玄武洞とコウノトリ公園を見学後、四條畷へ向かって帰る途中で最初に穴目杵
神社を見つけ参拝後、次に赤い大きな鳥居の神社を見つけ参拝したのは中
嶋神社です。
祭神は田道間守命で「古事記」「日本書紀」が伝えるお菓子の神様です。

遠いむかし、田道間守命(たじまもりのみこと)は第11代垂仁天皇より遠い
海の向こうにある「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を探すように命令され
ました。 当時、日本に「非時香菓」は無く、食べると歳をとらずに長生きが出
来ると考えられていました。
田道間守命は十年の歳月をかけて、やっと非時香菓を見つけました。大喜
びで非時香菓を持ち帰りましたが、その一年ほど前に天皇は亡くなっていて、
持ち帰った橘の半分は皇太后に献上され、残りの半分を天皇のお墓に植え
られた後、悲しみのあまり亡くなったと伝えられています。

田道間守が持ち帰った非時香果は現在の橘であると言われています。
「橘」とはミカンの原種です、昔、果物は「菓子・かし」とよばれており、橘は菓子
の最上級品とされていたことから、田道間守はお菓子の神様として崇敬され
ています


御菓子の神様「中嶋神社」 :兵庫県豊岡市三宅1

2016,09,03  16:15 撮影







中嶋神社
祭神は天日槍(出石神社祭神)の四世の孫である田道間守と鳥取
部連の租、天湯河棚神、平安時代に記された「延喜式」に社名がみ
える。 祭神の田道間守が垂仁天皇の命により「常世の国」に派遣
された説話が「古事記」「日本書紀」にあり、そのとおり「非時香果」を
持ち帰った「古事記」はこれを橘としており、また橘は古来菓子の最
上品であったことから、菓子の租神として尊ばれ、その守護神とされ
ている。
社名は田道間守の墳墓が垂仁天皇陵をめぐる池の中に池の中にあ
って、島であったことから名づけられたといわれている。

9月17日:16806歩