8月16日、東淀川区神社めぐりの時、崇禅寺境内で細川ガラシャの墓
を見つけました。
戦国武将細川忠興の夫人ガラシャは、明智光秀の三女で名は
言い、忠興とは16歳で結婚。父光秀の起した事件のため、一族は皆
殺しとなるが、忠興は玉に手をかけるのに忍びず離縁し、丹後の味土
野(現京丹後市弥栄町味土野)に幽閉した。
3年後、豊臣秀吉は細川一族を味方に付けるため、玉を許し、夫婦
は玉造に住むようになった。その後、玉はキリスト教の教義に引かれ
 ガラシャという洗礼名を得た。
1600年 (慶長5年)7月17日、関ケ原戦の直前、忠興が家康に従
い上杉攻めに出陣中、石田三成は在坂諸大名の妻子を人質にしよう
としたが、ガラシャ夫人はこれに従わず、老臣小笠原小斉に胸を突か
せて37歳の生涯を閉じた。
忠興は玉の死を悲しみ神父に教会葬を依頼して葬儀にも参列した。
玉の墓は堺のキリシタン墓地に埋葬されたが、後に大坂の崇禅寺に改
されました。
なお玉の墓は細川家の墓地(京都の大徳寺高桐院)にもあります。

崇禅寺:阪急崇禅寺駅北へ200m





2015,08,16 撮影


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8月23日:16306歩