関ケ原町内ウォーキング
「島津義弘陣跡」の次に「開戦地」を見つけました。
この場所で国内最大級の戦い「関ヶ原の合戦」が始まったのです。

関ヶ原の戦い「開戦地」:岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原4120−6
2019,08,25 04:37 PM








            関ヶ原の戦い「開戦地」
慶長5(1600)年、徳川家康は会津討伐のためとして東下、それを
好機と石田三成らは、毛利輝元を総大将に担ぎ上げ大阪で挙兵し
、関ヶ原の戦いの幕が開く。
死に軍は、西上する家康らを美濃・尾張国境で迎撃しようと、三成
自身も大垣城に入城する。
しかし、東軍の福島正則らは、三成の予想に反し先んじて美濃に侵
攻、岐阜城をはじめ西軍の諸城を次々と 落させ、大垣城にほど近
い赤坂(大垣市)に集結する、後を追って9月14日に着陣した家康は
、長期化が予想される大垣城攻めを避けるため「東軍」はそのまま
大阪に西上するという噂を流させたという。
西軍は、東軍の西上を阻止しようと雨の中、夜半に大垣城を出発、
15日未明までに、最左翼の笹尾山に三成、小池村に小西行長と宇
喜多秀宗が着陣、先に布陣していた藤川台の大谷吉 や、雨宮山
(垂井町)の毛利秀元率いる毛利勢、松尾山の小早川秀秋と合わせ
鶴翼の陣で東軍を迎え撃とうとする、後を追う東軍は、関ヶ原の盆
地中央に進出、福島正則を先陣に魚鱗の陣を形成した。
雨があがり、霧が晴れ始めた、午前8時頃、東軍の松平忠吉と井伊
直政が抜け駆けして宇喜多隊に発砲、天下の覇権を賭けた国内最
大級の戦いが、ここ関ヶ原で繰り広げられることとなった。


鶴翼の陣(よくかくのじん):
           自軍の部隊を、敵に対峙して左右に長く広げた隊形
          に配置する陣形である。単に横一線に並ぶのではなく
           左右が敵方向にせりだした形をとるため、ちょうど鶴が
                        翼を広げたような三日月形に見えることから、この名が
                        ついた。 ...
                        
魚鱗の陣(ぎょりんのじん):兵法の八陣の一つ。中央が突出した、魚の
                  鱗のような形の陣形。


10月14日:21775歩