ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

生誕の地(碑)

菅原道真公の生誕の地「菅原天満宮遺跡天神堀」

今年三度目の奈良市内ウォーキングで参拝した菅原天満宮の東100mの
所に天神堀という小さい池があり、そこが菅原道真公の産湯の池と伝
えられています

菅原天満宮遺跡天神堀:奈良市西大寺東町2丁目1           2019,06,09  10:15 AM





             菅原天満宮遺跡天神堀
この池は菅原院の一部にして、相伝菅神の遺跡であり、古くから菅原
道真公の産湯の池と伝えられております。
島のなかにある碑には、星霜年を経て古くなり、神の盛なるを託し、そ
の祖先を敬うことにより徳を戴き、荒れた岸に石垣を積もうとしたところ
、その趣旨は四方に伝わり瞬く間に完成した。
神徳は、月日が下界を照らす様なもので敬わない人はいないだろう。
神をたたえ、この碑を立て記念とする。
        慶応3年11月
        平成8年6月 改修

私は2018年4月に京都市南区で菅原道真公の生誕の地「吉祥院天満
宮を参拝したことがあります、歴史は諸説があるものです。
菅公生誕の地「吉祥院天満宮」


6月15日:21525歩

佐伯祐三 生誕の地(大阪市北区中津)

9月26日のウォーキングは大阪市北区の大阪市顕彰史跡でまだ、見つけていない
「佐伯祐三生誕の地」と「本庄産院跡」を探しながら歩きました。
最初に見つけた「佐伯祐三生誕の地」を紹介します。

大阪が生んた偉大な洋画家 佐伯祐三は、明治31年(1898)光徳寺に生まれ
た。大正12年に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業し、大正13年に妻子
を伴いフランスに渡り、ブラマンクやユトリロらの感化をうけながら、独自の画境をひら
いた。そして数多くのパリ風景を描きつづけ、いったん帰国したが、再度フランス
に渡り制作にはげみ、大きく飛躍した。しかし、病にたおれ、昭和3年わずか30
歳で死去した。代表作に「ノートルダム寺院」「サンタニス寺院」「郵便配達夫」
などがある。

佐伯祐三 生誕の地:大阪市北区中津2丁目5−4   光徳寺


入口の扉は鍵はかかっていませんが、閉まっており、入りにくいので
中から人が出てくるのを待って、声をかけてから中に入りました。






代表作 「郵便夫」



10月13日:24757歩

原水爆禁止運動の父「安井郁博士生誕之地」

門真市文化財ガイドブックに載っていた「安井郁博士生誕之地」は京阪大和田駅
から徒歩3分の所にありました。



安井郁(やすいとおる)博士生誕の地




安井郁博士生誕之地:門真市常称寺町12-22                                    2018,06,11  02:51 PM





              原水爆禁止運動の父
明治40年、大和田村生まれ、昭和55年没、東京大学法学部を卒業後
国際法を研究、母校の東京大学教授に就任、昭和29年のビキニ環礁水
爆実験の最中、日本ではじめて「原水爆禁止運動の組織化を図り「原
水爆禁止署名運動全国協議会」を結成、昭和30年には広島で「第一回
原水爆禁止世界大会」を開催。
開催後は「原水爆禁止日本協議会」を設立し、理事長に就任。
平和運動に影響を与えました。


6月15日:25043歩

新聞学研究の祖「小野秀雄翁 生誕の地」

5月12日に滋賀県東近江市の近江商人発祥の地、五箇荘町へ国道1号線で
向かう途中で参拝した参拝した立木神社の境内で「新聞学研究の祖 小野秀
雄翁 生誕の地」の記念碑を見つけました。

新聞学研究の祖「小野秀雄翁生誕の地」 草津市 立木神社の境内  2018,05,12  08:22 AM

日本新聞学研究の祖 小野秀雄翁生誕之地



      日本の新聞学研究の開拓者 小野秀雄 先生
小野秀雄先生は、立木神社の中臣家38代宮司の小野秀国の長男として、
1885(明治18)年8月14日に、草津のこのちに生まれる。
東京帝国大学大学院に入学し直し、新聞の学問的研究及び新聞記者教
育の開拓と発展に主導的な役割を果たした学者で、東京帝国大学文学部
新聞研究室主任、東京大学教授、銅新聞研究所初代所長、上智大学教授
、同文学部新聞学科長、日本新聞学界初代会長、同名誉会長などを歴任。
主著に「日本新聞発達史」、「新聞原稿」、かわら版物語」のどがある、
1955(阿養和30)年に、その功績にたいして日本新聞協会から新聞文化賞
が授与された。
没年、1977(昭和52)年7月18日(91才1カ月)  
                   平成22年8月14日 顕彰碑建立委員会

5月20日:23472歩

皇女和宮生誕の地(橋本家跡)

8月4日、京都迎賓館見学後、再度、京都御苑近辺の神社めぐりに出かける
前の御苑内で「橋本家跡」の駒札と、「皇女和宮生誕の地」の記念碑をみつけ
ました、橋本家で和宮が生まれたので駒札と記念碑は共通のものでした。

皇女和宮生誕の地(橋本家跡):京都市上京区 京都御苑内



2016,08,04  11:59  撮影

橋本家跡
1846(弘化3)年、孝明天皇の妹 和宮親子内親王 誕生の地といわれて
います。 和宮は、橋本実久の娘 典侍の経子 を母として生まれ、14年間
この橋本家で養育されました。
公武合体政策を進めるため、当初の有栖川宮熾仁親王との婚約は破棄
され14代将軍 徳川家茂 へ嫁ぐこととなりました。
明治維新後、和宮は徳川慶喜の助命にも尽力しました。
1877(明治10)年、療養先の箱根で没し、増上寺の徳川家茂の墓に並ん
で葬られました。


8月12日:11827歩

明治天皇生誕の地「中山邸跡」

京都御苑内を歩いているとき「中山邸跡」の説明板(駒札)を見つけました。
駒札によると、この場所は明治天皇のお母様の実家、中山邸のあった場所
でした。
柵があり中には入れません。

明治天皇生誕の地「中山邸跡」   場所:京都御苑内


2016,08,04  8;15  撮影

中山邸跡
幕末期の公家権大納言中山忠能の邸跡で、その娘権典侍慶子を母として
1852(嘉永5)年、祐宮(後の明治天皇)が誕生しました。
敷地内にはそのうぶ屋が遺っています。 祐宮はここで4年間養育されたと
いわれています。
敷地内の井戸は、祐宮が2才の夏、干天で枯れたため、新たに掘られたた
め、その名にちなんで祐井と名付けられたといいます。


「明治天皇生誕の地」木製と思われるこの記念碑は柵の中にあり
柵の隙間から写しました。

楠公誕生地(千早赤坂村)

千早赤坂村ウォーキングで「楠公産湯の井戸」を見つけて、そこから5分
足らずの所、郷土資料館の前で「楠公誕生地」を見つけました。
平成2年から4年にかけての発掘調査で2重の堀に囲まれた建物の
跡が確認されて楠正成の館跡と比定されました。

比定(ひてい):(不明の歴史年代等を)資料などを比較検討して推定
           すること。

楠公誕生地(千早赤坂村) 2016,02,09 撮影




「大宅壮一生誕の地」(高槻市富田)

以前に高槻市の富田地区に古い酒屋が今でも残っていることが新聞
に載っていたので切り抜いていました、いつか見に行こうと思っていま
したが、12月7日、見山の郷に行った帰りにウォーキングを兼ねて行ってき
ました。
下調べをしていると、その近くに「大宅壮一生誕の地」があることが分り、
見学してきました。
ジャーナリストでノンフィクション作家の大宅(おおや)壮一は「一億総白痴化」、
「口コミ」、「駅弁大学」、「恐妻」、「太陽族」などの造語をつくった人で大阪
府高槻市三島郡富田村(現高槻市)の醬油屋に生まれました。

「大宅壮一生誕の地」:高槻市富田町6丁目20-10 府道133号線脇



2015,12,07 撮影

頼 山陽 生誕地(大阪市西区)

10月13日はJR難波付近に行く用事が午後2時にあるので、ついでに
朝早く出て大阪市浪速区の神社めぐりをしました。
浪速区の神社は全部で5社ありますが、以前に1社を参拝済のため残
り4社を全て参拝できました。
私の神社めぐりはウォーキングを兼ねているため初めから難波へ行けばよい
のですがJR北新地からウォーキングを始めたので史跡をいくつか見つける
事が出来ました。
最初に見つけたのが「頼 山陽 生誕の地」の石碑でした。
頼山陽(らいさんよう)は江戸時代後期の歴史家です。

頼 山陽 生誕地:西区江戸堀1丁目10-31 金光教 玉水記念館 敷地内



2015,10,13 撮影

与謝野晶子生家の跡(堺市堺区甲斐町)

与謝野晶子生家跡の碑は堺市を南北に走る広い道路(大道筋)
の西側にありました、建物は無く記念碑が残るのみでした。
与謝野晶子は偉大な歌人で生涯に読んだ短歌は5万首とされて
います。
碑には「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」
の歌が載っています。

与謝野晶子生家の跡記念碑:堺市堺区甲斐町西1丁-1




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