長浜市内ウォーキング
長浜市内をウォーキンクで「秀吉公・三成公 出逢いの像」の次に豊公園
(ほうこうえん)を見つけました、

江戸時代前期に廃城となった長浜城。その城跡に明治42年に作られ
た公園です、長浜城主だった豊太閤・豊臣秀吉にちなんで「豊公園」と
名付けられました。
公園内には長浜城歴史博物館をはじめ、庭園や噴水、児童公園、テ
ニスコート等があります

豊公園(長浜城跡):滋賀県長浜市公園町1325                                2019,09,01  8:39 AM 


長浜城跡



              市指定史跡 長浜城跡
長浜はもと今浜といい、「バサラ大名」として有名な京極 道誉(佐々木高
氏)が室町時代の初め頃に出城を築き、それが長浜城の元と伝えられ
る、以後、家臣の今浜氏・上坂氏が守将として在城したと言われている。
姉川合戦の後、その功によって、湖北三郷を与えられた羽柴秀吉は、
天正2年(1574)ころ小谷(湖北町)から当地に城下町を移し、地名を長
浜と改め、ここに城を築いて数年間居城とした。
天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いでは、ここを根拠地として大勝し、織
田信長後継者としての立場を確立した。
秀吉の家臣である山内一豊の天正13年(1585)から5年間在城したこ
とがある。
江戸時代になって、慶長11年(1606)には徳川家康の家臣である内藤
信成が入城し、その子信正が摂津高槻に移るに至って廃城(元和元年・
1615)となった。
建物及び石垣の大半は彦根城の築城に際して移され、その天秤櫓(国・
重文)や三重の隅櫓は当城の遺構と言われている。
また、当市内の大通寺台所門(市指定構造物)、知善院表門(市指定構
造物)も当域の遺構として名高い、この豊公園は「本丸」という小字名で
呼ばれ城域の中心部にあたることから貴重な史跡として昭和37年に市
の指定文化財として指定されている。
城域の遺構は、これまでの発掘調査によって石垣や堀立柱建物跡、礎
石建物跡さらには船着場らしき石組遺構が一部発見されている。
しかし、調査は部分的であり、全体の縄張りや支部の構造については未
だ解明されていない。                長浜市教育委員会


「バサラ大名」
社会の秩序など、どこ吹く風・・. 派手な衣装に身を包み、権力に従わぬ
荒くれ者たち。 彼らの事を『婆娑羅(ばさら大名』と言います。 






現在の天守閣は昭和57年長浜城歴史博物館として建てられたものです。