ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

羽曳野市(大阪府)

雄略天皇陵(羽曳野市島泉)

藤井寺球場跡」の次に「雄略天皇陵」を見つけました。
丸い古墳と四角い古墳があり両方合わせて雄略天皇陵です理
解するのに少し時間がかかりました。
すぐそばに藤井寺自動車教習所があり、この付近は羽曳野市と
藤井寺市の境界が入組んでいます。

雄略(ゆうりゃく)天皇
 21代天皇
 在位:23年間(456~479)
  父親:第19代允恭天皇の第5皇子として生まれる。
 

雄略天皇陵(丹比高鷲原陵):大阪府羽曳野市島泉8丁目         2019,01,01  01:38 PM

雄略天皇 丹比高鷲原陵


島泉平塚古墳(または高鷲平塚古墳)


島泉丸山古墳(または高鷲丸山古墳)



下記のグーグル地図で雄略天皇陵となっている丸い古墳が島泉丸山
古墳(または高鷲丸山古墳)、四角い古墳が島泉平塚古墳(または
高鷲平塚古墳)です、正確に言うと両方合わせて雄略天皇陵です。




1月10日:18159歩

淨元寺山古墳(羽曳野市)

元旦の羽曳野市、古墳・史跡めぐりウォーキングは順礼街道の次に
青山1丁目で淨元寺山古墳を見つけました。

淨元寺山古墳:羽曳野市青山1丁目                                                  2019,01,01  11:21 AM







              淨元寺山古墳
時代 古墳時代 中期中葉
古墳の形     方墳
墳丘の一辺長  6.7m、2段築成
墳丘の高さ    9.7m
出土したもの   円筒埴輪
淨元寺山古墳は、墓山古墳の前方部西側において墓山古墳の外堤に
接して造られた方墳です。墳丘の南北方向の主軸線は墓山古墳の外
堤にほぼ平行して造られています。墳丘の周囲には濠が巡るが、埋没
保存されています。


1月7日:30460歩

巡礼街道(羽曳野市)

古代の水路跡「古市大溝」のそばに「順礼街道」の説明板がありました。
説明板によると、むかし西国33カ所観音巡りのうち、第4番 槇尾山施福寺
(和泉市)より第5番 紫雲山葛井寺(藤井寺市)へ行く近道が、羽曳野市の
尺度から軽里付近を通っており、順(巡)礼街道と呼ばれ順礼の人々に利
用されていたそうです。

巡礼街道:羽曳野市軽里                                                2019,01,01  10:49 AM





                                         巡礼街道
観世音菩薩への信仰にもとずいて、観音様を安置する各地の寺院を
拝して巡ることは、平安時代の末に始まり、主に僧や修験者、貴族な
どよって行われていました。江戸時代になると観音の功徳にあずかる
ことを願う庶民の間でも、観音霊場を参拝してまわる巡礼が各地で盛
んになりました。
西国33カ所観音巡りも、有名な霊場めぐりの一つで、那智山青岸渡寺
(和歌山県)を第一の札所として近畿各地をまわり、谷汲山華厳寺(岐
阜県)を33番札所としています。
このうち第4番 槇尾山施福寺(和泉市)より第5番 紫雲山葛井寺(藤井
寺市)へ行く近道が、羽曳野市の尺度から軽里付近を通っており、順
(巡)礼街道と呼ばれ順礼の人々に利用されていました。
今は路傍に立つ石の道しるべが、むかしの旅人がたどった道筋を伝え
ています。 



1月6日:20445歩

古代の水路跡「古市大溝」(羽曳野市)

1月1日の羽曳野市・藤井寺市ウォーキングで碓井八坂神社を参拝後、次の
目的地に向かう途中のイズミヤ古市店のそばで、古代の大規模な水路跡
「古市大溝」の説明板を見つけました。


古市大溝(ふるいちおおみぞ):大阪府羽曳野市軽里3丁目1    2019,01,01  10:39 AM



                  古市大溝
この付近に見られる南東から北西に延びる切通し状の地形は、古市
大溝と呼ばれる古代の大規模な水路の跡です。地表に残る痕跡や発
掘調査の成果を手掛かりにすると、白鳥陵古墳の東端から羽曳野市
軽里、野々上、高屋、島泉を経て東除川に合流する、総延長6kmに及
ぶ経路が推定されます、なお、これよりも上流の経路については、富田
林貴志町付近で石川の水を取り入れ、羽曳野市東阪田、西浦を経て白
鳥陵古墳の後円部北部に至ると推測する説もあります。
大溝の規模は幅20m、深さ4.4mに及ぶところもあり、人力だけで台地の
固い地盤を掘り開き、土手を築く大工事が行われたことがわかります。
古市大溝が造られたのは、古市古墳群で古墳築造が行われていた5世
紀と考える説もありましたが、近年の発掘調査では、5世紀末から6世紀
に造られた古墳の一部を破壊して大溝を掘っていることが確認されてい
ます。それにもとづいて6世紀、あるいは7世紀に造られた灌漑用水路、
あるいは物資運搬の運河と考える説も注目されます。

上空からみた古市大溝の痕跡


中央のビルがイズミヤ古市店



1月5日:22486歩

碓井八坂神社(羽曳野市)

今年の初詣は碓井八坂神社からでした。
昨年羽曳野市の神社めぐりをして、参拝し残した碓井八坂神社を参拝する
目的で元旦から出かけました。
下記由緒書きによると、この地域の名前「碓井」は、井徳院という寺院の鎮
守が碓井八坂神社であり、境内にあった「清泉碓井」という井戸が由来する
そうです。

碓井(うすい)八坂神社:大阪府羽曳野市碓井1丁目9        2019,01,01  09:55 AM







              碓井八坂神社と井徳院址
八坂神社は、もと「井徳院」といわれた奈良時代の寺の鎮守であったか
、あるいは古市神社からの分社であると考えられ、延喜式神名張にも
記されていないので、創建はおそれく平安中期より以後と推定される。
現社殿は西面のもので、祭神は素戔嗚命(牛頭天王)となっていて、渡
来系の神であることがわかる。現在の碓井地区の名称は、古代にあっ
た「清泉碓井」井戸から起っている、碓井神社の東方50m付近一帯は
奈良朝のころ僧」「行基」によって創建されたという「井徳院」があり、境
内にあった井戸からは良質の清水が湧出していたらしい。その水は万
病によく利くとのことで、遠方からも参詣者が多かったと伝えられている
、その後、南北朝の争乱で兵火を受けて焼失して廃寺となった。


1月4日:19532歩

墓山古墳(羽曳野市)

向墓山古墳のすぐそばに墓山古墳がありました、被葬者の名前は分か
っていません。
墓山古墳は現在「応神天皇陵ほ号陪冢に治定されており、宮内庁
が管理しています。

しかし、古市古墳群の中で5番目の大きさであり、陪塚ではないと
言う説もあります。

古市古墳群:藤井寺市・羽曳野市の古墳123基(現存87基)

墓山古墳:羽曳野市白鳥3丁目

2018,11,29  11:56 AM





                史跡 墓山古墳
古市古墳群の中心部に築造された、古市古墳群では第五位の規模をもつ
大型の前方後円墳です、墳丘の長さは225m、後円部の直径135m、高さ
21m、前方部の幅は19mで、周囲に濠と堤を巡らせています。
墳丘は斜面の途中に2か所の平坦面を設けて3段に築かれ、くびれ部の左
右には造り出しを供えています、墳丘頂上と斜面の途中の平坦部には円筒
埴輪が設置され、要所には家や盾、蓋などをかたどった形象埴輪が立てら
れと考えられています、内部の状況は不明ですが、後円部の中央に竪穴式
の石室を設け長持形石棺を納めていると推定されます。
周辺には向墓山古墳、淨元寺古墳、野中古墳など、墓山古墳に付属する倍
塚が配置されており、このうち、野中古墳と西墓山古墳では甲と鎧、刀剣など
の武器を中心に、鍬や手鎌などの農具、斧や鉈といった工具などの鉄製品
が、多量に埋納されていることが明らかになっています。


12月10日:25478歩

向墓山古墳(羽曳野市)

向墓山古墳は羽曳野市役所の南側にありました。
「応神天皇陵に号陪冢」として宮内庁が管理しています。

向墓山(むこうはかやま)古墳:羽曳野市白鳥3丁目

2018,11,29  11:50 AM



                向墓山古墳
向墓山古墳は古市古墳群のほぼ中央にある古墳です。
墳丘は一辺の長さ66m、交野市さ10mで、斜面の途中に幅4mの編端面が
設けられています。墳丘の斜面は葺石で覆われ、原形がよく保たれていま
す。
墓山古墳の外堤の接する西側の北側では、浅井溝状の掘り込みがあり、2
か所の土橋が造られています、古墳の周囲からは円筒埴輪や朝顔形埴輪
のほか、家、蓋、盾などの形象埴輪が出土しています。
内部の埋葬施設は奴名ですが、古墳時代に付属する倍塚(付属の古墳)
で、墓山古墳の被葬者に従った有力者を埋葬したと推定されます。

羽曳野市役所



12月9日:26252歩

誉田白鳥埴輪製作遺跡(羽曳野市)

西馬塚古墳を見学して次の古墳に向かう途中で「史跡 誉田白鳥埴輪
製作遺跡」の説明板を見つけまし説明板によると、埴輪を造る工房跡
や、工人が住んでいた建物跡が見つかったそうです。た。

現地は工事用フェンスで囲われており中には入れない状態でした。
(あとで調べたら、範囲が広いため、この場所以外にも説明板等があっ
たようです、機会があれば再度行って画像を追加します。)


誉田白鳥埴輪製作遺跡:羽曳野市白鳥3丁目

2018,11,29  11:47 AM



         史跡 誉田白鳥埴輪製作遺跡
羽曳野市のほぼ中央にある誉田白鳥遺跡は、墓山古墳と白鳥
陵古墳の間に広がる古墳時代を中心とした遺跡で、遺跡内には
古墳や建物跡がいくつも存在します。
遺跡の東端であるこの辺り一帯には、埴輪窯11基と埴輪を作った
工人が住んでいた建物後が見つかっています。
ここからは、円筒埴輪のほかに朝顔型埴輪や家・人物・動物など
形象埴輪がたくさん発見されました。
大小さまざまな古墳が集中する古市古墳群の中にあって、埴輪工
房跡としての重要性から国の指定史跡になりました。
また、六世紀末ころからは、新たに区画溝や柵列を伴った 立建物
群が出現し、平安時代まで存続します。
その規模や構造から公的機関であった可能性が考えられ、長期間
人々の中心地であったようです。


12月8日:24756歩

西馬塚古墳(羽曳野市白鳥)

羽曳野市、古墳めぐりで2か所目に見つけたのが西馬塚古墳です。
住宅地の中にありました、現地の石碑には「恵我藻伏岡陵陪塚馬塚
」の文字が彫られています。
応神天皇陵である誉田御廟山古墳の墳丘から500mほど離れてい
ることから陪塚ではないとする説が有力だそうです。
私は応神天皇陵を2015年4月に見学しています。体積日本一「応神天皇陵古墳」

倍塚(ばいつか):有力者に従っていた者の塚。

西馬塚古墳:大阪府羽曳野市白鳥(はくちょう)3丁目6

2018,11,29  11:45 AM




石碑の文字 「恵我藻伏岡陵陪塚馬塚  宮内省」



                 西馬塚古墳
古市古墳群の中央部、標高29mを測る段丘の上に立地する方墳です、
墳丘は後世に削られ原形を失っていますが、これまでの発掘調査によ
って、一辺の長さ約45m、高さ10m余りの、堂々とした規模であったこと
が明らかになっています。
墳丘の斜面には葺石が施され、周囲には幅約7mの濠が巡っています、
墳丘の上には円筒埴輪や朝顔形埴輪とともに、家、盾、蓋、水鳥などを
かたどった埴輪が立てられていました。
古墳時代中期(5世紀後半)に造られ、大型の前方後円墳に葬られる有
力者に従った人物を埋葬したと推定されます。

葺石(ふきいし):古墳の表面に敷き詰めた石


12月7日:30983歩

安閑天皇陵古墳(羽曳野市)

11月29日は、5カ所の古墳を探索することができました、最初に探索したのが
安閑天皇陵古墳です。

安閑(あんかん)天皇:
  第27代天皇、継体天皇の後を受けて、66歳にして即位したが、わずか4年で
  崩御した。   在位 531年2月7日~535年12月17日

安閑天皇陵古墳:羽曳野市古市5丁目(古市高屋丘陵、高屋築山古墳ともいう)

2018,11,29  11:05 AM





              安閑天皇陵古墳
安閑天皇陵古墳は東に石川を望む丘の最高所にある、全長122m、
後円部の直径78m、高さ13m、前方部の幅100m、高さ12.5m、周囲
に濠を巡らせた前方後円墳です。
戦国時代には丘の一帯に高屋城が築かれ、この古墳も城の縄張りの
一部に利用されたため、墳丘や濠の形が変えられています。
内部の埋葬施設は不明ですが、墳丘には葺石が施され、円筒埴輪や
形象埴輪が立てられていました、古市古墳群での前方後円墳の築造
が終わろうとする、6世紀前半に築造された古墳と考えられます。
江戸時代になって、墳丘の一部が崩れた際に発見されたガラス碗(重要
文化財 東京国立博物館所蔵)は、大きさや形のよく似たものが正倉院
にも伝わっています、ササン朝ペルシャ(現在のイラン・イラク)で作られたと考え
られ、7000km余りの道のりを経てもたらされたものです。

12月6日:20861歩
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