ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2018年08月

日本三古橋「宇治橋」

宇治橋は京阪宇治駅の近くにあります、調べているうちに日本三古橋
であることが分かったので、改めて紹介します。

宇治橋

2018,08,12  03:05 PM





                     宇 治 橋
大化2年(646)に奈良元興寺の僧道登によって最初に架けられたと伝えられ、
「瀬田唐橋」「山崎橋」とともに、日本三古橋のひとつに数えられている。現在
の橋は、平成8年(1996)3月に完成したもので、檜製の高欄に青銅製の擬宝
珠を冠し、宇治橋が持つ歴史的イメージを残し、周辺の景観にも調和したデザ
インになっている。上流側に張り出した「三の間」は守護神「橋姫」を祀った名残
とか、豊臣秀吉が茶の湯に使う水を汲ませたところともいわれ、そこからの上流
の眺めは絶景である。


日本三古橋
 宇治橋  :大化2年(646)に奈良元興寺の僧道登によって最初に架けられたと
        伝えられ、「瀬田唐橋」「山崎橋」とともに、日本三古橋のひとつに数
        えられている。現在の橋は、平成8年(1996)3月に完成したものです。
 瀬田唐橋:滋賀県大津市瀬田~唐橋町の瀬田川に架かる橋で。現在の橋は昭和
        54年に架けられました。
 山崎橋  :山城国山崎~橋本間(現在の京都府乙訓郡大山崎町~八幡市橋本間)
        で淀川に架かっていた橋で
現在はありません。

8月31日:21488歩

橋姫神社(宇治市宇治蓮華)

8月12日二度目の宇治市の神社めぐりウォーキングで「手習之古蹟」の次に
橋姫神社を参拝しました。
この神社も源氏物語宇治十帖(一)の「橋姫」に出てくる古跡です。

橋姫神社:京都府宇治市宇治蓮華46

2018,08,12  02:26 PM





                橋姫神社
古代より、水辺、特に橋は心霊が宿るところとされており、橋姫はその
「守り神です。
瀬織津比咩を祭神とする橋姫神社は、明治3年の洪水で流失するまで
は宇治橋の西詰にありました。境内には橋姫神社とならんで、同じく水
の神である住吉神社が祀られています。
交通の要衝として発展してきた宇治にとって、宇治橋はとりわけ大きな
意味を持っており、橋姫神社を巡って数々の伝承を生み出しています。
また、宇治が重要な舞台となっている、源氏物語宇治十帖の第一帖は、
「橋姫」と名付けられており、橋姫神社はその古跡となっています。



               源氏物語 宇治十帖(一)
                     橋姫

その頃、世に数(かず)まへられ給はぬふる宮おはしけり。」と「宇治十帖」
は書き始められる。
 光源氏の異母弟の八宮(はちのみや)は、北方(きたのかた)亡き後、宇
治の地で失意と不遇の中に、二人の姫君をたいせつに育てながら、俗聖
(ぞくひじり)として過ごしておられた。世の無常を感じていた薫君(かおる
のきみ)は、宮を慕って、仏道修行に通い、三年の月日がながれた。
 晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間
見て、 「あはれになつかしう」思い、

  橋姫の心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞぬれぬる

と詠んで大君(おおいきみ)に贈った。
出家を望まれる八宮は、薫君を信じ、姫君たちの将来をたのまれる。
その後、薫君は、自分が源氏の実子ではないという出生の秘密を知ること
になる。          平成十八年十月      (財)宇治市文化財愛護協会


8月30日:19419歩

手習之古蹟「宇治10帖(九)」

8月12日も暑い日でした、二度目の宇治市の神社めぐりをしました。
一度目に見落とした橋姫神社に向かう途中の道路沿いで「手習之古蹟」の
石碑を見つけました。
そばにあった説明板によると、この場所が源氏物語の「手習」に出てくる場
所に当るそうです。

源氏物語:平安時代中期の作で、世界最古の長編小説(およそ100万文字
       400字詰め原稿2400枚に及ぶ)と言われる。天皇の子・光源氏
       を主人公に、貴族たちの恋愛と人生を描いた。
                作者は中宮・彰子に仕えた紫式部。
 
                全54からなり45帖~53帖を宇治10帖と呼び「手習」は10帖の
       九にあたります。

(じょう): 紙や海苔を数えるのに用いる言葉。   美濃紙50枚(大正以前
                 は48枚)、半紙20枚、ちり紙100枚、海苔10枚で、それぞれ一帖。


手習之古蹟 : 宇治市 京阪「三室戸駅」東約5分

2018,08,12  01:22 PM





             源氏物語 宇治十帖(九)
                    手 習(てならひ)
比叡山の横川(よかわ)に尊い僧都(そうず)がいた。初瀬詣(はつせもうで)
の帰りに急病で倒れた母尼を介護するために宇治へ来た。その夜、宇治院
の裏手て気を失って倒れている女を見つけた。この女こそ失踪した浮舟(うき
ふね)であった。僧都の妹尼は、亡き娘の再来かと手厚く介抱し、洛北小野
の草庵に連れて帰った。
意識を取り戻した浮舟は、素性を明かそうともせず、ただ死ぬことばかりを考
え泣き暮らした。やがて秋、浮舟はつれづれに手習をする。

        身を投げし涙の川の早き瀬を しがらみかけて誰かとどめし

浮舟は尼達が初瀬詣の留守中、立ち寄った僧都に懇願して出家してしまう。
やがて、都に上った僧都の口から浮舟のことは、明石中宮に、そして、それ
はおのずと薫君(かおるのきみ)の耳にも届くのであった

                    平成18年10月 (財)宇治市文化財愛護協会 


8月29日:29008歩

大乗院庭園(奈良市高畑町)

8月5日は久しぶりに奈良へ行きました。
以前日帰りバスツアーで行ったことのある、奈良ホテルのそばで見つけた
美しい庭園「大乗院庭園」を紹介します。

大乗院庭園:奈良市高畑町1083-1



             名勝 旧大乗院庭園
大乗院は寛治元年(1087)に創建され、明治維新まで続いた興福寺
の門跡寺院。治承4年(1180)の平家の焼き討ちで焼失し、元興寺の
別院禅定院の現在地に移った。
その後室町時代に門跡 尊大僧正の命により、寛正6年(1486)銀閣
寺庭園を造った作庭の名手善阿弥が改造、将軍足利義政も訪れ南都
随一の名園と称えられた。
昭和33年国の名勝に指定、15年の復元整備を経て平成22年から一般
開放されている。



2018,08,05  03:05 PM





入口は無人ですから、入園料は料金箱に入れます



8月28日:22609歩

森稲荷神社(東灘区森北町)

8月4日の神戸市東灘区の神社めぐりウォーキングで最後の14社目に参拝
したのが森稲荷神社です。
昨日紹介した朱鳥居がこの神社の第一鳥居です。

朱鳥居(東灘区森南町)

朱鳥居から北へ直線で約10分の所に鎮座していました。
予想よりも敷地の広い大きな神社でした。
(正式名:稲荷神社 通称:森の稲荷さん)

森稲荷神社:兵庫県神戸市東灘区森北町4丁目17−11

2018,08,04  04:06 PM







8月27日:21126歩

朱鳥居(東灘区森南町)

8月4日の神戸市東灘区の神社めぐりウォーキングで最後の14社目(森稲荷
神社)に向かう途中の国道2号線で赤い鳥居がありました。
下記の説明板によると、戦時中、この鳥居が目印になり川西航空機が攻
撃されたそうです。

朱鳥居(あかとりい):神戸市東灘区森南町二丁目3-6       

信号の名前も「赤鳥居前」

2018,08,04  03:38 PM





                  朱 鳥 居
この大鳥居は森稲荷神社の鳥居で、高さ5.8メートルで昭和2年に建立され
た、この朱鳥居は昭和20年(1945年)5月11日の空襲の際、青木にあっ
た川西航空機甲南製作所(現在の新明和工業)の攻撃目標に目印とされ
た悼しい歴史も秘めている。
この鳥居の前の石碑は森稲荷への分岐点を示しており、蜀山人(江戸時代
の狂歌師)の「革命紀行」にも記されている。         東灘区役所


8月26日:23465歩

深江歴史の庭(大日霊女神社境内)

大日霊女神社の境内に「深江史の庭」という場所があり、この地域の
歴史がわかる記念碑が多く保存してありました。
全ては紹介できませんが、その一部を紹介します。

深江史の庭:神戸市東灘区 大日霊女神社の境内                           2018,08,04  03:08 PM


①高橋の礎石



               高 橋 の 礎 石
江戸中期、深江村の網元 喜治朗は不良続きで困り果て、よその土地
へ行こうと思い立った。
高橋川(神社の西約100mm)にかかる浜街道の高橋まで行ったところ
、浜の方が何か賑やかだった。
高い橋の上から眺めると、漁師達が大漁だとさわいでいるところだった。
喜治郎は考え直して、もう一度がんばってみようと家に帰り、その後も
漁に精をだした。
どういうわけか、それから大漁が続き、財をなした、喜治郎は、私の足を
止めて呼び戻してくれた ありがたい橋だと、木で出来ていた高橋を正徳
2年4月日(1712年)に立派な石橋にかけかえた。
この石橋は、その後約200年余り使われていたが、昭和の初めに大改修
された、この時 境内に移し記念に残したのが この基礎石である。

②皇太子殿下御誕生記念の鳥居の石

                                   

昭和9年5月 皇太子殿下御誕生記念に建立した 旧石大鳥居の
主柱(右)と奉献者の芳名碑(左)
太平洋戦争末期、三回の大空襲で損傷し危険な状態となり、昭和
55年5月10日解体

③江戸時代に西国浜街道の旅人が詠んだ歌



8月25日:18287歩

大日霊女神社(神戸市東灘区)

8月4日、神戸市東灘区の神社めぐりウォーキングで13社目に参拝したのが
大日霊女神社です。

大日霊女(おおひるめ)神社:兵庫県神戸市東灘区深江本町3丁目5−7

2018,08,04  03:02 PM



                    御 祭 神
 大日霊女尊(天照大日女尊=天照大神)
 宇迦之御魂神(総氏神 森稲荷神社 御祭神)
 えびす大神(旧深江浜えびす神社 御祭神)
                     御 由 緒
昭和47年(1972年)迄深江北町4丁目から本庄町3丁目にかけて薬王寺という町
名(字名)が残っていた、その付近に中世に「薬王寺」が建立されていて、真言宗
に属し「大日如来」を本尊として祀っていたが、文明13年(1481年)に「薬王寺」住
職「観空」は本願寺第八代門主蓮如上人の教化により帰依して、寺号を「延寿寺」
に改名、浄土真宗に改宗し、本尊を「阿弥陀如来」とした。
そのために寺を出された旧本尊の「大日如来」を村人が引き取って、現在地に祀
ったのがこの神社の創建と伝えられている。
明治維新までは神仏習合のなかで「大日如来」を本尊とする鎮守社が、明治6年
1908年の神仏分離令により分離され明治6年1873年村社に列格された。
創祀以来五百年余にわたり深江の里人から「大日ツアン」と)親しまれ、心のよりど
ころとして崇拝されて来た深江の氏神様が この神社である。
明治41年(1908年)4月に立派な本殿が新築された、太平洋戦争の昭和20年(
1945年)8月の大空襲で社務所。だんじり庫・樹齢数百年の多くの松も焼失す。
戦災を免れた本殿も平成7年(1995年)1月の阪神淡路大震災で倒壊し平成12
年(200年)11月新築再建す。
                   年 中 行 事
 元日祭   1月1日・2日・3日 初詣
 とんど祭 1月中旬 しめ縄・松飾り・書初めなどを焼いて正月を締めくくる火祭り
 稲荷祭  2月中旬・白玉・未光稲荷神社・塞の神社例大祭
 例大祭  5月3日(宵宮)・4日(本宮) 昔旧暦の卯月(4月)中卯月に行っていた
        ので卯之葉祭ともいう。
 夏越祭  7月30日 疫病厄除・大祓人形 茅の輪をくぐってお詣りするため俗に
        輪くぐり祭ともいう。
 山の神祭 11月例祭・六甲本庄山より境内に移設
 賽の神祭 11月例祭・子供の守り神
                                     大日霊女神社奉賛会

教化(きょうか):良い影響を与えて、善に導くこと。
帰依(きえ)   :すぐれたものを頼みとして、その力にすがること。


境内に有った西国浜街道の石碑

西国街道:京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を
        経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。
西国浜街道:現在の東灘区から中央区の辺りでは、「本街道」と「浜街道」
      に分かれていました。本街道が主として西国大名の参勤交代
      に使われたのに対して、浜街道はそのバイパス・生活道路と
      して使われていました。


8月24日:22971歩

魚屋道(東六甲最古の山越え道)

8月4日、神戸市東灘区の神社めぐりウォーキングで13社目に参拝した大日霊女
神社の境内で「魚屋道」の石碑を見つけました。

魚屋道(ととやみち):兵庫県神戸市東灘区深江本町3丁目5−7

2018,08,04  03:00 PM



        わが街の史跡  魚 屋 道
魚屋道は江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲最古の山越え交通路
で、当時の絵地図では、森から山に登り、蛙岩、山の神、風吹岩、東お多
福山、本庄橋、一軒茶屋、射場山山復、有馬のルートを通り、「六甲越え」と
呼ばれていた、幕府が有馬への正規の街道を西宮、宝塚、船坂、有馬の
線に定めた後も、遠まわりを嫌った人々はこの道を利用した、そこで、街
道沿いの西宮や生瀬などの宿場の商人は、これを「抜け荷の道」と称して
、通行禁止を大阪奉行所へ訴え、しばしば紛争が生じた文化3年(1806)
に、灘本庄と有馬の人々がひそかに道の大修理をしている、深江浜の魚
は大正時代まで、ここから有馬に運ばれていた。
                            文 田辺眞人
             設置  昭和57年10月  深江財産区


8月23日:25868歩

青木の由来「八坂神社」(東灘区青木)

8月4日、神戸市東灘区の神社めぐりウォーキングで12社目に参拝したのが
八坂神社です。
神社のことを調べているうちに、地名「青木」(おうぎ)の由来が分かりま
した。
保久良神社の祭神が青亀(あうぎ)に乗って漂着した所に社殿を造ったが
、アウギが訛って青木になったと伝わっています。
境内には「本庄村道路元標」と刻まれた石碑があり、この町の旧地名が
残っています。

八坂神社:兵庫県神戸市東灘区青木5丁目1−10

2018,08,04  02:26 PM







            本庄村道路元標
八坂神社の境内西南隅に、「本庄村道路元標」と刻まれた石碑が
ある。旧村名を残しており、本庄村の名を残すものの一つである。
道標に似ているが、道標の役割を果たすものではない、設置時期
は大正時代と考えられており、元はこの辺りの浜街道に面して立て
られていた。                 東灘歴史掘り起し隊
                         東灘区役所


8月22日:18767歩
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