ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

島本町(大阪府)

高浜砲台跡(島本町)

5月5日、島本町ウォーキングの時に高浜砲台を示す道案内があり、
その方向に行く途中に武内神社を見つけ、次に淀川堤防の手前
に高浜砲台跡がありました。
江戸時代末期に、徳川幕府は大阪湾から京都に侵入する外国船
に備えて、淀川左岸の樟葉(枚方市)と右岸の高浜(島本町)に砲
台を築きました。
(砲台とは大砲などを設置する台座で、その場所を台場という。)

高浜砲台跡の場所は島本町高浜です。 (地図の矢印)

2015,05,05 撮影



高浜砲台は建造当時の目的以外に使用されたことが
現地説明板に記載されています。


5月15日:27956歩

武内神社(島本町高浜)

武内神社は島本町高浜にある高浜砲台を探しているときに見つ
けた神社です。
由緒によると、別名、春日神社ともいい、武内宿祢を祀っています。

武内(たけのうち)神社:島本町高浜805

2015,05,05 撮影




祀られている武内宿祢について大辞林で調べました。

「記紀所伝の人物。大和朝廷の初期,景行・成務・仲哀・応神・仁徳
の五朝に二百数十年仕えたという。蘇我・葛城・巨勢・平郡氏の祖
とされる。たけのうちのすくね。」
つまり250年も生きた伝説上の人物でした。

記紀とは:日本書紀と古事記
所伝とは:文書や口伝えにより古くから伝えられたこと。

水無瀬駒発祥の地(水無瀬神宮)

水無瀬神宮に参拝に行ったとき、「水無瀬駒発祥の地」の記念碑
がありました、水無瀬と将棋の駒にどのような関係があるのかを
知らなかったので、調べたら、将棋の駒の文字の書体は多くありま
すが、四大書体は、錦旗(きんき)、水無瀬(みなせ)、巻菱湖(まき
りょうこ)、源兵衛清安(げんべいきよやす)があり、その四大書体
の一つ水無瀬駒の発祥が水無瀬神宮なのでした。
その昔(16世紀末)水無瀬神宮の宮司を務める水無瀬兼成による
漆書きの駒が発祥とされています。

水無瀬駒発祥の地(水無瀬神宮)

2015,05,05 撮影




将棋駒の四大書体



5月14日:20114歩

大阪府唯一 環境省認定「離宮の水」

水無瀬神宮には「「離宮の水」と呼ばれる大阪府で唯一、環境省
認定の日本の名水百選に選ばれた地下水があります。
この地下水はウイスキイーで有名なサントリーも使っており、ミネラルウオーター
として販売している水と同じ水系なのです。

「離宮の水」水無瀬神宮境内

多くの人がペットボトルに水を入れて持って帰ります。

名水百選認定書

2015,05,05 撮影

石川五右衛門の手形(水無瀬神宮)

水無瀬神宮には石川五右衛門の手形があります。
これは、大泥棒・石川五右衛門が、水無瀬神宮にある神宝の名刀
を盗もうとして何日もうかがっていましたが、紳威に打たれて門内
に一歩も入れず、立ち去る前に、この門柱に手形を残したと伝えら
れる手形です、このことから水無瀬神宮は盗難除けの神として信仰
を集めています。

石川五右衛門の手形(水無瀬神宮) 赤い矢印


この網の中に手形があります。





5月13日:18824歩




















水無瀬神宮(島本町広瀬)

水無瀬神宮はJR島本駅から徒歩12分、阪急水無瀬駅と大山崎駅
の中間にあります。

水無瀬(みなせ)神宮:島本町広瀬3丁目10-24

2015,05,05 撮影



水無瀬神宮は承久の乱で敗れた後鳥羽上皇を弔うため、生前
こよなく愛された水無瀬離宮の跡に建てられた御影堂が始まり
と伝わっています。

若山神社の由緒(島本町)

若山神社はJR島本駅から北へ名神高速道路の下をくぐって、徒歩
20分の山の中にありました。

若山神社:大阪府三島郡島本町広瀬1497

2015,05,05 撮影





地名にちなんで若山神社と改称とあるので、この地域は昔は
若山と呼ばれていたようです。

楠正成が矢を納めた神社「八幡神社」

八幡神社、別名「矢納神社」は5月5日、島本町ウォーキングで見つけ
た神社です。
矢納神社と呼ばれる由来は、楠正成が桜井駅で正行と別れるとき
矢を納めたと伝わるからです。

八幡神社:島本町桜井2丁目12-14 別名、矢納神社  JR島本駅から徒歩5分






5月12日:17546歩

明治天皇御製 碑(島本町 桜井の駅跡)

5月5日に見学した島本町の「桜井の駅跡」公園内には多くの碑
が建っていました、その一つが「明治天皇御製 碑」です。
この碑は明治天皇が明治31年この地方に来られた時に詠まれた
歌で「子わかれの 松のしつくに 袖ぬれて 昔をしのふ さくらいの
さと」と詠まれました。
碑は昭和6年に建てられました。

明治天皇御製碑の場所:島本町 桜井の駅跡

2015,05,05 撮影




5月11日:16152歩

「史跡桜井の駅跡」(大阪府島本町桜井)

5月3日、四條畷神社で新しく建立された「楠(くすのき)母子の像」を
を見つけ、それがきっかけで大阪府島本町にある「史跡桜井の駅跡」
を5月5日、見に行きました。

「史跡桜井の駅跡」(大阪府三島郡島本町桜井1丁目)の場所: JR島本駅前


これとよく似た像が四條畷神社にもあります。

死を覚悟していた正成は延元元年(1336)足利尊氏の大軍を迎え撃つため
に京都を発った楠正成が桜井駅に長男の正行を呼び寄せ今後の行き方の
教訓を与える場面の像です。
台座の文字は「滅私奉公」(四條畷神社の文字は「忠公両全」)


「駅とは大化の改新以降、幹線道路に中央と地方の情報を伝達する
ために馬を配置した役所のこと」と説明されています。




5月10日:36068歩
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