ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2017年11月

神奈備神社(三郷町)

柏原市の神社めぐりが峠八幡神社を参拝してすべて終わった後、時間が余れば
JR三郷駅から近い龍田大社を参拝しようと最初から決めていました。
峠八幡神社を参拝し終えたのが13時で充分時間があり、JR三郷駅を過ぎて龍田
神社に向かう途中で神奈備神社を見つけました。

神奈備(かむなび)神社: 奈良県生駒郡三郷町立野南1-25           2017,11,15  01:28 PM







                     神奈備神社
神奈備神社は龍田大社の末社で、神奈備とは神様が住む森という意味である。
神南備、神名備、甘南備、神名火などの文字が使われているが、どれも「かむ
なび」と読む、山が平地に接する端山にある。
各地にある神奈備で読まれた万葉集は22首あり、当地立野の神奈備も、三輪・
飛鳥と共に有名で、数首の歌が詠まれていある。
               神奈備を詠んだ万葉集
巻8 1419
     神奈備の 伊波瀬の杜の いたくな鳴きそ 吾が恋まさる      鏡王女
巻8 1466
     神名火の 磐瀬の杜の 霍公鳥 毛無しの丘に 何時か来鳴かむ 志貴皇子
官11 2657 
     神名火に 神 立てて 斎へども 人の心は 守り敢へぬもの    作者未祥

               平成25年3月 三郷町教育委員会  

霍公鳥(ほととぎす):カッコウ科の鳥。全長28センチくらい。全体に灰色で、胸から腹に
                                横斑がある。アジア東部で繁殖し、冬は東南アジアに渡る。
                                日本には初夏に渡来。キョキョキョと鋭く鳴き、「てっぺんかけたか
                                」「特許許可局」などと聞く。漢字は20種類以上ある。
                  ホトトギスの漢字表記は何種類ある? - 昨日、芸能人が漢字検定 ...

11月30日:26058歩

石造 地蔵菩薩坐像(柏原市峠)

11月15日の柏原市神社めぐりで6社目、最後に参拝した、峠八幡神社の鳥居の横に
「石造 地蔵菩薩坐像」がありました。
堂の扉は閉まっていましたが、隙間から石造を写すことができました。

石造 地蔵菩薩坐像(柏原市峠)







                石造 地蔵菩薩坐像
この場所は、江戸時代の亀瀬越奈良街道と雁多尾畑の光徳寺に通じる道が
分岐する所です。 道標には「松谷御堂是ヨリ 六丁」と刻まれ、柘榴樹の下に
建つ辻堂には石造の地蔵菩薩坐像が安置されています。
この像は花崗岩を浮き彫りしたもので、よく見られる立像の声聞形像と異なり
、坐像になっています。地蔵坐像は反花を伴う蓮台の上に半跏趺座し、左手
の掌に如意宝珠を載せ、持物のない右手は膝に垂下し、東部は長楕円形で、
眉は鋭く、目・鼻・口の表現は整っています。
製作の年代は刻まれていませんが、こうした半跏趺座像は鎌倉時代以降に広
まるといわれ、技術的にも秀でていることから、鎌倉時代末~室町時代初期の
造像と考えられます。また延命地蔵として今でも広く信仰されています。 
                2008年3月 柏原市教育委員会

反花(かえりばな):仏像の蓮華座で上向きについた蓮弁を受花といい,すな
            わち受花に対
して,下側へ反転するように開いた蓮弁をいう。
           仏像の知識・台座(写真画像で学ぶ) 仏像ドットコム・東洋仏所   
半跏趺坐(はんかふざ):結跏趺坐(けっかふざ)の略式の坐法
                片足を他の片足のももの上に組んで座ること。
                           菩薩坐(ぼさつざ),半跏。半跏坐ともいう。
 結跏趺坐(けっかふざ):仏教とヨーガにある瞑想する際の座法。
               結加趺坐と書く場合もある。 「趺」とは足の甲のこと、
               「結」とは趺を交差させ、「跏」とは反対の足の太ももの
               上に乗せること。したがって趺を結跏趺して坐ることを
               いう。結跏趺坐は足を結んだ形をしているのが特徴で
               ある。




11月29日:24164歩

峠八幡神社(柏原市峠)

11月15日の柏原市神社めぐりは6社目に峠八幡神社を参拝して、私が現在
把握している柏原市の神社、24社すべてを参拝することができました。

柏原市の神社 合計24社(大阪府神社庁登録19社、未登録社5社)
  10月  7日 参拝   2社
  10月21日 参拝 10社
  10月24日 参拝   6社
   11月15日  参拝    6社

峠八幡神社:大阪府柏原市 峠494                              2017,11,15  00:09 PM









拝殿から外に向かって写す。


11月28日:22123歩

磐瀬の杜(生駒郡三郷町)

11月15日の柏原市神社めぐりウォーキングはJR三郷駅に付近で歌碑を見つけた後
大和川沿いに歩いていると、また歌碑がありました。
歌碑は、磐瀬の杜と言われる小さい公園の中にありました。
調べたら磐瀬の杜(いわせのもり)は諸説ありはっきりとしていません。代表的な説
は下記3か所で私が見つけたのは③のものです。


①奈良県生駒郡斑鳩町稲葉車瀬(いなばくるませ)にある森

②奈良県生駒郡斑鳩町の三室山(みむろやま)の東の森

③奈良県生駒郡三郷町の三郷駅の近く

磐瀬の杜:奈良県生駒郡三郷町立野南3丁目1           2017,11,15  11:47 AM







        神奈備の 磐瀬の杜の 呼子鳥  いたくな鳴きそ 我が恋まさる
 歌番号   巻八-1419
 作者    鏡王女
 現代語訳  神奈備の磐瀬の森の呼子鳥よ、そんなにひどく鳴いてくれるな
        私の恋心が増すばかりだから。
 歌の背景 「呼子鳥」はかっこうかといわれています。
        「磐瀬の杜」は三郷町の龍田大社南方の磐瀬の杜とする説の
        ほか、斑鳩町神南の三室山の東、車瀬の森かとする説もあり
        ます。鏡王女は欽明天皇の孫であろうと推定されている人物で
        欽明天皇の孫であろうと推定されている人物で、天智天皇に
        愛された女性です。後に藤原鎌足の嫡室となり。鎌足が重い
        病気になったときに、興福寺の前身である山階寺を造営した
        と伝えられています。万葉集には天智天皇と交わした租開
        の贈呈歌など四首の歌を残しています。


【鏡王女】(かがみのおほきみ)

天武紀では鏡姫王(かがみのひめわう)、興福寺縁起標式では鏡女王、
万葉集では鏡王女(かがみのおほきみ)と記されている。王女は、きわ
めて高い身分で、鏡王を父とし、鏡王女、額田王は姉妹で額田王の姉
とも云われているが疑問。ともに天智妃であったが、後に鏡王女は、
藤原鎌足の嫡室(ちゃくしつ)となった。最近になって、その墓が舒明天
皇の域内にあることから、舒明天皇の肉親なのか或いは宣化天皇の
後裔、威奈の鏡公の子か、論議をよんでいる。万葉集に相聞歌四首を
残し、万葉集最初の贈答歌人の位置を与えられ、相聞贈答の一つの
典型を作り出したといえるようです。興福寺は、鎌足の病気の時、鏡王
女の発願で開基された。天武天皇12年(683年)7月5日没。

嫡室(ちゃくしつ、てきしつ):正式の妻

今年の紅葉速報(大東市、四條畷市)

昨日のウォーキングは大東市と四條畷市を紅葉を求めて歩きました。
深北緑地から野崎観音に出て四條畷神社を通って最後、龍尾寺
に着くコースでした。

深北緑地   2017,11,26  01:30 PM

深北緑地    2017,11,26  02:21 PM

野崎観音   2017,11,26  03:32 PM

四條畷神社 2017,11,26  04:05 PM

龍尾寺 2017,11 26  06:17 PM

龍尾寺 2017,11 26  06:18 PM



11月27日:20315歩

高橋虫麻呂歌碑(三郷町)

11月15日の柏原市神社めぐりウォーキングは大狛神社参拝後、次の峠八幡
神社に行くにはJR三郷駅に出てから行く方が近いとわかっていたのでJR
三郷駅に向かって歩いている時、駅南側の交差点で「歌碑」を見つけまし
た。
歌碑は万葉の歌人、高橋虫麻呂の「わが行は 七日を過ぎじ 龍田彦 ゆめ
この花を 風にな散らし」と刻まれていました。

高橋虫麻呂歌碑:奈良県生駒郡三郷町 JR三郷駅付近

2017,11,15  11:45 AM



     我が行きは 七日は過ぎし 龍田彦 ゆめこの花を 風にな散らし
 歌番号 巻九ー1748(長歌1747の反歌)
 作者 高橋虫麻呂
 現代語訳 私たちの旅は、七日は越えないでしょう。風の神である龍田彦よ
        決してこの花を風にちらさないでください。 
 歌の背景 この歌は題詞に「春三月、諸鄕大夫等の、難波に下る時の歌」
 と記されていて、高橋虫麻呂の主君であった藤原宇合が知造難波宮司とし
 て勤めを畑氏、その功成った天平4年(732)三月に難波に下った時の作と
 考えられています。龍田彦・龍田姫は本来「龍田」の地の風神であたといわ
 れて、現代では龍田大社に摂社として祭られています。

【高橋虫麻呂】

奈良時代の養老、神亀(じんき)、天平にかけての万葉歌人。歌は万葉集以外
には無い。奈良朝初期に宮廷に仕え元正天皇の養老年間717~724年頃は、
藤原宇合(ふじはらのうまかひ)の配下として常陸地方にいたらしく『常陸国風
土記』の編纂にたずさわったらしい。彼の歌は旅先で歌ったもので、叙事長歌
にひいで、伝説的人物を歌った作は特に名高く、万葉集中特異な位置を占め
代表的歌人の一人である。私歌集に『高橋虫麻呂の歌集』があるが、すべて
彼の作と認められている。

本堂大狛神社(柏原市)

11月15日、柏原市の神社めぐりウォーキングで5社目に参拝した本堂大狛神社は
JR高井田駅から府道183号線を歩いて約3時間で着きました。

府道183号線の道路標識は「0」になりました。

大狛(おおこま)神社:柏原市本堂           2017,11,15  10:35 AM







     古代の本堂ー河内国大県郡巨麻郷と大狛神社ー
柏原市本堂は信貴山朝護孫子南側の山間地にあたり、古代には河内国
大県郡巨麻郷とよばれ、狛氏が住んでいた土地です、狛氏は朝鮮半島の
高句麗から移り住んだ人々で、同族が畿内一円に繁栄しました。天台宗
の総本山である比叡山延暦寺の第四世天台座主(住職)を務めた安慧(
794?~868)は、河内国大県郡出身の大狛氏と伝えられています。
ここ大狛神社にはその祖先神や大山昨神・木花開那媛神・山王権現・富
士権現などが祀られています。
本堂のような急峻な土地に一郷をたて、集落が営まれは背景には、7世紀
後半の政治情勢がありました。当時、わが国と新羅・唐とは戦争状態にあ
り、防衛拠点として生駒山地から信貴山にかけて高安城が築かれました。
「柏原市史」は、その維持・管理を担う要員や資材を確保するため、近接
した土地に集落が営まれたのではないかと指摘しています。
                 平成24(2012)年12月 柏原市教育委員会

急峻(きゅうしゅん): 傾斜が急で険しい・こと(さま)


11月26日:37698歩

初めて見たイノシシ(柏原市)

11月15日の柏原市神社めぐりウォーキングで金山媛神社を参拝後、次の
本堂大狛神社に向かう途中、峠の頂上付近で「御坐峰」(ござがみね:
龍田大社の御神体が降臨したとされる場所)のそばの産地直売所で本
物の野生のイノシシを見ました。
檻の中ではありますが、野生のイノシシを初めて見ました、ウリ坊の時に
犬に追われて逃げてきたのを助けて、育てているそうです。

ウリ坊の由来:小さい子供のイノシシの背中の模様がウリに似ているので
        そう呼ばれる。

初めて見た野生のイノシシ:柏原市雁多尾畑         2017,11,15  10:05 AM









11月25日:25704歩

御座峰(柏原市雁多尾畑)

11月15日の柏原市神社めぐりウォーキングで金山媛神社を参拝後、次の
本堂大狛神社に向かう途中、峠の頂上付近で「御坐峰」の説明板を見
つけました。
説明板によると、この地は龍田大社の祭神「風神」が降臨されたとされる
土地だそうです。

御座峰(ござがみね):柏原市雁多尾畑(かりんどおばた)

                  御 座 峰
古来より、当地を含むこの一帯を龍田山と呼び、大和と難波をつなぐ我が国
最古の官道ともいわれる龍田古道が通っていました、飛鳥や平城京から難
波に向かう際に、龍田山を見て多くの万葉歌人が歌を残しています。
奈良時代、平安時代には、桜、紅葉の名所として多くの歌にも詠まれていま
す。
また、後坐峰は龍田大社の風神が降臨された地とされ、現在でも毎7月の第
1日曜日に行われる「風神大祭」翌日には当地で奉幣行事として「御坐峰山
神祭」と呼ばれる神事が続けられています。
この御坐峰と龍田大社を結ぶ龍田古道は別名「神降りの道」とも呼ばれ、古
くから信仰の対象となってきました。
これら以外にも、当地に近い雁多尾畑地区には鍛冶の神として名高い金山彦
神社、金山媛神社があります。龍田の風神との関連性も考えられ、古来より龍
田という地がいかに重要であったのかを今に伝えています。


2017,11,15  09:57 AM








御座峰から奈良県三郷町方面を写す。

金山媛神社(柏原市雁多尾畑)

11月15日の柏原市神社めぐりウォーキングで4社目に参拝したのが金山媛神社
です。
地名の「雁多尾畑」は「かりんどおばた」とよみます。
地元の方に神社の場所を尋ねたときに神社に日本一の鏡があると言っていま
したが、本当に日本一かどうかは調べてもわかりませんでした。

金山媛(かなやまひめ)神社:柏原市雁多尾畑4828番地



2017,11,15 09:33 AM




地元の方が言っていた、日本一の鏡





                   金山媛神社御由緒
 御祭神 金山毘賣神
当社は平安時代の延長五年に制定された延喜式神名帳に登載された式内社であります。
御祭神金山毘賣神は、奈良時代和銅五年に書かれた古事記によりますと、伊邪那岐、伊
邪那美二柱よりお生れになったと記されてあります。
この神様は元、嶽山の嶺に奉祀されておりましたが中世時代に今の場所に遷座されまし
た。その間八大金剛童子社、俗に山王さん、天王さんとも稱されて来ましたが明治八年に
今の社名に改められました。
当地は古代より鉱工業の栄えた所と思われその守護神として奉祀されたのが始めでは
ないかと思われます。全国最古の鉄工の守護神として、金属業、農土木産業に大に携
わる事業に対する御神徳まことに偉大であります。
今も尚当地の氏神様としてその信仰は脈々と伝えられ毎年の例大祭日には町内の御旅
所へと御神幸あらせられ華やかな賑いを見せております。



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11月24日:25836歩
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