ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

大阪市(淀川区)

成小路神社(大阪市淀川区新北野)

19月24日の柏原市神社めぐりは、午後5時半に阪急十三駅に行く用事があった
ので早めに終了して、JR大阪駅から歩いて十三へ行きました。
以前、淀川区の神社めぐりは終わっていましたが、後日、大阪府神社庁に登録
されていない、「成小路神社」がという、まだ参拝していない神社の有ることが判
っていたので、今度、十三付近へ行ったときに参拝しようと思っていたのです。
成小路神社は北野高校の近くにありました。

成小路(なるしょうじ)神社:大阪府大阪市淀川区新北野2丁目12−24

2017.10,24  04:17 PM





この鳥居と玉垣は旧富嶋神社のお旅所に建立されていたもので、昭和二十年六月
の空襲で戦禍にあい粉砕又破損せるもの数多く戦後の都市計画により現地に永ら
く保管されていましたが其の間建立者とその子孫で転出して連絡先不明の方もあり
ましたが、この度先祖先賢のご遺徳をしのび、在住の子孫が発起人となり判明せる
分のみこれを再建したものである。     昭和五十三年七月吉日


11月14日:53234歩

三津屋城跡伝承地(光專寺)

JR大阪駅から歩いて豊中市に向かう途中の十三本町で「堀城跡」を見つ
けた後、次に三津屋中の光專寺で「三津屋城跡」を見つけました。
説明板を読むと四條畷市に墓のある、楠木正行が築城した城でした。

三津屋城跡伝承地:大阪市淀川区三津屋中1丁目6-1  光專寺前

2016,12,08  08:37 AM



 三津屋城跡伝承地(淀川区三津屋中付近)大阪市顕彰史跡第197号
のこ地にある光專寺の周辺は「字 城の前」と呼ばれており、付近には「字
馬洗」の地名も存在したことから、この一帯が城域であったと推測される。
「摂陽群談」(1701年刊」は三好政長(1508~64)や長慶(1522~64)が
拠点とした中島城の跡にあてる。
大阪府全志」(1922年刊)では楠木正行(?~1348)の築城とし「今は石壁
等の観るべきものはなく、周囲の壕址は井路と変じ、里中の字地に馬洗の
名を存すのみ」と記される。かっての城域の状況については不明で、変遷
やいつ、廃城になったのかも明らかでない。
光專寺は本願寺派の真宗寺院で、文安5(1448)年に、楠木正行の末裔で
ある末広治朗左衛門が蓮如上人に帰依し、廃朽した城域に建立した寺院
と伝わる。            大阪市教育委員会


12月11日:20398歩

堀城跡伝承地(武田薬品前)

一昨日(12月8日)は豊中市の神社巡りをしました、歩くのが目的の私
はJR大阪駅で下車し豊中市へ向かう途中十三本町の武田薬品の東
門前に「大阪市顕彰史跡 堀城跡」の説明板があるのを見つけました。

堀城跡伝承地:武田薬品大阪体育館そば東門前) 淀川区十三本町

2016,12,08  07:57 AM





 堀城跡伝承地(淀川区十三本町付近) 「大阪市顕彰史跡 第198号」
西国街道筋にある十三渡し(じゅうそうのわたし)北岸の要地にあった
城で、「西城郡史」(1915年刊)では永禄9(1566)年に細川藤堅(ふじ
かた)が築城したとされる、しかし一般には、享禄4(1531)年の「大物
(だいもつ)崩れ」合戦の時にはすでに存在していた堀城にあてる見解
もある。 江口の戦い、天文18(1549)年の時には細川晴堅(はるかた)
が居城とし、その後、勝者の三好長慶の直轄下に置かれた、長慶の没
後には細川藤賢が在城したが、永禄9年には三好三人衆によって無血
退城させられた、永禄元年(1570)の織田信長による野田・福島攻めに
際しては、将軍・足利義昭が入城したという。
廃城後も周辺の樹木は残り「堀の森」とよばれた。現在地南西方向にあ
る十三公園の巨木はその名残と伝えられている。

上田秋成寓居跡(香具波志神社)

「上田秋成寓居跡」はウォーキングしているときに偶然見つけたのでは無く、
11月30日に大阪市淀川区の神社めぐりで加島四丁目の香具波志(か
ぐわし)神社を参拝して後日ブログに載せるため調べていたら香具波志
神社の境内に上田秋成の寓居跡があることが分り、12月9日、大阪市西
淀川区の神社めぐりをしたとき、西淀川区の境界近くにある香具波志
神社を再度訪問して見つけたのです。
 
上田秋成:江戸時代の小説家で大阪、曽根崎で生まれました、香具
       波志神社の藤氏の招きで当地に4年間居住しました。
               有名な小説「雨月物語」は日本最初の怪談と言われてい
               ます。

上田秋成寓居跡(香具波志神社の境内)

2015,12,09 撮影

上田秋成寓居跡の横に刻まれた「加島鋳銭所跡」は、この香具波志
神社の北方にありました、操業期間は元文(げんぶん)3年(1738)~
寛保(かんぽう)元年(1741)までの3か年でしたが、良質の銅銭や鉄
銭を鋳造し、「酒は灘、銭は加島」と喧伝されました。

12月13日:19744歩

十三渡し跡(淀川堤防にて)

淀川区の神社めぐりも終わり、もう少しウォーキングしていたら淀川の堤防
で十三の由来になった「十三渡し跡」を見つけました。

十三(じゅうそう)渡し跡(淀川堤防にて)     場所:十三大橋北詰


2015,11,30 撮影







十三の由来「神津神社」

十三の由来「神津神社」

淀川区の神社めぐりで最後に参拝した神津神社(かみつじんじゃ)の
ホームページに神社のある街の名前「十三(じゅうそう)」の由来が載って
いました。
以下六つの説がありますが、私は①の説が有力と思っています。
十三の地名の由来
 ①淀川の渡しが上流から十三番目であった説
 ②人名の重蔵(じゅうぞう)が訛ってなった説
 ③十三塚の塚を省いて十三になった説  
 ④条里制の十三説
   条里制の十三条から来ている節。
 ⑤つつみ(堤)説
      十を訓ではツツと読み、三はミと読むので十三を音読みすれば「ジュウ
   ソウ」になる説。
 ⑥富島(十三島)説
   富島(とみしま)の富(とみ)が訛って十三(とみ)となった説。

「神津神社」::大阪市淀川区十三東2丁目6-37

2015,11,30 撮影

淀川区の神社めぐり完結


12月9日:36705歩

蒲田神社(淀川区東三国)

蒲田(かまた)神社は地下鉄御堂筋線「東三国駅」の東徒歩1分の
所にありました。

室町時代(1338~1573年)に地元の有力者佛生院又三郎が、「室の
明神」の分霊をいただいて、村の鎮守として創建した神社です。この
付近は、蒲の生い茂る田園情緒豊かな所でしたから、明治42年から
この社名になりました。今も境内には大きな楠がありとても気持ちの
いいお宮さんです。 淀川区ホームページより

蒲田(かまた)神社:大阪市淀川区東三国2丁目18-12

大阪市淀川区の神社めぐり残り1社

2015,11,30 撮影

広い道路に面した裏参道の鳥居

香具波志神社(淀川区加島)

大阪市淀川区の神社めぐりで塚本神社の次に参拝したのが香具波
志神社です。
天徳3年(959)創建の古い歴史を持つ神社です。
社名の由来は、孝徳天皇が有馬温泉に行幸の途中、当地を通った
際「かこはしや 此花いもみせぬかもや この花」と詠まれた歌に由来
しています、また南北朝時代には、神崎川を挟んで両朝が戦いを繰
り返したが、その折、楠正義(楠正成の3男)が当社に戦勝祈願をして、
勝利を得たと伝わっています。

香具波志(かぐはし)神社:大阪市淀川加島4丁目4-20

2015,11,30 撮影

淀川区の神社めぐり残り2社


12月8日:23543歩

塚本神社(淀川区塚本)

11月30日、大阪市淀川区の神社めぐりで最初に参拝した神社が塚本
神社です。
JR塚本駅の東、十三方面へ徒歩5分程の所にあります。

塚本神社(つかもとじんじゃ)大阪市淀川区塚本2-2-7

淀川区の神社めぐり残り3社

11月30日撮影

由緒;
西成郡中島村大字塚本村の氏神で、八坂神社と呼ばれた。
延宝(1677年)5年3月の青山大膳の検地で除地とされる。
明治5年(1872年)2月、村社に列す。
明治42年(1909年)6月7日、政令により中津の富島神社に合祀される。
昭和36年(1961年)に住民の神社復興の機運が高まる。
昭和37年(1962年)富島神社より分離独立を承諾される。
昭和38年(1963年)7月19日に本殿拝殿が落成。
フリー百科ウイキペディ゙アより

12月7日:22809歩
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