ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

大阪市(旭区)

強頸絶間跡碑(旭区千林)

12月6日のウォーキングは大阪市内を歩きました。
まず京阪電車の中で、自宅から一番近い萱島駅まで約1時間歩き、そこ
から千林駅まで電車に乗り千林駅から、最初の目的地「強頸絶間跡碑」
を探して歩き見つけました。
実は12月2日にも同じ方法で千林で下車して、探したが見つからず2度
目の兆戦でやっと見つけたのです。
旭区のホームページでは強頸絶間跡の住所が千林2丁目12-23となってい
ました、ナビの案内通り着いた場所は違うところでした。
今度は住所に関係なく地図の淨光寺を探してその前に説明板を見つけ
ました。

強頸絶間(こわくびたえま)跡碑: 大阪府大阪市旭区千林1丁目10−28



               強頸絶間(こわくびたえま)
旭区には古くから千林の「強頸絶間」の伝説が残されています。
日本書紀には「仁徳天皇のころ、茨田堤を築いたがすぐに壊れて塞
ぐことの難しい所が二ケ所ありました、そうした時、天皇が夢をご覧に
なり、「武蔵の人強頸と、河内の人茨田連杉子の二人をもって河の神
にささげれば、かならず塞ぐことができる」と神のお告げがあり、そして
ほどなく堤は完成し、その一つが強頸絶間」と言われています。 
                           平成28年1月 旭区役所

淨光寺





関連ブログ
茨田堤(まんだのつつみ)の碑

寝屋川 太間(たいま)天満宮


葱生城跡(大阪市旭区)

城北公園の近くの常宣寺に「葱生城跡」があることが判ったので、12月2日は
大阪市内をウォーキングしました。

葱生城(なぎじょう)跡 (大阪府大阪市旭区生江3丁目27 常宣寺)

2017,12,02  08:41 AM





               葱生城跡(旭区生江)
織田信長は、永禄11(1568)年に足利義昭を奉じて上洛を果たしたが
、畿内には三好三人衆ら反信長勢力が残っていた。元亀元(1570)年
、本願寺はそうした勢力とともに信長に敵対する道を選び、10年に及
ぶ石山合戦が始まった。
葱生(なぎ)城はその際に本願寺側が周辺の防衛線として51か所に築
いた出城の一つであったと考えられている。
葱生は「薙生」、「荒生」とも書き、「東成郡誌」には「大字荒生の東方に古
城址ありと伝ふ」とある。また、平安時代以降、榎並荘という荘園を形成
していた村の一つであり、石山合戦の際には、この榎並庄の稲田を刈っ
て、それを軍糧として本願寺に献じたという、当地はこのように本願寺教
団と関わりの深い土地であったが、いつの頃から拠点となったのか、また
どのような城郭であったか明らかでない。

東成郡誌とは:大阪府東成郡役所、大正11年発行の歴史書   
          東成郡(ひがしなりぐん)は、大阪府(摂津国)にあった郡。 
          現在の天王寺区・東成区・旭区・城東区の全域とその他の
          区の一部を含む。


城北公園


12月5日:21534歩

赤川廃寺跡(旭区赤川 淀川堤防)

7月20日の城北川ウォーキングは終点毛馬から帰路は淀川に出て
淀川堤防を歩き、旭区赤川付近で堤防を下りて城北川に戻り
ましたが、その赤川の堤防で赤川廃寺跡の記念碑と説明板を
見つけました。
当時の建物等の遺跡は残っていませんが、この辺りに赤川寺(
別名:大金剛寺)があったと推定されています。

赤川廃寺跡:旭区赤川6丁目 淀川堤防





2015,07,20 撮影

大宮神社(旭区大宮)

6月26日、大阪市旭区大宮の大宮神社に参拝して旭区の神社めぐ
りは終わりました。
一つの目標を決めて達成することは心地良いものです。
現在進行中でまだ終わっていないのは、茨木市が残り8社、生駒市
残り5社、大阪市中央区残り4社、北区残り4社です。



大宮神社:旭区大宮3丁目1-37





現地には由緒書きはありませんが、ネットに神社のホームページがあり
下記にコピーを貼り付けます。
源義経や豊臣秀吉の名前が出てきます。



6月29日:20404歩

笠松大神(旭区生江)

旭区生江の笠松大神は城北公園の西150mの所にありました、
ビルの敷地内にあり、比較的歴史の浅い神社で、大阪府神社庁
の名簿にも載っていませんが、ネットで見つけました、旭区生江だ
けで住所がわからないため、すぐに見つかるか不安でしたが、
旭区赤川にある日吉神社を見つけた後、城北公園に戻る途中
で見つけました。
よく大きい会社の中に小さい神社のような祠がありますが、その
ような感じの神社でした。

旭区の神社めぐり残り大宮神社のみ。


ビルの一角にある、笠松大神(笠松神社):旭区生江

鳥居の額の神社名は「笠松大神」

お堂の額は「笠松神社}

神社の住所はわかりませんが、神社横の住居表示は旭区生江3丁目27


6月16日:32762歩

日吉神社(大阪市旭区赤川)

鶴見区に続いて旭区の神社を調べたら旭区の神社は全部で4社
しかなく、八幡大神宮は2014年に参拝済のため残り3社です。
鶴見区に近い旭区及び、城東区も同時に神社めぐりをすることに
決めて、旭区の残り3社の内2社を6月13日に探し当てて参拝しま
した。



日吉神社:大阪市旭区赤川4丁目19-13

旭区の神社めぐり残り2社

淀川の堤防から写した日吉神社 2015年6月13日撮影

木犀の陣屋跡(旭区今市)

5月21日のウオーキング中に旭区今市で見つけた説明板を読む
と、今は残っていませんが、説明板のある付近には庄屋が
ありました。
下記説明板を転記
「古市大字森小路字森の浅田邸の庭園に、みごとな木犀が
三本あり、花の季節には蒲生や関目まで香りを漂わせ、それ
を愛でた十四代将軍徳川家茂が浅田家に宿泊、多くの大名
も守口宿を浅田家に替え宿泊したと言われている。
当時、浅田家は森小路の庄屋で、木犀の庄屋、木犀の陣屋
として江戸時代まで有名だったと言うが、陣屋の建物は現存
していない」

木犀(もくせい)の陣屋跡の場所:旭区今市1丁目1-20


道路には京街道を示すプレートが埋め込んでありました。

八幡大神宮(旭区清水)

5月21日のウオーキングで見つけた八幡大神宮は大阪市旭区
清水にありました。
京阪滝井駅南東300mにあります。

場所:大阪市旭区清水3丁目20-19

2014,5,21 撮影

通称:「やけずの宮」とよばれています。




5月25日:9166歩

森小路遺跡(大阪市旭区)

大阪まで歩いた時の復路の旭区にある、新森中央公園で見
つけた遺跡が「森小路遺跡」です、説明板によればこのあた
りに弥生時代の集落の跡が発掘されたそうです。

新森中央公園






説明板に書いてあった内容は下記です
「森小路遺跡は、弥生時代の代表的な遺跡で、当時大阪
平野に広がっていた河内潟という内海の中の微高地に位
置していた、その範囲は現在の新森中央公園を中心に、
半径300メートル~400メートルにわたるとかんがえれれている。
昭和6年(1931)このあたりで、弥生式土器や石器が発見
され、遺跡の存在が明らかになった、以来、現在に至る発
掘調査の結果、地表から約1メートル下に、自然堆積によっ
て形成された砂層が確認され、その上層の灰色~黒色土
層から、住居の跡や周囲に堀をめぐらした墓が発見された
、さらに、大量の弥生式土器をはじめとして、長さ21メートルの
石剣、鍬(くわ)、鋤(すき)、木臼(きうす)のどの農具、狩猟
、採取した動物の骨や貝類など、さまざまな遺物が見つかっ
ている、これらのことから弥生時代の人々が、農耕や狩猟・
採取を行いながら定住して生活していた様子がおかがえる
、また、大阪市内で発見された最古の絵とされる、人の姿を
刻んだ土器片や淀川・河内潟を利用した人々の交流によっ
てもたらされた生駒・琵琶湖周辺で製造された土器も出土し
ている。」

千人つか(旭区生江・身元不明者の塚)

大阪に向かって淀川堤防を歩いているとき大変なものを見つ
けました、千数百名の身元不明者の人が入った塚が菅原城
北大橋の西(旭区生江)にありました。
詳細を説明する石碑を読んでびっくりしました。
昭和20年6月7日、空襲により数万人の人が無くなり、その内
千数百人の身元が分からず、あちこちにあったのを、地元の
人がここに集めて三日三晩かかって焼いた遺骨がこの場所に
埋葬されていることを知りました。





          千人塚由来記
「日本未曾有の大敗戦の昭和二十年六月七日 残存せる大阪を
  壊滅せる大空襲により 戦災死者数万人中身元不詳の千人の
  遺体を此処に集め 疎開家屋の廃材をもって荼毘に付す
鬼哭
  啾々たる黒煙天に柱し三日三晩に及ぶ悉く市民の奉仕協力に
  よる遺骨はその侭土中にして此処に葬る訴うるに声無き無辜
  の国民の痛恨の空しく土に埋れ草に掩われて世に忘れ去られ
  んを憂いて巷間の義人東浦栄二郎氏庭石に唯千人つかと刻し
  て此処に置く進駐軍治下と近畿地建の管理地なるを以てなり
  爾来三十30有星霜香華絶ゆる事なきも世人この塚の謂われを
 知らず 茲に其の由来を刻しこの地下に眠る無事無縁の霊位
 の冥福を祈り国家安泰と軍官専横苛政による国民塗炭の痛恨
 と犠牲の再現を永く阻止し世界人類の和平を祈願する日本国
 民の総意を世に問うものなり」


以上が石碑に刻まれた内容ですが読めない漢字や意味を理解で
きない文字があり下記調べました。

鬼哭啾々(きこうしゅうしゅう):
うかばれない死者の霊が大声をあげて
                泣きその声がいつまでも続くこと

悉く:ことごとく

無辜(むこ)   :罪のないこと。

爾来(じらい)  :その後

三十有星霜香華絶ゆる事なき:30年間線香の絶えることが無く

塗炭(とんたん):ひどい苦痛



 

記事検索
プロフィール

ahisats3

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ