ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2016年04月

初めてキジのオスを写す

昨日は茨木市の道の駅「見山の郷」へ久しぶりに行き、早く到着したので
ウォーキングしていると近くの水田でキジの鳴き声がしたので、よく見るとキジ
のオスが歩いていました、今までキジのメスは見た事がありましたが、オスは
飼育されているのを見たことがありましたが、オスが自然の野山にいるのを
初めて見て写しました。

茨木市大字長谷にて 2016,04,29 AM 8:49 撮影






4月30日:30355歩

春一番の由来「春一番の塔」

ツアー旅行3泊目の壱岐市「ビューホテル壱岐」に到着し夕食までに時間があった
ので、付近をウォーキングして、見つけたのが「春一番の塔」です。
気象用語の「春一番」という言葉は、この地が発祥の地であることが書いてあ
りました。

「春一番の塔」 長崎県壱岐市郷ノ浦町



「五十三霊得脱之の碑」


2016,04,15 PM 5:21 撮影

春一番の海難記
漁民達は早春に吹く、「春一番」、「春一」、「カラシ花落とし」と呼ばれる南の暴風
を恐れた。
この風が吹き吹き通らぬうちは、落ちついて沖に出られなかったからである。
元居浦は延縄漁を主とし、漁船は四、五人乗組の小型であった、五島沖の喜
三郎曽根は鯛の好漁場といわれ、月に一度か二度、天候を見定めて出漁して
いた、安政六年(1859)旧二月十三日は快晴で格好の出漁日和であった、殆ど
の漁船が喜三郎曽根に出漁、各船は順風に恵まれて予定の時間に到着した、
直ちに延縄を張り始めたが、一船が南の水平線に黒雲の湧き昇るのを発見「春
一だ」と叫んだ、それを聞くや、ことごとくの船が、今仕掛けたばかりの延縄を切
り捨て、帰帆の用意にかかったが、強烈な南風は海上を吹き荒れ小山のような
怒涛が漁船に覆いかぶさってきた。
漁民達はなすすべもなく、船もろとも海中に消えて行ったのである、遭難者の数
は五十三名であった。 元居浦では、その後「五十三霊得脱之の碑」を建立し、
毎年旧二月十三日は、どんな天候の良くても注しとし、漁民等一同が集まり、海
難者の冥福を祈念そろことを行事とし、今日に及んでいる。
昭和六十二年二月十三日(旧二月十三日)
 郷ノ浦町文化財調査委員会
 日本民俗学会員        日良 亀久

 

はらほげ地蔵(壱岐市芦部町)

左京鼻を見学後、次は「はらほげ地蔵」でした、「ほげる」は方言で穴が
あくと言う意味で、写真ではわかりませんが地蔵の腹に穴が空いている
のです。

はらほげ地蔵:長崎県壱岐市芦部町

2016,04,15 撮影





                                はらほげ地蔵
胸のところに丸い穴があるので、はらほげ地蔵と呼ばれている。
干潮時には浜に下りて拝むが満潮になると、頭上まで かくれるので胸の
穴をあけて、供物をあげたものであろう。
此の地蔵は何時だれが、何のために祀ったか、明らかではないが、遭難
した海女の冥福のため、又捕獲した鯨の慰霊のため、あるいは疫病退散
祈願のためとも伝えられている。
春秋彼岸明けと旧盆の十五日には各戸参詣し、又旧十月二十四日には
浦中行事として供養が行われ浦中安泰海上安全大漁満足の祈願がされ
る。海中を好まれると言ふので、八幡漁港整備に当って現在地まで移動
が行われた。
         平成元年十一月十日 壱岐市教育委員会

4月29日:21058歩

左京鼻の由来(壱岐市)

4月15日昼食後、対馬市の観光は終わり次の観光地、壱岐島へ高速船で
行きました、最初は壱岐随一の景勝地、左京鼻へ行きました。
(壱岐では地名の「鼻」とは突端の断崖絶壁を意味します)

左京鼻(壱岐市)

2016,04,15 PM 2:40 撮影

左京鼻の由来は雨乞いをした陰陽師、後藤左京の名前に由来している
ことが説明板に書かれています。


左京鼻の由来

江戸時代の初頃 大旱魃(かんばつ)に襲われ田畑の作物は枯死に
瀕し人々は生活に苦しんだ。陰陽師の後藤左京と龍蔵寺五世日峰
和尚の二人は農民の要望にこたえて、雨乞いの祈祷を受託し身命
を賭して人々の救済を誓った。雲一つない毎日であるが一心不乱に
天に祈り地に伏した。だが雨は降らず満願の日がきた。座禅をして
いる和尚の周りに積まれた干把の麦わらに火が点じられた紅蓮の
炎の姿を包み又左京は岬の断崖から身を投じようと席を立って構え
るや否や車軸を流すような豪雨となって山野を潤した。左京鼻のい
われは切り立った石があるので「石橋」から出た言葉ともされるが雨
乞いをした後藤左京の名であるとも伝えられている。
 壱岐市教育委員会

八幡宮神社(対馬市厳原)

対馬市歴史民俗資料館を見学後、近くのレストランで昼食をして集合時間ま
で30分以上あるので私は、一人でウォーキングをして八幡宮神社を見つけ
参拝しました。

八幡宮神社:対馬市厳原町中村字清水山645-1 通称:厳原八幡宮



2106,04,15 PM 0:21 撮影

社号 八幡宮神社(厳原八幡宮神社) 旧県社
本社は神功皇后三韓御征伐の時対馬國に御着船ありて上県郡和珥の津
より三韓に渡り給ひ三韓を平げ給ひて凱還の時清水山に行幸ありて此の
山は神霊の止まるべき山と宣ひ神鏡と幣帛を岩上に置き皇后親から天神
地祇を祭りて永く異國の寇を守り給へと祈り給ひて神籬磐境を定め給ひし
所と伝ふ。天武天皇白鳳四年の勅によりて同六年茲に宮殿を造らしめ給
ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と稱し奉る。明治七年六月社
格郷社に列せられ大正五年十一月二十六日県社に昇格す。

4月28日:10191歩

朝鮮通信使の碑(対馬市厳原)

対馬市の観光で、万松院(宋家墓地)の次に長崎県立対馬歴史民俗
資料館を見学しました。
資料館の手前で江戸時代鎖国期に日韓交流の重要な役割を果たした、
朝鮮通信使の碑を見つけました。

朝鮮通信使の碑:長崎県対馬市厳原町 長崎県立対馬歴史民俗資料館そば

2016,04,15 撮影

碑文は日本語とハングル併記です。

 江戸時代の朝鮮通信使
朝鮮通信使は、慶長12年(1607)から文化8年(1811)までの間に12回
来日しました。それは、日本と李氏朝鮮との間の善隣友好の誼(よしみ)
を通わす国家外交の使節でもあり、一大文化使節でもありました。
特に、正使以下500名にも及ぶ一行の来日は壮麗な絵巻を成し、洗練さ
れた学問・芸術と、絢爛とした異文化の香りを伝えるものでありました。
この朝鮮通信使の有形無形の行跡は現在も各地に色濃く遺り、近世日本
が鎖国時代にも、ことばと慣習を異にしながら誠信の心による伉礼を交わ
した隣国と、その人々へのさらなる尊崇の情念を拡げさせます。
世紀を超えて、今、新しい東アジア国際社会の構築の時に鑑み、朝鮮通信
使の恒久的に有する史的意義への思いを深くするものです。

伉礼(こうれい):対等の礼で人を遇して差別しないこと。

日本三大墓地「対馬藩宗家墓地 万松院」

対馬市の観光、石屋根の次は日本三大墓地の一つがある寺院「万松院」
でした、対馬第2代藩主の宋義成が父義智(初代藩主)の追善供養の為に
建立された寺院で、樹齢1200年の大杉や、堂内には徳川家累代の位牌(
本物そっくりの複製品)、朝鮮国王から贈られた三具足、などの見どころが
多くありました。

日本三大墓地
 ①金沢市 前田藩墓地 
 ②萩市 毛利藩墓地 
 ③対馬市 対馬藩宋家墓地(万松院)

三具足(みつぐそく)
 仏具の呼称で、香炉、燭台、花立のこと。
 
万松院(ばんしょういん):長崎県対馬市厳原町厳原西里192

万松院本堂

朝鮮国王より寄贈の三具足(日本遺産認定)

境内にある墓地


4月27日:12217歩

「石屋根倉庫」(対馬市厳原椎根)

小茂田浜神社の次に見学したのが、日本では対馬だけ残っている「石屋根
倉庫」です。
明治以前、庶民が住む家の屋根は「瓦葺」は許されておらず、「茅葺(かやぶ
き)」でありました。
ところが、茅葺屋根は一度火事になると周辺まで延焼してしまうことも少なく
なかったそうです。
そこで、たとえ住居は焼けても、食料や主要な衣料や器具類は焼失から免れ
るという「知恵」によって、母家から離した場所に倉庫を建てるという習慣が出
来ました。

「石屋根倉庫」(対馬市厳原椎根)

2916,04,15 撮影


小茂田浜神社(対馬市厳原小茂田)

4月15日、上見坂展望台の次の見学地は小茂田浜神社です。
文永11年(1274)九州に攻めいった蒙古軍(俗に言う蒙古襲来)は神風
吹き壊滅して吹き逃げ帰った話は有名ですが、蒙古軍は九州へ行く前に
、まず対馬を攻めました、その時の上陸地が今は海水浴場になっている
小茂田浜です、そこで戦死した日本軍の将兵を祀った神社が小茂田浜
神社です。

小茂田浜(こもだはま)神社:長崎県厳原(いずはら)小茂田742

2016,04,15 撮影

蒙古軍が上陸した小茂田浜

文永11年と弘安4年と蒙古襲来は二度ありました。


4月26日:27147歩

上見坂堡塁跡(上見坂公園)

ツアー三日目、最初の観光地は上見坂公園です、標高358mの展望台
からは、天気の良い日は遠く九州や韓国の山々が見る眺望です、その
展望台の裏手に明治時代に造られた上見坂堡塁跡があります。
堡塁(ほうるい)とは、敵の攻撃を防ぐために、石・土砂・コンクリートなどで
構築された陣地のことで、今でも砲台跡や兵舎跡等が残っています。
口径15センチの大砲4基がありましたが実戦では一度も使われませんで
した。

上見坂(かみさか)公園:長崎県対馬市巌原北里

上見坂堡塁跡

2016,04,15 撮影




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