9月18日、茨木市内の神社めぐり最後の八幡大神宮を参拝した
あと、帰りに、そばにあった総持寺の境内で「大阪府立茨木高等
学校発祥の地」の記念碑を見つけました。
茨木高校は現在茨木市新庄町にありますが、開校当時は総持寺
の境内にあったことが分りました。
総持寺は過去に何度も訪問していましたが、何か見落としがないか
探していたら見つかったのでした。



碑文は下記

「大阪府立茨木高等学校発祥の地
 大阪府府立茨木高等学校(開校当時大阪府尋常第四中学校)は明治
  28年(1895)この島下郡三島村の総持寺の庫裏にて呱々の声を挙げ
 た。当時の教育熱の高まりに応じてこの年
3校が同時開校となった。
 時あたかも日清戦争終結の年である。同年
227日初代校長加藤逢吉
 着任。教員室・小使室など増設の後、
425日開校。入学生121名。
「土地高燥 空気清潔且ツ民家ニ遠ザカリテ樹木多シ 生徒ノ健康
 ニ最モ利益アリ」という環境であった。

 当時の生徒の回想によれば、生徒は「菜の花咲く春の野に小高く霞
 む」西門に向けて「筒袖の和服に袴をはき風呂敷包みを抱え」雨の日
 も通学し「順礼の歌う御詠歌」を耳にしつつ励んだという。しかし、
 学年が進むにつれ次第に手狭となり、明治
30年の夏、現在地・茨木市
 新庄町に移転した。

 二年半に及ぶ茨木高校揺籃期の旧跡である。」


呱々(ここ)とは         :生まれたばかりの赤ん坊の泣き声。
揺籃期(ようらんき)とはゆりかごに入っている時期(物事の初期の段階)


記念碑の場所は総持寺山門を入りすぐ右側(東側)です。


9月23日:22330歩