ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

大阪市(東淀川区)

現龍大神(東淀川区柴島)

2月19日、白髭大明神に続き、もう一社、大阪府神社一覧表に載っ
ていない神社を見つけました。
それは長柄橋の右岸、柴島浄水場の敷地内にありました。
敷地内と言っても、柵などは無く自由に参拝できる状態でした。
神社名の入った石碑の台座には「柴島浄水場一同 昭和四十四年
八月吉日」の文字が彫られていました。
説明板などは無く詳しいことは分りませんが、柴島浄水場が建立し
たと思われます。


現龍大神:大阪市東淀川区柴島(くにじま)1丁目1

2016,02,21 撮影





まだあった東淀川区の神社(白髭稲荷大明神)

2月21日は久しぶりに第二の故郷、東淀川区の菅原付近の淀川
堤防をウォーキングの場所に選びました。
その時、まだ参拝していなかった神社を2社も見つけたのです。
昨年に東淀川区の全ての神社を参拝する、神社めぐりをして、東
淀川区にはもう参拝していない神社はないと思っていたのに、あっ
たのです、最初に見つけたのは、ホームセンターコーナン菅原店の駐車場
横で「白髭稲荷大明神」という神社です。鍵がかかっていて中に入れ
ませんでしたが、外からお参りしました。
見落とした理由は、大阪府神社一覧表に載っていなかったからです。
ネットで検索しても由緒、由来などは分りませんでした。

白髭稲荷大明神:大阪市東淀川区菅原2丁目2-114 (コーナンの住所)

2016,02,21 撮影





柵の隙間から見えた人物像です、この方をお祀りした神社で
あることが推測できます。


2月28日:20772歩

乳牛牧跡(東淀川区大桐)

東淀川区の神社めぐりウォーキングで最後に見つけたのが「乳牛牧跡」
でした、平安時代にこの辺りに牧場があったのです。
今はありませんがその名前は乳牛牧小学校、牛牧村など明治時代
まで残っていました。
場所は大桐中学校前の遊歩道の中にあります。

乳牛牧跡の場所:東淀川区大桐5丁目 大桐中学校前の遊歩道の中

2015,08,16 撮影


遊歩道

柴島晒ゆかりの地(柴島神社)

柴島(くにじま)神社の境内で「柴島晒ゆかりの地」の説明板と記念碑
を見つけました。
江戸時代、この付近は淀川の水を利用して晒(さらし)業が盛んであ
ったそうです。

柴島晒ゆかりの地:大阪市東淀川区 柴島神社境内

2015,08,16 撮影

説明文の拡大

江戸時代の「浪速百景」の絵図


8月26日:18345歩

楠正成首塚(東淀川区東中島)

東淀川区の神社めぐりで新大阪駅近くの徳蔵寺という寺院の前で
「楠正成首塚」を見つけました。
碑文によると、神戸湊川で討死した楠正成の遺骨を落ち武者たちが
河内へ埋葬しようと、この付近へ来たとき、野盗の群に襲われ、やむ
なく正成の首のみこの地に仮に埋葬して去ったと伝わっています。

徳蔵寺:大阪市東淀川区東中島1丁目5-5

2015,08,16 撮影




なお楠正成の墓は全国各地にあります、今わかっているだけでも
下記4か所あります。
 ①河内長野市・観心寺   楠木正成公御首塚(観心寺境内)            
 ②神戸・湊川神社          大楠公(楠木正成)の墓所(湊川神社)
 ③京都・嵯峨の宝筐院(ほうきょういん)
 ④群馬県館林市 楠木神社
    
8月25日:25589歩

摂津県・豊崎県 県庁跡(東淀川区)

細川ガラシャの墓を見つけた、崇禅寺の三門前で「摂津県・豊崎県
県庁所在地跡」と刻まれた石柱を見つけました。
大阪府の起源は明治元年で、翌明治2120日、大阪府
の一部を割いて摂津県がおかれ、摂津の国八郡(住吉・東
成・西成・島上・島下・豊島・能勢・川辺)を管轄した。その仮
庁舎として崇禅寺の建物の一つがあてられたようである。
明治25月に豊崎県と改名されたが、その後も区域の変更
が繰り返されました。



石柱の場所:東淀川区東中島5丁目27番崇禅寺三門前





2015,08,16 撮影




8月24日:18226歩

細川ガラシャの墓(東淀川区崇禅寺)

8月16日、東淀川区神社めぐりの時、崇禅寺境内で細川ガラシャの墓
を見つけました。
戦国武将細川忠興の夫人ガラシャは、明智光秀の三女で名は
言い、忠興とは16歳で結婚。父光秀の起した事件のため、一族は皆
殺しとなるが、忠興は玉に手をかけるのに忍びず離縁し、丹後の味土
野(現京丹後市弥栄町味土野)に幽閉した。
3年後、豊臣秀吉は細川一族を味方に付けるため、玉を許し、夫婦
は玉造に住むようになった。その後、玉はキリスト教の教義に引かれ
 ガラシャという洗礼名を得た。
1600年 (慶長5年)7月17日、関ケ原戦の直前、忠興が家康に従
い上杉攻めに出陣中、石田三成は在坂諸大名の妻子を人質にしよう
としたが、ガラシャ夫人はこれに従わず、老臣小笠原小斉に胸を突か
せて37歳の生涯を閉じた。
忠興は玉の死を悲しみ神父に教会葬を依頼して葬儀にも参列した。
玉の墓は堺のキリシタン墓地に埋葬されたが、後に大坂の崇禅寺に改
されました。
なお玉の墓は細川家の墓地(京都の大徳寺高桐院)にもあります。

崇禅寺:阪急崇禅寺駅北へ200m





2015,08,16 撮影


関連ブログ
細川ガラシャ輿入れの城(勝竜寺城)


8月23日:16306歩

柴島城跡(東淀川区柴島)

大阪市東淀川区の神社めぐりの時、柴島神社の近くに柴島城跡が
あるのは予め調べてわかっていましたが、当日は住所を打ち込んだ
ナビを持参するのを忘れ、勘だけではやはり見つけるのは難しく、通
行人に聞くと詳しく教えて下さいました、そして教えて頂いた通り歩き
始めると、少ししてその人が戻ってきて「ややこしいので一緒に案内し
ましょう」と言って親切な人は城跡の石碑のある所まで案内してくださ
いました。
現地に説明板などは無く調べたら、城主は三好元長の4男で長慶の
弟にあたる、十河(そごう)一政が築城したとされています。
柴島城は大阪夏の陣まで続いたといわれていますが、いつ廃城にな
ったかは不明です。
城跡を示す遺構などは無く石碑があるのみでした。

柴島(くにじま)城跡:東淀川区柴島2丁目19-5

住宅の一角にあり、見つけにくい場所にあります。 2015,08,16 撮影

石碑の側面に日付があり昭和3年3月に建てられたようです。

8月21日:19130歩

小松の由来 松山神社(東淀川区小松)

東淀川区の神社めぐり最後に参拝したのは松山神社です。
神社の社伝によると、菅原道真が延喜元年(901年)大宰府に左遷され
る途中、淀川を下ってこの地に到着し、 生い茂る小松に「小松の詩」を
吟じられ、直筆の御真像を里人に与えたので、後に神祠を建て、村を
松村
と呼び、氏神として崇めたのが始まりという。
元の社名は小松天満宮でしたが明治4年に松山神社に改称され、その後
明治42年大隅神社に合祀されましたが、地元の熱意により、昭和19年に
分離独立して、四條畷神社の旧社殿を移築して祀り現在に至ります。

松山神社:東淀川区小松4丁目15-38

松山神社と天満宮、両方の社号標(石柱)があります、

四條畷神社から移築された社殿  2015,08,16 撮影

大阪市東淀川区の神社めぐり完結



8月20日:23024歩

春日神社(東淀川区上新庄)

東淀川区の神社めぐり4番目に参拝したのは春日神社でした。
阪急上新庄駅の南西徒歩3分の所にあります。

この地にあった榊の大樹を神木と崇めたものより始まり、榊神社と称して
いましたが、天正6年(1578)に奈良の春日神社を勧請し、本殿を春日神
社として元社の榊神社を境内摂社とし現在に至っています。


春日神社:東淀川区上新庄2丁目20-15

2015年8月16日 撮影

大阪市東淀川区の神社めぐり残り1社
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