ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

八幡市(京都府)

神応寺(八幡市八幡高坊)

航海記念塔を見物した後、その奥に神社の鳥居らしきものが見えたので
登っていくと鳥居の額は「大聖不動明王」となっていました。後で分ったの
ですが、これは神応寺の奥之院で正式名を「杉山谷不動 大聖不動明王」
と言います。神応寺は岩清水八幡宮を創建した行教上人によって貞観2年
(860)に開かれました、元は「応神寺」という名称でしたが応神天皇の名を
そのまま使うのは良くないとされ「神応寺」と改めたとされています。参道の
途中には大きな鉄橋があり、それは岩清水八幡宮へ上がるケーブルカーの鉄
橋でした、ケブルカーの鉄橋としては日本一だそうです。また後で分ったのでお
参りが出来ませんでしたが、大阪の豪商、淀屋辰五郎の墓も境内にあった
のです、もう八幡市の神社めぐりは終わり、しばらくは八幡市へは行く予定
は無いので、今後八幡市方面に出かけた時は淀屋辰五郎の墓にお参りし
たいと思っています。
 
「大聖不動明王」の鳥居

2015,11,20 撮影

ケーブルカーの鉄橋

神応寺(しんのうじ):八幡市八幡高坊




12月4日:24517歩

日本最大級「航海記念塔」(八幡市)

岩清水八幡宮そばの神応寺山門横に大きい五輪塔があり、説明板に
よると摂津尼崎の商人が中国からの帰途、岩清水八幡宮に祈って海難
を逃れ、その恩に報いるため建立された等いくつもの説があります。
航海の安全を祈って参詣(さんけい)され、航海記念塔とも呼ばれていま
す。
ついでに参拝と参詣の違いについて調べました。
どちらも同じ意味ですが、厳密に言うと下記になります。

参拝(さんぱい):神社仏閣に行き拝む行為を指します。
参詣(さんけい):神社仏閣に行くこと自体を指します。

「航海記念塔」:八幡市八幡高坊 神応寺の山門横

高さ6mは日本最大級です。  2015,11,20 撮影






12月3日:24837歩

「史跡 松花堂およびその跡」(松花堂弁当の由来)

石清水八幡宮境内の大扉稲荷社のそばに「史跡 松花堂跡」がありま
した。
この史跡は石清水八幡宮の瀧本坊の僧侶であった松花堂昭乗が晩年
に弟子に坊を譲り草庵を結んだ場所「松花堂」がこの地にありました。

松花堂昭乗:江戸時代初期の高名な茶人・画家であるとともに寛永の
        三筆に数えられ当代一流の文化人であった。
        有名な松花堂弁当は、この人の名前に因みます。
        松花堂昭乗が農家の種入れを小物入れとして愛用していた
        田の字形の器に吉兆創始者の湯本貞一が寸法などに手を
        加えて料理を納め、松花堂弁当として世に広めたのです

史跡 松花堂跡:石清水八幡宮境内



2015,11,20 撮影



12月2日:19498歩

大扉稲荷社(石清水八幡宮境内社)

11月20日、20社あった八幡市内の全ての神社を参拝する、神社めぐり
を終わって帰る途中で石清水八幡宮を散策しているとき、通称「七曲り」
と呼ばれる石段を上ると鳥居があり、よく見ると「大扉稲荷社」でした。
 
その昔、このあたりには狐の住む穴があって、柴草を刈りに来る人々に
いたずらをするので、小祠を建てて崇めたという伝説が残っている。
文政12年(1829)に至って、杉本坊親杲らが泉坊と相談、八幡宮に願い
出、鳥居、玉垣を新たに作り、現在の場所に社を移して改築した。社の祭
神について次のような話が伝えられている。
当時、富くじが流行していた。この稲荷社に祈った人が、その霊験によって
富を得たことが伝わると信者を増やし、その信者の寄進で建立になった。
しかし、その祭神の名を知る人がなく、古記にも伝えられていなかったので
、京都七条の高瀬川傍で稲荷を信仰し、占いなど神告を業としていた人に
よって、「我は相槌稲荷の子、名を登毘良明神と申す」とのお告げを受け、
その神の名を知ることになった。こうして大扉稲荷社を信仰する人が多く、
ここへ詣る人が多かったという。 八幡市観光協会ホームページより

大扉稲荷社(石清水八幡宮境内社)


泥松稲荷神社(八幡市八幡広門)

八幡市の神社めぐり最後に参拝した神社は泥松稲荷神社という、変わ
った名前の神社です。
名前の由来等は下記の通りです。

「昔々、もみじ寺という寺の近くにあった祠に、いたずら好きの狸が住み
着いていたそうだ。ある日、狸はいたずらが過ぎて、村人にお仕置きを
され、弱ってるところへ庵主様が通りかかった。庵主様は、狸をお寺に
連れて帰って手厚く看病してあげると元気をとりもどした。その狸の名
は「どろ松」、そのどろ松が亡くなると、庵主様は御霊を祀り、朝夕に拝
んだそうだ。すると、庵主様にどろ松の霊力が乗り移り、占いが良く当
たるようになったという。現在も一心不乱に「泥松大明神」と拝むと願い
が叶うと言われている。」 八幡市観光協会ホームページより


泥松稲荷神社:八幡市八幡広門

2015,11,20 撮影

八幡市の神社めぐり完結




12月1日:25628歩

春日神社(八幡市西島)

八幡市の神社めぐりも残り少しとなりました、
八幡市西島の春日神社は八幡市役所から徒歩6分、大谷川の手前に
ありました。

春日神社:八幡市西島1番地

2015,11,20 撮影

八幡市の神社めぐり残り1社

八幡神社(八幡市戸津)

八幡市戸津の八幡神社は戸津八幡神社とも言われています。
創建は延久年間(1069~74)と伝わっています。

八幡神社:京都府八幡市戸津北小路124番地

2015,11,20 撮影

八幡市の神社めぐり残り2社


天満宮(八幡市下奈良)

11月20日、残り4社となっていた八幡市の神社めぐりを無事終えること
ができました。
最初に参拝したのは八幡市下奈良の天満宮です。

天満宮:京都府八幡市下奈良奥垣内(おくがいと)46番地

八幡市の神社めぐり残り3社    2015,11,20 撮影


道路からは石橋は見えますが鳥居は見えません。


11月29日:18917歩

能蓮法師歌碑(八幡市)

八幡市、安居橋のそばに「能蓮法師歌碑」が建っていました。



2015,11,13 撮影

説明板が劣化して読みにくいので下記に転記します。

             能蓮法師歌碑

「石清水清き流れの絶えせねば やどる月さえ隅なかりけり」

この歌は文治元年(1185年)9月に催された石清水八幡宮の歌
合せに
おいて能蓮法師が詠んだもので、千載和歌集に収められ
ている。

能蓮法師は平安時代の歌僧で、出家前は因幡守能盛と称し、鳥
取の国守
として山陰地方を治めでいた人で、千載和歌集は藤原
俊成が西暦年間(
990995)から文治にいたる約200年間の歌
から収集し、文治
4年(1188年)4月に世に出されたものである


11月21日:21595歩

「安居橋(あんごばし)」の由来(八幡市)

11月13日、八幡市の神社めぐりの時、石清水八幡宮の前を流れる
大谷川に架かる、美しいアーチ型の橋があり、橋の由来等を書いた説
明板があったので紹介します。

八幡八景のひとつ安居橋

2015,11,13 撮影  橋長:21 m 橋巾:4 m

安居橋の由来は諸説ありますが、相五位橋(あいごいばし)が訛って安居橋
と呼ばれるようになったのが有力です。
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