ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

伊丹市(兵庫県)

離陸が見える「伊丹スカイパーク」

伊丹市の神社めぐりの時に見つけた公園、「伊丹スカイパーク」を紹介
します。
大阪国際空港の滑走路のすぐ西側にあり長さ1.2kmの長い公園で
飛行機が飛び立つ瞬間を目の前で見物できます。

伊丹スカイパーク:伊丹市森本7丁目1-1

入園は無料ですが、駐車場は有料です(100円/20分)



2016,05,26 撮影




6月4日:59956歩

八幡神社(伊丹市岩屋)

伊丹市の神社めぐりで最後に参拝したのは岩屋八幡神社です。
2015年5月24日に一回目の伊丹市神社めぐりをして、2016年
5月26日に4回目の神社めぐりで全30社あった伊丹市の神社
全てを参拝することが出来ました。

伊丹市神社めぐり 
 第一回目 2015,5,24   5社   
 第二回目 2016,3,10 10社   
 第三回目 2016,5,14   9社     
 第四回目 2016,5,26   6社     

 八幡神社:伊丹市岩屋1丁目2-11

伊丹市の神社めぐり完結

2016,05,26 撮影


       八幡神社御由緒
御祭神 八幡大神 
    誉田別命(応神天皇)
    息長帯比賣命(神功皇后)
    比賣神
祭日 2月5日     航空安全祈願祭
    4月15日   春祭・祈念祭
    8月24日   夏祭・地蔵盆
    10月22日 例祭
    11月23日 新嘗祭
石清水八幡宮の御分霊と云う。 誉田別命は治水・灌漑をすすめ
大陸との交通、日本の文化の発展につくされ、厄除・海運の御神
徳とともに文教の祖、殖産の神様として仰がれ給う。
天正6年(1587)、羽紫秀吉が伊丹城主荒木村重を攻むる時、
当時の境内に陣を布いたと伝え、元禄5年(1692)10月御改めに
付き、大坂番所へ帳面差上げたとの記録も残っている。
当神社は、もとは岩屋下岩井に鎮座されていたが、昭和41年
(1966)大阪国際空港拡張により岩屋地区が移転したので、神社
も現在地に遷り、銅板葺流造の社殿を新築した。
大阪国際空港との御縁深い神社で航空安全の守護神として称え
られている。
境内の西側に稲荷社(水締大明神)とお地蔵様がある。
昭和63年10月吉日


新嘗祭(にいなめさい)
 「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はご馳走を意味します。
  毎年11月23日に全国の神社で行われ、新穀を得たことを神さまに感
  謝する新嘗祭は、五穀の豊穣を祈願した2月17日の祈年祭と相対す
  る関係にあるお祭りで、この日、宮中では天皇が感謝をこめて新穀を
  神々に奉るとともに、御自らも召し上がります。 新嘗祭の起源は古 
  く、『古事記』にも天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されています
  現在では「動労感謝の日」として、国民の祝日となっていますが、一
  説によるとその祝日名は、命の糧を神さまからいただくための勤労を
  尊び、感謝をしあうことに由来しているといわれています。



春日神社(伊丹市口酒井)

5月26日、伊丹市の神社めぐりで5社目に参拝したのは口酒井地区
に鎮座している春日神社です。
地名の口酒井の由来を調べたら、猪名川の東岸に位置する当地区
は、古くは猪名川の西岸、猪名川と藻川の中洲に出来た村で、酒井
村と称していました。
しかし度重なる大洪水で、天正8年(1580)に、現在の猪名川の東岸
に移転し氏神、春日大明神を勧請されたと記録が残されています。
明治六年に、村の合併などにより、同じ川辺郡に、酒井村が2つにな
り、区別をするために、河口側の当地を、口酒井と改称したそうです。

春日神社:伊丹市口酒井(くちさかい)1丁目1-8

伊丹市の神社めぐり残り1社

2016,05,26 撮影


春日神社由緒記
 鎮座 伊丹市口酒井字東川原13番地
 祭神 天児屋根命
 祭日 新年祭 3月3日
 例祭 10月23日
 新嘗祭 11月23日
     由 緒
天児屋根命は奈良春日大社の第三殿御祭神である。
天児屋根命は天照皇大神が天の岩屋にこもり給うたとき岩戸の前で
太祝詞言を奏上された神で学問病気平癒の神として崇められていま
す。 天児屋根命は神事をつかさどる宗源で「太古の卜事をもって神
に仕えしむ」と日本書紀に記されています、以来子孫相ついで神と人
との中をとりもつ家職となつています。
口酒井の古文書に「奈良春日大明神を初て勧請す」とあり天正8年
(1580)村が古酒井より川東に立越した際に現在地に鎮座された。
旧社格は村社である。当神社の創建年代は詳かでないが寛永元年
(1623)再建し領主保科弾正(上總国二万石)より祭祀料を献納すと
ある。 現本殿は寛永18年(1641)に建修されたもので柿葺一間社春
日造りで昭和51年(1976)に兵庫県指定有形重要文化財となった貴重
な建築である。

6月3日:24267歩

加茂神社(伊丹市森本)

5月26日の伊丹市神社めぐりで4社目に参拝したのは加茂神社です。

加茂神社:伊丹市森本2丁目197

伊丹市の神社めぐり残り2社

2016,05,26 10:23 撮影

加茂神社由緒記
 鎮座地 伊丹市森本2丁目197
 御祭神 加茂別雷神(かもいわけいかずちのかみ)
 京都賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御分霊で水を司り生活の安全、特に農業
 ・水利を守護し、方位除災の加護を垂れ給う神である。
 当神社の創建年代は定かではないが、応永元年(1394)には既にその記録
 が見えており、おそらく南北朝時代に遡るものと思われる。
 江戸時代になり寛文2年(1662)8月19日森本村が服部伊賀守の知行所
 なってからは領主の尊厳が厚く、貞享3年(1686)には社頭の燈籠が寄進され
 社運は次第に興隆してきた。
 明治6年(1873)に村社となり、大正13年(1924)3月神饌幣帛料供進指定
 神社となった。現在の社殿は一間素木春日造りでその精微な構造は17世紀頃
 の遺構として誠に貴重な建築である。昭和51年に天皇御座位50周年を記念し
 て拝殿を鉄筋銅板に改築した。


知行所(ちぎょうしょ):主君が家臣に与えた土地。



6月2日:18297歩

市内最古の建築物のある「桑津神社」(伊丹市)

5月26日、伊丹市神社めぐりで3社目に参拝したのは桑津神社です、境内社
の稲荷社は伊丹市で記録の残る中では最も古い建造物です。

桑津神社:伊丹市西桑津1丁目2-30

伊丹市の神社めぐり残り3社

伊丹市内最古の建築 境内社の「稲荷社」



伊丹市指定有形文化財

 桑津神社境内社稲荷社 1棟 平成25年4月18日指定

  平成25418日指定

  建築様式 一間社流造

  御祭神  宇迦廼御魂神
   所有者   宗教法人 桑津神社

昭和17年、飛行場拡張工事に伴い、東桑津の火闌隆神社、西桑津の火明神
社が現在地に
移転・合祀され、社名が桑津神社と改称された。

境内社の稲荷社本殿は、旧火明神社本殿を転用したものである。

「兵庫県神社誌」(昭和12年)によると、火明神社は「檜皮葺流造」とあ
ることから、
かっての屋根は檜皮葺であったことがわかる、上台の上に建
ち、浜床・浜縁を設け、正面
と側面に榑縁を廻し、背面柱筋に脇障子を立
てる、平面は身舎奥行きの中央に板壁と板扉
を設け、前方外陣、後方内陣
とする。

内外陣境の板扉は周囲に枠を設け外陣正面は菱格子の扉である。材質は、
柱はケヤキ、その他はヒノキを主に使用する、

浜縁・本階・外陣正面扉は中古の材であろう、一方、縁の擬宝珠高欄親柱

は当初材とみられる。

棟札に、建立年は慶安元年(1648)、伊丹の大工善太夫家重の作と記され
ている、
建立年代の明らかな神社本殿では、市内最古の建築として貴重な
遺構である。 
平成26年2月 伊丹市教育委員会


6月1日:23651歩

紀貫之歌碑(伊丹市)

伊丹市の神社めぐりで下河原の皇大神社を参拝後、次の桑津神社に
向かって歩いているとき、猪名川の堤防で「紀貫之歌碑」を見つけまし
た、紀貫之は平安時代の歌人で土佐日記の作者です。


紀貫之歌碑  猪名川左岸堤防上 軍行橋から下流に向かい約15分



2016,05,26 撮影


紀貫之
 千鳥なく ゐなの河原を 見るときは 大和恋しく 思ほゆるかな
 「古今和歌六帖」より  宮本輝筆



紀貫之(きのつらゆき)
866?~945?) 平安前期の歌人・歌学者。三十六歌仙の一人。御書所預・
土佐守・木工権頭。官位・官職に関しては不遇であったが,歌は当代の第
一人者で,歌風は理知的。古今和歌集の撰者の一人。その「仮名序」は彼
の歌論として著名。著「土左日記」「新撰和歌集」「大堰川(おおいがわ)行幸和
歌序」,家集「貫之集」 

宮本輝(みやもと てる)
1947年(昭和22年)3月6日~ )は、日本の小説家。本名は宮本正仁。兵庫
県神戸市に生まれる。後、愛媛県、大阪府、富山県に転居。関西大倉中学
校・高等学校、追手門学院大学文学部卒業。

5月31日:12571歩

皇大神社(伊丹市下河原)

5月26日の伊丹市神社めぐりは、緑ヶ丘神社を参拝後、国道171号線
を西に向かって歩き猪名川に架かる軍行橋を渡り下河原の皇大神社
を参拝しました。
創建以来、旧西国街道の猪名川の渡し場付近に、下河原村の鎮守と
して祀られていましたが、昭和9年(1934)の軍行橋架橋工事のため、
現在地に社殿を新築して、昭和12年5月に遷座されました。

皇大(こうたい)神社:伊丹市下河原1丁目8-1

伊丹市の神社めぐり残り4社  2016,05,26 撮影

軍行橋から猪名川下流を撮影





5月30日:25597歩

緑ヶ丘神社(伊丹市)

5月26日の伊丹市神社めぐりで最初に参拝したのは緑ヶ丘神社です、
美しい緑ヶ丘公園の中にありました。
昭和初期に開発された緑ヶ丘住宅の鎮守として創建された神社で比較的
歴史の浅い神社です。

緑ヶ丘神社:伊丹市緑ヶ丘1丁目55

2016,05,26 撮影

伊丹市の神社めぐり残り5社



緑ヶ丘神社と同じ公園内にある下池に浮かぶ賞月亭


広東省佛山市と伊丹市は国際友好都市を結んでおり、下池には平成2年に姉妹
都市の中国・佛山市から贈られた賞月亭があります。(上の画像)



5月29日:15591歩

和泉式部の墓(伊丹市)

一昨日は伊丹市と尼崎市の神社めぐりをして、伊丹市は残り6社全て参拝
して完結することが出来ました、尼崎市は調べたら全部で66社ありました
が、以前に5社参拝済で、昨日4社参拝し残り57社となりました。
JR伊丹市からスタートして最初の緑ヶ丘神社に向かう途中で和泉式部の墓
をみつけました。
私は今まで、守口市や木津川市でも和泉式部の墓を見たことがあります。

和泉式部は平安時代の女流歌人で、「和泉式部日記」の作者として有名
です。「津の国のこや(昆陽)とも人をいふへきにひまこそなけれ芦の八重
葺(やえぶき)」という歌を詠んでいます

和泉式部の墓:伊丹市春日丘6丁目6-66

2016,05,26 撮影



伝 和泉式部の墓 市指定史跡

五輪塔として整った鎌倉時代の特徴を示し、端整な全容が

しのばれる、おそらく鎌倉時代後期の造立であろう。

和泉式部は平安時代の有名な歌人で、和泉守橋道貞に嫁い
ことから、この名がつけられた。道貞と離婚後、藤原保
昌と
再婚し、保昌が摂津国河辺郡平井(現宝塚市)の人で
あった
ことから、この地に供養塔が建てられたのであろう。

和泉式部の墓や供養塔を伝える石塔は各地にあるが、これ
は女性の
遊行聖が和泉式部の名で各地を回り、信仰を広め
たことに由来する
ものと考えられる。

式部の歌のなかで、伊丹に関係あるのは、次のただ1首で
ある。
「津の国のこや(昆陽)とも人をいふへきに ひまこそなけれ芦の
八重葺(やえぶき)」   伊丹市教育委員会

遊行聖(ゆぎょうひじり)
遊行とは、仏教の僧が修行や説法の為に各地を渡り歩く行為のこと。
また、『聖』という言葉には僧侶という意味もある。


参考ブログ
泉式部の墓(木津川市)  和泉式部供養塔(守口市)

鬼貫歌碑(猪名野神社)

猪名野神社の境内で大きい石の横に「鬼貫句碑」の立札と説明板がり
説明板を読むと上島鬼貫(うえしまおにつら)は松尾芭蕉と並ぶ江戸時
代の有名な俳人で伊丹出身であり、大きい石には俳句が彫られていて、
宝永4年(1707)伊丹の酒造家で俳人である山口大乙らによって建立さ
れた事が分りました。

鬼貫歌碑:猪名野神社境内

2016,05,14 撮影




鳥はまだ 口もほどけず 初桜

この句は、春はまだ浅くようやく桜が咲き始めたが、鳥たちのさえずりもまだ
おぼつかない様子を詠んだものです。


5月27日:21254歩
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