ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

箕面市(大阪府)

素戔嗚尊神社(箕面市粟生間谷)

7月4日、箕面市の神社めぐり2社目に参拝したのは素戔嗚尊神社です
、15社あった箕面市の神社を全て参拝することが出来ました。
     2016,03,03 3社  2016,05,06 1社
     2016,04,01 4社  2016,06,08 3社
     2016,04,29 2社  2016.07,04 2社
以上6回の箕面市神社めぐりは全て茨木市、見山の郷へ行った帰りに
参拝したものです。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)神社:箕面市粟生間谷2912

2016,07,04 AM 12:56 撮影




             粟生一宮素戔嗚尊神社縁起
当社は、往古から粟生地域一円の氏子住民が奉祀してきた地域の鎮守総
社であります。 創建の由緒等は不詳ですが鎌倉時代の文永8年(1271)
の古書によると、当社は天王社と号しており、例年9月9日の大祭には神事
の相撲を奉納しておりました。
一方、当社の神宮寺として建立された旧菩提寺の所在が、早く平安時代の
久宝6年(1150)に知られるので、当社をお祀りした時代もこの期にさかの
ぼることは確かである。  以来今日まで長期にわたって当社は、氏子粟生
地域はもとより近隣各地崇敬を集めつつ、伝統を連綿として継承してきまし
た。この間の明治初年には社号を素盞鳴尊神社に改めて粟生村の村社に
列せられました。
次で大正7年には、国の方策に副いまして地域内の奥・楠木神社、中村・天
満神社、山之口・五字神社、川合・春日神社、外院・五字神社、新家・春日神
社、岩阪・藤代神社・稲荷神社を当社に合祀しました。しかしながら近年に至
り分祀され、それぞれの故地に遷座に副いました。このように当社は名実と
もに粟生地域の総社として、地域住民の氏子一同の崇敬のもとで今日に至
っております。 以上、当社再建の嘉事大成の時にあたり、これを記念して当
社の縁起を略記した次第であります。




7月18日:42182歩

為那都比古神社(箕面市石丸)

7月4日は茨木市、見山の郷へ行った帰りに、箕面市の神社めぐりを
しました。
箕面市には神社が15社あり、以前に13社参拝済のため、7月4日は
残り2社を参拝して、箕面市の神社全てを参拝することが出来ました。
為那都比古神社は箕面市では2社しかない式内社の1つです。
(もう1社は箕面市桜ヶ丘の阿比太神社)

境内には徳川八代将軍吉宗が寺社奉行の大岡越前守忠相に命じて
奉献したとする社号碑や日露戦争で使ったとされる大砲の弾が奉献
されていました。


為那都比古(いなつひこ)神社:箕面市石丸2丁目10-1

2016,07,04 AM 11:01 撮影



           為那都比古神社社記
 御祭神 主神 為那都比古大神 為那都比売大神
       合祀 天照皇大神 大山昨神 木花咲那姫神 天児屋根命
              火之迦具土神 菅原道真公
   御鎮座地 大阪府箕面市白島830番地
   御由緒  当神社は摂津国の古社で今を去る1700年以前にあった部族
        国家「為那国」の中心地で為那国を統括した為那民族の守護
        神として祀られたと伝承され日本紀の仁徳天皇38年の條に代
        代氏神として奉ったと記され 醍醐天皇の延長5年に左大臣
        藤原忠平等により選出された法則書「延喜式神名帳」に官幣
        を奉った神社として御名が見へる 往古より縁結びの神土地
        守護の神として崇敬篤く通称「萱野の大宮」として著名である
        明治40年旧萱野村10ケ村の産土神10社が当神社に合祀さる
     昭和59年10月吉日 為那都比古神社


徳川八代将軍吉宗、奉献の社号碑



徳川八大将軍吉宗奉献 社号碑 
徳川八大将軍吉宗ガ寺社奉行大岡越前守忠相ニ命ジテ元文元年ニ奉献ス


日露戦争で使ったものと同じ砲弾



 奉献
 萱野村大字外院 奥野與三郎 昭和拾壱年拾弐月拾六日
 コノ砲弾弐ケハ 日露戦後ノ旅順港攻撃ニ使用セルモノヲ
 陸軍省ヨリ下賜サレ奉献ス

八幡太神社(箕面市)

6月8日の箕面市の神社めぐりで最後(3社目)に参拝したのは八幡太
神社です。
この神社は創立年は不詳ですが、氏子の信仰厚く、明治40年に政府の
神社統合令により市内の阿比太神社境内に合祀されましたが、昭和30
年に元の地に復帰したことが下記「八幡太神社復興記念碑」に刻まれて
いました。

八幡太神社:箕面市新稲3丁目6-1

2016,06,08 撮影 箕面市の神社めぐり残り2社




八幡太神社復興記念碑
 祭神 応神天皇
 当八幡太神社の創立年代は不詳なるも往古より西小路住民の信仰
 殊の外厚く氏神として当地に奉祀してありし処 明治40年内務省神社
 統合令により西小路八幡神社は半町の阿比太神社境内へ合祀するこ
 とに なりしが後日発起人氏子相詞り協力を得て昭和30年10月元宮地
 へ 復帰奉納する。
 昭和33年10月吉日 八幡太神社西小路氏子一同

6月19日:55652歩

正丸稲荷神社(箕面市)

6月8日の箕面市神社めぐりで2社目に参拝したのは正丸稲荷神社
です。
古墳の石室が神社の神殿に利用されています。

正丸稲荷神社:箕面市桜2丁目





2016,06,08 撮影 箕面市の神社めぐり残り3社

                   稲荷社古墳
古墳の石室が神社の神殿に利用されているために未発掘ですが小規模な
円形の墳丘と、横穴式石室の形態から、古墳時代後期の、6世紀後半から
7世紀頃の築造と推定されます。
古墳の名称になっている稲荷神社は、最も古い記録として、江戸時代の享
保十一年(1726年)の「西小路村郷鑑報」に見られますが、この記録から、
地域の人々が昔から、神社と共に古墳を大事にしてきたことがわかります。
                                箕面市教育委員会

八幡大神宮(箕面市牧落)

6月8日は茨木市見山の郷へ行った帰りに箕面市の神社めぐりをして
3社を参拝することが出来ました。
最初に参拝したのが牧落八幡宮でした。
現地鳥居の額の神社名は「八幡宮」、大阪府神社庁の登録名は八幡
大神宮、若宮八幡宮とも言われています。

八幡大神宮:大阪府箕面市牧落2丁目12-27 通称:牧落八幡宮



2016,06,08 撮影 箕面市の神社めぐり残り4社


句碑 「新緑の句碑も神慮の一つとす」青畝

阿波野青畝(あわの せいほ、1899年(明治32年)2月10日~1992年(平成4年
12月22日)は奈良県出身の俳人。本名は敏雄。

6月18日:24670歩

天児屋根命神社(箕面市)

昨日(5月6日)は大阪市東住吉区の神社めぐりをしました。
これで大阪市24区すべての区の神社めぐりを終えました

朝早く家を出てJR阪和線の駅を下車して最初に参拝する榎神社を
探しているとき、大きい道路わきの歩道に財布のようなものが2個
落ちていました、それを拾ってすぐ前を歩いていた女性に追いつい
て「これを落としたのではありませんか?」と声をかけると「ワタシノデハ
アリマセン」とカタコトの返事が返ってきて、困った私は、今度は向こうか
ら歩いて来た別の女性に「この近くに交番はありますか?」と聞くと、
「ありません」と答えて、私が持っていた財布と定期入れの中身を確
認して、「そこのJRの駅に届ければよいのではありませんか」と的確
に教えて下さいました、私も定期券入れの方を確認すると身分証明
書が入っており、顔写真や電話番号が入っているので、すぐに電話を
して本人がいなくても家族の方に届ければよかったのですが、私も早
く神社めぐりがしたかったので、歩いて3分程のJRの駅に戻り落し物を
改札口の駅員に届けました、今頃は落とし主に戻っているでしょう。

ブログの方は4月29日に箕面市の神社めぐりをした、瀬川神社の方を
先に紹介します。

瀬川神社は通称で正式名は天児屋根命神社と言います。

天児屋根命神社(あめのこやねのみことじんじゃ):箕面市瀬川1-22-20

2016,04,29 撮影 箕面市の神社めぐり残り5社

社号標は瀬川神社

鳥居の額は正式名称天児屋根命神社 


5月7日:16382歩

阿比太神社(箕面市)

4月29日、箕面市の神社めぐり、2社目に参拝したのが、阿比太神社です。

阿比太神社由緒(ホームページより)
当神社は延長5年(西暦927年)に編纂された延喜式神名帳に名を載せる
式内社であり、御祭神に素盞鳴尊(すさのおのみこと)お祀りしている。応
神天皇2年の奉祀なりと伝えられるが確かな文献は存在しない。しかし、
続日本後紀の記載によれば「仁明天皇嘉祥3年正月従五位下を授かり給
う」とあり、また延喜式神名帳には大、月次、新嘗の際に案上の官幣を賜
わった大社であることが記されている。

阿比太(あびた)神社:大阪府箕面市桜ヶ丘1丁目8-1

2016,04,29 撮影  箕面市の神社めぐり残り6社

延喜式内 阿比太神社


延喜式内とは:単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)とも言い、
 延長5年(927年)にまとめられた全国の神社一覧表に記載された
 神社の事で、格式の高い、歴史の古い神社のこと。

5月6日:56859歩

止々呂美神社(箕面市)

4月29日は茨木市の見山の郷へ行った帰りに、同じ方角の箕面市
の神社めぐりをして3社を参拝することが出来ました。
最初に参拝したのが止々呂美神社です。

元禄年間(1688-1703)に創建された神社。 もとは素戔嗚尊神社と称し、
明治時代に同村の日枝神社と合祀して現在の社名へと改めました。
境内には猿田彦大神多賀神社、愛宕大神金比羅大神が祀られていま
す。例年11月には新米が収穫できたことをお祝いする「新嘗祭」が行わ
れています。

止々呂美(ととろみ)神社:箕面市大字止々呂美909

2016,04,29 撮影

箕面市の神社めぐり残り7社

天満宮(箕面市粟生間谷西)

大阪府神社庁の箕面市神社一覧表に載っていませんでしたが、
五字(ごあざ)神社の近くで天満宮を見つけて参拝しました。

天満宮:大阪府箕面市粟生間谷西3丁目23

箕面市の神社めぐり7社目

2016,04,01 撮影


ミミズクの来る「五字神社」(箕面市粟生間谷西)

4月1日、箕面市の神社めぐりで3社目に参拝した五字神社は
「ごあざじんじゃ」と読みます、この神社には毎年「アオバミミズク」
が 6月~8月中頃まで、住みつくそうです。

五字(ごあざ)神社:大阪府箕面市粟生間谷(あおまたに)西3-16

箕面市の神社めぐり6社目

2016,04,01 撮影

神社の由来には、地名「粟生」は粟の生育が良いのでこの地域を粟生と
呼ぶようになったと、記載されています。

ミミズクが渡り鳥であることも知りました。
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