四條畷から松原市を目指して歩き始めたウォーキングは東高野街道に沿って進
み、瓢箪山駅を過ぎて「発掘ふれあい館」の前で「縄手遺跡」の説明版を見つ
けました。

縄手遺跡: 東大阪市南四条町3-33  発掘ふれあい館の前

2017,06,16  8:19 AM



                  縄 手 遺 跡
縄手遺跡は、縄文時代中期末~後期前半(約4000~3500年前)を中心と
した集落跡で、縄手小・中学校の敷地を中心に東西300m、南北400mの
範囲に広がっています。 昭和26年、縄手中学校の造成工事の際、弥生
時代~古墳時代の土器が採集され、遺跡の発見となりました。 昭和40
年縄手農協の工事に際に初めて縄文時代後期の土器片が出土し、以後
小・中学校の校舎増改築工事に伴う発掘調査が進められ、近畿地方でも
有数の縄文時代集落跡であることが明らかになってきました。
これまでの調査で、縄文時代後期の竪穴式住居群のほか土坑・埋甕・
囲い炉・円型石組遺構などのほか多量の縄文土器(深鉢・浅鉢・注口土器
)や石器・土偶など各種の遺物が出土しています。
とくに住居跡は、近畿地方の数少ない縄文時代の住居跡例として貴重な
発見でした。遺跡内には、弥生時代の終わりごろの壺棺や古墳時代の
溝のほか、小学校敷地北端部から上部を削平された直径約30mの円墳
”えの木塚古墳” も発見されています。円筒埴輪や子持ち勾玉などが出土
した市内で最も古い古墳の一つです。   平成15年3月 東大阪市


土坑(どこう):発掘調査などの際に確認される遺構のうち、人間が土を掘
         りくぼめてできたと考えられる穴で性格が見極めにくいもの
         を指す。
         つまり遺構として検出されたとき、竪穴住居跡ないしその

         の性格が明確な遺構と考えられるもの以外のものを「土坑」
         と呼び、調査の結果、性格の見きわめにくい遺構と判断され
         た場合も「土坑」として取り扱われる。
埋甕(まいよう):「うめがめ」ともよぶ。土器の中に遺体などを収容して住居
           跡内外に埋設した縄文時代の風習。
勾玉(まがたま):曲玉とも表記される、先史・古代の日本における装身具の
           一
つであり。祭祀にも用いられたと言われるが、詳細は分     
           かりません。


       勾玉         子持ち勾玉



6月29日:26368歩