ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

寝屋川市(大阪府)

三井(美井)発祥の地(寝屋川市)

7月26日のウォーキングは寝屋川市内を歩きました。
オークヒルズ香里(寝屋川三井南町)のそば「かしの木公園」の前で見つ
けた「三井(美井)発祥の地」の説明板について紹介します。
昔この地域に三ツの井戸が並んでいたといわれ、これが寝屋川市の地名
「三井」の由来であるそうです。

三井(美井)発祥の地                                                           2019,07,26  10:16 AM

オークヒルズ香里(寝屋川三井南町)のそば「かしの木公園」の前  
                                         三井(美井)発祥の地
       現住所 大阪府寝屋川市美井町・美井元町
         旧住所 大阪府北河内郡友呂岐村大字三井
当地は古来茨田郡三井郷と称し、平安時代すでにその郷名が記録されて
いる。由来書によれば「聖武天皇の御字、行基菩薩河北の地に三ツ井を
掘る。一ツ井は讃良郡高宮村、二ツ井は同郡秦村、三ツ井は茨田郡につく
る。」とあり、これによって三井の名が生じたといわれる。ごく最近までこゝに
三ツの井戸が並んでいたといわれ、この井戸を中心に三井の集落が発生し
、現在の美井元町、美井町、境橋町、三井南町と発展したのである。
いまや開発が進み、往古の面影が消えてしまっているがオークヒルズ香里の
完成を期に、三井(美井)の地名発祥の原点として、碑を刻し、後世に残すこと
にした。    
         平成二年八月吉日   美井三町々政運営協議会








9月10日;22071歩

若山神社跡(寝屋川市三井)

7月25日の寝屋川市内ウォーキングで「 四方黒池」の次に若山神社跡を
見つけました。
明治43年に友呂岐神社に合祀されました。

友呂岐神社(寝屋川市香里本町 )



若山神社跡(寝屋川市三井)                                                             2019,07,25  08:22 AM

外から鳥居が見えますが中には入れません(西側から撮影)



東側からも中には入れません

金網の隙間から撮影

親水公園とは「四方黒池の沿革」

青春18切符で7月20日福井(ブログで紹介済)、8月11日尾道、8月25日
岐阜、9月1日長浜と合計4回出かけて各地の神社等をウォーキングしなが
ら探索してきましたが、まだ紹介していない件が溜まっているので、今回
紹介するのは7月25日の寝屋川市内ウォーキングで見つけた「 四方黒池」
です。

四方黒池(よもぐろいけ)治水公園 寝屋川市成田町29-12              2019,07,25  07:29 AM









                  四方黒池の沿革
四方黒池は、昭和20年(1945)ごろまで、現在の美井地区の田畑をうるおす
灌がい用の溜池としてその役割を果たしてきました。

 池の東側には山から清水が流れこみ、夏になるとホタルが乱舞し、笹を持
ってホタルを追いかける里人のすがたが昭和の初期までみられました。

 昭和9年(1934)成田山新勝寺の大阪別院がこの地に鎮座されると、その参
道に沿って一定の町並みができ、住民は魚釣りや水遊び、水泳をしたりして
楽しみました。

 昭和25年(1950)、現在の美井地区より行政分離して「成田町」が生まれまし
た。昭和33年(1958)には三井地区がこの池の財産区財産を処分することに
なり、池の東側の部分を埋め立て、現在の四方黒池が成田地区の管理財産
として残りました。

 昭和40年から60年ごろ(1965~85)にかけて成田東町や成田東が丘などの
大規模開発が進むと、雨が降るたびに大量の雨水が池に流れ込み、池の東
側住宅が浸水に悩まされるようになりました。そのため、昭和61年(1986)に市
下水道事業として池の南側道路に雨水幹線をつくり、四方黒池は親水公園とし
て整備されました。

 その後、雨水が入りにくくなったので、平成3年(1991)に水質浄化策として、さく
泉(掘りぬき井戸)が掘られ現在に至っています。

親水(しんすい)公園
 水質汚濁や護岸工事などで水辺から遠ざけられた都市住民のために、河川
 ・湖沼・海浜などの地形を利用して、水と親しめるように作られた公園。

二本松神社跡(寝屋川市田井町)

寝屋川市の歴史を検索していたら、田井町に二本松神社の跡がある
事がわかり7月9日のウォーキングの時探して見つけました。

場所は「田井町 第1 老人ちびっこ憩いの広場」の中にありました、神社
の在ったことを示すものは、石灯籠の台座のようなものがあるだけで、
説明板等はなく、予備知識がない人は現地にいっても神社跡とはわか
らないと思います。
三井、田井、太間の神社、合計3社が明治43年、合祀して友呂岐神社
となったことが、友呂岐神社の由緒のなかに出てきます


          友呂岐神社御由緒

友呂岐は鞆呂岐とも書き古代から皇室の荘園でした御祭神は応神
天皇(
34世紀)別名大鞆別命と申し上げ、鞆とは天皇の立派な
お姿の形容、呂岐は神を表す語でトモロギの語源がしのばれます。

この地は天皇の皇子仁徳天皇の茨田の屯倉を置かれ、太間の衫子
はその時の伝説です、ここは皇室の別荘の営まれたところで、御
所山と呼ばれます、又菅原道真公左遷の通路にあたり公を祀る神
社が多く、公を祀った三井、田井、太間の各神社を合祀していま
す、大祭は十月十六日、一月のお弓神事は美井(三井)に残る伝
統行事です。香里本町 友呂岐神社

太間(たいま)の衫子(こもろこ)については太間天満宮を参照
ください、
寝屋川 太間(たいま)天満宮

二本松神社(田井神社)跡:寝屋川市田井町4-5       2019.07,09  10:30 AM







石灯籠の台座のようなもの



7月26日:20028歩

山崎渡船遭難者の墓(寝屋川市)

寝屋川市のホームページで「山崎渡船遭難者之墓」があることがわかり
7月3日のウォーキングで探してお参りしてきました。
この墓は明治43年4月15日山崎渡船が遭難して16名が亡くなった慰
霊の墓です。
事故は山崎から橋本への渡船が転覆して起ったのですが、ここに墓が
ある理由は、亡くなったのが寝屋川市の人であるからです。
寝屋川の 大利には江戸時代から「詠歌講」というのがありました。詠歌
をあげたり、詠歌おどりをすることは、これといった娯楽のないの時代、
数少ない楽しみのひとつで、年に1、2回の観音霊場参りは村人の信仰
とレクリエーションの場になっていました。

それまでは歩いて参詣していたのですが、明治43年(1910)4月15日に
京阪電車が開通したので、初乗りを兼ねて橋本から電車で往復する柳
谷観音詣でをしようということになりました。開通2週間後のことで一行
は72名でした。

柳谷観音参りを終えての帰り道、山崎から橋本への渡船に乗船するこ
とになったのですが、そのうちのひとつの船が転覆してしまいました。

乗船していた19名のうち、助かったのはわずかに3名という淀川の交通
史上、最大ともいうべき惨事となったのです。

山崎渡船遭難者の墓:寝屋川市長栄寺町   大利墓地内                  2019,07,03  04:29 PM











7月5日:21280歩

寝屋川せせらぎ公園(寝屋川市駅前)

7月1日のウォーキングで京阪寝屋川市駅の近くで「寝屋川の舟運」の碑
を見つけた後、駅前で見つけた「寝屋川せせらぎ公園」を紹介します。
この公園は寝屋川市が市制50周年を記念して造った公園です。

寝屋川せせらぎ公園                            2019-07-01  09:53 AM











                 寝屋川せせらぎ公園
<人にも生き物にもやさしい空間の創出>
本親水施設は市制50周年(平成13年)を記念して、市名の由来でもある、
「一級河川寝屋川」を市のシンボルとして再生を図り、市民の皆さんに親しま
れる魅力ある川として、計画段階から市民の方(ワークショップ委員等)と行政
が意見交換しながら整備誕生しました。
<風力発電を利用したせせらぎ水路・木炭浄化>
せせらふぃを流れる水は、風力発電の発生する電気を利用して、川の水を
くみあげ、水質浄化装置の木炭で浄化しています。
<一級河川寝屋川の特性>
この川は、上流でポンプにより淀川から浄化用水を流しています、また、大雨
の時は寝屋川周辺の浸水を防ぐため、上流で川をせき止め、淀川に洪水を
流します。雨が降らないのに水量が多くなったり大雨なのに水量が少ないな
どと、普通の川と違いますので注意してください。



京阪寝屋川市駅



7月3日:22193歩

[寝屋川の舟運]の碑(京阪寝屋川市駅前)

ネットで寝屋川市のことを検索していたら、京阪寝屋川市駅の近くに「寝
屋川の舟運」の碑があることがわかり昨日はそれを探すウォーキングをし
ました。
舟運だから寝屋川沿いにあると考え川の付近を探しましたが、見つか
らずあきらめかけましたが、駅周辺を探してやっと交番所のそばで見つ
けました。

「寝屋川の舟運」の碑:京阪寝屋川市駅前                    2019,07,01  09:27 AM





寝屋川の名は古代生駒山麓に広がる牧場人の”寝屋”が起こり
といわれます。大坂・天満へ通じ宝暦9年(1759)から公認の剣
先船が往来し河川交通の重要な役割を果たしました。
堀溝の船着場は”堀溝千軒"と呼ばれ賑わいました。
野崎参りの屋形船は江戸時代庶民風俗の象徴だったほか近松
門左衛門の「女殺油地獄」などの戯曲にも舟運が織り込まれて
います。


寝屋川は古くから淀川、古川と共に旅客物輸送の水路でした、
明治31年東高野街道に並行して関西鉄道(現JR学研都市線)
同43年京街道に沿って京阪電鉄の開通に加え国道が走るよう
になって舟運も姿を消しました。
陸路交通の発達で市域に産業があいついで進出する一方、大
阪のベットタウン、北河内の文教町として急速に都市化しました。


ハアー
生駒山から ほのぼの明けて
みどりゆたかな 寝屋川市
まつりばやしで 昔も今も
町は絵になる 歌になる
ソレー
寝屋川音頭で 笑顔がふえて
人の心も丸くなる ホントネ
    新寝屋川音頭
      南口繁信・作詞
      斉藤正雄・作曲





7月2日:17098歩

一井の井戸跡(寝屋川市高宮)

一昨日(6月28日)のウォーキングは寝屋川市内を歩きました。
旧国道170号線沿いの道で石碑を見つけて、近づいてみると
「一井の井戸跡」でした。
石碑には、「古記 行基菩薩堀井の河北三名水のうちの「一つ
井」と刻まれていたので、三名水を調べたら下記です
 一つ井:高宮村(現在の高宮町)
              このブログ
 二つ井:国松村(現在の国松町)        

               弘法井戸(寝屋川市国松町)

 三つ井:郡村の東 三井村(現在の郡元町)

      湯屋が谷の弘法井戸(寝屋川市)



一井の井戸跡:寝屋川市高宮






旧国道170号線(河内街道)



6月30日:18065歩

スタージャスミン(ビバモール寝屋川)

5月11日のウォーキンクで星田60名山の「広望丘」に登った後、寝屋川市内
に戻り、ビバモール寝屋川の南側の生垣に白い星形の花を写して名前を
調べたら「スタージャスミン」という名前でした。

スタージャスミン
  別名:トウキョウチクトウ、タイワンテイカカズラ、トウテイカカズラ(唐定家葛)
  原産地:中国、台湾
  花期:5月~6月
  用途:生垣  
  薬効:茎や葉は生薬で絡石籐(らくせきとう)といい止血、鎮痛の薬効がある。
  花言葉:愛らしさ、愛嬌、優美、清純、温和、無邪気、あなたは私のもの、
       私はあなたに付いて行く、素直、気立ての良さ、感能的

スタージャスミン:ビバモール寝屋川                               2019,05,11  09:49 AM









五藤池跡(寝屋川市立市民会館)

4月26日のウォーキングでLAMU(ラ・ムー)寝屋川店のそばで「元 大杜御祖
神社 表参道燈籠跡」と「元 大杜御祖神社 鳥居跡」の石碑をみつけた
後、寝屋川市立市民会館の前に「寝屋川市歴史と文化のみち」の説明
板がありました。
それにはこの市民会館の場所が五藤池という大きな池であったことが
載っていました。

五藤池(ごとがいけ)跡: 寝屋川市立市民会館 寝屋川市秦町41−1  2019,04,26  10:25 AM







                 五藤池の沿革
かって、この地に「五藤池」と呼ばれる用水池(溜め池)がありました。
五藤池は、旧高宮村の用水池で、その西南一帯の水田約二十町歩
を配置してきました、池は中堤により上池(現、市民会館用地など)
と下池(現、第一中学校・東コミニュテイセンター用地など)に分かれ、総面
積は約五町歩(約49500平方メートル)あったので、「五町池」と称された
のが、訛って五藤池となったと伝えられています。
五藤池の築造時期については、確かな記録はありませんが、伝承に
よりますと、上池(当時は田畑)あたりは秦領でした。高宮領と秦領の
代官が協議して現在の中央小学校南側にあった高宮領の土地と等
価交換をし、上池は高宮領になったとのことです。こうした伝承が事
実であれば、五藤池の築造は江戸時代以降と考えられます。
用水池は、元来、谷間をせきとめて築造しますが五藤池は平地部に
堤を築いて築造されたものです。
そのため、自然湧き水がなく、貯水量を補うために秦領の新宮池の余
水を惣水川を通して譲り受けていました。
高宮村は、昭和30年まで毎年、水勘定(水代金)を納めてきました。
惣水川より取水する樋は近くに大きな栴檀(せんだん)の木があったこ
とから「栴檀の樋」と呼ばれ、現在も第一中学校体育館の西側にありま
す。
五藤池の周辺は、枚方みち(河内街道)が西堤と南堤を走り太秦の村
中を通る山根街道と交わる交通の要所でもありました。
田園風景も里人のこころをなごませました。
春は柳の新緑、夏はヒシの藻と白い花、秋冬には水面にたわむれる「
かいつぶり」、とりわけ名物の「雑魚獲(じゃことり)」は壮大で、大量の
淡水魚が水揚げされ、その年の終りを告げる行事でした。
五藤池は、古くから人々の生活や産業をささえ地域発展の源となって
きたのです。                            寝屋川市

昭和初期の五藤池風景



4月30日:23011歩
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