ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2016年08月

初めて見た「シマイシビル」

8月28日は、再度、木津川市の神社めぐりウォーキングをして4社参拝するこ
とが出来ました。 
最初に参拝する目的の田中神社に向かう途中の水田の中で今まで見た
事のない生物を写して後で名前を調べたら「シマイシブル」という蛭(ひる)の
仲間でした、ヒルといえば人の血を吸う事を知っていましたが、血を吸うの
は他の種類で、このヒルは血を吸わないそうです。
図鑑には一般によく見かけると載っていましたが、私は初めて見ましたの
で写真で紹介します。

「シマイシビル」 木津川市 木津中学校前の水田にて 2016,08,28 撮影

体の細い方が前で左の方に進んで行きました。

体長 15cm 程度です  体は伸びたり縮んだりしながら進みます。


8月31日:15015歩

若宮神社(木津川市吐師医王寺)

8月14日、木津川市神社めぐりウォーキングで最後6社目に参拝したのが
若宮神社です。
白山神社から、徒歩2~3分の所に鎮座しています。

若宮神社:木津川市吐師医王寺(はぜいおじ)48

2016,08,14  17:10  撮影






京都府神社庁の登録名は「若宮社」となっていますが、現地の額は「若宮神社」
となっていました。


8月30日:20603歩

白山神社(木津川市相楽大徳)

8月14日の木津川市神社めぐりウォーキングで6社参拝しましたが、
5社目に参拝した白山神社は、京都府木津川市の神社リストに
は載っていませんが、グーグルの地図で見つけた神社です、した
がって正確な住所は分かりませんでしたが、後でわかりました。
読み方も「しろやま」か「はくさん」か、分りません。


木津川市には京都府神社庁に登録の白山神社が3社ありますが
下記3社とは別に見つけて参拝しました。
 ①木津川市岩舟上ノ門94
 ②木津川市大畑榴谷64
 ③木津川市市坂幣羅坂100

8月14日に参拝した白山神社はスーパー「平和堂アル・プラザ木津」 の近くで
上記の住所ではなく、京都府神社庁に登録されていない神社と思われま
す。

白山神社:正確な住所不明 木津川市 スーパー「平和堂木津アル・プラザ」そば
 (グーグル地図の白山神社をクリックすると住所が出ました、木津川市相楽大徳)           

2016,08,14 16:54  撮影

神社名「白山神社」の入った石灯籠

石灯籠の日付は今年の日付(平成28年6月)です。

グーグルの地図に載っている「平和堂アル・プラザ木津」そばの白山神社

白山神社境内から見えた「平和堂 アル・プラサ木津゙」


8月29日:18227歩

「大仏鉄道」とは(木津川市)

JR加茂駅前で「木津川市誕生記念碑」を見つけてブログで紹介しましたが、
そのそばで、もう一つの説明板「大仏鉄道ってなに?」を見つけたので紹介し
ます。

今はJR線になっていますが、1897年(明治30年)に名古屋~加茂間を開通さ
せた関西鉄道株式会社は、名古屋方面から奈良への観光客の誘致を図るた
め、引き続き加茂~奈良間に木津を経由しない新線の建設を始めました。
翌明治31年には加茂~大仏間8.8キロメートルが、明治32年には大仏~奈良
 間1.1キロメートルが開業し、ここに加茂~大仏~奈良間全長9.9キロメートル
 の大仏鉄道が完成をみたわけです。
しかし、大仏鉄道はそのルートを最短距離となる奈良山丘陵に設定していたた
め、勾配がきつくイギリス製の新鋭機関車でも途中で留まることもあり、乗客が
おりて押したことがあったそうです。
明治40年8月21日に加茂~木津~奈良間に平坦な現在のJR関西本線のルー
トが開通したため、大仏鉄道は廃止され、11月には駅舎とレールの撤去が開始
されました。大仏鉄道は、開業からわずか9年余りでその姿を消したこととなった
のです。

この説明板はJR加茂駅前


城山台公園(大仏鉄道公園)




この説明板は城山台公園(大仏鉄道公園)


この路線図をみて、放出から網島まで線路があったのに新しい発見がありました。




8月28日:42375歩

山城国分寺跡(木津川市)

恭仁宮跡は2015年4月に散策してブログにも取り上げましたが、同じ敷地内
に山城国分寺跡を2016年8月14日、木津川市の神社めぐりの時、見つけ
たので紹介します。
今からおよそ1300年前、恭仁京が日本の首都としての期間は短くわずか4
年でしたが、その跡地は山城国分寺として再利用され、恭仁京の大極殿を
そのまま金堂として、それを中心に南北3町と広大な寺院でした。
その基礎石が今も残っています。
昭和32年(1957)7月に国の史跡に指定され、平成19年(2007)2月には史
跡名称が「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」となり宮跡全体が守られています。

山城国分寺跡:木津川市加茂町例幣

2016,08,14  12:19  撮影





    
 恭仁京跡(木津川市加茂)


8月27日:22668歩

木津川市誕生記念碑(JR加茂駅前)

木津川市の神社めぐりウォーキングでJR加茂駅前にて「木津川市誕生記念
碑」と機関車の車輪を見つけました。
説明板によると、加茂町長であった難波氏が大阪の会社より寄贈された
車輪を設置し、鉄道遺産として記念碑を私費で建立したものでした。

LR加茂駅前

2016,08,14  14:10  撮影





           木津川市の誕生を記念して
加茂町は水運業から始まり、鉄道の発展とともに躍進してきた町でもあり
ます。
加茂駅は1879年(明治30年)11月に開業し、駅の構内には機関庫、給炭
水施設などがありましたが、電化された現在、残されている鉄道遺産はラン
プ小屋、駅4番のりば、赤レンガ積みのホーム、跨線橋脚、大仏鉄道の遺構と
加茂小学校に保存中の蒸気機関車などがあります。
ここに設置しました蒸気機関車の動輪は、「8620型」の主動輪で1914(大
正3年)生まれでスポーク型(直径160cm・重さ約3トン)と呼ばれ、全国の幹
線を快速旅行用として走行したものです。
鉄路から蒸気機関車が消えて30有余年、加茂町の発展にも大きく貢献し
た大阪の共永興業株式会社の御厚意による寄贈を受け加茂町の鉄道遺
産保存推進のために私費で建立し木津川市に寄贈する。
      2007年3月吉日   加茂町長 難波久士

京都府木津川市
  西暦740年から744年は日本の首都、恭仁京があった。
 2007年に、木津町、加茂町、山城町が合併、人口は当時65825人、ニュー
 タウンの建設で全国有数の人口増加率 現在74809人。
 面積は85.18㎢ で東大阪市61.81㎢より広く、四條畷市18.69㎢の4.5倍。


8月26日;20847歩

800年前の現役水路 「大井手用水路」(木津川市)

木津川市の神社めぐりの時、約800年前に造られた用水路が今も現役で
使われている用水路を見つけました。
加茂町例幣 瓶原(みかのはら)地区は水の便が悪く畑のみで水田は少なく
米の収穫は殆どありませんでしたが、先人の努力で用水路を造り、今も使
われているのです。

大井手用水路:木津川市加茂町例幣  「旧地名 瓶原(みかのはら)」

注:瓶原(みかのはら)は旧地名で現在の木津川市の住居表示にはありません。

井手:飲料水や灌漑用にひく水路のこと。





ふろさとの用水路 大井手
瓶原(みかのはら)は恭仁京の頃から水利の便が悪く、畑ばかりで米の収穫が殆ど
ないところでした。
農家は旱魃(かんばつ)の被害を受け困窮しました。
鎌倉中期(1222)海住山寺慈心上人の努力で和束川から水を引き、10数年かけ
て約7㎞の大農業用水路(大井手用水路)を造りました。
当時は機械などなく、全て人手で山肌を拓き、岩を削る大変な工事でした。
これにより瓶原(みかのはら)の米の収穫量は約600石(90トン)から江戸時代には
2500石(375トン)までになったと言われています。
昭和28年、南山城大水害で一部損壊しましたが、800年経った今もその当時の基
本的な仕組みは変わることなく、大切な農業用水として利用されています。
①用水路の長さ    6755 m
②用水路の幅     約1.8 m
③用水の放流時期  5月初旬~9月中旬


8月25日:18504歩

春日神社(木津川市加茂町井平尾)

8月14日に木津川市の神社めぐりをして5社を参拝しました、3社目に参拝した
春日神社は国道163号線から信楽方面に行く道との分岐点の近くに鎮座して
いました。
神社の歴史について記録はありませんが、加茂町内で一番古い室町時代の宝
徳2年(1450)の棟札が見つかっています。

棟札(むなふだ、むねふだ)は、寺社・民家など建物の建築・修築の記録・記念と
して、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札。 


春日神社:木津川市加茂町井平尾

2016,08,14 12:50  撮影








8月24日:19681歩

「和同開珎」鋳造の地(木津川市)

木津川市の神社めぐりの時、「和同開珎鋳銭遺跡地」の記念碑と説明板
を見つけました。
日本で一番古い貨幣「和同開珎」がこの地で鋳造されたのです。
和同開珎の読み方に二つの説があり、私は学校で「わどうかいほう」と習い
ましたが、最近は「わどうかいちん」と読む場合が多いようです。

 1.「ちん」と読む説:「珎」の字は「珍」の異体字という説。
 2.「ほう」と読む説:当時の貨幣の銭文には殆ど(ホウ)が用いられて
   いるということから見て、和同開珎の珎も他の銭文の寳と同じで、珎を
   寳の略字と考えているのです。

和同開珎鋳造の地:木津川市加茂町銭司(せず)

なお地名の鋳司(せず)は平安時代の造幣局「鋳銭司(ちゅうせんし)」に由来
しています。

2016,08,14  撮影



          「和同開珎」鋳銭遺跡地」
          加茂町大字銭司小字金鋳山
奈良時代(八世紀)から鋳造された皇朝十二銭のうち、最初の貨幣である
「和同開珎」の鋳造遺跡である。
遺物は小字金鋳山全体から発見されているが、小字には「金谷」「和同」
など往時をしのばせる地名がのこっている。
他にもイロノ前・カジ上・フロノ本・フダ揚・ドウノ垣内・ドウノ後・クラ屋敷などの通称が
現存する。
この地に鋳造所が設置されたのは、律令政治の中央政府に近いこと、帰化
技術者の多くが住んでいたことなどが考えられる。
〇主な出土品
  「和同開珎」:銀・銅銭十数枚
  「るつぼ」  :銅をとかす道具。直径20~25cm。深さ5~6cm
          一方に注ぎ口がある、。
  「ふいご」  :送風施設の先端部
           長さ15cm~20cmの円筒で、径5~7cmの穴が抜けている。
  「銅滓」   :銅をとかしたかす。
  「砥石」   :鋳上げた貨幣を調整する道具。
  その他、   :木炭片、土釜、皿など。 
                    平成16年11月 加茂町文化財愛護会


上記の現地案内板は木津川市になる前のもので、平成19年3月に旧木津町
・加茂町・山城町の3つの町が合併し、人口7万4千の木津川市が誕生しました。

祇園神社(木津川市)

8月14日に木津川市の神社めぐりをして5社を参拝しましたが、2社目に参拝
したのは祇園神社です。
最初に参拝した、四ノ宮神社から歩いて10分の所にありました。
神社から美しい茶畑が見えました。
この神社も神社名を示す社号標や鳥居に額がありませんでした。

祇園(ぎおん)神社:木津川市加茂町例幣マメロ(まめろ)

2016,08,14  11:43 撮影



美しい茶畑




8月22日:19579歩
記事検索
プロフィール

ahisats3

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ