨年、神社めぐりで
はなくウォーキングの時に見つけた神社が4社あり、残り6社がまだ参拝
していない神社でした。
6月23日は生駒市高山にある天満神社に参拝しました、高山には天
満神社は2社あり、23日に見つけたのは高山9060番地の方です。
ナビの案内する場所についても神社は無く、非常に見つけにくい神社
でした、聞く人もいなく、付近をしばらく歩いていたら、地元の人が庭
先に出ていたので尋ねて、やっとわかりました。
わかり難かったのは、小さい山の中にあり、樹木で覆われていて神社
は見えなく、また、そこに行くまでには民家の敷地内のような道を通過
するためでした。
聞く人がいなければ絶対に見つからない神社でた。



天満神社:生駒市高山9060番地

生駒市の神社めぐり残り5社。

社殿のそばにアンテナがあるので、目印になるでしょう。



御覧のように神社の姿は見えませんアンテナの頭が見えるだけです。

鴫野古戦場跡(城東小学校内)

6月19日の城東区の神社めぐりの時に、城東小学校の敷地内に
記念碑があり、よく見ると、大阪冬の陣の古戦場跡でした、大正9
年に建てられた大きい方の記念碑と平成26年11月に建てられた
記念碑が二つありました。

現地にも説明板がありましたが、城東区のホームページの方を下記に
転記します。
大坂冬の陣、慶長19年(1614)11月、最大の激戦地跡である、冬の陣
の主戦場は鴫野・今福付近であったが、地形的には旧大和川の支流が
分流して深田が多く、大規模戦闘には不向きであった。そこで双方は
銃撃戦でのぞみ、合い間に堤防上で遭遇戦をくり返した。この時、城
方は木村重成が初陣し、後藤又兵衛と共に奮戦している。勝敗は一進
一退で決せず、徳川家康は予想外の抵抗に手をやき、寒さが厳しくな
る時期でもあったので和睦へもちこみ、大坂城外堀を埋め立てる戦術
をとり、束の間の和平の後、夏の陣を迎え豊臣氏は滅亡するのである。

鴫野古戦場跡(城東小学校内):大阪市城東区鴫野東3丁目16

2015年6月19日撮影

柵の隙間から写した大正9年建立の記念碑

柵の隙間から写した平成26年建立の記念碑


6月28日:60537歩

東本稲荷神社(城東区中浜)

大阪市城東区中浜の東本稲荷神社は城東区の神社めぐりで最後
に参拝した神社です、住宅地の中にあり敷地は狭い神社ですが、
歴史の古い神社です。

天正4年(1576年)の兵乱で神殿を焼失しましたが、慶長8年
(1603年)豊臣秀頼により再建されました。しかし、元和元年
(1615年)の大阪夏の陣で再び焼失し、その後、江戸時代に
大阪城代阿部備中守正次が再建しましたが明治18年の大洪
水により流失と、興亡を繰り返しました。昭和3年に境内地を
拡張して神殿を再建し、今日に至っています。かつて、毎月8
日の夜店は大いににぎわったそうです。(城東区ホームページより


東本(とうほん)稲荷神社:城東区中浜3丁目19-11



住宅と住宅の間にありました。


2015年6月19日撮影



城東区の神社めぐり完結






大阪市内最大のイチョウの木「白山神社」(城東区)

城東区中浜にあろ白山神社(しらやまじんじゃ)には大阪市内で最
も大きいイチョウの木があります。
大坂夏の陣では、東軍の本田出雲守忠朝がここに陣を置き、この
イチョウの木に登って戦況を偵察したと伝わっていますが、いまは間に
高層ビルなどが立ち並び大阪城は見えません。

「白山神社」:城東区中浜2丁目3-15

2015-06,19 撮影



城東区の神社めぐり残り1社



6月27日:15072歩

黄金の船(大阪城内濠)

大阪城の内堀で見つけた黄金の船を紹介します。
この船は、大阪市が2014年、2015年に開催している「大阪の陣400年
天下一祭」というイベントの一つで、期間限定で4月25日から9月30日まで
で大阪城の内濠を約20分遊覧します。


豊臣期の大坂城と城下町を描いた貴重な屏風絵「豊臣期大坂図屏風」の中に見られ
る秀吉の「鳳凰丸」をモデルに、大坂の陣から400年を経た平和な大阪で、秀吉
が生きていたら、黄金の御座船にするだろうという意を込めて、船全体に純金箔貼
りをしたものです。




2015,06,17 撮影







6月26日:26006歩

「蓮如上人袈裟懸けの松」(大阪城内)

「蓮如上人袈裟懸けの松」、この史跡はウォーキング中に偶然見つけ
たのではなく、大阪城のことを調べている時に、このような史跡が
あることが分り、6月17日のウォーキングを大阪市北区の神社めぐり
と合わせて探したものでした。
場所は大阪城の梅林の南側の坂を上ったところにありました。

豊臣秀吉が大阪城を築城する以前、この地は石山本願寺の寺内町
として栄え2000軒に及ぶ町屋が立ち並び、当時の堺と並ぶ都市で
した。
浄土真宗の本願寺第八世蓮如上人が今は切り株だけになっている、
この松に袈裟をかけ、宗派の繁栄を願って祈ったと伝わっています。

「蓮如上人(れんにょしょうにん)袈裟懸けの松」は今は切り株だけと
なって、中央の東屋の中にあります。

「袈裟懸けの松」は今は切り株だけとなっています。

2015,06,17 撮影




6月25日:19020歩

「合水堂 華岡流外科顕彰碑」(中之島)

6月17日の大阪市のウォーキング中、中之島で真新しい黒い石碑を見つけ
ました、石碑の表には「合水堂 華岡流外科顕彰碑」裏面には長い説明
文が刻んでありました。
石碑は今年4月25日に除幕式があったものでした。

裏面の長い説明文は下記です。

華岡青洲は、全身麻痺薬「通仙散」を創製後、1804年世界で初めて
全身麻痺
による乳ガンの摘出手術に成功しました。そして和歌山に医
学塾兼病院として
「春林軒」を創設し、1816年大阪中之島に末弟の
鹿城が分塾「合水堂」を開
設しました、鹿城が亡くなり、さらに青洲
没後、
1837年、青洲の弟子である南洋が大阪に移り「合水堂」を支え
ました。

華岡流外科の門人数は、現存する「門人録」によれば、1780年から
1882の間に、総勢約2200人になります、最先端の医学知識、医術を
求めて全国各
地から集まった医師の半数は「合水堂」で学んだと推測
されています。「合水
堂」は上方文化の中心であった大坂から情報を
発信して、わが国の医学の発
展へ大きな業績を遺しました。

2015年は南洋の没後150年、2016年は「合水堂」開設200年に当たりま
す。
この顕彰碑の建立によって、華岡流医術の歴史が末永く伝えられる
ことを願
っています。

「合水堂 華岡流外科顕彰碑」: 場所 大阪市北区中之島






6月24日:15134歩

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