ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2017年10月

天湯川田神社(柏原市)

10月21日二度目の柏原市の神社めぐりで8社目に参拝したのは天湯川田神社
です。
JR関西本線と近鉄大阪線に挟まれた所に鎮座しています。

天湯川田神社:大阪府柏原市高井田89番地              2017,10,21  11:58 AM



               延喜式内社 天湯川田神社
 祭神 天湯川桁命 アマユカワタケノミコト(河田明神)
            天児屋根命 アメノコヤネノミコト (春日明神)
            大日霊貴命 オオヒルムメムチノミコト(大宮明神 天照大神と同一神)
 鎮座 人皇12代景行天皇38年9月(日本書記)
     44代元正天皇 養老元年3月
     45代聖武天皇 天平元年3月
     49代光仁天皇 宝亀2年2月
                     御幸あり
 天下泰平武門繁栄万民豊楽
     将軍源頼信、頼義、義家を尊崇し橋の前より馬を下給う。
     外宮(伊勢神宮)の遥拝所四十末社の中に野依川田の社有り、
 又近江の国の甲賀郡にも天湯川田神社白坂神社二座を奉る。
     河内の郡より例年一丈ほどの幣帛玉串を奉納其の地を玉串の
     里と謂う。 
    当社伝説に「物言わぬ皇子」鳥取県のルーツは当社である。
 藤原兼仲の歌 
    春日の日糸けき空を今見れば森は霞幾にけり
      此の歌の心を或人は春日のとは春日大明神 空とは天照大神 
      川田の森とは河田明神 三座を一首に入れて読む。
   当社は白鳥と鹿を持って使者とする。
 




 


                             
式内 天湯川田神社(あまゆかわたじんじゃ)
   御 祭神      本       殿 天湯川桁命
                        東の相殿 天児屋根命
                        西の相殿 大日霊貴命
      御鎮座       第12代景行天皇19年9月(西暦90年)に勅命により祭祀されたと伝え
                        られている。
       祭日        7月17日 10月17日
       天湯川桁命
       第11代垂仁天皇の皇子誉津別命は、壮年になっても言葉を話す事ができなかった。
       ある日、大空を飛ぶ鵠(ハクチョウの古称)をみて、言葉を話し鳥の名を尋ねられた。
       天皇は天湯川桁命にこの鵠の捕獲を命じられた。
       天湯川桁命は鵠の飛び去った方向を尋ね、遠く因幡の国(鳥取県)にて雌を捕らえ、
       また出雲国(島根県)にて雄を捕らえて、献上した。
       皇子は鵠を大切に可愛がり、以後言葉をよく話すようになった。天皇は天湯川桁命
       の功績を賞し、鳥取の連(姓のこと)を賜った。
       古事記に山辺之大鶙とあるのは、この神のことである。 古事記・日本書記より





10月31日:31285歩

二宮神社(柏原市)

10月21日二度目の柏原市の神社めぐりで7社目に参拝したのは二宮神社
です。
下調べで読み方をよく調べていなかった私は、途中で道を尋ねた小学生の
女の子に「にのみや」ではなく「ふたみや」と訂正されました。

後で調べて分かったのですが、杵築神社と春日神社という二つの神社をあ
わせた神社で、そのため「ふたみや」で「にのみや」ではないのです。
境内に杵築神社跡の石碑がありました。


二宮(ふたみや)神社:柏原市安堂町19-9             2017,10,21  11:13 AM






境内に神社名を示すものがなく、これで神社名が確認できました。



木沢長政の墓(柏原市)

石神社参拝後、次の二宮神社に向かう途中の「安堂大平寺共同墓地」で「木沢
長政の墓」の案内板を見つけました。
説明板によると木沢長政はわが町四條畷市にある飯盛城の初代城主であった
事が分かりました。

「安堂大平寺共同墓地」 大阪府柏原市安堂町19          2017,10,21  11:09 AM


木沢長政の墓(柏原市)



                伝 木沢長政の墓
この五輪塔は、もとは大平寺の北のはずれ「キソドノ墓」「喜増土ノ墓」と
呼ばれる地に建っていたもので、戦国時代の武将・木沢左京亮長政の
墓と伝えられています。地輪には四面に梵字、うち一面に「天文十一年
法界衆生 宗澤禅定門 平等利益 三月十七日」と陰刻され、空・風・
火・水輪は後補したものですが、市内では珍しい大型の五輪塔です。
長政は生駒山系に連なる飯盛城(大東市~四條畷市、標高316メートル)
を築城して拠点とし、さらに田原城、津田城・信貴山城・二上山城などの
支城に拠り、河内国半国の守護代として山城・北河内・大和に権勢をふ
るいました。石川の合流点で「落合川の合戦(大平寺の戦い)」となり、大
平寺「上の畠」に布陣した長政はこの地で敗死、信貴山城も焼き払われ
ました。      平成24(2012)年12月    柏原市教育委員会 


太平寺の戦い:天文11年(1542年)3月17日、現在の大阪府柏原市太平
 寺周辺で行われた戦いで、10年間畿内で権勢をふるっていた木沢長政
 が三好長慶、遊佐長教らに討ち取られた。





10月30日:32113歩

石神社(柏原市太平寺)

10月21日二度目の柏原市の神社めぐりで6社目に参拝したのは石神社です。
石神社の境内には古代の大規模な寺院「智識寺」があったとの説明板があり
ました。

石(いわ)神社:大阪府柏原市太平寺2丁目19−13              2017,10,21  10:14 AM




大阪府指定天然記念物 くす

 
歴史の丘から「くす」を写す。





                   智識寺跡
この付近一帯には「智識寺」と呼ばれる有名な古代寺院跡があり、地名から
大平寺廃寺ともよばれています。
奈良時代、聖武天皇や孝謙天皇は、平城京と難波宮の往来の途中に柏原
の地を訪れ、知識寺、山下寺、大里寺、三宅寺、家原寺、島坂寺の六寺に
礼拝、礼仏されました。
中でも智識寺には大きな盧舎那仏があり、それを見た聖武天皇は、その立
派さに感動し奈良東大寺の大仏を造るきっかけとなりました。
智識とは、仏教を信仰し、寺や仏像を造ることに協力した人のことであり、知
識寺はこれらの智識によって建てられた大規模な寺院でした。
智識寺は東西に二塔を配する薬師寺式の伽藍配置であったと推定され東塔
跡の一部が過去に調査されています。出土した瓦から千三百年以上前の飛
鳥時代末頃に創建され、室町時代頃に廃絶したようです。
石神社の境内には、東塔に使用されていた塔心礎を始めとする礎石が移され
ています。     平成7年3月               柏原市教育委員会


観音寺(柏原市太平寺)

10月21日二度目の柏原市の神社めぐりで6社目に参拝した、石神社に
向かう途中に観音寺がありました。

観音寺:大阪府柏原市太平寺2-12-18                      2017,10,21  10:06 AM







                 観 音 寺
天冠山知識寺中門観音寺は、奈良時代に建立された「河内六寺」の一つ
である智識寺の法灯を継ぐ寺と伝えられています。
観音寺には、智識寺のものであったとされる経机が所蔵されています。
この経机の天板の裏面には「拾筒之内知識寺什物」の文字が墨で書かれ
ており、この経机がもとは10個を1組として智識寺に備えつけられていたと
考えられています。
本堂には、太平通貨を集めて鋳造したという伝承のある十一面観音が、本
尊として祀られています。
観音寺は「へちま祈願」で有名な寺でもあります。特にぜんそくに効くとされ
ており、祈願名を書き込んだへちまにぜんそくが封じこめられると言われて
います。

法灯(ほうとう):
①釈迦の教えを闇を照らす灯火にたとえていう語。のりのともしび。             
②仏前の灯火。灯明とうみよう
③高徳の僧         
④住職から弟子へと教えを伝えていくことを表現する際に、「灯(ともしび)」と
  いう言葉がよく出てきます。「法灯を継ぐ」「法灯を守る」と使います。



                知識寺の経机        観音寺
智識寺は奈良時代、東大寺大仏造顕の機縁となった盧舎那仏で知られた知識寺
の法灯を継ぐ寺と伝えられています。
ここに「拾筒之内知識寺什物」と黒漆で書かれた経机が所蔵されています、天板は
縦25.3センチ、幅8.3センチ、厚み1.25センチの桧板で須浜形に仕上げられており、元は
十個を一組とし知識寺の什物として備えられていたものです。
経机の年代は不明ですが、奈良・平安時代を通じ、河内における大寺として知られ
た知識寺の唯一ともいえる遺品だけに、大変貴重なものです。
                                       柏原市教育委員会


経机(きょうつくえ):読経の際に経典をのせる机。
什物(じゅうもつ)
      ① 日常使っている器具類。
      ② 代々伝わる宝物。秘蔵の宝
須浜(すはま):曲線を描いている浜の様子。(州浜)

     
   州浜形の例

      

若倭姫神社(柏原市山ノ井)

10月21日二度目の柏原市の神社めぐりで5社目に参拝した、若倭姫神社は
分かりにくい場所にあり、そばまで行っているのに気が付かなくて、一度下に
降りてから、地元の人に聞いて戻ってきました。
理由は鳥居が通りから見えなくて、瑠璃光寺の石段を上ったところにあった
からです。


  (瑠璃光寺の石段を上る)               2017,10,21  09:27AM


これは通り(石段の下)から見えます


若倭姫(わかやまとひめ)神社:柏原市山ノ井7-4 (瑠璃光寺の石段を上って右奥)







                 式内 若倭姫神社
 御祭神 若倭姫命
 祭日  夏祭  7月11日
  ”    秋祭 10月15日
 由緒  当社の創立年次は詳らかではない、延喜式内の吉社にして
      大日本史及び式内細記に清和天皇貞観元年8月丙申従五位
      下を授け醍醐天皇延喜の制祈年祭並びに加 壹口とあり、又
      河内志神社要録には、「今春日八幡(春日白山)を称し、此地
      の生土神とす」とある。

瑠璃光寺







       石造如来形坐像 石造菩薩形立像   瑠璃光寺
この小堂には二体の石仏が安置されています。いづれも古墳時代後期
の凝灰岩製家形石棺の尾蓋部を転用したもので、こうした石仏は市内高
井田、青谷地区でもみることができます。右側の如来坐像の背面には屋
根形縄掛突起などの石棺の旧状がよく残されています。高い肉髻長く豊
かな耳、平行に走る。納衣の線など、肉感にあふれた鎌倉時代初期の
作風が窺われます。左側の像は頭部を欠損していますが衣の襞の線天
衣のような線が見えること、両手をあらわす容姿などから菩薩形立像と思
われます。この二体の石仏はかって野道の傍に半ば埋もれた状態で置か
れていたものか農具や刃物などの研ぎ痕がみられます。
                              柏原市教育委員会


10月28日:20471歩

若倭彦神社(柏原市平野)

10月21日二度目の柏原市の神社めぐりで4社目に参拝したのは、若倭彦神社
です。

若倭彦(わかやまとひこ)神社:大阪府柏原市平野2丁目15−22

2017,10,21  08:52 AM







                                                若倭彦神社
平野地区の産土神で、建筒尊命()ならびに若倭彦命()を祀る式内社()である。

六世紀の頃、この地で大いに繁栄した若倭部連がその祖神を奉斎したものであろう。
姫神は若倭姫神社()山ノ井地区に祭祀されている。

この人々は豪族の凡河内国造や尾張の連とも縁が深く、農耕に励み武事に長じて
いたと伝えられている。

古い記録には「貞観元年(859)従五位下ヲ授ク」「延喜ノ制ニ小社ニ列セラレ祈年祭
並ニ鍬一口ヲ奉ル」とある。別名を「あかざ八幡」という。

なお、付近に平野山古墳()がある。                            昭和六十年十月平野地区町会

鐸比古鐸比賣神社(柏原市大県)

10月21日二度目の柏原市の神社めぐりで3社目に参拝したのは、鐸比古鐸比売
神社です「鐸」という字は「銅鐸(どうたく)」の「鐸(たく」ですが「ぬで」とよみます。

鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこぬでひめ)神社:柏原市大県(おおがた)4丁目6−1

2017,10.21  08:14 AM







                鐸比古鐸比賣神社
 御祭神   鐸比古命  鐸比売命
 末社    猿田彦命  春日神社  稲荷三柱
 祭日    7月31日  10月15日
 由緒    創建は成務天皇21年(151年)という歴史ある神社で、延喜式内社、そして朝廷
        からは従三位の神階を賜った由緒ある神社です。
        元々は鐸比古命を祀る鐸比古神社は現在の神社裏手にある高尾山山頂の奥
        宮に祀られていて「高尾大明神」とも呼ばれ、一方、鐸比賣命を祀る鐸比賣神
        社は山頂から少し下の姫山に祀られていて、雨乞いの勅願所でもありました。
        中世に現在地に遷座され、その後兵火に遭ったりし現在の本殿は元禄時代の
        再建です。 明治5年(1872年)に郷社に列格。


境内に貼ってあった松下幸之助の言葉
   「人の長所が 多く目につく人は 幸せである」



10月27日:30132歩

白親大明神(柏原市河原町)

10月21日二度目の柏原市の神社めぐりで2社目に参拝したのは、白親大明神
です、神社と言うよりは神社跡と言った方がよいかもしれません。
都市計画道路のため、鳥居や社殿はなく、現在は記念碑があるだけです。


白親(はくちか)大明神:柏原市河原町                       2017,10,21  07:50 AM



               白親大明神の由来
この付近は清州の名のとおり、江戸時代までは旧大和川の河川敷であった。
旧大和川がこの地を経て大阪の淀川に合流し、河内付近は洪水の被害が絶
えなかった。住民の代表が幕府へ川の改修を要望の末、1704年大和川を柏
原から堺へ直接流れる新大和川に付替えられた。
その後、河内付近は洪水被害もなく発展した。太平洋戦争後に当社は白親大
神として祀られてきた当社は、今後とも平和で住民が安泰であることを願い、
地区住民の多くの意見により「白親大明神の碑」として、ここに永久にお祀りす
ろこととした。
                      平成28年10月   白親大明神を守る会



グーグルの地図にはまだ白親神社となっています。

御剱神社(柏原市本郷)

19月21日に二度目の柏原市の神社めぐりをして10社を参拝することが
出来ました。
天気予報は小雨でしたので、おそらく小降りで、止むときもあるだろうと予
測し出かけて予想が外れ、一日中、雨でした。

御剱(みつるぎ)神社:柏原市本郷2-5-6              2017,10,21  07:04  AM

10月21日の柏原市神社めぐり1社目(10月7日に2社参拝、累計3社目)





                     御剱神社縁起
 御祭神: 素盞鳴命  牛頭天皇
       天児屋根命
       大国主命
当神社の創始は藤原時代萬壽二年三月(1025)此の時 五畿内に悪病が流行
した為、悪病封じ村内安全を祈願の為、京都東山の吉田御殿に請願して御神
体を給わり発祀されたと宮座の古書にある。大和川付替以前に度々水禍を蒙
ったが、その都度復旧された。
往古より村社に列せられ明治五年から一時期、今町の塩殿神社、古町の春日
神社をも此の社に合祀した。


10月26日:28331歩
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