ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2016年09月

大阪府立八尾南高校跡

八尾市北木の本の楠木神社を参拝後、つぎの参拝予定に向かって歩
いているとき、八尾市立南木の本防災公園で「大阪府立八尾南高校
跡」の記念碑を見つけました。
調べたら八尾南高校は昭和55年(1980)に開校して2004年に八尾東高
校と統合して閉校になったことが分りました、わずか24年間でしたが、卒
業生としては寂しいことでしょう。

大阪府立八尾南高校跡(八尾市立防災公園):
                八尾市南木の本3丁目1-9





2016,09,18  12:26 撮影



9月30日:23143歩

「靫とは」樟本神社(八尾市北木の本)

安中新田会所跡を見学後、参拝したのが樟本神社です。
八尾市には楠本神社が3社あります。
私が参拝した順は下記です。
①樟本神社:八尾市北木の本
②樟本神社:八尾市南木の本
③樟本神社:八尾市木の本

樟本(くすもと)神社:八尾市北木の本5-73

9月18日の八尾市神社めぐり5社目

2016,09,18  12:15 撮影

楠本神社
当神社は延喜式神名帳に楠本神社三座の一つとして記載されている
式内社である。
大和時代、用明天皇の御代、この付近一帯は物部氏の住地であった。
物部守屋が本拠地である稲城の守護神として崇めていた布都大神を
布都大明神として奉祀されたものと伝えられる。
紀・記・古伝によると悪疫邪霊を祓い病気平穏、又、鍬、を司る農耕・
武の神として広く村民の崇敬を受け現在に至っている。
  八尾菊花ライオンズクラブ


紀・記・古伝:日本書紀、古事記など、古代の歴史書
(うつぼ):矢を入れて腰又は背に着けて持ち歩く容器。 箙(えびら)
        とも呼ばれる。


9月29日:24227歩

安中新田会所跡(八尾市)

9月18日に、八尾市の神社めぐりをする、きっかけになったのは、大東市
の平野屋新田会所跡のパネル展を見学した時、大阪には3大新田会所跡
があり、鴻池新田会所と加賀屋新田会所は見学済で安中新田会所がま
だ見学していなかったのです。
安中新田会所跡は八尾市にあり、ついでにその近辺の神社めぐりをしよう
と思ったのです。

大阪三会所
 ①鴻池新田会所(東大阪市鴻池)   2014,22,16 見学
 ②加賀屋新田会所(大阪市東住吉区)2016,03,28 見学
 ③安中新田会所(八尾市植松町)   2016,09,18 見学

安中(やすなか)新田会所跡・旧植田家住宅:八尾市植松町1丁目1-25

2016,09,18  11:49 撮影




江戸時代、大和川は奈良盆地から流れる水が柏原村で石川と合流して
淀川に合流していました、川筋では度々洪水の被害が多発していました、
地元の農民の訴えにより幕府は大和川の付け替えを決定しました、その
工事はわずか8か月という短期間で完成しました。
それにより旧大和川の川床が新田として開発され、その一つが安中新田
です。


9月28日:11552歩

渋川神社(八尾市)

9月18日の八尾市神社めぐり、4社目に参拝したのが渋川神社です。


渋川神社:八尾市植松町3丁目3-6      JR八尾駅南200m 



2016,09,18  11:21  撮影



渋川神社
式内社で天忍穂耳命、鏡速日命をまつる。もとは長瀬川の東岸にあった
が、天文2年(1533)の大洪水で流出、元亀3年(1672)現地へ移されたと
いう。
この地一帯は、物部氏の住地でこの社は古くは竜華寺の鎮守であったと
いう、鳥居前の観音堂はむかしの宮寺の一部で、境内にある樹齢1千年
という大楠樹は王租神社(神立)、善光寺(垣内)のそれとともに大阪府指
定の天然記念物である。     八尾市教育委員会

物部氏   :古墳時代の豪族
王租神社 :八尾市神立5丁目5-93 (今後参拝予定)
善光寺      :八尾市垣内4丁目41   (2013:12:03 参拝済)

河内の善光寺(八尾市)



9月27日:18571歩

コブシの実(むろいけ園地)

9月24日のウォーキングは久しぶりに飯盛山からむろいけ園地を歩きまし
た、むろいけ園地の管理事務所のそばにある駐車場で見た事のない
赤い実が地面に落ちているのを見つけ、上を見ると木にそれと同じ実
が沢山実っていました、さっそく写して名前を調べたら「コブシの実」で
した。

コブシの実 むろいけ園地にて2016,09,24  15:22  撮影



実の大きさはキーと比較してください(赤い実は全てつながっています)

2日後、外の殻がはじけて赤い実が出てきました  2016,09,26 12:25 撮影


訂正しました。
 当初「モクレンの実」と思っていましたが、赤い実を見て、もう一度、調べ
 直したら「コブシの実」でした。

コブシ(辛夷) 
 ・分類;モクレン科 モクレン属
 ・原産:日本   学名:Magnolia kobus
 ・名前の由来:こぶしの名前の由来は赤い実のでこぼこ状が、子供の
          「握りしこぶし」に似ていることに因んでいます。


9月26日:21516歩

渋川天神社(八尾市)

八尾市の神社めぐりウォーキングはJR放出駅で「おおさか東線」に乗り換え
て久宝寺駅でまた関西本線に乗り換え八尾駅で降りました。
太川神社、跡部神社を参拝後、3社目に参拝したのが、渋川天神社です。

渋川(しぶかわ)天神社:八尾市渋川町5丁目48

2016,09,18  11:03  撮影





渋川廃寺址
渋川天神社は素戔嗚尊、菅原道真を祀る古社である。神社の南
西の地は白鳳時代に渋川寺のあったところで、昭和十年頃、国鉄
の竜華操車場を開設工事のとき、多数の単弁八葉や忍冬唐草紋
の瓦及び塔心礎が出土した。 また一説には、この附近は、物部守
屋の別業の地でそこに渋川寺あったともいわれている。 仏教崇拝
抗争や古代の仏教を再検討すべき課題を提起している寺址である。
昭和62年3月 八尾市教育委員会

JR八尾駅



9月25日:12531歩

跡部神社(八尾市)

八尾市の神社めぐりで太川神社の次に参拝したのが跡部神社です。
神社の鎮座する地名は亀井町ですが、旧地名が河内国渋川郡跡部郷に
あてられ、東側には現在も「跡部本町」の地名が残ります。

跡部(あとべ)神社:八尾市亀井町2-4-5   JR久宝寺駅、西南へ徒歩15分

2016,09,18  11:02  撮影





飯盛山頂からよく見えるJR久宝寺駅前の高層ビル


私は、見落として写す事が出来ませんでしたが、境内に由来を書いた
説明の石碑があったようです(下記の由来は八尾市ホームページより)

由来
当神社は延喜式内社(今より約1080年前)人皇天皇第60代醍醐天皇
時代に延喜年間と言ふ年号が有り、通稱平安時代又は藤原時代と言は
れております。其の初期にお祀りされておりましたのを今の跡部神社であ
り、その時に有りました神社を式内社と言はれております 又神社の創建
せられました年月は不明でお祀りして有る御祭神もあきらかでありません
然し此の地は昔から古の跡部郷と言ひ阿刀連と言ふ人がおられました。
それ故に阿刀の連と言人の祖先としてお祀りされたと言はれております。
しかるに明治5年4月太政官公附で天照皇大神 伊弉册大神を一緒に合
祀せられ同年に村社に列せられました 現在は天照皇大神 阿刀連大神
八王子大神の御三方の神様がお祀りしてあります 八王子大神様とは北
亀井の里に小さなほこらにお祀りして有りましたが昭和の初期に神社に合
祀されました 跡部神社の建造昭和48年10月正遷宮に建設す


9月24日:36340歩

太川神社(八尾市南太子堂)

9月18日の八尾市神社めぐりウォーキングで最初に参拝した、太川神社の
名前の由来は、神社の由緒書きによると、大和川の呼び名が昔は太川
(おおかわ)と呼ばれていた事に由来します。

太川(おおかわ)神社:八尾市南太子堂6-11

2016,09,18  10:02  撮影




         太川神社  
 御祭神 素戔嗚命(すさのおのみこと) 保食神(うけ もちの かみ)
      由 緒 
 太川神社は太子堂中央字高見に鎮座(現在地八尾市南太子堂六丁目拾壱番
 地)太子堂は聖徳太子縁の古き地にして神社の建立亦古し創建の年代は詳ら
 かならざるも古来より當領水域一円を潤す太川の名に因み太川神社と称え奉
 る。御祭神の素戔嗚命は災難、厄除け招福の神として勇氣と活力を授け給い保
 食神は五穀豊穣と商賣繁昌に靈驗灼かなり。大和川、太川は太古より洪水の
 歴史を繰り返し、寶永元年(西暦1704年)現在の大和川に川違えせらる。翌 寶
 永2年旱魃起り以来村民水飢饉に苦しみ、厄除けの爲神社に参籠とんどを行い
 御祭神に祈願せり、その後惡疫水災害の憂いもなく平穏安泰となり住民遍く神
 の御恵みに浴し太子堂の氏神として崇敬篤く現在に至る。明治5年村社に列し、
 同年本地の稲荷社を合祀せり。
  例祭日 夏祭 7月吉日 秋祭 10月吉日 
  昭和58年12月吉日
   
舊:旧の旧字体  読み方=きゅう  意味=古い、昔の、以前の


9月23日:21809歩

大聖勝軍寺(八尾市太子堂)

9月18日は八尾市の神社めぐりをして、14社を参拝することが出来ました。
八尾市の神社めぐりをする、きっかけは、大東市の平野屋新田会所のパネル
展を見学した時、大阪には有名な会所が三か所あり、すでに2社は見学済
ですが残りの八尾市にある安中新田会所がまだ見学していなかったので、
そのついでにその近くの神社をウォーキングしながら参拝することに決めたので
した。
  大阪三会所
   鴻池新田会所  :東大阪市      見学済
   加賀屋新田会所 :大阪市住之江区 見学済
   安中新田会所    :八尾市        今回見学(後日ブログ掲載)

最初に参拝する跡部神社に向かって歩いているときに見つけたのが聖徳太
子が建立した大聖勝軍寺です(地元では太子堂と呼ばれています)。

 聖徳太子建立三太子
 叡福寺 「上の太子」:大阪府南河内郡太子町太子2146 未参拝
 野中寺 「中の太子」:大阪府羽曳野市野々上5-9-24   参拝済
 大聖勝軍寺 「下の太子」:住所下記
             今回参拝

大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ): 大阪府八尾市太子堂3丁目3-16




2016,09,18  09:56 撮影

太子と四天王の由来
千四百余年の昔、仏教伝来を巡り排仏派の反乱軍は仏教軍に猛攻を加え
、太子軍は三度大敗する。時に御年十六歳の太子は部下四将軍に四天王
の像を刻ましめ、誓願をたて排仏軍を平定する。 「いまもし我をして敵に勝
たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」(日本
書紀) 乱後難波の高台に日本仏教最始の四天王寺を建立し、仏教公伝の
礎となった当地渋川に勝軍寺を創建、御自身十六歳の植髪の太子像と四天
王像を安置されたと伝う。 聖徳太子第二番霊場 大聖勝軍寺


9月22日:14225歩

三嶽神社(福知山市)

玄武洞から大阪に向かって帰る途中に参拝した神社の最後は福知山市
の三嶽神社です。

三嶽(みたけ)神社:福知山市中佐々木

2016,09,03 17:40 撮影

三嶽神社  福知山市指定文化財   石造鳥居
この石造鳥居には明神鳥居と呼ばれる最も標準的な形式が用いられて
います。
柱間は二九〇センチ、石柱の直径は三四センチあり、ニ本の石柱は若
干内ころび(八の字形)に建てられ高さ二〇〇センチのところで貫と呼ば
れる石柱により繋がれています。
石柱の頂頭部には反りをもった島木と笠木が重ねて渡されており、笠木
と貫の間は篇額をかける為の束がつけられていますが、篇額はかけら
れておりません。
通常、石柱の根本には亀腹と呼ばれる饅頭状の石が使用されますが、
この鳥居には使用されていません。
右柱には元禄一〇年(一六九七)に建立された旨と「願主当村高山喜右
衛門」の銘があり、左柱には建立に関わった氏子の名が記してあります。  
福知山市教育委員会





福知山市指定 天然記念物 三嶽神社のケヤキ


9月21日:15091歩
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