ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

2019年03月

平城宮いざない館(平城宮跡歴史公園)

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで県道751号線を奈良三条
大路方面に向かって歩いていくと、平城宮跡歴史公園にでました、公園の中
に以前は無かった「平城宮いざない館」という新しい展示施設が出来ていたの
で紹介します。
無料で入館できて、奈良時代の生活の様子等が学べる施設で、平成30年
3月にオープンしました。

平城宮いざない館(平城宮跡歴史公園内)                                       2019,03,09  04:25 PM




平城宮いざない館の内部

平城宮いざない館の内部


平城宮いざない館



3月31日:22967歩

鏡玉神社(奈良市佐紀町)

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで県道751号線を奈良三条
大路方面に向かって歩いている時、添御県坐神社の次に鏡玉神社を見つけ
て参拝しました。


鏡玉神社:奈良市佐紀町2958

2019,03,09  04:57 PM



        御祭神 倭大物主櫛御鏡魂大神(大国主命)
当御社の御神体は、三種の神器の別御霊を迎え祀られております。
昭和63年の我が国最古の神体山である三輪山の神意を奉斎し惟神
の道を目指し、力強く立上られた鏡魂大神様、そして昭和の三輪明神
として、新なる御神名 倭大物御鏡大神様という神名を頂かれたので
あります。 小泉太志命、大先生の御蔭であります、その御稜威は御神
格の御守護により遍く発せられております。


惟神(かんながら):「神の道にしたがうこと」「自然と神の道があること」
                            に加えて、「神そのままにて」「神におはするままに」
                            「神意のまま行うこと」など多数あります。
御稜威(みいつ) :天皇や神などの威光。
遍く(あまねく)   :すべてに広く行きわたること。





3月30日:16908歩

添御縣坐神社(奈良市歌姫町)

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで元明天皇奈保山
東陵を参拝後、一緒にあるいた京都の青年と別れて「なら山大通」
から県道751号線を奈良三条大路方面に向かって歩いている時、
添御県坐神社を見つけて参拝しました。


添御県坐(そうのみあがたにいます)神社:奈良市歌姫町999

2019,03,09  03:34 PM







                  式内 添御縣坐神社
        祭神 速須佐之男命 櫛稲田姫命 武乳速命
    祭神・速須佐之男命は皇祖・天照大神の弟神 櫛稲田姫命は須佐之男命
    によって八岐大蛇の難をのがれ、命の妃となった、姫神、武乳速命は添の
    御縣の地の租神です。
            1月1日   元旦祭
            3月11日 春の大祭
            8月21日 雨喜祭 
           10月10日 秋祭
           11月28日 秋の大祭
            各月1日 月次祭
   延喜式の祈念祭の祝詞によると、御縣の代々天皇の御膳に野菜を献上した
  と記されています。また祭神・櫛稲田姫の神名は「奇でし稲田」が原義でその
  神格は農の神であります。


   当神社は、大和平野中央を貫く古代の下ツ道の北端に位置します。
   そして、大和から歌姫越えて諸国へ旅をする際に、国境に鎮座する手向け
    の神として崇敬されていました。
 万葉集に左大臣・長屋王の詠んだ次の歌があります。
  『佐保すぎて 寧楽(ナラ)の手向けに 置く弊(ヌサ)は 妹を目離(カ)れず
    相見しめとぞ』
  この歌には、大和と山城の国境の神・添御県坐神社を拝し、旅の安全を祈
     念したものと考えられます。
 当神社は、格式のある式内社・御県社の一つとしてだけでなく、農の神・旅の
  神として崇敬されてきました。
 江戸時代には牛頭天王社・八王子社として、除災の神として信仰されてきました


御県(みあがた):天皇の食事に供える蔬菜(そさい)を栽培した朝廷の直轄地。





3月29日:24378歩

元明天皇奈保山東陵(奈良市奈良阪町)

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで元正天皇奈保山西陵
の次に元明天皇奈保山東陵を参拝しました。
先に参拝した元正天皇の母親であります。

元明天皇
女帝、第43代天皇。在位707~715。天智天皇の第4皇女。諱は阿閇
 (あべ) 。 草壁皇子の妃。文武・元正両天皇の母。文武天皇の夭折
 後に即位。平城京遷都、古事記・風土記の編纂 、和同開珎 の鋳造
などを行った。


夭折 (ようせつ):夭逝(ようせい)、夭死(ようし)、早世(そうせい)、若
死に(わかじに)などの同様のことを表す表現がある。 主に成人前に
死亡、もしくは成人の場合は、子を為さずに死亡する場合などを指す。

元明(げんめい)天皇奈保山東陵:奈良市奈良阪町          2019,03,09  02:34 PM









3月28日:21157歩

元正天皇奈保山西陵(奈良市奈良阪町)

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで多聞城跡を探索後、
京都から来た天皇陵を巡っている、青年と一緒に歩いて元正天皇奈
保山西陵を参拝しました。
青年は今までに43の天皇陵を参拝したそうで、私は調べたら29の天
皇陵(皇后、皇太子を含む)を参拝していました。
元正天皇は女帝で、調べたら日本の女帝は過去8人おられました。


元正天皇(第44代天皇)
奈良時代の女帝。在位715年~724年。父は草壁皇子,母は元明天皇。
は氷高(ひたか)または新家(にいのみ)。和風諡号(しごう)は日本根子
高瑞浄足姫(
やまとねこたかみずきよたらしひめ)天皇。
715年皇太子首(おびと)皇子(のちの聖武天皇)が幼年のため,元明天
皇の譲りを受けて未婚のまま即位。養老律令の編纂,隼人の反乱,《日
本書紀》の撰進,三世一身(さんぜいっしん)法の制定などがあった。
佐保山陵に火葬,のち奈保山(西)陵に改葬。
 

(いみな):生前の徳行によって死後に贈る称号

元正(げんしょう)天皇奈保山西陵:奈良市奈良阪町2648         2019,03,09  02:22 PM






元正天皇奈保山西陵



3月27日:20026歩

「多聞櫓」の発祥 多聞城跡(奈良市多門町)

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで佐保川天満宮を参拝後、
多聞城跡を探して歩いている時、
天皇陵を巡っている京都から来た青年と
出合い、その後一緒に歩いて天皇陵を探しました。
「多聞櫓」 という言葉を耳にしたことがありますが、ここの城が発祥だった
のです。

多聞(たもん)城跡:奈良市多門町                    

2019,03,09  01:37 PM



                多 聞 城 跡
多聞城は、戦国武将、松永久秀が築いた城です、永禄2年(1559)
、久秀は大和に侵攻し、翌年、奈良の町を見下ろす佐保山の一画
に多聞城の築城を始めました、永禄6年(1565)、奈良を訪れた宣
教師ルイス・デ・アルメイグは、城は瓦葺で白壁の城壁を備え、城内は 
障壁画で飾られるなど豪華な造りであったと書き残しています、後
に「多聞櫓」と呼ばれる長屋状の櫓や、後世の天守に相当する「四
階櫓」ご造られろなど、近世城郭の先駆けとなる城でした。
松永氏は退いた後、天正2年(1574)、織田信長が多聞城に入りま
した、しかし、天正4年(1576)には、信長により多聞城の取り壊しが
命ぜられ築城からわづか十数年で破却されました。建物の一部は
安土城や二条城で再利用され、残されていた石材は筒井城へ運ば
れたことが知られています。
城域は、現在の奈良市立若草中学校の校地と、西側の光明皇后陵
を含む範囲と考えられ、北西と東西しは堀を巡らし、南西は佐保川
で奈良の町と区切られていました。
発掘調査では、石造物を再利用した石垣の溝や井戸、多数の瓦な
どが見つかっています、また、現在でも閘門の東側には、校地一帯
で発見された墓石類が手厚く供養されています。


3月26日:23972歩

佐保川天満宮(奈良市西包永町)

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで天皇佐保山南陵
の参拝後、多聞城跡に向かう途中で佐保川天満宮を見つけました。



佐保川天満宮:奈良市西包永町(にしかねながちょう)44         2019,03,09  01:27 PM





             佐保川天満宮の由来
佐保川天満宮は奈良朝の昔、雷神即ち「天の神」を眉間寺山(多
聞山)に祀り、山の守護神として「天神の宮」と呼び、広く信仰され
たのが始まりであると伝えられています。
その後、永禄3年(1560年)松永弾正久秀が多聞山に多聞城を築
城した前後に、同地に祀られていた「佐保姫明神」と共にこの地に
移され、二つの神様が当宮で祀られていたのであります。
佐保姫明神が他の地に遷宮された後も、当天満宮は「草天神」また
は「茱萸天神」と呼ばれ町内はもとより、広く人々の信仰を集めてい
ました。
江戸時代末期、各地に建てられている天神社に倣って当宮にも学
問の神として菅原道真公像(木造)を安置し、長く奉祭していいるの
であります。
現在の御神殿は、享和3年(1803年)に再築され、修理を加えて今
日に至っている古い建物です。            平成14年7月


茱萸(ぐみ):茱萸【しゅゆ】とは、もともと、中国にあった植物です。
        昔の日本人は、茱萸【しゅゆ】を、日本のグミだと考えて
       、この字を当てました。


3月25日:21526歩

聖武天皇陵佐保山南陵(奈良市法蓮町)

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで八坂神社の次に聖武
天皇佐保山南陵を参拝しました。

聖武(しょうむ)天皇
[701~756]第45代天皇。在位724~749。文武天皇の第1皇子。
名は首(おびと)。藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘光明子を皇后とした。
仏教を保護し、東大寺のほかに、諸国に国分寺・国分尼寺を建立。遺品は
正倉院御物として現存。


聖武天皇陵佐保山南陵:奈良市法蓮町                  2019,03,09  01:20 PM





上の宮内庁の案内板によると聖武天皇皇后の陵が近くにあるのを
後で気が付きました、下調べをしていなかったので、見落としました、
次回奈良に行くときは参拝しようと思っています。






3月24日:19222歩

八坂神社(奈良市押上町)

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで初宮神社の次に八坂
神社を見つけて参拝しました。
扁額の名称は「祇園社」となっていました。


扁額
(へんがく):建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額
            看板であり、書かれている文字はその建物や寺社名で
                          あることが多い。


八坂神社:奈良市押上町26 祇園社八坂神社




扁額は「祇園社」


神社の前にあるバス停は「今小路」



                 八坂神社の由緒
 本社創立、建武5年(1338年6月)南北朝時代
  本殿 御祭神三座
       建速須佐之男命     
       櫛稲田媛命
       八柱御子神
    当社に祀られている三座神は往昔より病気平穏健康祈願を聞き
    届けて下さる偉大な神様です。 
 
  末社・弁財天 御祭神
     菅原道真朝臣 学問向上、合格祈願 災害を払除く守護
     市杵島媛命   水神、衣食住  財を司る神様


3月23日:27150歩

初宮神社(奈良市鍋屋町)

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで奈良女子大学正門のそばで
初宮神社を見つけて参拝しました。
初宮神社は春日大社の境外末社です。

初宮神社:奈良市鍋屋町10                                                         2019,03,09  00:35 PM





                  初 宮 神 社
御祭神
 神祇官八神
    神皇産霊神 高皇産霊神  伊勢皇大神
    魂留産霊神 生産霊神    春日大神
    足産霊神   大宮賣神   住吉大神
    御膳津神   事代主命
 境内小社
    市岐島姫命 七月七日
    稲荷大神  二月初午
                 由 緒
 当社は今から千二百年前 奈良に都があった時、宮中で神祇官の
 祀っていた八神殿である。この八社の守護、飲食等に り 相合体して
 宏大な御神徳を垂れ給ふ神々である。
 崇徳天皇長承元年春日若宮創立の頃九月一日この八神の他に伊勢、
 春日、住吉の大神を併せお祀りしたもので、若宮おん祭しは 田楽法師
 は必ずここへお参りして芸能を奉納、当日の事始めをする古例である。
 これがための初度の宮とも称す。
 現在でも祭礼当日ここで田楽を行ふ。


田楽(でんがく):平安時代中期に成立した日本の伝統芸能。楽と躍りなど
           から成る(田植えの前に豊作を祈る)

奈良女子大学正門



3月22日:20435歩
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