ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

大阪市(西区)

朝日新聞創刊の地(大阪市西区)

4月13日は日帰りのツアー旅行に出かけました、集合場所が梅田で7時40分
だったので、ついでにその近辺でなにか、史跡などを探索しようと、調べたら
「朝日新聞創刊の地」があることが分かり、家を早く出て、一番電車で出発し
てJR北新地駅に着いたのが6時ごろで、大阪市営地下鉄四つ橋線の肥後橋
駅の80mほど南、「朝日新聞創刊之地」と書かれた円柱状の石碑をみつけ、
集合時間には間に合いました。
記念碑を見つけるのに苦労しました、地下鉄肥後橋駅南80mというのは
わかっていたのですが、朝早いので通行人も少なくやっと来た人に聞いても
知っている人はいなく、何度も往復しているうちに、やっと見つかりました。
地下鉄肥後橋駅の7番出入口、近くの「愛媛県大阪事務所」を目標にすれば
分かりやすかったのです。

三大全国紙の一つである朝日新聞は,1879(明治12)年に大阪で創刊されま
した。つまり大阪発祥の新聞であり,現在も登記上の本社は大阪にあります。
東京に進出したのは 9年後の1888(明治21)年のことで,東京発行の紙面は
『東京朝日新聞』,大阪のものは『大阪朝日新聞』と改題され,1940(昭和14)
年より『朝日新聞』の題号に統一されました。

 

朝日新聞創刊の地:大阪市西区江戸堀




2017,04,13  06:21 AM 撮影

創刊之地碑は,円柱の上部側面に「朝日新聞創刊之地」の文字が
刻まれ,上面には 明治12年の創刊号の第一面をプリントしたプレ
ートが埋め込まれています。





4月26日:25648歩

「勧進相撲興行の地跡」(大阪市西区)

大相撲春場所は稀勢の里の奇跡的な優勝で、盛況のうちに終わりましたが、
江戸時代から大阪では相撲が盛んでした。
大阪で最初の勧進相撲が興行されたのは元禄5年(1692)に西区堀江でした。
大坂商人の後援を受けた「大坂相撲」が、「江戸相撲」をしのぐ隆盛を誇りまし
た。 その後、大坂相撲は大正14年に東京の相撲集団と合併、今日の大日本
相撲協会へと発展していったのです。
その大坂相撲発祥の地の記念碑を南堀江公園で見つけました。

勧進相撲:寺や神社の建築,修繕などの募金を目的とした興行相撲。
                のち勧進は名目だけになり,都会や繁栄地で盛んに興行されるよう
       になり、やがて元禄時代から勧進相撲は年中行事となりました。

勧進(かんじん)相撲興行の地跡:大阪市西区南堀江2-8(南堀江公園)



2017,03,22  10:00 AM


相撲や力士を援助する大相撲の贔屓筋、スポンサーの意味で使われる
「タニマチ」という言葉には多くの説がありますが、有力な説をみつけました。


             「タニマチ」の由来の一つ
1889(明治22)年、谷町に「薄(すすき)病院」を開院させた薄恕一が、はじま
りというものです。怪我をした力士を無料で治療したり、幕下力士のために土
俵を作ってけいこをさせたり、時には小遣いを渡すなど、力士から「タニマチ」
と呼ばれ慕われていたという説です。



4月4日:19875歩

堀江川跡碑(西区堀江公園)

大阪電灯西道頓堀発電所跡の次に堀江公園で「堀江川跡」の記念碑を
見つけました、今はまったく川のあった痕跡はありません。
碑文によると元禄11年(1698)に開削された堀江川は昭和35年(1960)
に埋め立てられたので262年間のみ川であったことになります。

堀江川跡:西区南堀江1-13 堀江公園内

2017,03,22  09:41 AM

                            堀江川跡碑
元禄11年(1698)川村瑞賢により、西横堀川と木津川を結ぶ堀江川が
開削された。
これにより、 堀江新地が開発され南堀江では大阪相撲、北堀江では浄
璃璃等各種産業が起こり、木村兼藍堂や橋本宗吉などの文化人や学者
を輩出した。 
堀江川では、単に物資や人の運搬だけでなく堀江から文化の発信の通り
道となっていたのでのある。 
昭和35年に埋め立てられ役割りを終えた。その堀江川の跡地である。


大阪電灯西道頓堀発電所跡(日本初交流発電所)

西区南堀江で高臺小学校跡の次に見つけたのが「大阪電灯西道頓堀発
電所跡」です、明治22年、日本で初めての交流発電所でした。
そして、その隣に大正2年に宇治川電気道頓堀変電所が建設された場所
でもあります。
大阪電灯での高圧交流送電方式の成功により、1890年(明治23年)から
翌年にかけて東京で開業した深川電灯・品川電灯の2社も高圧交流送電
を採用。直流送電により開業した東京電灯もまた、直流送電方針を転換し
て1891年(明治24年)に交流送電を一部で採用するに至りました。

大阪電灯株式会社:明治から大正にかけて存在した日本の電力会社で

1889年(明治22年)に国内3番目の電力会社として開業。関西地方を代
表する電力会社に発展しましたが、1923年(大正12年)に事業を大阪市
等に譲渡し解散しました。
大阪電灯解散後は大同電力に継承されその後は日本発送電を経て関西
電力になりました。


大阪電灯(株)西道頓堀発電所跡 / 宇治川電気(株)道頓堀変電所跡


2017,03,22  09:25 AM


説明版のプレート

  大阪電灯(株)西道頓堀発電所跡 / 宇治川電気(株)道頓堀変電所跡
大阪電灯株式会社(現・関西電力)は、明治22年(1889)5月に当地に西道頓堀
発電所を完成。大阪初の事業用発電所で、日本初の交流発電方式による高圧
配電を開始しましたが、大正4年(1915)に廃止され、昭和初期までにはその姿
を消しました。 西道頓堀発電所の隣に、大正2年(1913) 、宇治川電気株式会
社によって建設されたのがレンガ造りの道頓堀変電所で、昭和23年(1948)に
その役目を終えた後も、倉庫として利用され、長らく「赤レンガ倉庫」として親し
まれました。

グーグルアースで説明版のプレートの位置を示します。


4月2日:28388歩

高臺小学校跡(大阪市西区)

3月22日の大阪市内西区のウォーキングで南堀江公園の西、堀江中学校の
前で「高臺小学校跡」の立派な記念碑を見つけました。

現在の堀江中学校の場所が、明治5年(1872)に西大組第十八区小学校、
のちの高臺小学校の跡地です。
 明治17年、近くの橘小学校と幸小学校が高臺小学校に統合されました。
昭和20年(1945)3月14日未明の大空襲では
、高臺国民学校の校舎も焼
き尽くされ、鉄筋校舎がわずかに残りました。残った鉄筋校舎に空襲で亡
くなった人の1000とも2000とも言われる遺体が安置されました。運動場で
荼毘にふされましたが、その煙は10日あまりも立ちのぼったと言われてい
ます。

戦後、日吉国民学校の校舎を借りて、残った子供たちは、授業を受けてい
ましたが、昭和21年(1946)3月末に高臺国民学校は日吉国民学校に統合
されました。残った校舎は、昭和30年(1955)に修理され、花乃井中学校
高臺分校として使われていましたが、昭和35年(1960)に堀江中学校として
独立し、現在に到っています。

大阪市 高臺(たかきや)小学校跡:大阪市西区南堀江3-5

2017,03,22  09:17 AM

               大阪市 高臺小学校跡
明治5年西大組第十八区小学校(元紀州候邸跡)12年に高臺(たかきや)
小学校と改称され、20年に西区立 高臺高等尋常小学校と改称27年に校
舎の増築をしたが大正7年に全校舎類焼のため焼失仮設校舎で授業新
校舎の落成と大阪市高臺尋常高等小学校に改称、 昭和3年になり学区
が廃止され男子は日吉小学校へ、日吉小学校女子は高臺小学校へ収容
、20年の大阪大空襲で焼失しその後日吉小学校に併合、 20年3月13日
夜の大空襲で校区内の多数の方が亡くなり、これらの方々の御霊、安ら
かに眠られんことを祈念いたしまして高臺小学校同窓生有志で健立。




4月1日:20188歩

藤井藍田 玉生堂跡(西区南堀江)

西区南堀江の高台橋公園で「藤井藍田 玉生堂跡」の記念碑を見つけま
した。
藤井藍田は1816年(文化13年)大阪に生まれ、後に町人学者となり活躍
し、 安政4年に、私塾(玉生堂)をここで開設しました。
長州系志士を中心に交流を持ち、 吉田松陰他、志士と交際して新鮮組に
捕えられて、投獄された時に藍田が詩、画を、贈り激励したと云う逸話が
あります。

藤井藍田(らんでん)玉生堂跡 大阪市西区南堀江3-1  (高台橋公園)



2017,03,22  09:11 AM



            藤井藍田 玉生堂跡
玉生堂は文人、勤王の志士であった藤井藍田の学塾で西区南堀江
3丁目にあった、祖父は阿波(徳島)の人で来阪して 呉服と藍を商う「
錦屋」 を開いた大阪で生まれた藍田は家業を継ぎそのかたわら田能
村竹田に画を学び廣瀬 淡窓 を支持して 詩文を研習したまた国事に
目覚めた藍田は勤王の志士と交わり長州・薩摩などの諸国を巡歴し
ていた安政3年(1856年) 帰阪してこの付近にあった私塾 玉生堂 を
開き学を講じるようになった。
塾は討幕の志士たちのたまり場となっていたため慶応元年(1865年)
藍田は新撰組に捕えられ天王寺区の 萬福寺 に幽閉され獄中にて
没した享年50歳であった天王寺区の 統国寺に墓所がある。
吉田 松陰 が投獄された時藍田が詩画を贈って激励したという逸話
が伝わる。                                  大阪市教育委員会


3月31日:18288歩

木村蒹葭堂邸跡(西区北堀江)

豊光神社を参拝後、次の目的地、南堀江に向かう途中で大阪市立中央
図書館前で「木村蒹葭堂邸跡」の記念碑と説明版を見つけました。
木村蒹葭堂、本名、木村巽斎(そんさい)(1736~1802)は近世大坂が
生んだ最も著名な文人であり町人学者であります。

木村蒹葭堂(けんかどう)邸跡:大阪市西区北堀江4-3

2017,03,22  09:05 AM

                                       木村蒹葭堂邸跡
木村巽斎(そんさい)(1736~1802)は近世大坂が生んだ最も著名な文人
であり町人学者である。北堀江の邸内の古井戸で芦の根が出たことから、
浪速の荻と芦(蒹葭)に因んで蒹葭堂と名のった。
酒造業を営むかたわら、本草学を小野蘭山に師事し、『一角纂考』『本草綱
目解』などを著した。
一方、漢詩、書画、篆刻などを片山北海、柳沢淇園、趙陶斎、池大雅 ら当代
一流の大家に師事し、優れた才能を発揮した。また、古今の書籍・書画・博
物学の標本等の収集家としてあまねくその名を知られていた。巽斎のもとに
は、彼の博識と膨大な収集品にひかれる文人や画家、書家や学者たちの訪
問が絶えず、その邸宅は知識人の交流サロンとなっていたことが『蒹葭堂日
記』には生き生きと描かれている。

近世(きんせい):歴史の時代区分の一。中世と近代の間の時期、日本史で
           は,後期封建制の時期の安土桃山・江戸時代をいう。



大阪市立中央図書館             



3月30日:20822歩     

大阪市電創業の地(西区千代崎)

「大阪市電創業の地」はウォーキング中に偶然見つけたのではなく、下調べで住所
を調べて探し見つけたのです。
分かりやすい「九条新道」の信号に近い歩道上にありました。
電気鉄道は 1895(明治28)年に 京都で開業していましたが、 公営による市街電
車は 大阪が 日本最初でした。
大阪港の発展のため, 九条新道の花園橋を起点として 築港埠頭までの約5kmが
, 1903(明治36)年に開通しました。所要時間26分, 運賃は1区1銭, 全線で4銭だ
ったそうです。

大阪市電は 最盛期には 総延長110km強まで路線が拡大し, 市電としては東京(
都電)に次ぐ 規模に達したが, 戦後の自動車交通の発展と それによる遅延の常
態化により乗客が減少し, 1969(昭和44)年をもって 65年半の歴史を終えました。

 

電気鉄道事業発祥の地(京都市伏見区)


大阪市電創業の地:大阪市西区千代崎2-8     九条新道交差点

2017,03,22   08:44 AM

明治36年9月に開業した大阪市電の第一期線築港線は 西区九條町(花園
橋西詰)から築港埠頭までの約5キロの間 で このあたりに花園橋停留場
があった        平成元年九月   大阪市建立



3月29日:25129歩

九条島と朝鮮通信使の碑(松島公園)

御霊神社堀江行宮を参拝後、松島公園で「九条島と朝鮮通信使」の
碑を見つけました。
淀川河口に土砂が堆積してできた多くの島のひとつが九条島です。
朝鮮通信使は朝鮮からの友好使節で、徳川将軍の代替わりのとき
に日本にやってきました。
500名以上の大集団になることがあり、計12回来日しています。
一行は釜山を出て、対馬、壱岐から瀬戸内海を通り、九条島から川
口で上陸し、船を乗り換えて淀川を上りました。
京都からは陸路で江戸に行きました。
物めずらしさから大勢の見物客が発生しました。接待費用は幕府や
諸藩が負担し、莫大な費用になったことからやがて中止されました。


「九条島と朝鮮通信使」の碑  松島公園:大阪市西区千代崎1丁目

2016,11,20  01:32 PM



この九条の地は江戸時代の寛永年間、水理の才のあった幕府の役人、
香西晢雲が土地の有力者、池山新兵衛の協力を得て開発したものです
、それまでこの土地は南浦と呼ばれ「海辺より怒涛逆流する」砂洲でした
、この近くの本田一丁目にある竹林寺は二人の菩提寺で江戸時代、我
が国との善隣友好に尽くした朝鮮通信使ゆかりの寺院です。

江戸時代朝鮮通信使は江戸の行き帰りに大坂で多くの学者文人
と交歓しました、正使らの江戸参向中、水夫らは大坂の川口で船
泊まりし、竹林寺で旅情を癒しました、また、明和元年(1764)の
使節団とともに来日、不幸に大坂の地で事件に巻き込まれた通訳
の崔天宋、発病して帰らぬ人となった、随員の金漢重の二人も同
寺で手厚く供養されました。



11月28日:22879歩

大阪ガス発祥の地

難波神社御旅所を参拝後、西区千代崎の京セラドーム大阪まで歩き
「大阪ガス発祥の地」の記念碑を探して見つけました。
この地は大阪市内3200戸に初めてガスが供給された岩崎町工場が
あった地です。

大阪ガス発祥の地:大阪市西区千代崎3丁目

2016,11,20  00:40 PM





明治38年(1905年)10月19日 この地 に建設された「岩崎町工場」から大阪
市内 の3200戸余のお客さまに初めてガスの供給が開始された。
この当社発祥の地が今や大阪の文化情報の発信拠点として大きく生まれ
変わる ことを記念し この石碑を建立する。
      平成9年3月 大阪ガス株式会社

11月27日:26446歩
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