ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2017年07月

日本に漢字を伝えた「伝王仁墓」

7月8日の松原市神社めぐりで6社目に参拝した出岡弁財天の鳥居の前に
「王仁の聖堂跡」の説明板があり、それによると、古墳時代・4世紀末期の
応神天皇の時に百済(現朝鮮半島南部)から来て日本に漢字を伝えた渡来
人・王仁博士が、現在の出岡弁財天付近に孔子を祀る聖堂を立てて学問を
広めたという伝承があります。
王仁博士というと枚方市に墓があり以前、行った記憶がありブログにも取り
上げているはずが、いくら調べてもないので、7月21日、自宅からすべて歩
いて「王仁墓」を探索に行きました。
王仁墓の前に「伝」とついているのは江戸時代にここが墓であると考証した
だけであり、確信がないからです。

JR藤阪駅付近からこのような案内板があり迷わずに行けます。

2017,07,21  09:48 AM

伝王仁墓:大阪府枚方市藤阪東町2丁目17−4








             大阪府史跡 王仁墓
王仁博士は古事記、日本書紀によると応神天皇の招きで朝鮮半島の百済
から論語千字文を携え渡来され日本文化の始祖として江戸時代よりこの地
に祀られていた。
享保16年(1731)京都の儒学者並川五一郎が文献により現墓地中央の自
然石を王仁の墓と考証、領主 久貝因幡守に進言、「博士王仁之墓」と刻ん
だ墓碑をうしろに建立した。
昭和12年(1937)北河内郡菅原村 山中村長が大阪府に史跡指定を上申。
昭和13年(1938)大阪府は古文化記念物保存顕彰規則により史跡13号に
指定した。
昭和15年(1940)財界文化人有志により周囲に玉垣を寄進、第二次世界大
戦のあと草むらに埋まり忘れ去られていた。
昭和59年(1984)王仁の祖国、韓国むくげ植樹運動本部から送られた「むく
げ」の花植樹を機会に市民有志で「王仁塚の環境を守る会」を結成、墓域浄
化運動を続けている。

出岡弁財天(松原市岡)



7月31日:59341歩

若宮神社(西宮市高座町 )

7月15日の西宮市 神社めぐりで最後6社目に参拝したのが若宮神社です。


若宮神社:兵庫県西宮市高座町(たかくらちょう)1

2017,07,15  02:47 PM



              廣田神社摂社
               若宮神社 
    祭神 若宮大神
創立年は詳らかではありませんが、戦国時代のものとされる。
「廣田神社中宮立之覚」(西宮市神社文書)にみられる「若宮殿」が当社の
ことと考えられています。
明治41年、廣田神社摂社に定められました。



伊和志豆神社(廣田神社摂社)

大きい神社には末社や摂社がありますが、数が多いので、私はあまりブログに
は取り上げませんが有名なものや珍しい摂社や末社を取り上げてきました。
廣田神社の境内にあった伊和志豆神社は社号標石碑に式内社と彫られてい
たので取り上げます。
式内社は神社の中でも格式の高い神社で、私は今まで摂社や末社で式内社
は初めて見ました。

伊和志豆神社(廣田神社摂社)兵庫県西宮市大社町7−7

2017,07,15  02:32 PM       7月15日の神社めぐり5社目

            延喜式内社 摂社 伊和志豆神社
  御祭神 伊和志豆之大神
創立年代は詳らかでないが、清和天皇貞観元年(859)正月27日従五位下
より上に進み延喜の制には官幣小社に列せられる。
室町時代には白川神祇伯の祓を修した6社の内の一社として厚い崇敬を集
めていた。
御祭神は一説によれば彦坐命(開化天皇の皇子なる日子坐王で廣田神社
を創建せられた神功皇后はその四世の孫に当たる)を祀ると言われている。
おとは廣田本社より東南約1.5キロのところに在り、大正6年7月16日に廣田
神社の境内に移転したが、戦後は本社に合祀していた。
平成2年の御大典にあたり社殿を再建し奉斎することとなった。
兵庫県武庫郡の式内社は廣田神社本社、摂社名次神社、摂社岡田(太)神
社、意和志豆神社の4社でいずれも廣田神社の所管である。


7月30日:12764歩

兵庫一の古社「廣田神社」(西宮市 )

7月15日の西宮市 神社めぐりで4社目に参拝したのが廣田神社です。
兵庫県一の古社で神社の格式も高く、官幣大社で別表神社です。
下記の御由緒には全国戎神社の総本社「西宮神社(西宮戎)」が廣田
神社の末社から独立したことも書かれています。
また廣田神社は阪神タイガースが優勝祈願をする神社としても有名です。

廣田神社:兵庫県西宮市大社町7−7

2017,07,15  02:13 PM

長い参道







                   廣田神社の御由緒
御祭神 御本殿 天照坐皇大御神の荒御魂
           伊勢の神宮に坐す天照坐皇大御神の勇壮果敢で活動的進
           取的な霊験均たかな御魂
      御脇殿 住吉三所大神、八幡三所大神、諏訪建御名方大神、
            高皇産霊大神
御創祀 神功皇后摂政元年(西暦201年)国難打破の道を示し、八幡大神の
      御  を告げ安産を導き、建国初の海外遠征に勝利を遂げた、廣田
      大御神の御神誨により、御凱旋も紀と、御心・廣田の国に国土安泰
      ・外難の守護として御創祀されたことが、我が国最古の国史書「日本
              書紀」に記されています。
御沿革  大同元年(806)封戸41戸、貞観10年(868)従1位昇叙、延喜年間(
              901~923)官幣名神大社・相嘗(あいなめ)祈雨の奉幣に列し、全国
              神社に冠たる22社に先立ち西暦2年(991)19社の一社に加えられ、
              朝廷より恒例・臨時の奉幣枚挙たることが古記録に残り、明治4年(
              1871)の社格復興の折には県内で唯一官幣大社に列格しました(明
               治18年には淡路・伊弉諾神功が官幣大社に昇格)
      明治7年には境内地を分譲与し末社の戎宮総本社・西宮神社を独立
              させています。
      「伊勢大神宮御同体」の兵庫県下第一の御者格由緒の大社よして広
               く崇敬を集め中世には「西宮市参拝」と称して国家の神事を司った神
               祇官の歴代長官や公家・五山の僧侶たちが度々に参詣し物語や和歌
               ・漢詩にその痕跡を残しています。
      豊臣秀頼は末社・戎社(現西宮市神社)と共に大規模な改築を行い現
              今の地に遷宮しました。
御神徳  御社殿は、伊勢神宮戦後初に式年遷宮に当たり荒祭宮旧社殿の譲与
              を受け昭和31~38年(1956~63)に神明造りにて遷宮がなされました。
              国民の総親神である天照皇大神は、八百万神々の中でも最高至貴なる
              、生活の基の衣食住を整えられた荒神にして、特に荒御魂の廣田大御
              神は、勝運合格・開運厄除・子授安産・交通安全・立身出世などに霊験
              高き神として万民の崇敬をあつめています。
      廣田大御神は和歌文学歌謡の神としての崇敬され、勧撰和歌集の選者
      である藤原鐘成や源俊頼は和歌に詠み、後白河法皇撰録の「梁塵秘抄
      」にも廣田神社やその所管社を詠い込んだ今録(当時の流行歌舞)が多
      数収録され、文学に関わる先賢たちが神恵をうけました。  

平成29年3月28日に阪神タイガースが優勝祈願に来た時の写真。

須佐之男神社(廣田神社末社)

7月15日の西宮市 神社めぐりで3社目に参拝したのが須佐之男神社です。
廣田神社境外末社ということは現地に行くまで知りませんでした。
兵庫一の古社「廣田神社」(西宮市 )

須佐之男神社(廣田神社境外末社): 兵庫県西宮市中須佐町3



2017,07,15  00:48 PM



                 廣田神社末社
                須佐之男神社
         祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
創立年は詳らかではありませんが、貞享年中(1684~87)の石燈籠が
あったとされることから、江戸時代中期には創祀されていたようです。
昭和18年、大社村と西宮市 の合併記念として地元・中区より境内が整
備され、さらに湊川神社摂社・神奈備神社の旧本殿を譲り受けて本殿
を改築しました。


7月29日:30025歩

熊野神社(西宮市 熊野町)

7月15日の西宮市 神社めぐりで2社目に参拝したのが熊野神社です。
高木東町の熊野神社は5月28日にしましたが、こちらは熊野町で敷地も
広く大きい神社でした。

由緒
当社の創建は、第59代宇多天皇の寛平年間(889~897)に鎮座された
ようで、往古、この辺りを広井の庄(別名、瓦林の庄)という荘園でしたが、
瓦林村の村名になる時、村の鎮守の神として紀州熊野那智大社より伊邪
那美尊(いざなみのみこと)を勧請されたそうです。
当初の社名は若王子神社と称していましたが、安政五年(1858)頃、若王
子大権現社といい、明治初年に熊野神社と改称されました。

熊野神社:西宮市 熊野町3-26





2017,07,15  11:35 AM


私は気が付かなかったのですが、境内に算学神社という末社があるそうです
、日本で初めてそろばんの塾を開いた毛利勘兵衛重能が祀られておることが
分かりました、今度西宮市 に行く機会げあれば再度熊野神社に参拝しようと
思っています。

7月28日:24418歩

白山姫神社(西宮市小曽根町)

7月15日の西宮市 神社めぐりで最初に参拝したのが白山姫神社です。
境内に由緒書きなどは無く、調べたら、創立年代不詳ですが、社蔵記又口伝に依
りますと正親町天皇の御代室町時代に石川県加賀国白山比咩神社より勧請され
たと言われ、御祭神は菊理姫尊であります。

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ):
石川県白山市三宮町にある神社。式内社、加賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現
在は神社本庁の別表神社。 全国に2,000社以上ある白山神社の総本社である。
通称として「白山さん」「白山権現」「加賀一の宮」「白山本宮」とも。

白山姫(しらやまひめ)神社:西宮市小曽根町4-7-22



2017,07,15  10:35 AM



7月27日:22823歩

義民顕彰碑(八ツ松公園)

西宮市 の神社巡りウォーキングで今津港のヨットハーバー探索後、甲子園球場を通過し
て甲子園六番町の八ツ松公園で大きい石碑を見つけました。
それは今から400年以上前、旱魃のとき農民同志の水の争いで密かに上流の水
を導入した農民20数名が磔(はりつけ)の処刑になった農民の遺徳を追慕し霊を
弔い義民顕彰碑を約40年前に建立したもであります。

義民顕彰碑(八ツ松公園);兵庫県西宮市甲子園六番町11−12



                                  義民顕彰碑
天正19年夏の旱魃に鳴尾の農民は灌漑用水の欠乏に迫られ、武庫川の分流たりし
枝川の北郷用水樋に加工し、密かに暗渠を通じて上流の瓦林地方の用水を導入し
た。これがため瓦林農民の怒を受け、烈しい斗争を惹起するに至り、遂には官憲の
発動となり成敗が加えられ、双方に加勢した村々にも糾弾が及ぶほどの大事件とな
った。
村のために非常手段を敢行した20数名の農民たちは、翌年秋、の極刑に処せら
れたが、哀情は認められて爾後鳴尾用水路は確保されるに至った。
後世鳴尾郷民は、この犠牲となった人々を義民と称えて墓碑を甲子園の淨願寺に
建て、その遺徳を追慕し霊を弔い、今尚命日には盛大な法要を続けている。
寺は此の東50メートルの地にあり、北郷用水樋の趾は北約800メートルの地に建碑
標示してある。                              
撰者 兵庫県文化財専門委員 吉井 良尚
                       謹書 甲子園淨願寺住職    釈 得雄


(はりつけ):罪人を板や柱などに縛りつけ、槍などを用いて殺す公開処刑の刑罰。

2017,07,15  09:57 AM


7月26日:22905歩

今津ヨットハーバー(西宮市 )

大関酒造今津灯台のそばに今津ヨットハーバーがあったので紹介します。
私が特に興味をもったのは、ヨットが陸上の岸壁の上にあり、それぞれ
コマのついた台車の上に乗っていました。
ヨットを海に入れるときはどうするのか疑問に思ったので、近くで作業を
していた方に「ヨットを海に入れる時はクレーンでつっていれるのですか?
」と質問すると、「そうです」と教えてくださいました。
ブログに取り上げる気になったのは、その時に使うクレーンの使用料(上下
架料)が小さいヨットで年間10万円、大きいもので25万円も必要というこ
とです。
それ以外に保管料等の経費がいるので我々の一般人にはとても払え
ない金額なのです。

2017,07,15  08:55 AM





日本最古現役灯台「今津灯台」

今津砲台跡の近くに「今津灯台」があります、この灯台は酒造メーカ大関の
五代目長兵衛によって樽廻船や漁船の安全を願って文化7年(1810)に
建てられた民営の灯台です。
なお、県の津波防災工事に伴い、別の場所へと移転されることが決まった
そうです、具体的な移転先は未定です。

今津灯台:兵庫県西宮市今津西浜町17   正式名称:大関酒造今津灯台





この灯台は、当会社の前身 長部本店の第五代長部長兵衛が今を去る155年前
、文化7年(1810年)大坂 谷町奉行所の許しを得て私財を投じ、樽酒廻送船など
の出入り船の航海安全のためこの地に建設、第六代長部文次郎が、安政5年(
1858年)に再建するなど代々この意志をつぎ灯台の維持管理につとめ今日に及
んだ、しかし長年の星霜を経た上に、灯台付近の環境に著しい変化を来たしたの
で、弟10代長部文次郎が復元を志し、基礎の補強などの工事を施し、今日その竣
工を行ったのである。
                 昭和40年11月1日 大関酒造株式会社


2017,07,15  08:44 AM



          今津灯台 Imazu  Lighthouse
今津の酒造家「大関」醸造元、長部家五代目の長兵衛によって、今津港
に出入りする樽廻船や漁船の安全を願い、文化7年(1810)に建てられた
灯明台が「大関酒造今津灯台」です、その後六代目文次郎が再建、台石
の「象頭山常夜燈」は海の守り神金比羅宮奉納を表し、この高燈籠様式
の灯台に、今津の人びとは深い親しみと郷愁を感じています。古い行灯
式灯台は今も現役で活躍しており、市の文化財指定を受けています。


                宮水と酒文化の道
              酒香る 西宮郷・今津郷
樽廻船に江戸積みされた酒
上方で船積みされた酒が江戸に到着するまでの日数は、江戸時代初期には
平均3週間から一か月かかっていましたが、幕末期には、樽廻送船と四斗樽
で、通常1週間ほどで運べるようになっていました。
それが新酒番船となると、速い場合には3から4日ですから、この間に10倍も
速くなったことになります。
江戸の品川湊、佃島沖に碇泊した樽廻船から、酒は伝馬船に積み替えられて
、雲岸島、茅場町、新堀、新川に集中していた、”下り酒問屋”に運び込まれます
酒問屋は、枡酒屋(小売り酒屋)の注文に応じて、酒を売っていました。新川付
近には、今でも酒蔵のオフイスがあり、当時の酒蔵の”力”を感じさせてくれます。




7月25日:18118歩
記事検索
プロフィール

ahisats3

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ