湊川神社の中に、大楠公(楠木正成)の墓所がありました。

楠木正成(大楠公)は、延元元年(1336年)5月25日、湊川の地で足利尊氏
と戦い殉節しました、以来、この誠忠(せいちゅう)の正成公を慕う人々によ
って正成公の塚(お墓)は大切にされてきました。やがてお墓は豊臣秀吉検
地(けんち)の際、免租地(めんそち)とされ、江戸時代には尼崎藩主青山幸
利(あおやまよしとし)公によって松と梅が植えられ、五輪(ごりん)の石塔も
建てられました。

大日本史を編纂した水戸光圀公は忠誠を正義を貫かれた正成公を慕われ
元禄5年(1692年)水戸光圀公はそのお墓に「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑を立
てられ、御墓所を立派に建立されました。この御墓所が建立なるや、さらに
多くの人々が墓前にお参りし、正成公を偲びその御遺徳をたたえました。 
明治維新の前後には、新しい日本の国づくりを願った西郷隆盛、吉田松陰、
坂本竜馬等、たくさんの志士達が墓前に詣でつつ精神的支柱になりました。

大楠公(楠木正成)の墓所:湊川神社境内




墓石の文字 「嗚呼忠臣楠子之墓」 水戸光圀公自らの筆による。

 
裏面

大楠公の誠忠を現したこの名文は、多くの人々を感激させ、吉田松陰は
この拓本を松下村塾に掲げて志士の教育にあたりました。