ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

川・池(川跡,池跡を含む)

親水公園とは「四方黒池の沿革」

青春18切符で7月20日福井(ブログで紹介済)、8月11日尾道、8月25日
岐阜、9月1日長浜と合計4回出かけて各地の神社等をウォーキングしなが
ら探索してきましたが、まだ紹介していない件が溜まっているので、今回
紹介するのは7月25日の寝屋川市内ウォーキングで見つけた「 四方黒池」
です。

四方黒池(よもぐろいけ)治水公園 寝屋川市成田町29-12              2019,07,25  07:29 AM









                  四方黒池の沿革
四方黒池は、昭和20年(1945)ごろまで、現在の美井地区の田畑をうるおす
灌がい用の溜池としてその役割を果たしてきました。

 池の東側には山から清水が流れこみ、夏になるとホタルが乱舞し、笹を持
ってホタルを追いかける里人のすがたが昭和の初期までみられました。

 昭和9年(1934)成田山新勝寺の大阪別院がこの地に鎮座されると、その参
道に沿って一定の町並みができ、住民は魚釣りや水遊び、水泳をしたりして
楽しみました。

 昭和25年(1950)、現在の美井地区より行政分離して「成田町」が生まれまし
た。昭和33年(1958)には三井地区がこの池の財産区財産を処分することに
なり、池の東側の部分を埋め立て、現在の四方黒池が成田地区の管理財産
として残りました。

 昭和40年から60年ごろ(1965~85)にかけて成田東町や成田東が丘などの
大規模開発が進むと、雨が降るたびに大量の雨水が池に流れ込み、池の東
側住宅が浸水に悩まされるようになりました。そのため、昭和61年(1986)に市
下水道事業として池の南側道路に雨水幹線をつくり、四方黒池は親水公園とし
て整備されました。

 その後、雨水が入りにくくなったので、平成3年(1991)に水質浄化策として、さく
泉(掘りぬき井戸)が掘られ現在に至っています。

親水(しんすい)公園
 水質汚濁や護岸工事などで水辺から遠ざけられた都市住民のために、河川
 ・湖沼・海浜などの地形を利用して、水と親しめるように作られた公園。

大津市内ウォーキング①琵琶湖疏水

大津市内ウォーキング① 京阪三井寺駅へ着いて次の電車が発車するまで
少し時間があるので駅周辺を散策して最初に見つけたのが「琵琶湖疏水」
です。
琵琶湖疏水は明治時代にできた琵琶湖から京都まで約9kmの人工の水路
です。

大津市内ウォーキング①琵琶湖疏水                                 2019,07,14  01:36 PM



              琵琶湖疏水
琵琶湖疏水は、大津市三保が関で取水し、三井寺の山下を通り、
京都市蹴上へと流れる人口の水路です、延長9キロメートル。京都市
の飲料水、発電、物資輸送、農業用水など多目的利用のために
立案されました。
第一疏水は明治18年(1885)、青年技師田邊朔朗の指導のもと
に着工、同23年に開通、第2疏水は明治45年(1912)に完成。
工事が国際的レベルの事業であったことを示すように、隧道の各洞
門に伊藤博文を始めとする著名人が揮毫した扁額が掲げられてい
ます。
桜シーズンに見られる水と桜の美しい風景が評判です。


琵琶湖疏水船大津閘門(乗下船場) 大津市大門通3−3−32



乗船カレンダー・料金 - びわ湖疏水船【公式】


蹴上インクライン(京都市左京区)  蹴上疏水公園 田辺朔郎博士の像


8月10日:22038歩




人工河川 「秋篠川」 (奈良市)

7月6日の奈良市内ウォーキングで皆天満宮を参拝後、秋篠川堤防を
歩いている時、秋篠川の説明板があり、それに、秋篠川が人工の
川であることが書いてあったので紹介します。


秋篠川(奈良市)     2019,07,06  04:23 PM

     秋篠川         西の堀川
秋篠川は、平城京造営時に条坊に合わせ直線化された人工河川
です、佐保川より遡って西市(現大和郡山市九条町)へ物資を運ぶ
水路として活用され、「西の堀川」と呼ばれました、唐招提寺・薬師
寺及び西市の造営にも利用されたと推測されます。







五藤池跡(寝屋川市立市民会館)

4月26日のウォーキングでLAMU(ラ・ムー)寝屋川店のそばで「元 大杜御祖
神社 表参道燈籠跡」と「元 大杜御祖神社 鳥居跡」の石碑をみつけた
後、寝屋川市立市民会館の前に「寝屋川市歴史と文化のみち」の説明
板がありました。
それにはこの市民会館の場所が五藤池という大きな池であったことが
載っていました。

五藤池(ごとがいけ)跡: 寝屋川市立市民会館 寝屋川市秦町41−1  2019,04,26  10:25 AM







                 五藤池の沿革
かって、この地に「五藤池」と呼ばれる用水池(溜め池)がありました。
五藤池は、旧高宮村の用水池で、その西南一帯の水田約二十町歩
を配置してきました、池は中堤により上池(現、市民会館用地など)
と下池(現、第一中学校・東コミニュテイセンター用地など)に分かれ、総面
積は約五町歩(約49500平方メートル)あったので、「五町池」と称された
のが、訛って五藤池となったと伝えられています。
五藤池の築造時期については、確かな記録はありませんが、伝承に
よりますと、上池(当時は田畑)あたりは秦領でした。高宮領と秦領の
代官が協議して現在の中央小学校南側にあった高宮領の土地と等
価交換をし、上池は高宮領になったとのことです。こうした伝承が事
実であれば、五藤池の築造は江戸時代以降と考えられます。
用水池は、元来、谷間をせきとめて築造しますが五藤池は平地部に
堤を築いて築造されたものです。
そのため、自然湧き水がなく、貯水量を補うために秦領の新宮池の余
水を惣水川を通して譲り受けていました。
高宮村は、昭和30年まで毎年、水勘定(水代金)を納めてきました。
惣水川より取水する樋は近くに大きな栴檀(せんだん)の木があったこ
とから「栴檀の樋」と呼ばれ、現在も第一中学校体育館の西側にありま
す。
五藤池の周辺は、枚方みち(河内街道)が西堤と南堤を走り太秦の村
中を通る山根街道と交わる交通の要所でもありました。
田園風景も里人のこころをなごませました。
春は柳の新緑、夏はヒシの藻と白い花、秋冬には水面にたわむれる「
かいつぶり」、とりわけ名物の「雑魚獲(じゃことり)」は壮大で、大量の
淡水魚が水揚げされ、その年の終りを告げる行事でした。
五藤池は、古くから人々の生活や産業をささえ地域発展の源となって
きたのです。                            寝屋川市

昭和初期の五藤池風景



4月30日:23011歩

千間川跡(大阪市城東区)

真田幸村の墓をお参りした後、帰り道の地下鉄「緑橋」付近で「千
間川と緑橋」の記念碑を見つけました。
説明によるとこの付近には、かって千間川という用水路があった
所で、昭和42年から工事が始まり昭和46年に暗渠化の工事が終
わり、今は緑陰道路に生まれ変わりました。

「千間川と緑橋」:記念碑の場所はコノミヤ緑橋店の道路向   大阪市城東区東中本1丁目

2018,12,04  01:57 PM



                   千間川と
                   緑橋
かつて、ここには西の平野川と今の東大阪市との市境界になる中高
野街道を結ぶ用水路が流れ、その長さが千間(1800メートル)あったと
ころから千間川と呼ばれ、東成から市内へと小舟で行き交う人も多か
った。
千間川には20あまりのゆかしい名の橋が架かっていたが、昭和42年
ころから川を暗渠化する埋立が始まり、昭和46年に完了、現在は緑
陰道路に生まれ変わった。
緑橋は南側交差点名に当時の名残りを留め、心のふるさととなって
いる。                       平成8年10月 大阪市






グーグル地図 もっと拡大すれば「千間川跡碑」の文字が出てきます。

旧大和川堤防跡(御野縣主神社)

2015年4月に御野縣主神社を参拝した時、旧大和川の堤防跡があること
を知りましたが、当時は堤防跡を写さずブログにも取り上げていなかったの
で、御野縣主神社は今回で2度目の参拝になりました。
アオサギの卵を写す「御野縣主神社」(八尾市)

旧大和川堤防跡(御野縣主神社の境内)    八尾市






               旧大和川の堤防跡
御野縣主神社の境内には、社殿の西側に63mにわたって、旧大和川
の堤防跡が残っています。
宝永3年(1704)の付け替え前の大和川の川筋は、二股付近で二つに
分かれており、その分流の一つが現在の玉串川です。
現在の玉串川の川幅は神社の西側付近で5m位ですが、付け替え前
の川幅は200m近くもありました、この堤防跡は旧玉串川筋の東側の
堤防の跡になります、江戸時代の初めには、川底がまわりの土地より
高い天井川となり、たびたび堤防が切れて、洪水の被害をもたらすよう
になっていました、このため今米村(現在の東大阪市)の庄屋、中甚兵
衛らの尽力により宝永元年に付け替えが行われ、現在の大和川の川
筋となりました。
御野縣主神社の境内に残る旧大和川の堤防跡は、付け替え前の大和
川の様子をしのぶ貴重な史跡になっています。
また、堤防跡の南東側には、上水道の整備が行われる以前に天井川と
なった玉串川の湧き水を簡易水道として利用するため、上之島の人々が
設けた親井戸の跡も残っています。
          平成16年6月      八尾市教育委員会


御野縣主(みのあがたぬし)神社



12月21日:18445歩


八尾浜跡と久宝寺船着場跡

八尾市内を歩いていて本町第二公園で姉妹都市・友好都市 記念碑を見つけた後
次に「八尾浜と久宝寺船着場」の石碑を見つけました。
現在の長瀬川は狭い川ですが、もとは大和川の本流で川幅が200メートルあったそう
です。

長瀬川(旧大和川) 八尾側 八尾浜跡                   2018,11,29  02:41 PM



             八尾浜と久宝寺船着場
長瀬川はもと大和川の本流で古くはおよそ200メートルの川幅があり、
人と物資の運搬で川舟が往復した。
宝永1年(1704)大和川の付け替え後は井路川となり八尾と久宝寺の
人々は共同出資で剣先船が人や米、木材などを京橋まで運び年貢米
の運送や、大阪、淀などへの往復でにぎわった。
こちらの八尾側の方を八尾浜、むこうの久宝寺側を船着き場とよびとも
に祭礼のときのお旅所であった。
                              八尾市教育委員会

久宝寺側  船着場跡


現在の長瀬川



12月17日:21973歩

旧大和川の痕跡「狐山」(八尾高校)

大和川の付け替えについて調べているとき、旧大和川の痕跡が八尾
市内に2個所残っていることが分かり、それを見つける目的で11月29
日のウォーキングを羽曳野市、藤井寺市の古墳を巡ってその帰りに八尾
に寄ったのです。
旧大和川は久宝寺川、玉櫛川、平野川など何本かの川に分かれて大
阪城の北、大川に流れこんでいました。
八尾高校の中にある狐山は久宝寺川の左岸堤防の跡だそうです。

旧大和川の痕跡「狐山」(八尾高校)八尾市高町1丁目74

2018,11,29  02:20 PM





                                狐 山
1704年に付け替えられえた旧大和川の名残りで、八尾市に
2個所のみ残る貴重な堤防跡です。

第18期卒業50周年記念事業
 

12月15日:25617歩

第二寝屋川を歩く②(東大阪市~大阪市)

10月2日に第二寝屋川の起点(八尾市恩智川緑地)から東大阪市の稲田本町
の金五郎橋までを歩いたので、10月6日はJR放出まで電車で行き、稲田本町の
金五郎橋から終点の大阪城までの第二寝屋川を紹介します。

最初に降りたJR放出駅                                                                  2018,10,06   06:44 AM

第二寝屋川の終点を目指して歩き始めた「金五郎橋」より下流を写す。2018,10,06   07:17 AM

放出東橋より下流を写す。

城見橋より下流側を写す。                                                                2018,10,06   07:22 AM

第二寝屋川は大阪環状線の下を通過します。                                    2018,10,06   08:49 AM

大阪城ホールが見えてきました。                                                         2018,10,06   09:08 AM

川の駅 大阪城港                                 2018,10,06   09:13 AM

第二寝屋川の終点。 第二寝屋川最後の橋から下流を写す     2018,10,06  09:32 AM

鴫野橋から上流側を写す。                          2018,10,06  09:32 AM

第二寝屋川を歩く①(八尾市~東大阪市)


10月21日:23866歩

第二寝屋川を歩く①(八尾市~東大阪市)

第二寝屋川の起点から終点まで歩く、ウォーキングをしました。
第二寝屋川は自然の川ではなく、人口的に造った運河で、約12キロ
メートルあります、起点は八尾市の恩智川治水緑地から終点は大阪城
の近くで寝屋川に合流します。
10月2日に起点の八尾市から東大阪市稲田本町まで歩きました。
10月6日に稲田本町から終点の大坂城まで歩きました。
このブログでは10月2日のウォーキングについて紹介します。

第二寝屋川の起点   八尾市 恩智川治水緑地                            2018,10,02  02:41 PM

第二寝屋川にかかる最初の橋から下流を写す。                                2018,10,02  02:46 PM


第二寝屋川 一番目の橋「萬右衛門橋」から下流側を写す。             2018,10,02  02:50 PM 

玉串橋の手前で玉串川が合流します。  2018,10,02  03:04 PM

高砂橋から下流を写す。                                                                 2018,10,02  03:26 PM

画面右の第二寝屋川が左の楠根川を吸収して下流へ向かいます。       2018,10,02  03:51 PM        

道路 中央環状線の下を流れる第二寝屋川 上流側に向かって写す    2018,10,02  03:54 PM

下流に向かって写す。

近鉄奈良線の下を通過                                                                       2018,10,02  04:02 PM

新御厨橋から下流側を写す                                    2018,01,02  04:14 PM

阪神高速13号線の下を通過                                                              2018,10,02  04:34 PM


金五郎橋(東大阪市稲田本町)から撮影 鉄橋は大阪東線 10月2日のウォーキングはここで終了
2018,01,02  04:56 PM

第二寝屋川を歩く②(東大阪市~大阪市)



10月20日:28692歩
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