ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

大阪市(此花区)

西九条神社(此花区)

此花区の神社めぐりの最後に参拝したのは西九条神社です。

貞享年間(1680年)西野新田に入植した人々が、五穀豊作を祈り稲荷
大社と海上安全の守護神として住吉大神を祀ったのがはじまりという。
明治40年茨住吉神社の行宮所となり、昭和21年に社名を西九条神社
と改められた。戦前は茨住吉神社の渡御があったがいまは休止されて
いる。 此花区ホームページ

行宮所(あんぐうしょ):天皇が行幸の時、旅先に設けた仮宮、神社によ
              っては行宮所を設ける場合もある(神輿等が休憩
              する場所でもある)
茨住吉神社茨住吉神社(大阪市西区)

西九条神社:大阪市此花区西九条1丁目4-20

此花区の神社めぐり6社目(残り無し完結)

2016,01,22 撮影

真田幸村も祈願した「朝日神明社」(此花区)

此花区の神社めぐり5社目に参拝した朝日神明社には詳しい由緒が記載
された説明板がありました。
由緒のなかには義経や真田幸村が戦勝を祈願したことも記載されていま
す。

朝日神明社(あさひしんめいしゃ):大阪市此花区春日出中1丁目6-21

此花区の神社めぐり5社目(残り1社)

2016,01,22 撮影

由緒 
当朝日神明社は、朝日・日中・夕日の浪速三神明の一つとして有名であ
った朝日宮(東区神埼町)と皇太神社(此花区川岸町)を合祀したもので
ある。
朝日宮(逆櫓社)は、朱雀天皇の天慶年間(940年頃)に平貞盛の創建す
るところであって、「承平・天慶の乱」の後、貞盛の戦勝の叡感された朱雀
帝は当社の御神徳を称えられ、朝日宮という神号を賜ったという。
当社はまさに勅願の故もあって、豊臣秀吉の崇敬も厚く、年々米百俵を寄
進された。又、元和元年(1615)の大阪夏の陣に際し、真田幸村が当社に
金色の采配を奉納し出陣したという。尚、源義経が平家追悼の途、朝日宮
戦勝の祈願をされた「一の谷」の合戦後、梶原景時と史上有名な「逆櫓の
論」があったが、義経は当社に祈願をこめているので戦勝疑いなしと景時
の論を退け平家を西海に討滅した。此の時より当社を一名逆櫓社ともいわ
れるようになったものである。
皇太神宮は古くより川岸町に在った、この川岸町はかって南新田といわれ
たが伊勢神宮の御分霊を包い受けて神祠を造って新田の鎮守の社として
奉斎していた。皇太神社は明治40年に朝日宮を合祀して「朝日神明社」と
社号を改めた。しかし川岸町一帯は進むにつれて工場地として発展した為
、昭和6年現在地に遷宮した。
第二次大戦中(1945年)惜くも戦火を受け当社境内はもちろん春日出一帯
は焼土と化したが戦後、総代・氏子・崇敬者諸氏の尽力によって本殿・幣殿
・拝殿、そして手水舎を復興し現在に至っている。
朝日神明社

1月30日:21313歩

産土神社(此花区島屋)

此花区の神社めぐり、4社目に参拝したのが産土(うぶすな)神社です。

宝暦12年(1762年)大坂の島屋(浅田市兵衛)が正蓮寺川左岸の一角(現住友
電工内)に新田の鎮守神として創建した。昭和9年の風水害により被災し、昭
和13年に現在の地に移転された。境内に旧恩貴島町島屋町大風水害復興記
念碑がある。
地名の島屋はこの人の名前が由来しているのでしょう。

産土神社:大阪市此花区島屋3丁目13-28

此花区の神社めぐり、4社目(残り2社)

旧鴻池本店/本宅(此花区)

此花区の神社めぐりで参拝した澪標住吉神社のそばて「旧鴻池本店」を
見つけました。
1871年(明治4年)鴻池忠次郎が父の廻船問屋を引き継ぐとともに、土
木や建築の事業場や製造業などへ人員を供与する、いわゆる労務供給
業を開始。1880年(明治13年)伝法の地で運輸業を開始、1918年(大正
7年)株式会社鴻池組を設立。1945年(昭和20年)には運輸部門を鴻池
運輸株式会社として分離し、鴻池組を建設業専業として、現在に至ってい
ます。
昭和43年(1968年)に本社社屋ビル「鴻池ビル」(大阪市中央区)が完成す
るまで本店及び本宅として使用されました。
調べたところ江戸時代、伊丹から大阪に進出して日本最大の財閥となった
鴻池善衛門が作った鴻池財閥とは関係ありませんでした。

旧鴻池本店/本宅:大阪市此花区伝法4-3-55

2016,01,22 撮影




1月29日:24546歩

澪標住吉神社(此花区)

此花区の神社めぐり、3社目に参拝したのは澪標住吉神社です。

社伝によれば、延暦23年(804年)遣唐使の航路安全を祈願して祭壇
を造り、一行の帰路を迎えるため澪標を立てたのがはじまりという。
当地が伝法口として賑わうとともに、土地の守護神・海上交通安全の
神として社殿境内も改まり、今もその面影を留めている。
此花区ホームページより

澪標(みおつくし)とは:水路を示すために水中に建てられた木のくい。
   千年以上前に初めて難波(大阪)に建てられました。
   大阪市の市章にもなっています。

澪標住吉神社:大阪市此花区伝法3丁目1-6  阪神伝法駅東400m

此花区の神社めぐり3社目(残り3社)

澪標(みおつくし)


1月28日:50618歩

鴉宮(此花区伝法)

此花区の神社めぐりで2番目に参拝した鴉宮の名前の由来は豊臣
秀吉が出兵の祭、この神社に航海の安全を祈願したところ、三本足
の鴉(八咫烏)が船の前後を飛んで船を守ったことから、これに感激
した秀吉が帰国後、神社名を鴉宮と改めさせたと伝わっています。

八咫烏(やたがらす)とは:神武天皇が熊野から大和に進入しようとし
    て山中で道に迷ったとき,アマテラスオオミカミ  が八咫烏をつ
    かわして天皇の軍を導き,山中を抜け出させたという三本足の
    大きい鴉。 日本サッカー協会のシンボルとなっています。 

鴉宮(からすのみや):大阪市此花区伝法2丁目10-18








1月27日:21618歩

住吉神社(此花区梅香)

此花区の神社めぐりで最初に参拝したのが住吉神社です。

住吉神社(別名 四貫島住吉神社):大阪市此花区梅香3丁目14 
   交通:市バス「四貫島2丁目」下車 南へ約200m 

2016,01,22 撮影 此花区の神社めぐり1社目(残り5社)



                                 住吉神社御由緒
御祭神  底筒男命  中筒男命  表筒男命  息長足姫命(神功皇后)
       底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を総称して住吉大神と
       申し上げます。
御由緒  この辺りは浪速八十島と言われ、住民の主な職業は漁務又は
       船夫であり、海上安全の守護神である住吉大神を深く尊崇し
       ていた、そして元和年間、摂州住吉大社の社家橋本の亀太夫
       に請うて、その御分霊を千鳥橋下方中津川沿岸(四貫島本宮
       町)に御鎮祭したのが当社の起源である、宝暦5年その東方に
       御鎮座、更に市電施設のため大正10年現在の地に御遷座に
       なった。
御神徳  住吉大神は伊弉諾尊の禊祓に際して海中より御出現になった
       神様であり、禊祓、海上守護の御神徳を中心として、古来 産業
       文化、外交の祖神と仰がれ、広島区篤く崇敬されています。        



初代大坂船奉行所跡(此花区)

生野区の神社めぐりも終わり、次は大阪市此花区の神社めぐりを
1月22日に実施しました。
調べたら此花区の神社は全部で6社ありましたが、一日で参拝する
ことが出来ました。
最初に参拝した住吉神社に向かう途中、六軒屋川に架かる朝日橋
のそばで「初代大坂船奉行所跡」の大きな石碑と説明板がありまし
た。

初代大坂船奉行所跡:此花区 朝日橋のそば

2016,01,22 撮影

初代大坂船奉行所跡
大坂船奉行所は元和6年(1620年)に、近世は難波津に代わって大
坂の要津として賑わっていた、伝法・四貫島に設置され、徳川幕府
最初の大坂船奉行所を四貫島村としました。 公事屋敷が185件あ
るという規模で、6軒や3軒で村がある時代の全国約200藩中で日
本一の船奉行所になります。

1月26日:21852歩

下水道科学館見学(此花区)

大阪市此花区にある下水道科学館へ見学に行きました。
阪神電車野田駅から徒歩7分ですが、私は歩くのが目的です
からJR環状線野田駅から歩きました、約20分でした、入場は
無料で、また無料の駐車場のありました。
小学生のお子さんやお孫さんと行かれたら喜ぶと思います。






館内の展示(インダス文明の年には5000年前から下水道が
つくられていたそうです)

スラッジセンターの模型(下水道で処理場で出た汚泥を処理
する工場)





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